2016/06/03

男の隠れ家(その5)

長澤クンは昔からイラストも得意にしていて、毎年、彼から送られてくる年賀状に描かれたイラストは私の楽しみの1つになっています。そのイラストの分野でも彼はちょっとした有名人なのです。彼はこれまでに2冊の絵本を出版しているのですが、そのうちの1冊「まっ黒なおべんとう」は既に20刷を重ねていて、絵本としては空前の売行きの本になっているのだそうです。この本は原爆が投下された直後の広島の町に残された真っ黒に炭化した弁当箱に込められた悲しい物語を絵本にしたもので、「おべんとうも食べずに死んだのか」というラストのお母さんの叫びがとてもツラい作品です。同じく広島県で中学校の教師をやっておられた児玉辰春さんという方との共著で、長澤クンはイラストを担当しています。

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実は長澤クンは両親とも被爆者で、彼自身も被爆者手帳を持っている被爆二世です。そういうことで、教員の先輩である児玉辰春さんからこの原爆にまつわる悲しい話を絵本にして、後世の子供達に語り継ぎたいという話があった時、独学で学んだだけの素人ではあったのですが、すぐにイラストを描かせて欲しいと申し出たのだそうです。こんな悲しい話の絵本がこれだけ売れるとはその時は思ってもいなかったそうですが、現在20刷。原爆関連の絵本では、2番目に売れている絵本だそうです。Amazonで検索してみても、この「まっ黒なおべんとう」はちゃんと出てきます。

Amazon:絵本 まっ黒なおべんとう カスタマーレビュー

アマチュアなので、印税はほんの僅かしか入って来ないそうなのですが、それでも少しはこの“隠れ家”作りの材料代の足しにはなっているようです。そうそう、過日、北海道のある町で行われた絵本のコンクールでこの「まっ黒なおべんとう」が賞を受賞し、招かれてサイン会を開いたそうで、その時にサイン会に集まった人達に配ったという絵葉書を1枚いただきました。レンゲの花が咲く田舎の田園風景の中をやって来る軽便鉄道の車両‥‥、まさに「The田んぼ」、分かる人には分かりすぎるくらいに分かる長澤靖クンの世界を描いた1枚です。

5月27日に現職のアメリカ合衆国大統領として初めて被爆地・広島を訪れたオバマ大統領も、広島のお土産として長澤靖クンの手掛けた絵本『まっ黒なおべんとう』を買って帰ってくれたかしらん。

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長澤靖クンが発揮する多彩な才能はこれだけに止まりません。驚いたのはこの先です。学生時代の長澤クンを知る者としては、程度の差はあっても、あの長澤ならこのくらいのことはやっちゃうだろうな‥‥というイメージは持てましたので、意外な感じは受けなかったのですが、もう1つの才能には心底驚かされました。それが音楽、それも琉球民謡です。中学生を率いて沖縄に修学旅行に行った時、長澤クンは本場の琉球民謡に触れ、身体に電撃が走ったそうなんです。沖縄から帰り、彼はすぐに広島市にある三線教室に入門。そこで三線の演奏を学びます。もともと手先が器用なのでメキメキと腕を上達し、1年が過ぎた頃には入門した広島の三線の先生を超えるほどの腕前にまで上達し、暖簾分けをさせて貰って自宅のある広島県大竹市で琉球音楽のサークルを立ち上げます。そして、「ハイサイおじさん」や「花 ~すべての人の心に花を~」という有名な楽曲で知られるチャンプルーズ率いる喜納昌吉さんが広島で公演を行った際に、前座として約2,000人の観客の前で演奏するまでになったのだそうです。これには本当に驚きました。あのウチナー・ポップの代表格・喜納昌吉さんの前座ですもの。

