2014/09/03

国連気候変動枠組み条約第3回締結国会議(COP3)

気候変動や地球温暖化防止と言えば、CO2などの温室効果ガス排出量の削減目標を定めた国連気候変動枠組み条約事務局(UNFCCC:United Nations Framework Convention on Climate Change)の出した決議は“京都議定書”と日本の地名が付いています。これは印象的なことです。この京都議定書は、今から17年前の1997年12月、日本の京都にある国立京都国際会議場で行われた国連気候変動枠組み条約第3回締結国会議(COP3:Conference of the Parties)の場で提唱されたものです。このCOP3で、いわゆる“京都議定書”が採択されたまさにその場に、実は私もいました。

環境庁(現環境省)と郵政省(現総務省)の依頼を受けて、私が前に勤めていた会社(NTTデータ)が幹事会社としてCOP3のインターネット利用環境構築を行ったことがあったのですが、その時、不肖・私が現場の実行責任者を務めさせていただきました。

国連や外務省、環境庁などなどの関係機関の調整や、ご協力いただける民間企業の取りまとめなどを行い、京都国際会議場内のLANの敷設(今から17年前はネット対応している会議場などはほとんどありませんでした)や、インターネット・カフェの提供、PDFファイルを用いた議事録等の関係資料の世界同時ネット提供、ストリーミング配信による会議模様のインターネットビデオ中継、世界の環境問題の有識者を議長とした一般人参加のチャットサービスの提供…などを実現しました。言ってみれば、“開かれた国際会議”を実現したってわけです。

これらは国連気候変動枠組み条約事務局(UNFCCC)が熱望した事柄であったのですが、それらをほとんどを短時間のうちに実現したと言うことで、会議後、UNFCCC事務局と日本(東京・青山)にある国連の機関である「国際連合大学」から「Mr.OCHI and your staff」宛てに感謝状をいただきました(現在、ハレックス社の社長室に飾ってあります)。

今なら当たり前のようなサービスばかりですが、これをやったのは1997年と言うから、今から17年前のこと。自慢になりますが、日本ではまだまだインターネットが黎明期だった17年前にこれらを実現したということは、かなり画期的なことではありました(光ファイバケーブルもなく、通信回線はまだまだ細かったですし…)。


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そうそう、2006年に公開された『不都合な真実』というドキュメンタリー映画に出演して、近代における温室効果ガスの排出量激増による地球温暖化に対して警鐘を鳴らし、この作品で環境問題啓発に貢献したとしてノーベル平和賞を授与されたアル・ゴア元アメリカ合衆国副大統領。そのアル・ゴア氏もそのCOP3に先進国首脳としては唯一参加された方で、私も京都国際会議場で、そのお姿を遠くに拝見しました。さすがに当時は現役のアメリカ合衆国副大統領。身体全体から周囲一帯に眩いばかりのオーラを発散されておられましたね。おそらくその当時から環境問題、気候変動問題に深い関心を持たれていたのだと思います。

当時、アル・ゴア氏は米国副大統領として『情報スーパーハイウェイ構想』を推進されていて、「21世紀においてはマルチメディア化された情報ハイウェイの整備が社会資本投資の最大の標的である」という考えを力説されていた時期でもありました。そうしたゴア氏でしたので、COP3の会場を視察されて、「この会議はインターネットの可能性を世界中に見せてくれた素晴らしい会議である。これからの国際会議はこうなっていくだろう」という最大限の賛辞をいただき、そのことが翌日の米国の有力全国紙「USA TODAY」に掲載されました。

歴史に“もしも”は禁物ですが、2000年の米国大統領選挙でこの民主党のアル・ゴア氏が共和党のブッシュ大統領にもしも勝っていたならば、世界情勢は今とはまるで違ったものになっていただろうと思うのは私だけでしょうか?

このように、今から17年前の1997年12月、国連気候変動枠組み条約第3回締結国会議(COP3)の開催時、会場となった京都国際会議場のインターネット利用環境を構築・運営した際のプロジェクトリーダーだった私が、現在、気象情報会社の社長として、気候・気象に関わっていることに、何かしらの因縁のようなものを感じます。(当時は、将来こういう風になるとは、想像すらしていませんでした。)



【追記1】
COP3と言えば、予定された会期終了後、容赦なく撤収作業が進む会議場の中でも進む議論。その時、ひな壇壇上のエストラーダ議長の隣で議定書の案の修正用にエストラーダ議長の秘書役の国連職員がパチパチ叩いて活躍していたノートパソコン。あれはNTTデータが事務局用として持ち込んだノートパソコンでした。数が足りなくなって急遽依頼を受け、「仕方ない! これ、持っていって使って」…と貸し出したのですが、いったいどこで使われるのかな?…と思っていると、「あっ!、あれあれ、あんなところで!」…という状態でした(笑)

京都議定書の議決の最終段階で、NTTデータ(と言うか、私)が現場判断で貸し出したノートパソコンが大活躍したという事実を、今では私以外の誰も知りません。ところで、あの、記念すべきノートパソコン、東京に持ち帰ってしばらくは担当でふつうに事務処理で使っていたのですが、その後、いったいどこへ消えちゃったのでしょうね???

あの“京都議定書”の最終修正案を書いたパソコンということで、お宝になったかもしれないのに……、残念!


【追記2】
そうそう、あの時、時間切れで閣議出席のため会場をいったんあとにした議長国日本の大木環境庁長官(当時)が、京都駅から踵を返して戻って来た時の会場割れんばかりの拍手。あれは感動的でした。大木長官が会場を出て行った時、私はこの国に一度大きく失望し、そして大木長官が戻って来た時、うんうん、まだこの国に“良心”は残っているんだと思いました。確か、あの時の総理大臣って故・橋本龍太郎氏でした。


【追記3】
日本の京都で国連気候変動枠組み条約第3回締結国会議(COP3)が開催された翌年、ドイツのケルンで第4回締結国会議(COP4)が開催されました。COP3で大活躍(?)したご褒美なのかどうかは分かりませんが、私もその時にケルンに招待されて、COP4に今度は1人の民間人参加者として参加してきました(視察と言う名目でしたが…)。

当時のインターネット技術の進展は凄まじく、1年前にアル・ゴア アメリカ合衆国副大統領から絶賛された仕組みはもうすっかり当たり前のようになっていて、さらに進化して、より大掛かりなものが出来上がっていました。おおよそ想像はついていたのですが、さすがに圧倒されて、落ち込んでしまうくらいの強い敗北感を味わったのを覚えています。(「今年やらせてもらえるのなら、このくらいやってやるわい!」…と、ドイツのケルンの地で、心の中で負け惜しみを叫んでいました。)

なので、私はCOP3とCOP4、2回の国連気候変動枠組み条約締結国会議に出席しています。