2015/09/07

『坂の上の雲』再び…

私は、司馬遼太郎先生の小説『坂の上の雲』が大好きです。中でも、秋山兄弟のお兄ちゃんのほう、秋山好古陸軍大将は私の憧れの人物で、このブログ『おちゃめ日記』の執筆者紹介欄にも書かせていただきましたが、好古大将の「男子は生涯、一事を成せば足る」という名言は、座右の銘にしているほどです。その成し遂げるべき“一事”を追い求めて、日々仕事に取り組んでいるようなところもあります。

その『坂の上の雲』好きが高じて、愛媛県での農業用気象情報提供システムを開発するプロジェクトの組織名称に『坂の上のクラウドコンソーシアム』と命名したようなところもありました。

明治初期から中期にかけての時代は、国内では古い制度を壊し、新しい制度をつくりあげるという、まさに古い価値観と新しい価値観との“せめぎ合い”の時代でした。また、国外に目を向ければ世界は帝国主義的侵略戦争のまっただ中にありました。『坂の上の雲』はそのような国家存亡の混乱期に危機感を持った私の郷里・伊予松山藩出身の3人の男、正岡子規、秋山好古、秋山真之を中心に、若者が情熱と夢を持ってひたすら己の道を突き進んだ姿を描いた壮大なドラマです。

あの時代は、多くの若者が大いなる危機感を抱きながら、しかし、夢と希望を持って全てのエネルギーを己が信じる道に注ぎ込んだ時代だったように思います。小説『坂の上の雲』の登場人物は、皆、そうした真剣さと情熱を饒舌に物語っているように思えます。みんなが必死に生きた。その結果、ちっぽけな東洋の島国、日本が、あの激動の時代に、世界の潮流の大きなうねりの中に飲み込まれないで、生き残れたわけです。

今という時代は、その明治期、そして(太平洋戦争の)戦後と並んで国家存亡の大混沌期とも言えるのではないでしょうか。もちろん、昔の混沌期と異なり、今の日本は押しも押されない経済大国となっています。その大国の精神がバブルの時期に緩みっぱなしになったまま、20年以上経った今もいまいち戻りきれていないというのが今という時代なのではないか…と私は思っています。自分の利益ばかりを考え、辛抱したがらず、いまいち危機感の薄い国民。最近は変わりつつあると感じていますが、そうした国民に嫌な事も言えず、重要な問題を常に先送りにして大きな決断ができない政治。停滞し長く続いた低迷からなかなか抜け出せないできた経済。価格を下げること以外に“競争力”というものを失ってしまった感じも受ける企業…。そこに“グローバリゼーション”という名の新たな時代の潮流が濁流となって押し寄せてきました。まさに国家存亡の大混沌期とも言える時代です。

そうした矢先に起こったのが4年前の2011年3月11日の東日本大震災でした。もうこれで我々日本人は「待ったなし!」の状況に追い込められた…と私は感じています。一刻も早く古い価値観というものを捨て、新しい価値観を産み出さないといけなくなりました。あの日を境に、日本のいろいろなことが大きく変わってきていると私は捉えています。

それは我々気象情報の業界とて例外ではありません。世の中の人達が我々の業界に求めていることは明らかにこれまで(特に東日本大震災以前)とはまるで違ってきています。単なるお天気に関する情報を解説付きで流す…それだけではもはや“価値”とは言えなくなってきていると感じています。気象の情報にもっと“付加価値”をつけて、さらなる“安心”と“安全”、さらには“経済性”に到る様々な多様化する市場のニーズにお応えすること、これが求められていると感じています。「きっと他の誰かが何かをやってくれるだろう…」とただ単に受け身で待っていたのでは何も始まりません。自分達一人一人がそれぞれの持ち場で考え、行動を起こさないと…とも。

こうした混沌期を乗り切るためのヒントは、『坂の上の雲』という小説が与えてくれているように私は感じています。『坂の上の雲』で描かれた当時の人達は、自分に与えられた仕事を期待以上にこなし、能力の有る無しを問わず各々の持ち場(戦場等)で「やってやろうではないか」という気概に満ち溢れていたように思います。なによりも全員が一丸となって、同じ目標を目指してガムシャラに生き、そして働いていました。そして、溢れる危機感をエネルギーに変えていました。

これと同じで、一人一人が、自分の持てる力を、目一杯発揮する。これがこの会社が、ひいては日本社会全体が活気を取り戻し、夢のある将来に向っていける基本なのではないか…と私は思っています。己に与えられた仕事を頑張り、それを成功させ、次の高みを目指して登って行く。そして一人一人がチャレンジ精神を持ち、いい成果を出すように努力する。これが再生の一番の近道ではないだろうか? …と、私は考えています。

もちろん、大きなものにチャレンジすればするほど心身ともにストレスはかかります。ですが、そのストレスを克服してこそ、“成功”は訪れるってものです。画期的な万能薬など所詮世の中には存在しません。一番大事なことは、一人一人が自分に与えられた持ち場でコツコツと小さな努力を繰り返し、その能力を最大限発揮するってことです。

誤解のないように言っておきますと、なにも私は「自分の能力の2倍頑張れ!」と言うつもりはありません。最初から無理なことは言いません。ですが、100%の力にもうちょっと加えてもらって、一人一人が110%~120%の能力を発揮することくらいなら皆さんならきっとできる筈です。それを私は社員の1人1人に期待しています。そうすれば、必ずや明るい未来が開けると、私は信じています。

NHKの特別大河ドラマ『坂の上の雲』の冒頭の渡辺謙さんのナレーションはこうでした。

『まことに小さな国が開化期を迎えようとしている。──四国は伊予松山に、三人の男がいた。この古い城下町にうまれた秋山真之は、日露戦争がおこるにあたって勝利は不可能に近いといわれたバルチック艦隊をほろぼすにいたる作戦をたて、それを実施した。その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し、史上最強の騎兵といわれるコサック師団を破るという奇蹟を遂げた。もう一人は、俳句、短歌といった日本の古い短詩型に新風を入れてその中興の祖となった俳人、正岡子規である。彼らは明治という時代人の体質で前をのみ見つめながら歩く。登っていく坂の上の青い天にもし一陀(いちだ)の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて坂を登っていくであろう』

この一番最後の部分は原作者・司馬遼太郎氏の小説の“あとがき”の中の一文でもあります。

とにかく今年は“坂の上の雲”を目指してひたすら登って行った明治の時代の若者のような情熱と夢を社員と共有して、新しい価値の創出に向かって全社一丸となって取り組んでいく1年にしたいと思っています。それが今、当社が直面している最大の課題であると私は思っています。

遥か彼方にある一陀の白い雲。今は手を伸ばしても到底届かないようなところにあります。ですが、この苦しい坂を登りきって山の頂に立てば、遥か彼方にあるあの雲にも、もしかすると手が届くかもしれません。沈み行く太陽の光を浴びてあの雲が茜色に変わる前に、陽が傾き山の彼方にその身を沈め、あたりに暮色が漂う前に…。日が暮れる前にあの雲に乗れば、一気に視界も開け、山の向こうの荒野が見渡せる筈です。そうすれば未開の地にさらなる未踏の道を拓くことができるかもしれません。

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執筆者

株式会社ハレックス前代表取締役社長 越智正昭

株式会社ハレックス
前代表取締役社長

越智正昭

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