2016/05/20

大人の修学旅行2016 in城崎温泉(その13)

これは毎年恒例のことになっていますが、2日目の朝はオネエの「起きて起きて、朝ですよ!」の声に叩き起こされて目覚めました。ふと枕元に置いてある腕時計を見ると、午前7時になっています。あっ、こりゃいかん!  前夜、眠りにつくまでは、朝の6時には起きて外湯巡りの続きをしようと思っていたのですが、目覚ましを設定するのを忘れてしまっていました。8時から大広間で朝食なので、外湯に行く時間的な余裕は残されておりません。仕方ないので山本屋旅館の内湯に浸かって、身体をシャキッとさせることにしました。私はこう見えて低血圧気味でして、朝の寝起きはふだんからエンジンがかかるまでかなりの時間を要するのです。しかも、このところの疲れが溜まっていますし、前日飲んだお酒も少し残っているようで、寝起きはふだんより悪く、かなりボォ~~~っとしています。

(その11)でも書かせていただきましたが、城崎温泉では全ての源泉の湯をいったん集中配湯管理施設に集めてブレンドし、あらためて供給されるため、実は全ての外湯や旅館の内湯とも泉質にまったく差がなく、どこも同じになっているのです。効能的には外湯も内湯も同じなので、ちょっと残念ですが、まぁ~いいっか…と思い、内湯に向かいました。ちなみに、城崎温泉では内湯の規模が制限されていて、広い浴場を希望の客は外湯に通うということになっているため、山本屋の内湯も規模は小さいものになっています。山本屋旅館の内湯のお湯の温度は幾分高め。しばらく浸かっていると血液の循環が良くなるようで、血液が体内を駆け巡り、身体中の細胞が目を覚ましていくように感じます。かなりシャキッとしてきました。さぁ~、今日も楽しもう!

8時から大広間で参加者全員揃っての朝食。中には早起きして外湯巡りを楽しんできた人もいるようです。あれだけ飲んで、よく早起きができたものです。尊敬しちゃいます。

9時に山本屋旅館をチェックアウト。タクシーに分乗して、城崎温泉近くの景勝地『玄武洞公園』に向かいました。『玄武洞』は城崎温泉に程近い兵庫県豊岡市赤石の円山川東岸にある洞窟と言うか絶壁です。玄武洞のほか、青龍洞、白虎洞、南朱雀洞、北朱雀洞といった洞窟群が『玄武洞公園』として整備され、今では城崎温泉近郊の観光スポットとなっています。山陰海岸国立公園に含まれ、国の天然記念物にも指定されています。

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玄武洞は今から約160万年前の火山噴火によって噴出されたマグマが冷え固まる際に、体積が小さくなることでできる規則正しい柱状の割れ目(節理)を作り出し、誕生しました。このあたり一帯はその後の河川による侵食によりこの玄武岩溶岩の厚い層が地表に露出しているわけです。この玄武岩は割れ目(節理)が顕著で切り出しやすかったこともあり、江戸時代から人々はこれを採掘し、周辺地域で漬物石や建築用の石材として使用しました。現在でも城崎温泉の大谿川護岸や豊岡の石積みなどにこのあたりから切り出された玄武岩を多数見ることができます。このように、玄武洞をはじめとするこのあたりの洞窟はすべて天然のものではなく、石を採掘するための坑道や採石場の跡地、すなわち人工的に作られた洞窟ということです。しかし、この人工的な洞窟と、掘り残された玄武岩の石の柱の対比が見事で、他には見られないダイナミックな景観を形作っています。

幾つかある洞窟のうち、私達は観光ガイドのオジサンの案内で、このうちの『玄武洞』と『青龍洞』と言う2つの洞窟を見学しました。『玄武洞』はこのあたり一帯が『玄武洞公園』という名称が付けられているように、一番規模の大きい代表的な洞窟です。洞窟内では玄武岩の柱状節理によって形成された亀甲状の天井や長い綺麗な六角形の石柱が幻想的な光景を作り出しています。『玄武洞』という名称は、江戸時代後期の1807年(文化4年)、この地を訪れた幕府の儒学者・柴野栗山が、この洞の岩石が作り出す割れ目(節理)の形や断面の模様等が古代中国の伝説上の動物「玄武」の姿に見えることから、『玄武洞』と命名しました。なるほど、そういう形をしています。

