2016/04/27

大人の修学旅行2016 in城崎温泉(その7)

豊岡駅を出発するとまもなく特急「こうのとり3号」の終着・城崎温泉駅に到着です。城崎温泉駅には11時52分に到着しました。今回の『大人の修学旅行』の幹事バンタローとヨシキ、そして大阪に前乗りした関東在住組のイッカクの3人は10時05分新大阪駅発で12時50分に城崎温泉駅に到着する特急「こうのとり5号」でこちらに向かっているとのことですし、京都在住のオネエも京都駅10時25分発の特急「はしだて3号」で福知山に向かい、福知山駅で大阪から来る特急「こうのとり5号」に乗り換え、バンタロー、ヨシキと合流するというメールが入りました。「なっ!、恐怖のラブラブやろ?」というメールも入りましたが、何がどのように恐怖なのかは、仲間内でしか分かりません(笑)

大阪に深夜高速バスで到着した関東在住組のユウテンからは11時05分に新大阪駅を出発する福知山線福知山駅行きの特急「こうのとり7号」に乗るというメールが届いています。ショーチャンとマサヤという残りの関東在住組からも11時25分に京都駅を出発する城崎温泉駅行きの山陰本線の特急「きのさき5号」に乗ったというメールが届いています。関東在住組3人は福知山駅で合流して、一緒に城崎温泉入りするということなのでしょう。特急「きのさき5号」の城崎温泉駅到着は13時49分。皆さんまだまだ移動途中の電車の中です。私とココさんは今この城崎温泉駅で降りると城崎温泉への圧倒的な1番乗りになるのですが、私とココさんはここが最終の目的地ではありません。最終目的地はあくまでも餘部、餘部鉄橋ですd(^_^o)

私達と同じく餘部鉄橋を目指して移動しているウスキ達地元香川県組からは11時直前に「もうすぐ鳥取です」というメールが届いています。さらに私達が城崎温泉駅に到着する直前の11時44分には「こちらはところどころに咲いている桜を眺めながら、鳥取から快速で餘部に向かっています。浜坂で普通列車に乗り換えて少しお先に着いていると思います」というメールが届きました。おぉっ! 城崎温泉を中心に参加者全員の位置がキュ〜っと狭まりつつあるのを感じ、嬉しくなっちゃいます。

JR山陰本線が電化されているのは京都駅からここ城崎温泉駅まで。ここからさらに西に行こうとすると、ディーゼルカーに乗り換えないといけません。特急「こうのとり3号」が着いた向かいの番線には朱色の車体をした鳥取駅行きの2両の短い編成の普通列車が待っていました。乗り換え時間わずか4分の11時56分発です。大急ぎで本日5回目の乗り換えを行いました。

鳥取駅行きの普通列車に使用されている朱色の車両はキハ47型ディーゼルカーです。このキハ47型はJRがまだ日本国有鉄道(国鉄)と呼ばれていた1977年(昭和52年)から1982年(昭和57年)にかけて計888両が製造され、日本全国の非電化路線に大量投入された車両です。初期の車両が投入されてから40年近い年数が経っていますが、現在でもJR旅客鉄道会社に多数が在籍し、主にローカル路線の普通列車用として広く使用されています。電車に近い車体構造を持った大型のディーゼルカーで、その基本性能の優秀さゆえか冷房化をはじめとした客室設備の改善や走行機器の刷新なども図られて今も元気に現役です。1977年というと、私が大学を卒業して社会人になった1年前のことなので、妙に親しみを持っている車両です。今も現役で頑張っている姿を見ると、私もまだまだ第一線で頑張らないと‥‥と思えてきます。

キハ47型ディーゼルカー独特の腹の底に響くような重低音のエンジン音が大きくなり、鳥取駅行きの普通列車は城崎温泉駅を離れました。昭和の時代のディーゼルカーのエンジンは大きな音がするわりには、残念ながら出力がイマイチ大きくありません。でも、私はこの独特の重低音が大好きです。やっぱ、ローカル線にはキハ47型が一番似合います(^∇^) 非電化区間になった山陰本線を西に走ります。単線で非電化‥‥、どう見てもとてもとても“本線”と名のつく路線ではありません。「偉大なるローカル線」っていう感じです。日本海の海岸線沿いを走るので、時折車窓に日本海が見えます。

12時22分、ウスキから「餘部に着きました」と写真付きのメールが届きました。おぉっ!

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ウスキはともかく、心配なのはウスキに同行して餘部駅で降りたキョウコさんとノリコさん。餘部は餘部鉄橋以外にはなぁ~んにも見るべきものはないドが付くほどの田舎の駅ですので、ブツクサ言わないかちょっと心配。まぁ~、鉄道マニアが全国から押し寄せる鉄道名所ですし、それをあてこんで日本海の美味しい魚介類を使った料理を食べられるところがある筈なので、ちょうどお昼時だし、それを食べて満足していただきましょう!

