2015/09/09

秋山好古陸軍大将名言集

NHKのスペシャル大河ドラマにも採り上げられた司馬遼太郎先生の歴史小説の名作『坂の上の雲』が私の愛読書であるということは、この『おちゃめ日記』の場で過去に書いたような記憶があります。

『坂の上の雲』は司馬遼太郎氏が10年の歳月をかけて執筆し、明治という時代に立ち向かった青春群像を渾身の力で書き上げた壮大な物語です。発行部数は2,000万部を超え、多くの日本人の心を動かした司馬遼太郎氏の代表作でもあります。その小説の単行本の第1巻のあとがきに書かれている言葉が、

「前をのみ見つめながら歩く。昇ってゆく坂の上の青い天に、もし一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて…」

です。NHKの大河ドラマの中では、ナレーションの渡辺謙さんが毎回ドラマの冒頭でこの言葉を語りました。さすが司馬遼太郎、読者の心を前向きに奮い立たせる実に素晴らしい一言です。加えて、登場人物もいろいろな名言を残しています。

この『坂の上の雲』に出てくる登場人物の中で私が一番好きな人物、いや、歴史上の最も憧れている人が秋山兄弟の兄、秋山好古陸軍大将です(ドラマでは阿部寛さんが演じました)。この秋山好古陸軍大将、戊辰戦争で幕府方についた私の郷里、四国、伊予松山藩の出身で、若い頃には苦労に苦労を重ね、黎明期の日本陸軍において騎兵をゼロから立ち上げ、鍛え上げ、「日本陸軍騎兵の父」と呼ばれ、ついには日露戦争で当時世界最強と言われたロシアのコサック騎兵と互角以上に戦い、日本軍の勝利に大いに貢献された方です。

特に“日露戦争最大の危機”と言われた黒溝台の会戦では、押し寄せる10万人を超えるロシア軍主力部隊を相手にわずか8千名の秋山支隊を率いて鉄壁の守りで守り抜き、同会戦を勝利に導いた戦功は大きく、これが日本軍勝利をもたらしたと言ってもよく、そして日本を欧米列強の侵略から救いました。

それだけに、その経験に裏打ちされた実に奥の深い説得力のある明言を数多く残しています。

『人、一人一人が独立して、初めて国家が独立する』

に始まり、今や私が常に意識をしている言葉、

『男子は生涯一事をなせば足る』

『男にとって必要なのは、若い頃に何をしようかということであり、老いては何をしたかということである』

さらには、

『身辺は単純明快でいい』

『己の意見もない者が、他人の意見を読むと害になるばかりだ』

『のっけから運を頼むというのは馬鹿のすることぞ』

『質問の本質も聞かずに弁じたてるというのは、政治家か学者の癖だ』

『いかにすれば勝つかということを考えてゆく。その一点だけを考えるのが俺の人生だ。それ以外のことは余事であり、余事というものを考えたりやったりすれば、思慮がそのぶんだけ曇り、乱れる』

『向いていなければさっさとやめる。人間は、自分の器量がともかく発揮できる場所を選ばねばならない』

『偉くなろうと思えば邪念を去れ、邪念があっては邪欲が出る。邪欲があっては大局が見えない、邪念を去るということは、偉くなる要訣だ』

などがあります。

秋山好古陸軍大将はどちらかと言うと寡黙な方だったらしいのですが、それゆえに彼の発する一言一言がどれも名言のように感じます。上記に挙げたものは私がこの『坂の上の雲』を読んで大いに感銘を受けた言葉で、あまりに深く心に刻まれたことから、どれも今まで私の行動規範にしてきたようなところがあります。

ちなみに、『質問の本質も聞かずに弁じたてるというのは、政治家か学者の癖だ』には続く言葉があって、

「質問の本質も聞かずに弁じたてるというのは、政治家か学者の癖だ。軍人はちがう。軍人は敵を相手の仕事だから、敵についてその本心、気持ち、こちらに求めようとしていること等を明らかにしてから答えるべきことを答える。そういう癖を平素身につけておかねば、いざ戦場にのぞんだときには一般論のとりこになったり、独善に陥ったりして負けてしまう」

この言葉の“軍人”を“営業”に、また“敵”を“お客様”に、そして“戦場”を“ビジネスシーン”に置き換えたものが私の営業としての心得の根本にあります。

また、

『酒を飲んで兵を談ずるというのは、古来下の下だといわれたものだ。戦争という国家存亡の危険事を、酒間であげつらうようなことではどうにもならんぞ』

という言葉があります。大酒飲みで知られた秋山好古陸軍大将としては意外な言葉で、これも私の行動規範の一つとして、常に意識しているつもりです。

後に秋山好古は軍人を辞め、郷里の四国松山に帰って、私立北予中学校(現・松山北高校)の校長に就任。教育者として晩年を過ごすのですが、当時、陸軍大将を務めたような人物が中学校の校長になるというのは異例中の異例のことで、世間は大騒ぎするのですが、これら幾多の明言にあるように、秋山好古と言う人は、根っこは軍人ではなく教育者だったのかもしれません。福沢諭吉を深く啓蒙していたようですし…。

実はそこにも大きく影響を受けています……私。

いずれにしても、NHKのスペシャル大河ドラマで取り上げられたおかげで、私が深く影響を受けた『坂の上の雲』という司馬遼太郎作品と、敬愛する秋山好古陸軍大将、そして郷里四国松山が有名になっていくのは、実に嬉しいことです。


【追記】
秋山好古陸軍大将、これまで、その功績のわりには全国的な知名度はイマイチでした。旅順の203高地攻略戦で、その無能無策さゆえに必要以上に多くの戦死者を出したにも関わらず、いまだに“軍神”と讃えられる乃木希典をはじめ、東郷平八郎、児玉源太郎、山本権兵衛…といった日露戦争時の重鎮で今に名を残す人の多くは、薩摩や長州といった戊辰戦争における官軍(明治政府主流)の出身。いっぽうで、秋山好古は賊軍の伊予松山藩の出身。すなわち明治政府における亜流です。そういうところにも何かしらの影響があるのでしょう。

『亜流の星』……、私の郷里が生んだ英雄ということもありますが、この「亜流の星」というところにも私が憧れる一端があります。「亜流」の中にいる人って、自分の信念に基づいて自分に与えられた役割をまっとうできたかどうかという自己評価が重要で、後世において分かる人がその“志”や遺した“業績”を分かってくれさえすれば、それだけで十分なんです。そこに「男の美学」を感じます。

まさに、『男子は生涯一事をなせば足る』です。

執筆者

株式会社ハレックス前代表取締役社長 越智正昭

株式会社ハレックス
前代表取締役社長

越智正昭

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