2014/10/10

理学と工学の違い

この場で何度も書いてきたように、私は大学は工学部電子工学科の卒業であり、30年以上に渡りディジタル伝送システムや100以上の各種コンピュータシステムの開発や営業に携わってきた現場バリバリのICTエンジニアです。さらには埼玉大学工学部で、6年間、非常勤講師として教壇に立ったこともあり、若い人達に工学を教える立場にもありました(主に教えていたのは、正規のカリキュラムに加えて、エンジニアとしての心構えのようなことでした)。

そうした人間にとって気象の業界はビジネス的になんとも不可解なことの多い業界で、11年前にハレックス社の経営に携わるようになってからずっと違和感を感じて、正直、少し馴染めずにいました。私が思っているビジネスの常識とはなにかが違う、どこかが微妙にズレているんですよね。

その違和感の本質が判ったのが今からおよそ6年前。なにがきっかけだったのかは忘れてしまいましたが、ある時、その違和感の本質に気付いたことがあって、モヤモヤしていた謎が一気に解けました。それからは、言葉は適切ではないかとは思いますが、逆にその違和感を楽しんでいるようなところもあります。

その違和感の本質とは、一言で言えば、“理学”と“工学”の違いということです(^^)d

私は、前述のように、バリバリ“工学”の人間です。大学は工学部でしたし、社会に出てからも、ずっと現場でエンジニアとして、工学そのものの中で仕事をしてきたので、根本的な思考回路から工学のようなところがあります(反対に私は工学の世界しか知りませんし…)。

いっぽう、自然の現象を扱う“気象”の世界は、私が言うまでもなく基本的に“理学”、自然科学の世界なのです。私が知る限り、気象庁さんをはじめ、民間気象情報会社に勤める方の多くが、総じて“理学”の人です。実際、大学の理学部(地球物理学科等)出身の人が圧倒的に多いようです。一般の気象予報士さんの学歴や大学での出身学部等は様々で(文系出身の方のほうが多い感じです)、それまでの職業も様々なのですが、気象予報士試験を受験するにあたっては、主に気象を理学として理解するための勉強をしなければならず(まぁ、試験の問題を出題されている方々の多くが理学博士の先生方ですから、仕方ないことです)、言葉は悪いのですが、結果として理学の思考に洗脳されてしまっているようなところが、私には見受けられます。1人1人を見るとそれほどでもないのですが、それが集団になってくるとそれぞれのベクトルが少しずつ合わさっていくのか、思考回路がバリバリの“理学”になってくるのです。これが工学人間の私が感じた違和感の本質でした。

“理学”と“工学”、同じ理系ではありますが、この両者はまったくもって似て非なるものなのです。文系の方々にはなかなかご理解いただけないと思いますが、その違いについて、「宗教が違う」…とまで言われる方もいらっしゃるくらいに違うものなのです。

“理学”と“工学”の最大の違いは、学問として目指すところの「究極の目標」の違いにあると思っています。やや大袈裟な言い方になるかもしれませんが、『理学の目標は真理の探求』、いっぽう、『工学の目標は人類の幸福』…と言う方もいらっしゃいます。私もこれには同感です。

「理学は基礎研究、工学は応用研究」というような区別を時々耳にしますが、この区分は必ずしも当たってはいない、と私は思っています。基礎か応用かという意味では、工学と理学の境界はかなり曖昧なもので、大学の工学部でもほとんど理学部と変わらない基礎研究を行っているところもあります。しかし、どんなに基礎に近い研究を行っていたとしても、工学の研究者が目指しているのは、究極的には『人類の幸福』ということは変わりません。これが工学が工学たるところです。

別の言い方をすれば、『工学は目的志向』、『理学は探究志向』であるとも言えます。工学では「なんらかの目的関数を最大化(あるいは最小化)すること」を目指すのに対して、理学では「現象を記述し説明する体系(これがいわゆる“理論”です)を作ること」を目指しているようなところがあります。

このことを、自然、人間そして社会の間の成り立ちにおいて考えてみます。自然にはそれを支配する仕組みがあって、社会には生活に対する人々のニーズがあります。自然の仕組みを取り入れて社会のニーズに役立つようなモノ作りをするのが人間の役割であり、そのような関係の中で私達は生活を営んでいるわけです。

