2016/06/27

麦うらし2016(その2)

 皆さんが談笑しているその裏でステージの準備が行われ、いよいよ出し物の開始です。このところ毎年の恒例になっていますが、今回もゲストは徳島県からお呼びした『阿波木偶箱まわし保存会』会長の中内正子さんと副会長の南公代さんのお二人。それと、今回は同会顧問で「芝原生活文化研究所」代表の辻本一英さんが解説者としてご登場なさいました。こうしたお祝いの席には欠かせない出し物です。

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 『阿波木偶(でこ)箱廻し』とは、徳島県に古くから伝えられている伝統芸能(徳島県指定無形民俗文化財)です。木偶人形の入った二つの木箱を天秤棒で担いで移動し、街角で人形芝居を演じたことから“箱廻し”と呼ばれていました。“箱廻し”には、「三番叟・恵比須」の祝福芸と、「傾城阿波の鳴門」などの外題を街角で演じた人形芝居がありました。祝福芸は、五穀豊饒・商売繁盛・無病息災を祈り、人形芝居は民衆に娯楽を提供しました。

 辻本一英さんからいただいた芝原生活文化研究所が今年4月30日に発行したばかりの『福を運んだ“でこまわし” 阿波木偶箱まわし保存会20年の歩み』という本によりますと、明治初年には、阿波の箱廻し芸人は200人を数えていたと言われています。彼等は阿淡(阿波・淡路)系の人形文化を木箱に詰めて全国に運び、街角で公演をしました。私がちっちゃな子供だった昭和30年代前半頃までは、四国のあちこちの街をこの『阿波木偶箱廻し』が回っていました。私は伊予三島市(現・四国中央市)で生まれ、5歳までそこで育ったのですが、この『阿波木偶箱廻し』を観た記憶がうっすらとあります。4年前に『麦うらし』に初めて参加させていただいた時にこの『阿波木偶箱廻し』を観て、特に若い美しい娘が演目の最後に突然妖女に変身して、カッ!と真っ赤になった目と口を大きく開き、オドロオドロしい姿になって観ていた人を驚かせるところなど、はて、確か、この光景は昔どこかで見たような(^_^;)?……って、不思議な感覚に襲われました。

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 実家に帰って今年87歳になる母にそのことを話すと、母は「昔はよく阿波木偶の人形芝居って見かけたわいねぇ。そう言えばあんたが3歳くらいの時、近所に来たんで私があんたを連れて観に行ったことがあるんよ。最後に口と目が真っ赤になって大きく開くところがあるやろ、あそこであんたはビックリして一目散にその場から駆け出して家に走って帰ったんよ。笑(わろ)た笑(わろ)た。よっぽど怖かったんじゃろね。泣いてはなかったけど、家で玄関の扉をしばらくしっかり押さえとったんよ。あれからなんぼ誘っても、あんたは絶対に観に行こうとはせなんだ(笑)」……という私の子供の頃のちょっと恥ずかしいエピソードを話してくれました。ははは…、不思議な感覚とは、いわゆる“トラウマ”ってやつだったんですね(^^;  この年齢になって、やっと長年のトラウマを克服することができたようです(笑)。余談ですが、トラウマと言えば、同じく2歳か3歳の頃に犬に追いかけられて噛まれた経験があり、それがトラウマになって、いまだに犬は苦手です。こちらのトラウマの克服は残念ながら今もできていません(^^;

 このように、今から50年ほど前までは、日本にもこうした独自の大道芸人の文化が生活に根付いていたのでした。それほど一般的だった『阿波木偶箱廻し』も、娯楽や生活様式の変化により1960年代になるとすっかり姿を消してしまいました。そのかつて全国の民衆に愛された阿波(徳島県)の伝統芸能『阿波木偶箱廻し』を甦らせようと1995年から活動をしているのが、この日、徳島から招かれて演じられたNPO法人『阿波木偶箱廻し保存会』の方々です。現在、この伝統芸能を演じられるのは唯一今回演じていただいたお二人だけなのだそうです。見事でした。

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 ジェイ・ウィングファームの牧社長は、この『阿波木偶箱廻し保存会』を熱心に応援していらっしゃるおひとりです。14年前に『麦うらし』を復活させた牧さんは、せっかく集まってくれた人達に『麦うらし』に相応しいなにか面白い出し物を披露したいと思っていたのですが、『麦うらし』復活から3年目の2005年、たまたまテレビのドキュメンタリー番組で取り上げられた『阿波木偶箱廻し』を目にして「これだ!」と思い、すぐにテレビ局に電話して連絡先を聞き、出演をお願いしたのだそうです。それ以来、毎年、出演していただいていて、今年で連続12回目。もうすっかり『麦うらし』の定番になっています。この日は定番のおめでたい祝福芸「三番叟・恵比須」に加えて、人形芝居による「阿波踊り」、「ノバセワラの春神楽」を披露していただきました。ちなみに「ノバセワラの春神楽」とは愛媛県内に古くから伝わる田植え前に行う儀式のことで、“ノバセワラ”とは藁を円錐状に結わえたもののことです。そのノバセワラを村々を訪ねて来る『阿波木偶箱廻し』の恵比寿様に神楽を舞いながら踏んでもらうと、その年は豊作になると語り継がれていた習俗です。

