2015/01/14

営業道

それが仕事であれ、なんであれ自らが進むべき道を極めようとするとき、そこに「道」というものが必要となります。武士に『武士道』があるように、また商人に『商人道』があるように、営業にも『営業道』というものが必要なのではないでしょうか。

かつて武士が武人ではなく官吏(しかも保身のみを考える役人)になった元禄の時代に『武士道』が説かれ、商人が元禄バブルの崩壊により社会的批判を浴びた時に、商人に『商人道』が説かれました。このように、あるべき『営業道』を考える、すなわち“極める”ということは非常に意義深いことではないかと思います。

と言っても、まだまだ私も未熟者で、この『営業道』に関して明確な答えを持っているわけではありません。なので、先輩格の『武士道』と『商人道』をまず学んでみたいと思います。


●『武士道』に学ぶ

武士道とは、武士が、自分自身の不始末を審判するための拠り所として共通の規範が必要になり作られたもので、武士の職業倫理または理念だといってもいいでしょう。

武士道は大きく分けて2つの流れがあると言われています。1つは、「徳川武士道」と言われ、もう1つは「葉隠(はがくれ)武士道」と言われます。専門家によると、前者は仏教(特に禅宗)を、後者は儒教(ただし、日本化されたもの)の影響を受けていると言われています。

この2つの武士道の代表的な規範を紹介します。


1.「徳川武士道」

善悪の理屈を知りたるのみにては武士道にあらず、
善なりと知りたる上は、
直に実行にあらわしくるをもって、
武士道と申すなり。
そしてまた武士道は、
本来心を元にして、
形に発動するものなれば、
形は時に従い、
事に応じて変化変転極まりなきものなり。
                 by 山岡鉄舟

……この山岡鉄舟という人は勝海舟,高橋泥舟と共に幕末の三舟と呼ばれている人物です。明治維新前は幕臣であり、勝海舟と西郷隆盛が江戸開城を取り決めた会談を設定したことで知られていますが、高名な剣術家でもあります。 20歳のとき(1855年)に槍術師範の山岡家を継ぎ、江戸においては幕府の武芸所・講武所(1855年設置)に入り剣術をさらに磨きました。
1863年に清河八郎が提案した幕府浪士隊に講武所剣術世話心得として参画(この浪士隊から新撰組が誕生しています)。維新後は、新政府の役人を勤めながらの鍛錬であったが、1880年には一刀正伝無刀流(無刀流)を興しました。 その極意は「心の中以外に剣はない」という精神的なもので、禅の影響を強く受けていると言えます。


2.「葉隠武士道」

武士道と云は、死ぬ事と見付たり

……『葉隠』は元佐賀藩士・山本常朝の口述を書にしたもので、鍋島藩に仕える武士たちの修養の書のことです。この書は、実際には元禄という武士の権力よりも町人の経済力がモノを言う町人文化へと時代が変わり、若い武士が損得ばかりを考え、内輪のことに関心が向き、色欲の話にばかり夢中になっている、そんな時代を嘆いて生まれたとも言われています。
山本常朝が42歳の時(1701年)、9歳の時から仕えてきた二代藩主鍋島光茂が69歳で亡くなり、常朝は主君である光茂に殉じて死のうと思ったのですが、主君光茂が幕府に先んじて行った追腹禁止の令により殉死の思いはかなえられなかったそうです。
秘本扱いされてきた葉隠は心ある武士によって秘かに写され、廻し読み等をされて伝承されたと言われています。


●『商人道』から学ぶ

商人道は、商(あきない)の本質と術、そしてその実践者としての商人のかくあるべき姿を道として説くものです。

先人が説く「商人道」には、大きく分ければ2つの形で今に受け継がれています。1つは商人、さらには人間の道徳・思想・学問としての「商人道」であり、もう1つは社訓や家訓、さらには格言として受け継がれている「商人道」です。この2つの流れの代表的なものを紹介します。


1.石田梅岩の「商人道」

「売利を得るは商人の道なり」

……梅岩は「商人が利益を得るのは、武士が禄をもらうのと同じ」と述べて、商行為の正当性を説きました。


「仁・義・礼・智の心が信を生む」

……商人が「仁(他人を思いやる心)」、「義(人としての正しい心)」、「礼(相手を敬う心)」、「智(知恵を商品に生かす心)」という4つの心を備えれば、お客様の「信(信用・信頼)」となって商売はますます繁盛すると説いています。


「真の商人は“さき”も立ち、“われ”も立つことを思うなり」

……“われ(当方)”が儲かり、“さき(相手)”が損をするというのは本当の商いではない。大丸の創業者である下村翁も「先義後利」という格言を残しています。


「倹約と正直があきないの原点」

……梅岩は「万物を効果的に用いること」が大切だと述べ、「物事の無駄を省く努力をすれば、すべてに余裕が生まれる」と倹約の大切さを訴えています。さらに、「正しい商売をするには、まず正しい心を持たなければならない」と述べています。この「倹約」と「正直」は梅岩の掲げた心学の中心思想とも言えるでしょう。

この石田梅岩という人物は、「士農工商」の封建社会にあって、広く庶民に「あきない」の基本を説き、京都商道の開祖とも言われています。梅岩の教えは「石門心学」と呼ばれ、儒教や仏教、日本古来の神道の思想を取り入れたもので、当時は憎むべきものとされていた商人の営利活動を積極的に認め、勤勉と倹約を奨励しました。梅岩が「都鄙問答」を著したのは、元文4(1749)年で元禄バブルが崩壊し、有力商人が相次いで追放・財産没収の憂き目にあった時代であり、商人の営利活動を憎む風潮が世の中全体を覆う中ででした。


2.社訓・家訓、格言の「商人道」

「先義 後利」(大丸百貨店の社是)

……文字通り、義を先にして、利を後にするという意味。そうしたら後から利益が生まれてくる、利益がついてくる。または利益を考えるのはその後であるという意味。


「商品の良否は明らかに、これを顧客に告げ、いやしくも顧客の貧福貴賤によりて差等を付すべからず」(飯田新七・高島屋の祖)

……よい品物は良いといい、悪い品物ははっきりと悪いと告げる。嘘をついてはいけない。また客の服装だの身分だので分け隔てするのは良くない。お客様はすべて公平に扱うべきであるという意味。


「無理と身勝手とをやめれば疑いなく安心になって繁盛する」(佐竹家「家業一枚起請分」)

……道理に合わない商売や、我が身勝手な行為を慎むと、安心して暮らせるし、家業が繁盛することは間違いない。


「他国へ行商するもの総て我事のみと思はず 其の国一切の人を大切にして、私利を貪ることを勿れ」(近江五個荘 中村治兵衛家「家訓」)

……売手によし、買い手によし、更に世間によしという三つめが近江商人の特色だということ。


【追記】
なかなか奥の深い言葉ばかりです。特に「商人道」は…(^^)d