2014/08/05

憧れの五能線(その7)…絶景仏ヶ浦・むつ湾フェリー

憧れの五能線(旅程図2日目)

2日目(7月21日)は船旅が主体です。

薬研温泉のホテルをバスで出発して昨日訪れた大間崎までの道を再び通り、向かった先は佐井港。ここから遊覧船に乗り換えて景勝地、仏ヶ浦へ向かいます。佐井港は“マサカリ”の形をした下北半島の刃の部分に位置しています。薬研温泉から大間崎までの道は津軽海峡の太平洋側に面していて、この日(21日)も“やませ(東風)”の影響か少し荒れていたのですが、大間崎の手前でほぼ直角に左に(南に)折れて“マサカリ”の形をした下北半島の刃の部分に入ると目の前に広がる海は一変して穏やかになりました。同じ津軽海峡でも、このあたりは西側が海だけに、この日は“やませ”の影響を受けずに、湖のように穏やかでした。昨日と異なり天気も回復したので、遠くに北海道・道南の山々の姿が確認できます。

仏ヶ浦は陸奥湾の入り口にあたる海峡に面した峻険な海岸沿いにある海蝕崖地形の景勝地です。約2km以上にわたり人知を超えた奇異な形態の断崖・巨岩が連なります。緑色凝灰岩を主とした岩石が、数百万年という非常に長い年月をかけて津軽海峡の荒波と厳しい風雪による海蝕(海による侵食)を受けた結果、形成されたものです。それぞれの奇勝には、極楽浄土のイメージを重ねて、「如来の首」、「五百羅漢」、「極楽浜」などの名が与えられています。

中には90メートルを超える断崖絶壁もあるなど、陸上から近付くのが困難な土地で、長らく地元民のみに知られる奇勝でした。文人で、登山家・紀行家だった大町桂月なる方が1922年9月に下北半島を訪れた際、この仏ヶ浦を見て強い感動を覚え、「神のわざ 鬼の手つくり仏宇陀 人の世ならぬ処なりけり」の和歌をもってその奇観を賞したことから、仏ヶ浦が世に広く知られるようになったとのことです。この大町桂月の歌を刻んだ歌碑が仏ヶ浦の岸に建てられています。数百万年という非常に長い年月をかけて自然が造り上げた造形ではあるのですが、人々にその存在が知られるようになってから、まだ100年も経っていないってことです。

1934年に青森県天然記念物、1941年4月23日には国の名勝および天然記念物に指定され、1968年には下北半島国定公園の一部となっています。また、1989年には日本の秘境100選、日本の地質百選に選定されています。

仏が浦1
仏が浦2
仏が浦3
仏が浦5

仏が浦4

海岸沿いに展開する長大な景観であり、海上からでないとその全体像がなかなか把握できないのと、あまりに急峻な地形のため道路の建設が容易でないことから、佐井村にある佐井港、あるいは、むつ市にある脇野沢港から出ている遊覧船を使って接近し観光するのが一般的です。私達も佐井港から遊覧船に乗って観賞することにしました。仏ヶ浦は下北半島の西海岸側にあるため、西風が吹く時にはモロにその西風を受けることから猛烈な荒波になって、船での接近も難しいのですが、“やませ(東風)”が吹くこの時期は下北半島がガードして海が穏やかなので、快適な船旅でした。

『船上から眺める海岸の大彫刻』と銘打った観光船のパンフレットによると、

「今から約2,000万年前頃、日本列島がユーラシア大陸から分離して日本海の形成が始まりました。その頃の青森県は未だ海底にあり、活発に活動していた海底火山活動による噴出物などが厚く堆積し、一部に緑色凝灰岩の層を形成しました。その後、約1,000万年前頃から海底が隆起し始め、数百万年という長い時間をかけて青森県の大地が形成されました。仏ヶ浦の原形もこの時に形づくられたと考えられます。凝灰岩の表面は脆く、海流や風雨により少しずつ浸食されることで、現在の神秘的な姿が誕生しました。」