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ちなみに、中学校の理科や高校の地学で習った火山岩の1つに「玄武岩」という岩石がありましたが、その「玄武岩」は1884年(明治17年)、東京大学の地質学者・小藤文次郎博士が岩石の日本名を制定する際に、この『玄武洞』の名に因んで命名したものです。なので、玄武岩の本家本元ということができます。玄武岩は地球表面で最も一般的に見られる火山岩です。玄武岩質の溶岩は流動性が高く、高い火山で噴火した場合は遠くまで流れて溶岩流となり、平坦な場所で噴出すると平らな台地を形成します。大洋の底にある海嶺と呼ばれる海底山脈は、地下深部からマントルが上がってくることで形成されるのですが、この海嶺を形成するマグマのほとんどは玄武岩質のマグマです。すなわち、大洋の底はほとんど全てが海嶺にある海底火山から噴出された玄武岩質の溶岩で出来ていると言っても過言ではありません。

『玄武洞』は昔は洞内に入ることもできましたが、(その11)で書いた1925年(大正14年)に発生した北但馬地震により内部が大きく崩落したことで、現在は立ち入り禁止になっています。この時の地震で崩れた玄武岩は近くの集落の民家の石垣や、前述の城崎温泉街を流れる大谿川の護岸等に使われているとのことです。

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次に訪れたのが『青龍洞』。この『青龍洞』は『玄武洞公園』にある幾つかの洞窟の中でも特に美しい柱状節理を見せてくれる洞窟、いや絶壁です。このような柱状節理は、熱い溶岩が固まり、冷えていく過程で岩石が収縮してできたもので、溶岩の表面から中心部に向かって伸びている様子が見て取れます。実に幻想的な光景です。

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兵庫県北部の但馬地方に今でこそ活火山はありませんが、今から約160万年前にはここには大きな火山があり、そこから流れ出た玄武岩質の溶岩がこうした幻想的な光景を作り出しているわけです。源泉の温度が37℃〜83℃という比較的高温の湯を湧出する城崎温泉や、前述の北但馬地震…、確かにここにその昔大きな火山があったという痕跡は今も残っているようです。

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さらに、『玄武洞』は日本で最初に地磁気の逆転現象が発見された場所です。玄武岩の中には鉄分(磁鉄鉱等)が含まれていて、溶岩が冷えて固まる時に地球の磁石の方向に磁化されて地磁気が残ります(これを残留磁気とか古地磁気と呼びます)。1929年(昭和4年)、玄武洞の溶岩の残留磁気を調査した京都大学の松山基範博士は、地磁気の向きが現在の時期とまったく逆の向きであり、時代によって磁気は逆転するということを世界に先駆けて発表しました。当時松山博士の学説は世界の学界からほとんど無視されたのですが、1950年代にイギリスを中心として古地磁気学が大きく発展したことで、その正当性が広く認められることとなりました。その功績により、世界的な地球科学の分野では、地質時代で最後の逆磁極期(249万年前~72万年前)のことを「松山逆磁極期」と呼ぶようになり、地球の歴史の最も新しい時代区分である第四紀(人類の時代)の始まりも、松山逆磁極期に合わせて249万年前としています。ちなみに、その後の研究により、地球は過去360万年の間に2つの逆磁極期があったことが判明しています。ただ、なぜ地磁気の逆転が起きるのかの原理については、いまだ解明されていません。

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私達のクラスは理数科と言う理系のクラスだったこともあり、皆さん、観光ガイドのオジサンの話を熱心に聞き入ります。大変に分かりやすく、かつ興味深い話ばかりだったので、こうやって教えて貰えると、高校時代に地学をもっと真剣に勉強したのにな…って思えてきます。

最後にこの観光ガイドのオジサンが「これから帰られるのですか? もうちょっと待っていたら、豊岡市のマスコット『玄武岩の玄さん』が現れるのですが…」としきりに言うものですから、しばらくその『玄武岩の玄さん』なるものが現れるのを待ちました。そして現れてきた『玄武岩の玄さん』がこれです。

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周囲を見回すと、さきほど私達を案内してくれた観光ガイドのオジサンの姿が見えません。「あぁ、そういうことか」と妙に納得して、その『玄武岩の玄さん』に近付き、「先ほどは、案内、ありがとうございました、岡〇さん」とお声を掛けさせていただきました。『玄武岩の玄さん』は手を顔の前で激しく左右に振り否定していましたが、シチュエーションから考えて、『玄武岩の玄さん』の中身はあの観光ガイドのオジサンに間違いはありません。しきりと「『玄武岩の玄さん』が現れる」、「『玄武岩の玄さん』が現れる」と言っていたのは、このためだったんですね(笑)

その『玄武岩の玄さん』と一緒に記念撮影をして、『玄武洞公園』を後にしました。

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……(その14:完結)に続きます。

執筆者

株式会社ハレックス代表取締役社長 越智正昭

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