2014/08/07

『八大龍王』ってご存知ですか?

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『八大龍王』とは天竜八部衆に所属する竜族の八体の竜王(竜神)のことで、難陀・跋難陀・娑迦羅・和修吉・徳叉伽・阿那婆達多・摩那斯・優鉢羅の各竜王のことです。法華経に登場し、仏法を守護するとされていますが、日本では“祈雨・止雨の神”ともされています。

竜(龍)というのは恐竜のような形状をした巨大な爬虫類を思わせる伝説上の生物のことですが、日本では古くから“水の神”として各地で民間信仰の対象となっていました。灌漑技術が未熟だった時代には、旱魃が続くと、この竜神に食べ物や生け贄を捧げたり、高僧が祈りを捧げるといった雨乞いが頻繁に行われていました。

また、龍や蛇とは“暴れ河”のことを指していたとする説もあります。有名なところではヤマタノオロチ(八岐大蛇)。ヤマタノオロチ(八岐大蛇、または八俣遠呂智)は日本神話に登場する伝説の生物で、スサノオノミコト(須佐之男命)の武勇伝とともに語り継がれています。

このスサノオノミコトのヤマタノオロチ退治に関して、古事記では次のように語られています。


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高天原(タカマガハラ)を追放された須佐之男命(スサノオノミコト)は、出雲国の肥河(島根県斐伊川)の上流の鳥髪(現在の奥出雲町鳥上)に降り立った。箸が流れてきた川を上ると、美しい娘を間に老夫婦が泣いていた。その夫婦は大山津見神の子の足名椎命と手名椎命であり、娘は櫛名田比売(クシナダヒメ)といった。

夫婦の娘は8人いたが、年に一度、高志から八俣遠呂智(ヤマタノオロチ)という8つの頭と8本の尾を持った巨大な怪物がやって来て娘を食べてしまう。今年も八俣遠呂智の来る時期が近付いたため,最後に残った末娘の櫛名田比売も食べられてしまうと泣いていた。

須佐之男命は、櫛名田比売との結婚を条件に、八俣遠呂智退治を請け負った。まず、須佐之男命は櫛名田比売を櫛の姿に変えてしまい、自分の髪に挿した。そして、足名椎命と手名椎命に、7回絞った強い酒(八塩折之酒)を醸し、8つの門を作り、それぞれに酒を満たした酒桶を置くようにいった。準備をして待っていると八俣遠呂智がやって来て、8つの頭をそれぞれの酒桶に突っ込んで酒を飲み出した。八俣遠呂智が酔って寝てしまうと、須佐之男命は十拳剣で切り刻んだ。この時、尾を切ると剣の刃が欠け、その後尾の中から出てきた「草那芸之大刀(くさなぎのたち)」を天照御大神に献上した。

八俣遠呂智を退治した須佐之男命は、櫛に変えた櫛名田比売を元の姿に戻し、彼女と暮らす場所を求めて出雲の根之堅洲国(現;島根県安来市)の須賀の地へ行き、そこで「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」と詠み(求婚し)、めでたく結ばれ、幸せに暮らしたとさ(^^)d

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この神話の意味するところについては、ヤマタノオロチを斐伊川そのものであると捉え、オロチ退治の意味するところを洪水を繰り返す斐伊川の治水事業のことではないか…とする言い伝えがあります。

斐伊川は、山陰地方の島根県東部および鳥取県西部を流れる一級水系斐伊川の本流のことです。前述のように、古事記にも肥河(ひのかわ)として記述が見られ、日本における代表的な天井川(砂礫の堆積により川底が周辺の平面地よりも高くなった川)として知られています。このため古くから度々洪水を繰り返す河川で、これが八岐大蛇(ヤマタノオロチ)伝説の元になったという説があります。すなわち、八岐大蛇の8つの大きな首とは、斐伊川の上流域にある8つの大きな支流、8本の尾というのは下流域にある8つの大きな支流…という意味です。斐伊川の上流部、下流部とも支流がたくさんあるので、まさにいくつもの頭と尻尾を持った八岐大蛇と見なされていたのでしょう。