こうした中で、“理学”の役割は、自然の仕組み、自然の現象を理解することで、モノの道理を見極めることにあります。いろいろな現象がなぜ起こるのか、その原因が何かを突き止めることです。

これに対して、“工学”は社会に有用となる人工のモノや仕組み、すなわち「人工システム」を創り出すことを主な目的としています。自動車、家電製品、製造機器、情報機器といったハードウェア、それらを動かすために必要となるソフトウェア、そしてそれらを組み合わせたシステム、交通、通信、電力等のネットワーク等々…、社会が必要とする人工物は限りなく存在します。それらを創り出すためのことを学ぶ学問が“工学”です。

カッコイイ言い方をさせていただくと、“理学”はモノの道理を明らかにすること、すなわち「モノの解析(analysis)」、“工学”は新たにモノを人工的に作ること「モノの合成(synthesis)」ということになるでしょうか。“解析”と“合成”という目的の違いがもたらす“理学”と“工学”の違いをさらに考えてみます。

“理学”ではモノの道理を追求することが目的ですから、ただ1つの答えを求めて論理を組み立てることになります。一方、“工学”では、モノを創る技術者が社会の様々なニーズを出発点として、そのニーズに応えることを目的に、自分の個性を発揮し、考えながら仕事を進め、製品を創り出します。従って、10人の技術者が同じ目的でモノを作ったとしても、それぞれ違ったものが出来上がることになります。工学の面白さは、この個性を発揮出来る多様さや柔軟さにあると言えます。…これ、埼玉大学工学部で教えていました(^^)d

この『おちゃめ日記』の場で、気象情報提供の市場規模が、気象予報業務が民間に開放された1993年以降21年間、年間約300億円のままで、ほとんど拡大していないということを何度か書かせていただきました。その原因もこの“理学”と“工学”の違いで説明がつきます。

気象の業界は基本的に“理学”ですので、どうしても関心は自然の仕組み、自然の現象を解析することに向かいます。なので、競争のフィールドは「予測の精度」ということになります。「気象庁の出す予報よりもウチの出す予報のほうが…」と、やたらと予報の精度ばかりを“ウリ”にする会社が出てくるのも、“理学”的思考によるものだったのではないか…と私は分析しています。

前述のように、“理学”ではモノの道理を追求することが目的ですから、ただ1つの答えを求めて論理を組み立てます。答えが1つしかないということは、決定的に広がりが欠けるということを意味します。同じ土俵の上で(市場の中で)、自分のほうが優れているということを主張するくらいしか競争ができませんから。それが市場規模が300億円のままで、これまでなかなか拡大して来なかった最大の理由だったのではないか(300億円という市場規模が“理学としての気象”に求められる市場の最大規模だったのではないか)…と私は分析しています。

いっぽうで、“工学”は社会の様々なニーズを出発点にしています。日本のあらゆる業種業態の8割はなんらかの形で気象の影響を受けている…と言われているように、ニーズは実に多様なものがあると思っています。そこに着目してみると、すなわち、工学の立場からすると、市場規模がここ20年以上も300億円のままでなかなか拡大して来なかったというのは、極めて不自然なことのように思います。要するに、業界全体が理学の世界にあったことが、市場の拡大を阻害してしまっていたのではないか…、視点を変えることで市場はもっと生まれるのではないか…と、私は分析しました。

そのことに気付いたことで、弊社は大きく経営の舵をきりました。この会社HPのトップ画面に書いているように、単なる気象情報の提供ではなく、“気象情報の活用ノウハウの提供”が弊社の最大のウリだと大々的に打ち出し、そのためのベースとなる素材データ(HalexDream!)の開発に邁進しました。言ってみれば、工学的アプローチに完全に切り替えたということです。

