2015/02/09

大人の修学旅行2015 in 土佐の一本釣り(その5)

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土佐くろしお鉄道中村線の中村行き普通列車は駅舎に一番近い1番線ホームに停車していました。太平洋を流れる黒潮の海面の色に倣ったと思う鮮やかな青い色の塗装が車体に施されたディーゼルカーが単行(1両編成)でポツンと発車を待っています。その隣を中村から土佐くろしお鉄道中村線をやって来た高知行きのJR土讃線の特急「あしずり」が、高知に向けて発車しています。

土佐くろしお鉄道(略称:くろ鉄)は高知県と沿線自治体で株式の9割以上を保有する自治体主導の第三セクター鉄道会社です。当初は国鉄再建法の施行により工事が凍結された日本鉄道建設公団建設線の宿毛線及び阿佐西線(阿佐線(ごめん・なはり線)として開業)を引き受けるために1986年(昭和61年)に設立された会社だったのですが、後に第3次特定地方交通線に指定されることが確実(要するに“廃止勧告”が出されたということです)となった中村線も引き受けることとなりました。1987年(昭和62年)4月1日、中村線の窪川~中村駅間(43.0km)が開業。1997年(平成9年)10月1日にその中村線を延長する形で完成した宿毛線の宿毛~中村駅間(23.6km)が開業。 2002年(平成14年)7月1日に阿佐線(ごめん・なはり線)の後免~奈半利駅間(42.7km)が開業し、現在の路線網が完成しました。

全線非電化なので、保有車両は全車ディーゼルカーで、なんとJR四国と同じ2000系ディーゼル特急車両を4両保有していて、その全車がアンパンマン塗装が施されています(JR土讃線の特急としてJR四国の2000系車両と共通で運用されています)。中村線・宿毛線用の普通列車用車両はTKT8000形(Tosa Kuroshio Tetsudouを略してTKTです)。1988年の中村線転換開業時に登場しました。車体は両運転台式の17m級の車両で(中央部に3枚の大型窓)、前頭部がFRP製である他は軽量ステンレス製になっています。この普通列車用車両も全てトイレ付きになっています。海岸沿いの区間が多いことから軽量ステンレス製の車両を使用しているのですが、ステンレス製の車両は高価なため、他の第三セクター鉄道ではあまり使用例がありません。しかも、土佐くろしお鉄道の場合、ご丁寧にもステンレス製の車体に塗装までしています。よっぽど錆びるのを恐れているのでしょうか?

ちょうど昼食時だったので、駅の売店でサンドウィッチとペットボトル入りのミルクティーを買って列車に乗り込みました。車内には私と同様に予土線から乗り継いだ鉄道マニアとおぼしき乗客がお2人、既に乗り込んでいました。

このTKT8000形、前述のように中央部に3枚の大型窓が付いていて、見晴らしがよく、車窓がよく見えます。座席は転換クロスシートとロングシートを組み合わせたセミクロスシートになっています。沿線住民の通勤通学の足という生活列車の側面に加えて、観光列車としての側面もあるのでしょう。なかなか好ましい車両です。

12時08分、定刻に軽やかなディーゼルエンジンの音をたてて、土佐くろしお鉄道中村線の中村行き普通列車は窪川駅を発車しました。次の若井駅までは先ほど予土線の列車でやって来た線路を戻ります。

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『大人の修学旅行』では、各自、「自宅を出た」という第1報に始まって、「今、どのあたりにいる」といった報告をお互いにケータイメールでやり取りするというのが“定番”、と言うか“(暗黙の)お約束”になっています。今回も東京から、大阪から、神戸から、地元香川から…と各地から開催地である高知県土佐久礼に向かって来ている報告が続々と寄せられてきます。この日の朝、東京羽田空港から空路で高知入りした関東在住組の2人は、高知空港からリムジンバスでJR高知駅に行き、そこからタクシーで桂浜に行ったようで、桂浜に立つ坂本龍馬の銅像の写真をメール添付で送ってきてくれました。私も彼等に清流四万十川の写真を送ってあげたりしました。

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新大阪から山陽新幹線で岡山に向かっていた関西組も瀬戸大橋を渡って四国に入り、地元香川組と特急「南風」の車内で合流できたようです。ケータイメールがあるおかげで、他の仲間と、情報のやり取りが簡単にできるので、1人の単独行動で目的地に向かっていても寂しくない、と言うか、しっかりそういう輪の中に参加できています。これ、結構楽しいです。あまりに頻繁にメールのやり取りをするので、携帯電話(スマートフォン)のバッテリーの残量がやたら気にはなりますが…。

次の若井駅を出て、JR予土線との分岐点である川奥信号所を過ぎると、すぐに川奥トンネルに入ります。この川奥トンネル(長さ2,031m)からの区間は四国で唯一のループ式区間で、列車はディーゼルエンジンの音を響かせながら勾配を登っていきます。進行方向左側の車窓を食い入るように眺めていると、その登り勾配が終わったあたりで、この列車が走ってきた川奥トンネルに入る手前の線路が、ほんの一瞬ですが眼下に現れてきます。随分と高く登ってきたものです。