また、洪水の一番の原因は斐伊川の上流が風化しやすい花崗岩質の地域を貫流していることから、その花崗岩の風化物が大量に流れ込んで、それらが川底に堆積し、水深がすぐに浅くなるからです。また、堆積した砂は川にたくさんの砂州を作りました。その砂州があたかも大蛇のウロコのように見えたのではないか…とも思われます。さらに、斐伊川の上流には鉄の鉱脈があって、昔から砂鉄が多くとれたところなのですが、その砂鉄は酸化により酸化鉄に変質していました。酸化鉄は赤い色をしていて、その赤い酸化鉄が混入した水の色が血の色のように思われたことも八岐大蛇(ヤマタノオロチ)伝説の元になったのではないか…とも思われます。実際、古くから山陰地方の山側では砂鉄の採取が盛んであり、斐伊川の上流もそうでした。出雲地方では昔からその砂鉄を用い、“たたら”による製鉄が盛んだったようなのですが、その山に見える製鉄の赤い火が大蛇の赤い眼のように捉えられたのかもしれません。

これが斐伊川=八岐大蛇説なのですが、このように斐伊川はたびたび洪水を起こし、そのたびたびに斐伊川は下流域において川の流れを変え、その都度流域の住民を苦しめたわけです(これが8つの尻尾の意味。尻尾は下流域で川が幾つもに分かれて、洪水のたびに形を変えていたことを意味します)。そこで登場してきたのがスサノオノミコト率いる治水能力を持った技術者集団でした。彼等が出雲の斐伊川の治水工事をやって、洪水を防いだ…というのが、この神話の元になっていると思われます。

ちなみに、一説には、当時この川の上流域で製鉄を製鉄をしていたのがオロチ族と言われる一族で、彼らは砂鉄を採るのに大量の水を流す方式を採っていた事、また製鉄には大量の薪が必要となるので山の木の伐採は避けられず、必然的に山の保水力を奪い、洪水の原因になったという言い伝えもあります。これも分かりやすい説です。一方、そのオロチ族と争っていたクシナダヒメ(櫛名田比売)は「櫛稲田姫」とも書かれていることがあり、どちらかというと下流域で稲作を中心に行っていた民のこと。なので、お互いが相容れずに長い争いを繰り返していたと思われる…という説もあります。この場合は、スサノオノミコトはクシナダヒメの側についてオロチ族を成敗した武将、あるいは調停役ということになりますが、私には前述のスサノオノミコト=治水工事説のほうがスッキリと納得がいきます。

このように日本では古くから龍(や大蛇)は雨や川と言ったものと深く関係する“水の神”だったわけです。

こういう背景もあって竜王(竜神)を祀った八大龍王も昔から雨乞いや治水の神様として祀られ、日本各地に八大龍王に関しての神社や祠が点在しています。主に九州の宮崎県や近畿地方の奈良県に多いのですが、関東地方にもあって、それが埼玉県の秩父市にある秩父今宮神社。そこに八大龍王宮があります。

過日、四国愛媛から愛媛県農業法人協会の牧会長が上京された折、会食をしたのですが、その場で牧会長から紹介された方が、なんとなんと、その秩父今宮神社(大宮山 八大龍王宮)の宮司、塩谷崇之さんでし た。この塩谷さん、ふだんは弁護士をなさっていて、東京都中央区に事務所を構えておられます。週末や行事の際には宮司としてご活躍なさっているのだとか。ビックリです。

それにしても牧会長、交友関係の幅がお広い! あまりにも広い! こういう言い方をすると失礼になるとは思いますが、四国愛媛の農業従事者(農業法人の社長)に過ぎない牧さんが、遠く離れた首都東京でここまでの交友関係をお持ちだとは…。正直、ビックリしました。さすがにお人柄のなせるわざです。お人柄の良さゆえに次々と交友が交友を呼ぶって感じで、広がっていくのでしょう。改めて凄い人だと思います。そういう牧さんの交友関係の中に私も加えていただけているようなのが、実に嬉しい限りです。

で、上記のヤマタノオロチとスサノオノミコトの話をはじめ、龍に関する話は、ほとんど秩父今宮神社の塩谷宮司さん達から伺った話です。八大龍王を祀っている神社の宮司さんがおっしゃるわけですから、そりゃあ他のどなたから聞くよりも説得力があります。なるほどなぁ~…って感じがしました。

さらにこんな驚くべき話もお聞きすることができました。あの3年前に起きた東日本大震災において、古くからあった神社はどこも津波の被害を受けていないというのです。その後、私が調べたものを含めて、解説します。

東北地方には出雲神社や八坂神社という神社が多いのですが、このどちらもスサノオノミコトを祀った神社で、おそらく出雲系の治水に関わる技術屋集団がいろいろなところで治水の仕事をして、その一環として神社も建てたのではないかと思われるとのことなんです。その目的は地域コミュニティの中心となる集会場としての役割を果たすための場所が第一。それ以上に大事な役割、というか目的があって、それが「避難施設」。いざ洪水や津波が襲って来た時には、この神社があるところまで逃げろ!…ということだったようなんです。