12時42分、私とココさんを乗せた鳥取駅行きの普通列車も餘部駅に到着しました。早朝の5時半過ぎに埼玉県さいたま市の自宅を出てから7時間ちょっと。列車での総移動距離729.1km、5回の列車乗り継ぎの末の到着です。「思えば遠くへ来たもんだ」by海援隊‥‥です。寝不足もあり、さすがに疲れました (;´Д`A

先に餘部に着いているウスキから到着直前に「餘部鉄橋を渡る時、南側の窓から手を振って‼」とメールが入り、撮って貰った写真がこれです。2両目のドアのすぐ後ろの窓のところで手を振っている黄色いアノラック姿が私です。

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餘部駅は単式ホーム1面1線のちっぽけな無人駅です。駅舎はおろか自動券売機も設置されていません。最近、ここを訪れる観光客(鉄道マニア)が増えたためか、線路付け替え後、新たに待合室とトイレが建設され設置してあります。餘部の集落は鉄橋の直下にあり、40メートル以上の高度差があるため、駅からは長く細いつづら折りの坂道を下りていく必要があります。この坂道にはところどころ階段があるものの、雪の積もる冬場には滑落の危険があるほどの急な坂になっています。また坂が急なことと幅が狭いことのため、当然自動車は通れず、駐車場が坂道の麓に設置されています。

1912年(明治45年)に旧餘部鉄橋が開通し、山陰本線がここを通るようになったのですが、その後しばらくここには駅がなく、餘部集落の住民が鉄道(山陰本線)を利用するためには、危険を冒して列車の合間を縫って徒歩で余部橋梁を渡り、トンネルをくぐって約1.8km離れた隣の鎧駅まで行く必要がありました。鉄道利用のためだけではありません。当時餘部にあった香住中学校の分校が過疎化により本校に統合されてしまい、餘部の中学生達は毎日線路の上を歩いて通学しなければならないような状況でした。旧餘部鉄橋は鉄骨で出来た橋梁で、枕木と枕木の間は遥か下まで丸見え、しかも両サイドには低い転落防止柵しか設けられていませんでした。日本海から吹き付ける風も強く、高所恐怖症の私なんぞ、そんな危険な橋を渡ることなんて到底できません。ここで生まれていたら、間違いなく登校拒否児童になっていた筈です。

このため、地元住民が駅設置の実現化に向けて国鉄に強く働きかけたり、小学校児童が県知事に駅設置を願う手紙を書くなどの行動が展開された結果、1959年(昭和34年)にこの駅が開業できたわけです。とは言え、このあたりの集落も過疎化が進み、この駅の1日平均の乗車人員は100人にも満たず、今では私達のような餘部鉄橋を見に来る観光客専用の駅のようになっています。

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私とココさんが餘部駅に着いてまもない12時52分、幹事のヨシキとバンタロー、そして影の絶対幹事のオネエから「城崎温泉到着!」というメールが入りました。これで城崎温泉での待ち受け体制は整うでしょう。

12時57分、岡山県の田舎にある町立病院の院長(内科医)をしているテッチャンからは「皆さん、こんにちは! 午前中、仕事をして、これから出発します。写真は、眠気覚ましのホットコーヒーとガム! 鳥取経由の一般国道の一人旅はこれで完璧! これからの24時間は、自分自身のモノです!(笑)」と写真付きでメールが届きました。

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“!”マークを多用した文章が仕事から解放される喜びを如実に物語っています。私のクラスは理数科という理系のクラスだったので、医学部や歯学部、薬学部に進学して医療関係に従事している友達が多いのですが、仕事柄、土曜日に休みが取れないことが多く、『大人の修学旅行』に参加したくてもなかなか時間的に厳しい方が多いようです。テッチャンも久し振りの参加で、今回、岡山からクルマを使えば約3時間で来られる城崎温泉で開催してよかったな‥‥と思いました。ゆっくりと城崎温泉に浸かって、日頃の疲れをとっていただきたいものだと思います。

医者といえば、大阪で皮膚科医院を開業しているトシエさんと地元香川県丸亀市で歯科医を開業しているシンショーからも、午前中仕事をして午後から城崎温泉に向かうという連絡が事前に入っています。そろそろこちらに向かっている頃でしょうか‥‥。


……(その8)に続きます。GWに入りますので、『おちゃめ日記』の次回のアップは、しばらく間をおいて、5月9日(月)とさせていただきます。

執筆者

株式会社ハレックス代表取締役社長 越智正昭

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