とのことです。

その仏ヶ浦を船から眺めるだけでなく上陸して散策して見学しました。仏ヶ浦には遊覧船の接岸を目的に仏ヶ浦港と称する小規模な桟橋が建設されています。仏ヶ浦の巨岩、奇岩の数々は上陸して見ると、その凄さがさらに分かります。とにかくスケールがデカイ!(@_@) 仏ヶ浦に関しては、来る前までは正直さほど期待もしていなかったのです が、実際にそばで観てみると、とにかく圧倒されてしまいました。波や風、雨の力って、長い年月をかけてではありますが、硬い岩をもここまで変形させてしまうわけです。改めて、自然が持つ圧倒的なパワーというものを実感させてもらいました。これは凄いです(@_@) 日本の秘境百選に選ばれているだけのことはあります。百選の中でも、か なり上位にランキングされているのではないかと思われます。下北半島、いや北東北でイチオシのお薦め観光スポットだと、私は思います(^^)d

前日、大間崎でウニを食したことを書きましたが、引き潮だったこともあり、仏ヶ浦の船着き場付近の岩場の潮溜まりにも小さなウニがいっぱいころがって(?)いました。まさにウジャウジャという表現ができるくらい大量に(@_@) 網の付いた棒 を伸ばせば幾つか獲れそうなのですが、漁業権がないので、勝手に獲っちゃったらその場で違法漁業で捕まっちゃうのだそうです(^^;

津軽海峡に面しているので潮の流れが速く、海水が常に入れ替わっているためか、海水の透明度はビックリするくらい高いです。仏ヶ浦の船着き場の水深はおよそ3メートルはありそうなのですが、海の底にいるウニがしっかり確認できるくらいに海水は清んでいます。海の底にもウニがウジャウジャいます(*_*) なにかのサカナの稚魚が群れをなして泳いでいます。豊 かな海です。

仏が浦6
仏が浦7
仏が浦8
仏が浦9
仏が浦10
仏が浦11
仏が浦12
仏が浦13

仏が浦14

ちなみに、この仏ヶ浦、三國連太郎さん主演で映画化された水上勉原作の推理小説『飢餓海峡』の中では、猛烈な台風により転覆した青函連絡船より脱出した主人公(犯人)が命からがら上陸した場所という重要な舞台となったところらしいです。

仏が浦17
仏が浦15
仏が浦16


その後、再び遊覧船に乗り込み、遊覧船の終点・牛滝港へ。牛滝港からは陸路迂回して迎えに来てくれていた観光バスに乗り換えて、細い山道をクネクネと走って、脇野沢港へ向かいました。だいたい半島と呼ばれる地形のところは、山がそのまま海に突っ込むような急峻な地形のところがほとんどで、半島内の道路は上がったり下がったりが連続する急勾配の細い道が多いです。脇野沢港までの道路は、そのような半島の典型的な道路でした。

脇野沢港からは「むつ湾フェリー」に乗船して、陸奥(むつ)湾を東から西へと横断し、下北半島とは反対側の津軽半島の蟹田港に向かいます。

本州の最北端の都市・青森と北海道の最南端の都市・函館の間には、かつては国鉄の青函連絡船が結ばれ、このあたりの海域は本州と北海道を結ぶ海の大動脈でした。この国鉄青函連絡船は、1988年3月13日、青函トンネルを含む海峡線の開業に伴い鉄道連絡船としての使命を終え、運航を終了しましたが、今も青森~函館間には自動車運搬のためのフェリーが多数運航されています。その青函航路をほぼ直角に横切る形で、私達を乗せた「むつ湾フェリー」は進みます。下北半島と津軽半島に囲まれた入り江のような構造の陸奥湾ですが、東風(おそらく“やませ”)の影響で多少白波は立っていましたが、海は総じて穏やかで、快適な船旅でした。

むつ湾フェリー3
むつ湾フェリー1
むつ湾フェリー2
毎年4月から6月にかけて、このあたりは「カマイルカ」が遊泳していて、船と並走して何頭ものイルカが泳ぐ光景も見られるということで期待してはいたのですが、残念ながらこの日はいませんでした。私はイルカを探すため、1時間の船旅中、ずっと後部甲板の展望デッキで持ってきた双眼鏡を覗いていました。

むつ湾フェリー4
もうちょっと北に行けば日本海と太平洋を結ぶ津軽海峡で、ここはもともと潮の流れが速いほか、外洋なので、冬場はかなりのオオシケになる時があります。また、中国や韓国、台湾といった東アジア諸国の港から北米の港に向かう船舶においては、実は津軽海峡を抜けるコースが最短航路になることが多く、外洋航海の大型貨物船の航行が多いところです。約1時間の航海中はイルカ探しだけでなく、そのような貨物船、対岸の北海道の風景なども双眼鏡で楽しんでいました。

執筆者

株式会社ハレックス代表取締役社長 越智正昭

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