荷稲(かいな)駅、伊与喜(いよき)駅と、珍しい駅名の無人駅を過ぎて、土佐佐賀駅に到着しました。

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この土佐佐賀駅は1963年(昭和38年)に当時の国鉄中村線が窪川駅から土佐佐賀駅まで開通したことに伴って開業しました。中村線が終点の中村駅まで延伸したのは1970年(昭和45年)のことで、それまでの間は中村線の終着駅でした(なので、小さな駅ではありますが、私は子供の頃からこの駅のことは知っていました)。その当時は、国鉄バスが土佐中村まで接続していました。中村線が中村駅まで延伸したのと同時に無人駅化されています。かつては終着駅だったとは言え、ホームは島式1面2線の簡素な構造で、かつて終着駅だった面影はほとんど残っていません。すべての特急列車が停車はしますが、前述のように無人駅です。駅名標識にある「カツオ一本釣り日本一の町」というキャッチフレーズが書かれています。なるほど! 土佐くろしお鉄道中村線の各駅は駅名標識に各駅ごとのキャッチフレーズが書かれているのが面白いところです。

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土佐くろしお鉄道という名称に関わらず、私は今日はここまで海(太平洋)の景色を見ていなかったのですが、土佐佐賀駅を出て、次の佐賀公園駅までの途中で、ついに太平洋が進行方向左側の車窓に飛び込んできました。島1つない雄大な海です。冬季のこの季節、あまり低気圧がこの高知県沖に接近してこないので、この日の太平洋は鏡のように穏やかに凪いでいます。同じ太平洋でも千葉県の外房の景色とは違っています。港にたくさん停泊している漁船はカツオの一本釣りの漁船でしょうか。

私は小学校の高学年の時期、父の転勤の関係で高知県の安芸市(土佐佐賀や土佐久礼とは高知市を挟んで反対側の高知県東部にある町です)に住んでいたのですが、「将来の夢」と題した作文で1人の同級生が「中学校を出たら、お父さんの後を継いで、カツオの一本釣り漁船に乗りたいです!」と書いたのを大きな声で読み上げたのを聴いて、心の底から感動したのを覚えています。当時の私なんて、明確な将来の夢なんて持っておらず、「エンジニアを目指そう」と思ったのは、中学1年生の時に雑誌の付録で付いていた鉱石ラジオを組み立てたところ奇跡的にイヤホンから音が聞こえてきた時からです。彼はその後、漁師になってカツオの一本釣り漁船に乗ったのでしょうか? そんなことを思いながら車窓に広がる太平洋の雄大な風景を眺めていました。

佐賀公園駅を発車した列車は土佐白浜、有井川、土佐上川…とこまめに停まります。どの駅もどの駅も1面1線の単式ホームか島式1面2線の構造で、駅舎はなく、ホーム上に小さな待合室がポツンとあるだけの無人駅です。車窓には南国らしい荒磯の風景が続きます。

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次の停車駅は「海の王迎(うみのおおむかえ)」。この「海の王迎」という仰々しい駅名は、この地が鎌倉時代に後醍醐天皇の子、尊良親王が流刑された地だそうで、海から王を迎えた地と言うことで名づけられたものなのだとか。次が浮鞭(うきぶち)駅。浮鞭はこのあたりの地名のようですが、近くには浮津と鞭という2つの集落があり、それを合成したもののようです。

この土佐くろしお鉄道中村線の沿線は太平洋の海岸線に沿ったところが多く、ある程度まとまった数の民家が集まった集落があると、必ずと言ってもいいくらい鉄骨を組まれて出来たある大型の構造物の姿が見てとれます。どれも真新しく、中にはちょうど建造中のものも…。その大型の構造物とは「津波避難タワー」。高さはどれも15mはゆうにあるでしょうか。せいぜい二階建ての民家ばかりの中にあって、「津波避難タワー」の高さの異様さが目立ちます。

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南海トラフでひとたび規模の大きな海溝型の巨大地震が発生すると、太平洋に面したこのあたりを大きな津波が襲い、甚大な被害が出ることが想定されます。実際、日本列島で起きた巨大地震や、それに伴う津波の被害の歴史を調べてみると、高知県の太平洋に沿った地域は過去に何度も甚大な津波の被害を繰り返し受けてきたことが分かります。その主なものだけを並べてみたのが、この表です。

高知県の巨大地震の歴史


これを見ると、高知県の太平洋岸はおよそ100年~200年に一度の周期で、繰り返し大規模な津波の被害を受けてきたことが分かります。

これに4年前の2011年3月11日に発生した東日本大震災における未曾有とも言える大規模な津波の被害が重なります。この東日本大震災では、空撮や各所に配置された監視カメラの映像、さらには一般の人々がスマートフォンに内蔵されたカメラで撮影した写真やビデオによって、“津波”という自然の脅威というものを日本中の、いや世界中の人々が目の当たりにしたのではないでしょうか。そういうこともあって、特に次に巨大地震が起きる危険性が指摘されている南海トラフに面した海岸線では「津波避難タワー」をはじめとした様々な津波避難施設の建設が、2011年以降、急ピッチで進んでいます。そんなことを思いながら、しばらく車窓を眺めていました。



……(その6)に続きます。

執筆者

株式会社ハレックス代表取締役社長 越智正昭

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