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 今回の『麦うらし』もそうですが、こうした日本の田舎に昔から根付いていた伝統行事や伝統芸能を後世に継承していくことも、実は農業の大事な一面なのかもしれないな…と、『阿波木偶箱廻し』の人形芝居を観ながら、改めて思いました。

 東京からは私だけでなく、大手醤油メーカーの方とか、穀物仲買の方とかもいらっしゃっていました。皆さん、ここのところ数年皆勤賞なのだそうで、その中のお一人は「日本全国の農家の方とお付き合いさせていただいているけど、牧さんのようにその土地に伝わる古い伝統を大事にされている方はほとんどいなくなりました。この自然の恵みに感謝して、収穫を祝う『麦うらし』のようなことは、農家だけでなく農業に関係する全ての人、いや、それを食べるという意味で、全ての日本人が忘れてはならないことだと思い、私は毎回この時期に松山に用事を作り、参加させていただいています」…とおっしゃられました。これには私も大いに賛同です。

 その会話に突然私の背後から牧さんが割り込んできて、「農業や漁業といった第一次産業が主体だったこの国において、農業文化、漁業文化が日本の文化そのものとも言える。そうしたものをちゃんと後世に残していくことも農業をやる者としての大事な役割だと儂は思っとる!」…このようなことを平然と言ってのけ、しかもそれを実行しちゃうのですから、牧さんは多くの人を惹き付けるのでしょうね。愛媛県立農業大学校に学び、卒業後はアメリカ合衆国に2年間留学して大規模農業経営を学び、今は耕作放棄地を集めて日本の平均的な農家のおよそ80倍にもあたる120haの耕作面積を誇る大規模農業法人を率い、自分の農園内に「Sunny Side Field」なるアメリカナイズされた公園を作っている牧さんが日本文化の伝統を守る…ですか。悔しいけど、カッコよすぎます。

 これで『麦うらし』に3回も参加させていただいたので、私もジェイ・ウィングファームさんの(いや、農業の)お仲間の一員に加えていただけたようです。これが嬉しい\(^_^)(^_^)/

 モチ麦(ダイシモチ)は収穫時期になると、黄金色になるウルチ性の通常のハダカ麦とは全く異なり、畑一面が美しい「紫色」に染まります。この「黄金色」と「紫色」の美しいパッチワークが見られるのも5月中旬のこの時期の東温市近辺だけです。帰りは酔いを醒ますこともあって、駅までちょっと長い道を歩いたのですが、夕陽に照らされたハダカ麦とモチ麦の穂が金色と紫色に色づいて輝き、神々しい感じさえして感動しちゃいました。この光景を目にすると、理屈抜きで“自然の恵み”に感謝する…って気持ちになれますね。自然の力は偉大です(^^)d

 麦は収穫するタイミングがとても重要となる作物です。収穫が早すぎると「空洞麦(実が入っていない麦)」が発生しますし、収穫が遅いと稈(くき)が折れたり、穂が折れる率が高くなり、せっかく実った麦も穀粒の損失が増えてしまいます。また、日本はこの時期から梅雨の季節に入るので、せっかく乾燥させた大麦が雨に当たると、穂についた状態のままで一気に発芽してしまう「穂発芽」という現象を起こしてしまいます。こうなると品質も一気に落ちてしまうので、美味しい大麦を収穫するためにはギリギリのタイミングまで十分に乾燥させ、雨に当たらないうちに急いで収穫する必要があります。こういうふうに天候に左右されやすいところがあり、麦は栽培が極めて難しい作物なのです。

 ちなみに、ジェイ・ウィングファームでは、『麦うらし』が行われた翌日から麦の収穫が始まり、天気にも恵まれたので、10日間ほどで収穫を終えています。収穫を終えた翌日に雨が降り、なんとかギリギリで間にあった…という話を牧さんからはお聞きしました。収穫を終えた田圃には水が張られ、6月になるとコメ(稲)の田植えが行われます。


……(その3)に続きます。(その3)は6月29日に掲載します。

執筆者

株式会社ハレックス前代表取締役社長 越智正昭

株式会社ハレックス
前代表取締役社長

越智正昭

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