2015/01/28

災害時における情報伝達手段の確保について(余談集・その2)

【余談4】
それにしても、現場にドラマがあったように、それを見守り、そして社員を送り出す立場においてもそれなりに幾つものドラマがあったんだろうなってことは、今の立場や年齢になってみるとよぉ~く分かります。

まだまだ大きな規模の余震が残り、大混乱が続く神戸に、誰かから依頼があったわけでもなく、単なるこっちの発案(思い込み)だけで関係会社を含む20名近くの要員を海路から送り込み、現場実査も事前にほとんどやっていない現場で機材の搬入と設置を行い、被災者の皆さんが使える状態にまですること。そりゃあ「Go!!」サインを出すには、責任者として、とんでもなく大きな勇気が要ると思います。あの時の上司の決断の裏であった心の中の葛藤ってものが、今の年齢と立場になって、よぉ~く分かりますね。

あの時、現場指揮官だった私が会社(上司)からきつく約束させられたことは次の4点です。

1. 28日に神戸に入り、作業は29日と30日の二日間に限る。作業完了後、31日には必ず東京に戻ってくること。

2. 作業は日の出から日没までの時間帯に限定すること。夜間帯の作業は絶対に禁じる。

3. 危険な状況になったら、速やかに作業をやめて、現場から安全なところ(ここでは大阪のことです)に撤収すること。

そして、これが一番重要なことですが、

4. 現場指揮官である越智は、スタッフが全員安全な地点まで帰りついたことを確認して(実際は、全5台の作業車が夙川を西宮側に渡り終えたことを確認して)、一番最後に戻ってくること。

もちろん、この約束は遵守しました。また、会社(東京)との連絡は絶やさず行っておりましたので、東京でもずっと見守っていただけていたと思っています。それにしても、今、自分がスタッフを送り出す立場に立ったとしたら、どうするだろう……と考えます。

その時は、現場主義、現場大好きの私ですから、たぶん、また「俺が現地に行く!」と言い出すのではないかと思われます。現場に行っていたほうが、よっぽど楽でしょうから。

ちなみに、兵庫県庁を本拠地にして神戸市内の避難所に端末機器を設置したのは29日だけで、翌30日は今度は大阪市の某ビジネスホテルに現場指揮所を移して、今度は東側から攻めて宝塚市や尼崎市などの避難所への設置を行いました。こちらは広範に設置場所が点在していることが問題だっただけで、まぁ~29日の神戸市内に比べれば楽な作業ではありました。


【余談5】
作業終了後、我々は31日に大阪から東京に戻ってきたわけですが、私を含めスタッフ全員、困難の仕事をやり遂げたと言う達成感と、無事に作業を終えたと言う安堵感で、極めてテンションがハイになっていましたね。30日の夜に大阪で現地での打ち上げをやったのですが、全員睡眠不足と蓄積した疲労があるにも関わらず、飲む飲む。私もお酒は弱いのですが、あの日はやたら飲んだ記憶があります。

ただ、誰も現地避難所の光景やそこでの出来事について話題にしようとしなかったのが印象に残っています。私以外のスタッフは28日に初めて被災地神戸に足を踏み入れたわけで、自分達の印象をはるかに越えた被災地の悲惨な状況に、声も出なかったと言うのが正直なところだったのではないでしょうか。 私がその時のスタッフから避難所の様子をいろいろと聞いたのは、東京に戻ってしばらくしてからでした。

全員テンションがハイになっていたという話では、こういうおめでたいこともありました。東海道新幹線で我々が東京に戻っている時、その中の一人、子会社のNTTデータクリエイション社の若手社員のI君が突然名古屋で降りると言い出しました。どうしたの?と聞くと、なんでも静岡に行くとか。

彼はその足で当時付き合っていた女性の静岡の実家に行き、「お嬢さんをお嫁さんにください」とご両親に申し入れたそうです。ふだんはおとなしい控えめの彼でしたが、さすがにテンションがハイになっていたので、“勢い”でそこまで申し入れたのでしょう。

それにしても彼女のご両親も驚いたのでしょうね。防寒作業服に安全靴、ヘルメット姿の若い男性が突然訪ねてきて、「お嬢さんをお嫁さんにください」なぁ~んて言われちゃったわけですから。でも逆に、そうしたことをしてきたと聞いて、その彼を頼もしく思えたのではないでしょうか。

