2015/01/23

災害時における情報伝達手段の確保について(追記集・その2)

【追記4】
震災から2日後の1月19日、阪急電鉄神戸線も大阪の梅田から西宮北口まではちゃんと運行されていました(京都線と宝塚線は平常どおりの運行でした)。ラガールビジョンの点検は終電が行ってしまった午前1時から始発電車のために駅が開く午前4時半までの作業でしたので、昼前に大阪に到着し、お客様と事前の打ち合わせをパパッと済ませてから、その阪急神戸線に飛び乗り、西宮北口まで行き、そこから歩いて夙川を渡り被災地に入っていったわけです。

それは大阪に向かう私の携帯電話にある方からの依頼の電話があったわけで、その方と言うのが当時公共営業本部の担当部長だった1期先輩のTさん(現在、NTTデータアイ)。

「大阪に行くのなら、なにかうちの会社らしい貢献活動が出来ないか、現地を見て探ってきてよ」…という一言でした。

Tさんこの一言がなかったら、私もこんな貴重な経験は出来なかったと思って、今でも感謝しています。


【追記5】
当時、営業担当Tさん、開発担当越智のコンビでいろいろな仕事をやらせていただいていたのですが、この時も営業・開発間で非常にいいコンビネーションが発揮できたのではないかと思っています。社内のいろいろな調整は全部Tさんにお任せしました。私はただ「どうやったら出来るか。それも一日も早く、確実に……」ということだけに専念できましたからね。毎日放送の文字情報波を半年間以上借り受けましたので、費用もン千万かかったのではないでしょうか? 実は私はその金額はいまだに知らされておりません。すべてTさんが調整してくれました。

それにしても、本文で書きましたが、あの時の会社の決定の早さにはホント驚きました。「この会社、とんでもなく凄い会社なんじゃあないか……」と思ったのは事実です。


【追記6】
「やっていい」という会社の決定はなされたのですが、実はその時、私の手許にあったのは仕組みと運用の方法(フロー)を描いた手書きの簡単な図と、新たに作らないといけない装置の簡単な機能ブロック図だけ。光ファイバスクリーン装置と言う大型表示装置の開発を行っていた関係で、当時、私の担当は制御装置を作ってくれるハードウェアベンチャー企業数社とお付き合いがあったのですが、その中の1社が快くその装置の開発を引き受けていただき、ファームウェアを含めわずか1週間で試作品を開発してくれました。

装置の概観はブリキの箱(中学校の時に自作したラジオのようなものです)。中も基盤に部品やケーブルを手でハンダ付けしたまったくの手作り品でした。やれば出来るもんだと思いましたね。もし平時なら、この装置の開発に最低でも3ヶ月はかかったのではないかと思います。

今だから言えますが、この時、試作機と並行して本番機30台も作っていました。簡単な試験だけで被災地に持ち込んだので、実際、動作テストなんぞは十分にやっておりませんでした。なんと言っても大阪の毎日放送は4チャンネル。毎日放送はTBSの系列なので東京なら6チャンネル。東京の4チャンネルである日本テレビの電波をお借りしてまでテストは出来ませんでしたので、はっきり言ってブッツケ本番でした。

うまく動いたからよかったものの、今から考えるとムチャやっちゃいました(苦笑)。

ちなみにファームウェアにバグがあったので、その後、全台、ROMの取替えを一度だけはやりましたが、ちゃんと最後まで動いたのは、今から考えると奇跡に近かったですね。


【追記7】
テレビの文字情報波を通信手段に使うと言うアイデアに気づいたのはほんの偶然でした。西宮でふと見かけた風景がヒントでした。壊れずにあったとある電気屋さんでテレビが映っているのが見え、それが周囲の悲惨な風景とアンマッチで大いに違和感を感じたのですが、その時思ったのが「なんでテレビが映っているの?」というもの。

「ああ、そうか! テレビの電波は大阪から飛んできているんだ。あっ! これだ! これが使える!」って思っちゃったわけなんです。はっきり言って当時の放送法違反なのですが、「かまわねぇ~や、やっちゃえ!やっちゃえ! 非常時の人道的立場から郵政省も許してくれるだろう!」って感じのノリで提案しちゃったわけなんです。

今から考えてもムチャやったものですが、あの時は自分の人生の中でも一番頭が冴え渡った時だったんじゃあないでしょうか。37歳の1月のことでした。


【追記8】
この時、私からの依頼で快くワゴン車と現場作業員を提供してくれたのは、一緒に阪急梅田駅のラガールビジョン設置工事をやってくれた日本サイン様や城陽電気工事様などの各社様でした。そういう会社の社員中には、社員自身やご家族が被災された方もいらしゃったわけで、快く提供していただけて本当に嬉しかったです。皆さん、「こういう事態の中、地元のため自分達になにかできることはないか」と考えていた矢先のことだったとのことで、快くお引き受けくださったとのことでした。

ホントこの時の仲間は特別ですね。私の財産です。

執筆者

株式会社ハレックス前代表取締役社長 越智正昭

株式会社ハレックス
前代表取締役社長

越智正昭

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