だから、スサノオノミコトを祀った出雲神社や八坂神社はたいてい高いところ、さりとて、さほど高くはないところに位置しているのがほとんどです。洪水が押し寄せて来ても、津波が押し寄せて来ても、その神社の下、ギリギリのところで止まるようなところ、そこに逃げ込めばなんとか助かるという絶妙のロケーションのところに立地しているわけです。だから、あの東日本大震災の時の津波でも一つも津波の被害に遇っていないんです。いかに歴史的経験を踏まえて建てられているかってことですね。

(いっぽうで、寺院は高い山の上などに建てられていたりしますが、寺院はあくまでも修行の道場ですから、なかなか人が近づけないような高いところにあってもいいのです。)

この話には、正直、驚きましたね。そう言えば、神社と言えば“鎮守の森(杜)”。神社には本殿を取り囲むようにして鬱蒼とした森林があることが一般的で、それが鎮守の森です。参道や拝所を取り囲むようにして森があることもあります。その土地の自然そのものが信仰の対象になっていた日本の神社神道においては、御神木というものがあるように元々その土地に生えていた自然の木々に対する畏敬の念からその森に極力手を加えないようにして、森を守ったから、神社の周囲には森があると思って来たのですが、こういうお話をお聞きすると、この鎮守の森にだって、そのこれまでの私の認識とは少し違った一面が見えてきます。

そもそも“鎮守”とは、“鎮め”“守る”と書くように、“なにか”を抑え込み、人々に危害を加えないようにするという意味です。その“なにか”とは、おそらく自然の脅威のことだったのではないでしょうか。鬱蒼とした森に囲まれているところは強風も遮ります。その木が傘の役割を果たすことで、その下に入れば多少の雨だって遮ることができます。また火災の延焼だってその森で食い止めることだって可能です。なにより、高い木がランドマークのようになって、近隣ならどこからでもその場所がどこにあるのかが一目で分かりますからね。神社がもともと避難施設、防災施設だったという仮説を置いてみると、そういう見方もできてきます。これって凄いことです。昔の日本にはそういう高度な防災知識や防災技術を持った技術者集団がいたってことですから。

こういうことから、私が推察するに、出雲系や八坂系といったスサノオノミコトを主神として祀った神社神道、さらには八大龍王をはじめ、龍や大蛇に関わるような神社神道のベースにあるのは“治水”。神主をはじめそれらの神道に関わる人々の多くは、その昔は皆さん治水に関する技術者集団。で、神社の置かれている場所は、最初はその治水のための現場事務所が置かれていた場所で、治水工事完了後にその地域コミュニティーの集会場を兼ねた避難場所として整備したもの。神社神道はそういう“仕組み”を後世に残したのだと思います。だとしたら素晴らしい! 現代に も通じる防災の1つの考え方を見た感じがします。

(言ってみれば、その昔、出雲系や八坂系の神社や宮司というのは、今でいう鹿島建設や大林組、大成建設といった公共工事を行うゼネコンのような存在だったのかもしれません。)

私は前々から「気象は理学」だが「防災は工学」。理学は分析思考で、工学は目的思考。従って、同じ理系であってもアプローチの仕方に関して似て非なるところがある…と考え、弊社ハレックスは気象の分野に理学ではなくて、敢えて工学のスタンスで臨む…という考え方を表明していたのですが、それが間違っていないってことを確認できた気がします。そうなんです、防災は工学なんです(^^)d 弊社ハレック スは工学的アプローチで防災気象に取り組みます! ……と言っても、論理の飛躍があり過ぎて、なんのことかお分かりいただけないと思いますが、少なくとも私は強く腑に落ちて、納得しちゃいました。

皆さんがお住まいの場所の近くに出雲系や八坂系といったスサノオノミコトを主神として祀った神社、または八大龍王をはじめ、龍や大蛇伝説に関わるような神社がありませんか? もしあるのなら、大雨や洪水、津 波といった水に関わる自然の脅威が接近した時、いざとなったら迷わずそこを目指して避難されることをお勧めします。先人の高度な知恵が、きっとあなたを守ってくれると思います。