これは、『気象情報』という言葉を“気象”と“情報”という2つの単語に分けた時、そのうちの“情報”のほうに着目したということです。“気象”が“理学”なら、“情報”は“工学”、“情報工学”です。“気象”と“情報”、どちらに着目するかの差に過ぎません。弊社は“情報工学”の立場から気象というコンテンツを眺めるというスタンスに立つことにしたわけです。言葉を代えれば、気象庁さんが提供する気象予報の素データを、情報工学を駆使して“使い倒す”ということを事業の柱に選択したわけです。鍵となるのは気象の予報ノウハウではなく、気象情報の“活用ノウハウ”です。

考えてみれば、これはNTTグループの気象情報会社として、また、ITエンジニアあがりの私が代表取締役社長を務めさせていただいている気象情報会社として、当然と言えば当然すぎる帰着ではありました。

これが『HALEX道』と呼ばれるものです(^^)d この立場を鮮明に打ち出しているのは業界では今のところ弊社ハレックスだけですし、これが、業界他社との根本的な違いとなっています。

HALEX道

工学は“目的志向”であるため、社会の(お客様)のニーズがそもそもの原点になります。なので、お客様の抱えておられる様々な課題に真っ正面から向き合うということが、私達に求められることになります。これが理学の世界の人達にはなかなかに難しいことで、これまで誰も成し遂げられなかったことです。もちろん私達も例外ではありません。しかし、難しいことだけに、開拓者、追究者としての遣り甲斐もあるというものです。(なので『HALEX道』という、あくまでも“道”なのです。)

弊社ハレックスは、あくまでも“(情報)工学”の立場から気象(自然)にアプローチするというスタンスを追求します!


【追記1】
上記のようなことを書くと、私は“理学”を否定しているように思われますが、誤解がないように言っておくと、決してそんなことはありません。「工学はそもそも理学がないと存在し得ない」…と言うことを工学の人間は十分すぎるくらいによぉ~く解っています。なので、理学に関しては十分にリスペクトしています。同じ理学の人間同士は1つの真理の追究ということで競争相手のようなところがありますし、その分野では御自身がNo.1だという自負心の強い方が多いようですので(そのくらいでないとダメな世界なんでしょうが…)、なかなか相容れないものがあるように思いますが、工学の人間は違います。工学の人間は理学をリスペクトしています。

反対に、理学の方々の中には、工学のことを単なる“道具”のように思っておられる方が今でも時々お見受けされるのが、残念なところです(^.^)

ですが、ビジネスの世界は社会の(お客様の)ニーズが原点。ですから、“理学”の方には大変に申し訳ありませんが、あくまでもビジネスは“工学”の世界です(^^)d


【追記2】
この“理学”と“工学”の違い、頭では理解できたとしても、なかなかそれが行動には結び付きにくいと思っています。まぁ、様々な経験を通して自分で会得するしかないもので、これまで“理学”の世界でしか経験を積んでいない人が“工学”とはなにかを理解すること…、反対に“工学”の世界でしか経験を積んでいない人が“理学”を理解することは到底無理なことだと私は思っています。そもそも住む世界が違いすぎますから。

と言うことで、これが弊社ハレックスのビジネス戦略の基本でもあります。


【追記3】
最近は文系と理系の垣根さえ曖昧になってきているように思えます。工学、特に情報工学の分野においてはそれが顕著で、文系との垣根は理学との垣根と比べても低くなっているのではないか…とさえ思います(反対に言えば、それだけ理学との工学の垣根は高いってことです)。

前に勤めていた会社もそうでしたが、システムエンジニアの半数以上は大学の文系学部の出身者でした。特に業務アプリケーションの開発に限れば、文系学部出身者のほうが優秀なんじゃないか…と思ったりしたくらいです。

文系のうち、特に法学部出身の方々は工学部出身者と思考回路が似ているように感覚的には思っています。少なくとも、理学と工学のギャップより、法学と工学のギャップは小さいです(^^)d


【追記4】
そうそう、“理学”はモノの道理を追求することが目的…と書きましたが、それは何のためでしょうか。それは“将来を予測する”ためです。予測するには理論が必要となりますから。なので、気象の世界は基本的に“理学”なんです。

執筆者

株式会社ハレックス前代表取締役社長 越智正昭

株式会社ハレックス
前代表取締役社長

越智正昭

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