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その腕前を、この日、私達の前で披露してくれたのですが、もうほとんどプロです。学生時代の彼は楽譜が読めず、弦楽器は苦手だということで、仕方なく(?)ドラムを叩いていたのですが、そんな彼が三線の名手になっていようとは‥‥。当時ギターに夢中になっていた私とヤマダ君が、どちらも大学卒業後、ギターをまったく弾かなくなって随分と時間が経ってしまったのですが、そういう中でまさかあの長澤クンが弦楽器の演奏を始め、プロ顔負けの腕前になっていようとは。これには本当に驚いてしまいました。「プロとして十分にやっていけるんじゃないの?」って訊くと、「いやいや指先が器用なだけで、プロになるには何か別な要素が足りないんですよ」と長澤クン。さらに聞くと、「三線もこのレベルまで来ると、自分の中ではなんとなくつまらなくなってしまうんですよね。上手に演奏できるのは当たり前のことになってしまって、自分が上手く演奏できたと思っても、家族を含め誰も上手くなったって言ってくれないんですよ。さりとて、プロになる気もない。そういう時に出逢ったのが陶芸だったんです」

聞くと、大竹市の琉球音楽サークルを立ち上げて活動している時に、同じコミュニティセンターを中心に活動していた陶芸サークルの人に誘われて陶芸を始めたのだとか。あまりにしつこく誘うもので、一度試しにやってみたらこれがなかなか上手くいかなくって、それで「どぅしてじゃろう?」と悔しく思ってやり始めたのだそうです。今では琉球音楽サークルは他の人に任せ、自分は陶芸一筋になっているのだそうです。才能溢れる人ならではの感覚で、趣味としての限界とでも言えばいいのでしょうか、そこまでの心境に到達できるのが羨ましい限りです。凄すぎです。“隠れ家”の今では物置きに使われている台所の一角に、昔長澤クンが使っていたドラムセットが埃を被って置かれていました(笑)

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この長澤クンの“男の隠れ家”、まだまだ未完成で、今は正面の庭のところに歴史ドラマに出てきそうな小さな茶室を作ろうとしているのだそうです。そのための土台となる石垣は完成している‥‥と見せてくれました。この石垣、土を盛って土台となる地盤を作り、そこに彼が1人で石を積み上げて作ったものだそうです。どこかの城の石垣のようにしっかりと積み上げられています。上に乗ってもビクともしません。これから茶室の建築に入る計画のようで、完成予想のイメージ画を見せて貰いました。これまたなかなか奇抜なデザインの茶室です。きっと数年後にはDIY大賞のグランプリを受賞するかもしれません。

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さらに、裏手の竹藪を開墾して、そこに軽便鉄道クラスの線路を敷いて、トロッコのような車両を走らせたいと思っている‥‥という鉄道研究会らしい計画も披露してくれました。これには一同が賛同。さっそく裏手の竹藪に入って、線路の敷設計画について、ああでもない、こうでもない‥‥と議論になりました。本当に線路を敷設するとなったら、私は絶対に工事に駆けつけたいと思っています。

長澤クンの“隠れ家”、まだまだ未完成だということは前述のとおりなのですが、それ以前に家としては致命的とも言える欠陥があります。それが台所と風呂が使えないこと。あくまでもここは長澤クンが自分の趣味を楽しむために作った“隠れ家”で、生活をするところではないので、そういう生活に直接関係するようなところの整備は後回しになっているんです。台所は現在は工具などの物置きになっていますし、風呂にいたっては風呂桶から替えないと使えそうもないような状態のままです。水道と電気は来ているので、それを除けばなんとか最低限の生活はできるって状態です。まぁ~“男の隠れ家”は、そのくらい生活臭を消したワイルドなものでなくてはいけないって勝手な声もあります。この日は庭先でバーベキューをやってちょっと早めの夕食(遅い昼食?)を摂ることにし、風呂はクルマで近くのスーパー銭湯に行くことにしました。

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外を眺めると、遠くに瀬戸内海も見えます。クルマの音も聴こえず、静かそのもので、裏の山からはウグイスの美しい鳴き声が聴こえてきます。庭でバーベキューをしていると、そのウグイスの鳴き声に混じって、突如、ジェット戦闘機の爆音が響いてきました。裏山の向こう側は山口県岩国市になっていて、米軍の岩国基地に着陸するジェット戦闘機のようです。爆音は聞こえてくるものの、山に隠れてその姿は見えません。また、ヘリコプターのようで通常のヘリコプターとも思えないどちらかと言うと軽やかなエンジン音が聞こえてきました。同じく姿は見えませんが、もしかしてオスプレイでしょうか? 熊本で起きた地震の救援のために沖縄の普天間基地からこの岩国基地に飛んで来ている筈ですから。

