2014/09/24

魔の9月26日

台風の発生数、接近数、上陸数の月別の平年値の図と1951年以降の発生数、接近数、上陸数の経年変化図を並べてみた。これから言えることは、7月~10月が台風シーズンであり、特に8月、9月の上陸数が多いことがわかる。一方、台風の発生数、接近数、上陸数はわずかであるが、年とともに減少傾向と見られる。ただ、経年変化をより細かく見ると接近数は、9月、10月は微増で、シーズンが晩秋まで伸びているように思える。これも地球温暖化の影響と言えるかわからないが、10月も台風シーズンが続くので警戒を怠らないで欲しい。

魔の9月26日


さて、日本列島には、毎年約3個の台風が上陸するが、昔は二百十日(9月1日頃)や二百二十日(9月11日頃)が「台風襲来の厄日」と言われていた。ただ、統計に見てもこの日前後に台風の上陸が多い訳ではないようだ。むしろ、日本には8月、9月を中心に台風の襲来する頻度が高いことから、この頃になると台風への備えをするようにとの先人からの教訓であると思ってほしい。

では、台風の上陸の特異日があるだろうか。台風は週末に影響することが多いといったことも聞かれるが、明らかにこの日前後に多くなるといったものはなさそうだが、1950年代にこんなことがあった。1954(昭和29)年の洞爺丸台風、1958(昭和33)年の狩野川台風、そして1959(昭和34)年の伊勢湾台風の3個の台風が偶然とはいえ、9月26日に上陸して大きな被害が発生した。

魔の9月26日_1


当時、9月26日に上陸した台風が甚大な被害をもたらしたことから、この日を「魔の9月26日」と呼ぶようになった。気象庁では過去に甚大な被害をもたらした台風には名前を付けているが、この3つの台風は共に死者が千名を超えており、名前が付けられた。

それぞれの台風の経路と被害の概要は次の通りである。 昭和29年(1959年)9月21日にヤップ島の北で発生した台風第15号は、西北西に進み、24日夜八重山諸島の南海上で進路を北に変え、次第に加速しながら南西諸島沿いに進んで、26日02時頃鹿児島湾から大隅半島北部に中心気圧965㍱の勢力で上陸した。その後、九州東部から中国地方を時速100kmで横断し日本海に進んだ。
洞爺丸台風
しかし、北海道に接近するころから次第に速度を落としながら再び発達を始め、21時には中心気圧956㍱と最盛期を迎えて北海道寿都町沖を通過、27日00時過ぎには稚内市付近に達した。 この台風により、函館港から出港した洞爺丸を始め、5隻の青函連絡船が暴風と高波で遭難し、洞爺丸の乗員乗客1,139名が死亡するなどの大惨事となった。また、北海道岩内町では3,300戸が焼失する大火が発生した。さらに広い範囲で暴風となったため、被害は九州から北海道まで全国に及び、死者1,361名、行方不明者400名、住家全壊8,396棟、床上浸水17,569棟など甚大なものとなった。
なお、函館港内での洞爺丸の惨事を受け、後に「洞爺丸台風」と命名された。
北海道寿都沖で、中心気圧956㍱と最も低い気圧を記録した26日21時の天気図を示す。

昭和33年(1958年)9月21日にグアム島近海で発生した台風第22号は、26日21時過ぎに静岡県伊豆半島の南端をかすめ、27日00時頃神奈川県に上陸し、関東地方を北上し、早朝に三陸沖に進んで海岸沿いを北上、夜に青森県の東海上付近で温帯低気圧に変わった。
狩野川台風
この台風は、24日13時30分の台風中心を貫通する飛行機が投下したドロップゾンデにより、中心気圧877hPaを観測した。この値は当時としては最低気圧の記録を塗り替えるものであった。大型で猛烈な台風であったため、関東南岸では26日午前から暴風となったが、北緯30度線を越えたあたりから急速に衰えたため、風による被害は比較的少なかった。しかし南海上にあった前線が活発化しながら北上したため、静岡県湯ヶ島で総雨量が753㎜に、また、東京で日降水量371.9mm(今も東京の日雨量歴代1位)を観測するなど、東海地方と関東地方では大雨となり、土砂災害や河川の氾濫が相次いだ。伊豆半島中部では、特に集中して雨が降り、大量の水が流れ込んだ狩野川が氾濫、伊豆地方だけで1,000名を超える死者が出た。また神奈川県や東京都でも、市街地の浸水や造成地のがけ崩れなどにより、大きな被害があった。
特に狩野川流域での被害が甚大であったことから「狩野川台風」と命名された。
台風が伊豆半島南端に達した26日21時の地上天気図を示す。中心気圧は945㍱と引き続き強い勢力を保っていた。

そして、翌年昭和34年(1959年)9月21日にマリアナ諸島の東海上で発生した台風第15号は、中心気圧が1日に91hPa下がるなど猛烈に発達し、23日15時の飛行機観測により中心気圧894㍱を記録し た。
伊勢湾台風
最盛期を過ぎた後も非常に広い暴風域を伴って、あまり衰えることなく北上し、26日18時頃和歌山県潮岬の西に上陸した。上陸後6時間余りで本州を縦断し、富山市の東から日本海に進み、27日朝、東北地方北部を通って太平洋側に出た。
 紀伊半島沿岸一帯と伊勢湾沿岸では高潮、強風、河川の氾濫により甚大な被害を受け、特に愛知県では、名古屋市や弥富町、知多半島で激しい暴風雨の下、高潮により短時間のうちに大規模な浸水が起こり、死者・行方不明者が3,300名以上に達する大きな被害となった。また、三重県では桑名市などで同様に高潮の被害を受け、死者・行方不明者が1,200名以上となった。特に伊勢湾沿岸部での高潮被害が甚大であったことから「伊勢湾台風」と命名された。
天気図は、三重県北部を北上中の26日21時で、中心気圧945㍱(天気図は940㍱だが伊勢湾台風報告書等で945㍱にしている)と非常に強い勢力を保って、時速80㎞の早い速度で北上した。このころ伊勢湾の高潮は最大に達していた。

狩野川台風も伊勢湾台風も最盛期の勢力が中心気圧900㍱を下回る猛烈な強さの台風であった。当時は米軍の航空機による台風中心貫通飛行により、台風の中心の勢力を捕えていたため、このような深い気圧を観測した台風があった。それでも900㍱を記録するのは数年に1度程度で、まれであった。
現在台風の強度は飛行機観測に変わって、衛星画像による中心気圧の推定を行っている。このため、まれに発現する狩野川台風や伊勢湾台風級でも、900㍱程度に推定される。よって、中心気圧が900㍱の数値は最大級の台風と思っていただきたい。
ここで強調したいのは、過去にはこのような勢力の台風が相次ぎ上陸した時期があることを忘れないでほしい。

なお、ここに上げた3つの台風については、別の機会にもう少し詳細に説明する。