2016/02/01

復元「ゼロ戦」、無事に飛行

報道によりますと、太平洋戦争中、日本海軍の主力戦闘機だった零式艦上戦闘機(ゼロ戦)を復元した機体が、1月27日の午後、鹿児島県鹿屋市にある海上自衛隊鹿屋航空基地で試験飛行を行いました。フライト時間は6分と16分の2回計22分間で、基地の上空を旋回するコースで行われ、復元「ゼロ戦」は午後2時15分頃、軽やかなエンジン音を轟かせながら離陸。2回目の飛行では高度1,650メートルにまで達したのだそうです。

この機体は1970年代、パプアニューギニアのジャングルの中で見つかり、長い時間をかけて飛行できるまでに修復されたもので、現在はニュージランド在住の日本人実業家・石塚政秀さんが所有しています。今回の試験飛行では操縦資格を持つ米国人パイロットが操縦しました。試験飛行は非公開だったそうで、基地内では一般の見学ができなかったのですが、フェンス越しに見上げる人も多く、関心の高さを物語っていました。

試験飛行の様子はネット経由で動画中継が行われたようで、私もその日の帰宅後、その動画を観させていただきました。飛行機ファンとしては、感動の一言でしたね。思わず、「おかえりなさい」と画面に向かって呟いちゃいました。

私がここで改めて説明するまでもないことですが、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)は第二次世界大戦期における日本海軍の主力艦上戦闘機です。初飛行は1939年(昭和14年)4月ということですから、今から77年も前のことです。支那事変(日中戦争)から真珠湾攻撃、太平洋戦争初期にかけて、2,200 kmに達する長大な航続距離、20mm機関砲2門という重武装、類いまれな優れた格闘性能を活かして、米英の戦闘機に対し優勢に戦い、米英のパイロットからも「ゼロファイター」と呼ばれ恐れられました。太平洋戦争中期以降には、米陸海軍の対ゼロ戦戦法の確立やF4UコルセアやF6Fヘルキャットといった新鋭戦闘機の大量投入により劣勢となりましたが、後継機の開発の遅れによって、終戦まで10,000機を超える機体が大量に生産され、日本海軍航空隊の主力戦闘機として1945年(昭和20年)8月の終戦時まで運用されました。本来の戦闘機としてだけでなく、最後は、戦闘爆撃機や特攻機としても使われました。

初飛行が行われたのが1939年(昭和14年)4月と書きましたが、これは1868年の明治維新から71年後、ライト兄弟が米国ノースカロライナ州キティホーク近郊で飛行機による有人動力飛行に世界で初めて成功した1903年からは僅か36年後のことで、この短い間に日本国は世界中を震撼とさせるような高性能な戦闘機「ゼロ戦」を独自に作り上げるまでに技術力を向上させていったわけです。この技術力の急速な進展は、実に驚くべきことで、我々日本人のエンジニアは誇りに思うべきことであると、私は思っています。

前述のように、私は復元「ゼロ戦」が70年ぶりに日本の空を飛んだ光景をネット配信の動画で何度も繰り返し興奮しながら観させていただいたのですが、軽やかに空を舞う姿はあまりにも美しく、その光景を観ただけで、性能の良さが見て取れました。日本のエンジニアの先人達は、この機体を今から77年も前に作り、空を飛ばしていたのですね。素晴らしすぎます。


【追記】
復元「ゼロ戦」は試験飛行を行った場所が鹿児島県鹿屋市にある海上自衛隊鹿屋航空基地。ここは太平洋戦争前から使われている歴史ある航空基地であり、かつては日本列島の「南の守りの最前線」であったとも言える場所です。太平洋戦争末期の沖縄戦の頃にはこの鹿屋基地に第5航空艦隊司令部が置かれ、菊水作戦における神風特別攻撃隊の中心的な出撃基地となったところで、延べ828名もの特攻隊員の皆さんがこの鹿屋基地から出撃されました。その特攻にも多くのゼロ戦が使用されました。作家・百田尚樹さんが書いて300万部を超える大ベストセラーになり、岡田准一さん主演で映画化もされた『永遠の0』の主人公も、最後はこの鹿屋基地からゼロ戦に乗って特攻出撃し、米空母に突入して未帰還となりました。

特攻基地としては、鹿屋基地とは錦江湾を挟んで向こう側の薩摩半島にある知覧基地(鹿児島県南九州市)が有名ですが、こちらは日本陸軍の航空基地で、知覧基地からは零式艦上戦闘機(ゼロ戦)ではなく、陸軍の九七式戦闘機や一式戦闘機 「隼」等が出撃していきました。実際に出撃した航空機数や戦死兵の数は海軍の鹿屋基地の方が圧倒的に多く、知覧基地の2倍前後の数となっています。

その鹿屋基地で復元された「ゼロ戦」が試験飛行を行ったということにも、大きな感動を覚えました。やはり、復元された「ゼロ戦」が70年ぶりに飛ぶ場所は、鹿児島県鹿屋の空をおいて他にはありません。

ちなみに、亡くなった妻の伯父(妻の母親の姉の配偶者)は、元ゼロ戦のパイロットで、その鹿屋基地から出撃する特攻隊を目的地付近まで護衛する戦闘機部隊の小隊長を終戦まで務めていた…とお聞きしたことがあります。そういう過去からか、多くを語らず、常に笑みを絶やさない穏やかな方でした。その伯父がご存命ならば、復元された「ゼロ戦」が鹿屋の空を飛ぶ姿を眺めて、何を思ったことでしょうか…。そんなことも思ったりしました。

執筆者

株式会社ハレックス代表取締役社長 越智正昭

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越智正昭

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