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夜は昔話に始まっていろいろな話を日付けが替わるくらいまで語り合いました。大学を卒業して38年も経ちましたが、気持ちはすっかり大学生に時に戻っていました。今年は広島大学鉄道研究会創立40周年だということになって、地元広島在住のイチノセ君やノダ君、長澤クンなどが幹事となって、秋に広島で40周年記念のパーティーをやろうということに決まりました。今から楽しみです。

翌朝、長澤クンにクルマでJR宮島口駅まで送って貰い、久し振りに岡山県の井笠鉄道(軽便鉄道)の廃線跡を訪ねてみようという長澤クンとヤマダ君と別れて、さいたま市の自宅に戻りました。でも、そこは鉄チャンです。ただでは帰りません。宮島口駅で「宮島連絡船」のフェリーの発着をしばらく眺め、宮島口駅からは広電の路面電車でJR広島駅前まで移動、そこでも路面電車の発着をしばらく眺め、それから新幹線で帰りました。同じ鉄道マニアでも長澤クンとヤマダ君とは少しジャンルが違うんです、私(笑)

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それにしても、凄い才能を持った旧友を持ったものです。長澤靖クンと旧友であることが光栄に思えてきます。彼の“隠れ家”も素晴らしいものでした。“男の隠れ家”はこうでなくっちゃあいけないって感じのものでした。羨ましい気もしますが、悔しいけれども私には長澤クンほどの才能は持ち合わせていないので、たまに長澤クンの“隠れ家”に招待して貰えることで、満足することにします。お土産に“隠れ家”の裏の竹林で採れたタケノコをいただいて帰ったのですが、とても美味しかったです。


【追記1】
ここが一番驚いたことなのですが、なんと長澤クンの奥さんは4年前にこの古民家を購入する時にやって来て「いいんじゃないの」と言ったきり、その後はただの一度もこの古民家に来ていないのだそうです。長澤クンには3人の男のお子さんがいて、それぞれもう独立しているのですが、その3人のお子さんもここに来たことはないのだとか。まさに長澤クン1人だけの趣味の空間、まさしく『男の隠れ家』です。

彼がいかに家族から信頼されているかという証しのようなことですし、台所や風呂といった生活基盤がまだまだ未整備で、生活空間はあくまでもこれまで通り大竹市内の自宅ということなので、そういうことが許されているのでしょうが、これには本当に驚きました!(◎_◎;) と同時に、メチャメチャ羨ましく思っちゃいました。我が家なら、絶対に妻があれやこれやと介入してくることは目に見えていますから ε-(´∀`; )


【追記2】
「趣味は7つまで持てる」とは長澤靖クンの言葉です。私の趣味は‥‥‥‥考えるのをやめます(笑)

長澤クンもDIYは本格的にはこの“隠れ家”が最初の作品ですし、陶芸も50歳を過ぎてから始めたもの。ここまで高いレベルのものを作れるのは、もともと彼が潜在的に持っていた才能が一気に開花したからだとは思いますが、開始する年齢は関係なく、私だって今から何か始めても決して遅いことではない‥‥ということなのかもしれません。そういう勇気を彼から貰った気がします。

長澤クンは私のモノ書き(文章書き)の才能を学生時代から認めてくれていました。モノ書きの才能に関しては、越智さんには到底かなわないと(当時も今も、私自身は自分の才能にまったく気付いていませんが‥)。なので、今はまずこのモノ書きの才能に一層の磨きをかけて、そこそこのレベルにまで高めることが一番の道なのかなぁ~‥‥と思っています。“草(アマチュア)”紀行作家や“草”コラムニストとして‥‥。紀行文は得意だし、書くのが好きなので、まずはこのあたりからですね。



      ―――――――――〔完結〕―――――――――

執筆者

株式会社ハレックス代表取締役社長 越智正昭

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