結果、めでたしめでたしで、その半年後くらいに私も結婚式にお呼ばれして、この時のエピソードをお話しました。


【余談6】
作業後のハイテンション関連で、時効になった今だから言えるというエピソードもあります。

帰りの新幹線の車中で私の携帯電話が鳴り、東京に戻ったら速やかに豊洲に顔を出すようにとの連絡を受けました。もちろんそうするつもりだったのですが、電話の主は経理部(現財務部)。「越智さんところの○○の案件で、国税庁の査察官が話を聞きたいと言ってきている」と言うものでした。ちょうどその時、国税庁様の定例の監査が入っていて、私のところのある案件で、たしか固定資産の除却時期が不適切と言う指摘を受けていたのでした。

金額は小さかったのですが、たしかに除却時期が不適切で、ご指摘ごもっともと本音のところで思っておりましたので、電話を受けた私は「わかりました。14時に東京に着きますから、15時から予定を入れてください……」というようなことを回答しました。

で、東京に戻った私は豊洲10階の監査会場へ出頭しました。査察官の前に行くと、3人の査察官は私に姿を見るなり、

「その格好はどうされたんですか?」

セーターに防寒作業服を着て、背中にはリュックサック、片手にヘルメット。(前日大阪で風呂には入りましたが、面倒くさかったので)ボサボサ頭に無精髭。睡眠不足と蓄積した疲労でギラギラした目の周りにはクマ。そりゃあその時の私の姿を目の前で見たら、ギョッとしますわ。

越智「はい、神戸の避難所に被災者用の端末機を設置してきて、今東京に戻ってきました」

査察官「えっ?! もしかして、この監査のために戻ってこられたのですか?」

越智「はい、そうです」 (嘘とは言えませんが、監査のためって言うわけではありません)

すると3人の査察官が全員揃って立ち上がり、

査察官「ごっ、ごくろうさまでした! 神戸の方々の救済に比べれば、我々の監査など小さいものです。今日は速やかにお帰りになって、ご自宅でゆっくりとお風呂に入って温まってください」

こういうわけで即刻無罪放免。こりゃあ逃げ切れないなと内心諦めていたので、「えっ?!」と拍子抜け。気持ちが変わらないうちにこの場を立ち去ろうと、「ありがとうございます」と頭を下げて監査会場から後ろ(査察官のほう)を振り返らないようにして出てきました(笑)。

後日、再度呼ばれるのではないかとしっかり覚悟していたのですが、それもなく無罪になっちゃいました。鬼の国税庁の査察官も人の子、仏心がありました。

その後数年、経理部門では『越智のパフォーマンス』と話題になったようですが、意識的にパフォーマンスをやったと言うよりも、ほんの“なりゆき”でした。

ちなみに、その後は心を入れ替え、ちゃんと経理処理を適正の行うことを心掛け、国税庁様の査察を受けることも、公認会計士様からのご指摘を受けることもやっておりません(笑)。


いったん書き出したら、あの時のいろいろなエピソードが思い出され、実際のところまだまだぜんぜん書ききれておりません。ああ、ああいうこともあった、こういうこともあったとね。この2週間足らずの短い期間の中で、私の心の中の変化もいろいろとありました。それらも是非次の世代の方々に残しておきたいので、いずれ時間ができたら、この時のことを本にでもまとめたいと思っています。いつのことになるか分かりませんが……。でも、私の中では自慢すべき『プロジェクトX』でした。

私は公共分野の新規システムをずっと担当させていただいたので、この阪神淡路大震災の被災情報システムだけでなく、その後、京都議定書で知られる国連の地球温暖化防止京都会議のインターネット利用環境の構築(国連UNFCCC事務局から感謝状をいただきました)や、沖縄サミットにおけるモバイル情報提供のサーバー運営など、いろいろな『ニュースなお仕事』に関わらさせていただきました。この3つとも企業ボランティアとして取り組んだことですが(はっきり言って無償、いや“持ち出し”です)、私自身、それらの経験を通して得るものが非常に大きかったですね。その経験がその後の私の考え方や行動に大きく影響し、実際のビジネスにも大きく役立ってきたと思っています。

阪神淡路大震災関連の私の話は以上です。少しは参考になりましたでしょうか?

阪神淡路大震災から今年で20年。あの当時の記憶も随分と“モノクロームの記憶”に風化しちゃいました。

ですが、4年前の東日本大震災をはじめ、昨年の各地で地震や火山噴火の被害がありました。また、毎年のように台風の被害は出ています。我々は常に自然の脅威に晒されているわけです。

今一度、防災に関する意識を世の中全体で高めていただきたいものだと思います。防災に関しては「喉もと過ぎれば……」という風潮があって、現在、気象情報提供会社の社長として各種防災に関わる情報を提供しているものとして、「こりゃあいかん」と非常に危惧をしています。

執筆者

株式会社ハレックス代表取締役社長 越智正昭

株式会社ハレックス
代表取締役社長

越智正昭

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