そうそう、秩父今宮神社の塩谷宮司さんに私が気象情報会社の社長だとお話しすると、「そういう方には是非これを常に身に付けておいていただかないといけません」と言って、秩父今宮神社の八大龍王のお守り札をいただきました(一番上部の写真です)。「洪水除け・水難除け」のお守りなんだとか。「自然の脅威の来襲から人々の生命と財産をお守りするための情報を提供すること」をミッションとする気象情報会社の社長としては、世の人々のため、このお守りを常に身に付けておかないといけません。一応、首からぶら下げるようになってはいるのですが、なんとなく邪魔くさいので、今は常にポケットにしのばせるようにして持ち歩いています。


【追記】
さいたま市中央区の我が家のすぐ近くに諏訪坂神社という神社があります。このあたり一帯の地域の氏神さんでもあり、夏祭りの時などはこの神社から神輿が繰り出したりしますし、毎週末には獅子舞いやお囃子の練習の音が聞こえてきます。諏訪坂神社と我が家とは直線距離で50メートルも離れてはいないのですが、間に比較的交通量の多いバス通りがあって、我が家から諏訪坂神社へ行くにはいったん40段ほどの急な石段を下りて、再度40段ほどの急な石段を登らないと行けません。すなわち諏訪坂神社と我が家は標高的にはほとんど同じで(心持ち我が家のほうが高い感じはします)、どちらも小高い丘の上にあり、その間に谷のように道路が通っているわけです。

なにか不自然な地形で、周囲の地形から推測するに、おそらく元々は繋がった1つの丘で、その丘を切通(きりどおし)に掘削して道路を通したのではないか、すなわち、ここは人工的に作られた谷ではないか…と思われます(その丘の一番標高の高いところに我が家はあります)。このあたり一帯の地名は“上峰(うえみね)”。おそらく周囲から一段高い丘があったからこの地名がついたのだと思います。子供が小学生の頃には、高台にあることから「友達から与野(現・中央区)のチベットと言われている」という話を聞いたこともあります(笑)。

自宅の最寄りのバス停の名前は“陣屋”(実際に一番近いバス停は“諏訪坂神社前”なのですが、“陣屋”で2方向に分かれるため本数が半分に減るのと、“陣屋”へ行くほうが坂が緩やかなので、私をはじめ家族はもっぱら“陣屋”を使います)。で、このバス停の名称が物語るように、この丘の上(すなわち、我が家があるあたり)にはその昔、どなたか大名の陣屋敷があったようで、20年以上前、今の戸建ての家を買った時には、工事着工前に史跡(陣屋敷)の発掘調査のようなものが行われました。陣屋敷があったというのも、このあたりの土地が自然災害(このあたりだと荒川の氾濫)に強いところだったということが言えると思います。

この諏訪坂神社、名称からお分かりいただけるように、諏訪信仰による神社の1つです。諏訪信仰の起源は長野県諏訪の諏訪大社にあり、竜神あるいは霊蛇に関わる信仰から発生したと言われています。長野県の諏訪湖近くの諏訪大社を総本社として、系列(?)の神社は全国に約25,000社あると言われ、日本全国に広まっています。特に戦国時代に北条氏の所領だったところ、すなわち関東地方に多くあります。

諏訪信仰も竜神あるいは霊蛇に関わる信仰ということで、おそらくこの神社を建てたのは高度な治水技術を持った諏訪系の技術者集団ではないかと思われます。さいたま市のこのあたりは荒川の氾濫で、有史以来たびたび水没したところだと聞いています。その荒川の治水工事を行ったのが、おそらく諏訪系の技術者集団なんだ…ということなのでしょう。その技術者集団が神社を建てて後世にメッセージを残したわけですから、諏訪坂神社が建っているこの場所は洪水や津波に対して安全だということにほかなりません。と言うことは、その諏訪坂神社と直線距離で約50メートル、標高はほぼ同じか高いくらいの我が家は、歴史的に見て水害には“強い場所”だ…ということを意味していると思います。(荒川が氾濫して周囲一帯が水没したとしても、孤島になることはあっても、我が家の自宅自体は無事だってことです。)

この自宅を購入したのはたまたまのことなのですが、塩谷さんのお話をお聞きして、よかったよかった…と思っています。

皆さんも、ご自宅の近所の神社を調べてみてはいかがでしょう。こういう地元の歴史に関心を持つことも、防災の第一歩だと、私は思います。地名や神社の名称(由来)には、必ず先人達のメッセージが込められていると思います。それを紐解くことから、その土地その土地の防災対策のヒントが見えてきたりもします。

執筆者

株式会社ハレックス代表取締役社長 越智正昭

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