2015/04/06

“鉄”の原点(その1)

鉄道マニアの私は社長室に電車のミニチュアモデルを幾つも飾っています。玩具メーカーのバンダイが発売しているBトレインショーティーというシリーズのものがほとんどなのですが、塗装済みで接着剤も不要で組み立てられるために子供でも手軽に作ることができ、車体長が短くデフォルメされている以外は、結構リアルな出来栄えになるので、気に入っています。


写真1
(ちなみに写真は全て私のコレクションです(^^)d )


最初は慣れない会社経営のストレスからの気分転換のために、会社の昼休みに作り始めたのですが、それが今に続いています。指を動かして自分が一番好きなものに触れること、しかも創造的に…。ストレス解消にはこれが一番です。

たいてい私が秘かに“五反田重工業”と呼ぶ社長室の執務机で、だいたい月に平均1編成くらいのペースで作っているのですが、気がつけば、その数は半端なものではなくなってきています。もしかすると、大手私鉄の阪神電鉄さんより保有車両数が多くなっているかもしれません(^^; その数の多さで、社長在任12年目に入ったことを実感しちゃっていま す(笑)

男の子の遺伝子の中には産まれながらにして「乗り物好き」のDNAが刻み込まれている…と言われています。私も子供の頃から乗り物が大好きでした。

ただ、私は、当時の子供達なら定番であった戦闘機や戦車、戦艦といった兵器としての乗り物にはいっさい興味が沸かず(モデルガンも持ったことがありません)、もっぱら興味は鉄道でした。

その原点は間違いなく私の故郷・四国を走る鉄道、なかでも国鉄の予讃線だったように思います。

私は愛媛県の伊予三島市(現四国中央市)で産まれました。私の記憶にはほとんど残ってはおりませんが、その当時住んでいた家のすぐ傍を国鉄の予讃線の線路が通っていて、母に聞くと、列車が近づいてくる音がすると、私は何をやっていても、やってることをおっぽり出して、窓のところにまで駆けて行き、列車が通り過ぎるのをジッと眺めている子供だったそうです。また、どこに行くにもグリコのおまけに付いていた蒸気機関車のミニチュアをギュッと握りしめていたそうです。


写真2


私は転勤族の子供だったので、その伊予三島市で暮らしたのは幼稚園の年少さんまでで、幼稚園の年長組になった頃に松山市に引っ越しました。ここでも鉄道好きのDNAは大いに刺激を受けました。

入学した小学校の横には予讃線の線路が走っていて、教室の窓からは列車の姿がよく見えました。当時の予讃線は今のように電化はされておらず、蒸気機関車牽引の列車がまだまだ主力でした。なので、遠くからでも汽笛やシュポシュポと蒸気を吐く機関車の音で列車が接近してくるのが分かりました。列車が近づいてくるのが分かると、もう授業はそっちのけで気持ちはそちらのほうにばかり集中するので、窓のほうばかり見つめていました。おかげで、通知表には「授業中のよそ見が多い」という先生からのご指摘の文字が毎回のように書かれていたと記憶しています(^^; (蒸気 機関車の場合、列車が通り過ぎた後に残る、燃えた石炭の匂いが、またDNAを刺激して、授業どころではありませんでした。)

さらには自宅から小学校までの通学路の途中に国鉄の松山操車場があったことから、学校の帰りには線路と並行した道端に腰をおろして、小型の蒸気機関車が目の前の線路を行ったり来たらして貨車を入れ換え、貨物列車に仕立てていく様子を飽きることなく眺めていたものです。

目の前を何両かの貨車を繋いだ蒸気機関車が左右どちらかに行き過ぎて停車すると、それまで蒸気機関車の前方のデッキに緑と赤の旗を手に乗っていた係員が飛び降りて、線路のポイントを手動でヨッコラショ!って感じで切り換え、また、機関車のデッキにヒョイって飛び乗って、(安全確認のための)緑の旗を振りながら、今度はさっき来たのとは反対方向にゆっくりと進んできます。そうこうするうちに長大な貨物列車の編成が完成。小型の蒸気機関車が役目を終えて引き上げていく時には、思わず拍手をしそうになったものです。時々、そんな私に気付いて、私に向かって手を振ってくれたり、声をかけてくれる機関士さんもいらっしゃいました。

そうこうするうちに、今度はその貨車の編成を引っ張って本線を走行するための大型の蒸気機関車が登場。たいていは“デゴイチ”の愛称で知られるD51型の蒸気機関車だったのではないかと記憶していますが、当時はそこまでの知識はなかったので、これに関しては正確ではありません。

で、このD51型蒸気機関車が強烈でした。とにかく怪物のようにデカイ! 真っ黒の車体の横にはボイラーから伸びる何本もの細いパイプが走り、デッカイ車輪とそれを回すためのロットと呼ばれる複雑な機構で構成される下回りは知的好奇心を大いに刺激してくれました。


写真3


また、長大な貨物列車を牽引するために馬力が強いので、それだけ蒸気を力強く吹き上げます。たちまち周囲は白い蒸気に覆われ、前も見えなくなります。おまけに警笛。貨車の入れ換え用に使われていた小型の蒸気機関車も進む方向を変えるたびに警笛を鳴らすのですが、それは「ポッ」という可愛らしいものでした。ですが、本線で長大な貨物列車の編成を牽引する大型の蒸気機関車の発する警笛はそんなものではありません。発車時に「いってきま~す!」と言わんばかりに「ボォ~~ッ!」っと大きな警笛を発するのですが、とにかく音がデカイ! 操車場のすぐ近くで聞いているということもありますが、耳を塞いでいないと、しばらく耳がジンジンするほどでした。

さらには、その操車場の線路の向こう側を、当時最新鋭のディーゼルカーを使った準急「いしづち」や「いよ」、急行「四国」がこれまた6両とか8両の編成で通りすぎて行くのですが、煙を吐かずに軽やかに通りすぎるその姿があまりに颯爽としていて、目を輝かせたものでした。また、真っ黒い蒸気機関車に代わって、非電化ローカル路線の無煙化の切り札として当時の国鉄が投入した赤い車体のDF50型ディーゼル機関車が客車列車を牽引するようになり、四国の鉄道風景も大きく変わっていきました。


写真4

写真5



そういう光景を眺めながら、私はその線路の向かう先にある予讃線の終点である隣県香川県の高松市、さらには宇高連絡船を介して繋がるまだ見ぬ本州の地に思いを馳せたものです。東京に出張した父が当時開通したばかりの東海道新幹線に乗ったという話を聞いたので、その時の話を聞いて、羨ましくて仕方がありませんでした。父がその時にお土産に買ってきてくれた電池で動く新幹線ひかり号(0系新幹線)のオモチャは、私の一番の宝物でした。

今から50年も昔の話です。


写真6

執筆者

株式会社ハレックス代表取締役社長 越智正昭

株式会社ハレックス
代表取締役社長

越智正昭

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