2016/06/29

麦うらし2016(その3)

 このところ約1ヶ月おきにジェイ・ウィングファームを訪ねる機会があったので、麦の成長具合を一定間隔おいて観ることができたのですが、2ヶ月前の3月11日にはまだこのくらいだったモチ麦が、

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約1ヶ月後の4月15日にはこぉ〜んなに大きく成長していました。既に結実しています。

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 さらに1ヶ月後のこの日(5月14日)、穂は紫色に色づき、収穫されるのを待っていました。僅か2ヶ月間で驚くほどの成長ぶりです。麦が持つ力強い生命力を感じます。この時期の愛媛県松山市近郊の東温市の田圃には「黄金色」(ハダカ麦)と「紫色」(モチ麦)の穂による美しいパッチワークが広がります。ジェイ・ウィングファームでも『麦うらし』が行われた翌日、いよいよ収穫が始まりました。

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 この冬は暖冬だったので、麦の成育状態が気になっていたのですが、穂にはしっかりとした実が付いていて、安心しました。今年の麦もなかなかいい出来のようです。暖冬を見越して、種籾を蒔く時期を例年より少し遅らせたそうなので、それが功を奏したようです。一緒に麦の成育状況を見ていたジェイ・ウィングファームの若き現場リーダーの齋藤碌クンに「なかなかいい出来じゃん!」って伝えると、「ええ、このあたりの麦は僕が徹底的に麦踏みをしましたもん。踏んで、踏んで、踏んで‥‥。念には念を入れて‥‥って感じで徹底的にやってみました」とドヤ顔をして応えてくれました。さらに、「こちらがしっかりと手を掛けて育ててやると、麦も裏切らずにそれに応えてくれるもんですわ」‥‥と、素晴らしいことを言ってくれました。

 ちなみに、麦踏みとは早春のまだ麦が芽吹いたばかりの頃に、麦の芽を足で踏みつける作業のことです。麦踏みは霜柱を防いで根の張りをよくし、また、麦が伸びすぎないようにするために行います。麦を踏むとせっかく芽吹いた麦の芽に傷が付いてしまうじゃないの‥‥と思われますが、麦はその傷を付けることによってその傷口からエチレンという植物ホルモンが放出されます。麦はこのエチレンを感知して、なんと踏みつけられても踏みつけられてもそれを跳ね返そうと茎を太くするように働きます。太くなった茎はちょっとやそっとの風では倒れにくくなり、さらに分枝も多く出てきます。それで、強く元気な麦が育つのです。強く元気な麦は、当然のこととして良質な種子をつけます。“自然の不思議”ってやつですね。

 麦(ムギ)は世界中で一番多く作られている穀物です。小麦、大麦、ハダカ麦、ライ麦、ハト麦、エンバク…と、その種類は数多く、すべてイネ科に属する植物です。このうち、“四麦”といって、「小麦」「六条大麦」「二条大麦」「はだか麦」が特に生産量の多い主要な麦です。これらの作物(穀物)は、同じイネ科に属しているため姿形が類似していて、日本をはじめ東アジアでは総称して「麦(ムギ)」と呼んでいますが、こうした総称はヨーロッパでは存在しません。wheat(小麦)、barley(大麦)とそれぞれの固有名称で呼ぶのみで、当然のこととして大麦のことbig wheatとは呼びません。これらは、本来はまったく別の作物であり、植物です。従って、穀粒の性質や含まれる成分も異なり、種類によって使う用途もまったく異なります。

 “四麦”の中でも生産量が特に多いのが「小麦」と「大麦(六条大麦、二条大麦)」です。その小麦と大麦の違いについて、皆さんはご存知ですか? “小麦”、“大麦”という日本での呼び名を聞くと、あたかも種子の穀粒や草姿の大きさに違いがあるように思ってしまうのですが、決してそういうことではありません。大麦の方が穀粒が大きいというわけではなく、穀粒の大きさにあまり違いはありません。

 では何が違うのかというと、小麦と大麦は姿形は似ていますが、そもそも植物として別の種類の植物なのです。小麦はイネ科コムギ属に属する“一年草”の植物です。いっぽうで、大麦はイネ科オオムギ属に属する“越年草”です。一年草なので小麦はイネ(米)と同じように春に種子から発芽して、夏に生長して開花・結実し、秋には種子を残して枯死します。いっぽう、越年草である大麦は、秋に種子から発芽して冬を越し、春に大きく生長し、初夏に結実して種子を残して枯死します。そこが一番の違いです(小麦には越年栽培が可能な冬小麦という種類のものもあります)。大麦と小麦の違いは、それよりも含まれている成分の違いにあります。基本的には二つの麦ともよく似た成分の麦なのですが、大麦は小麦にくらべて食物繊維が多いのが特徴です。また、カルシウムや鉄分、ビタミンB1も小麦より多く含んでいます。さらに大麦と小麦では、含んでいるタンパク質の質も違います。大麦のタンパク質がホルデインと呼ばれるものであるのに対し、小麦のタンパク質はグルテン。粘りが多いグルテンはパンや麺に加工するのに適していますが、粘りの少ないホルデインは、パンにすると膨れませんし、麺にすると“つなぎ”がないのでブツブツと切れてしまうので、パンや麺への加工には不向きです。いっぽう、小麦は大麦ほど吸水性が良くないため、ご飯のようにそのままで炊いて食するには不向きです。

 小麦は同じくイネ科のトウモロコシや米とともに“世界三大穀物”に数えられており、世界で最も生産量の多い穀物の1つで、大麦は小麦よりも世界規模で見ると生産量が圧倒的に少なく“世界三大穀物に次ぐ穀物”とされていますが、穀物をいったん粉にしてパンや麺に加工して食べるという文化ではなく、粒のまま飯や粥として食べる文化が主流であった日本をはじめ東アジアでは、小麦よりも大麦のほうが広く栽培されてきました。狭い国土の日本では、限られた田畑を有効に利用するため「二毛作」が盛んに行われたのですが、“越年草”であるという大麦の特徴が「二毛作」に適していたという側面もあったのかもしれません。

 ちなみに、大麦の“大”は、小麦に対する穀粒や草姿の大小の差ではなく、“大”は本物・品質の良いもの・用途の範囲の広いものという意味、“小”は代用品・品格の劣るものという意味によるものだとされています。収穫された種子のうち殻や種皮、胚芽を取り除き、胚乳の部分だけを粉にするという面倒な加工をしないと食べられなかった小麦に対して、大麦は粒のまま飯や粥として食べることができたので、昔の日本人は大麦のほうを上質と考えたことを反映しているのではないか…と言われています。これは大豆(ダイズ)と小豆(アズキ)も同様です。

 大麦は世界最古の栽培穀物の一つと言われ、紀元前7000年頃の西アジアで原種に近い大麦の栽培が始まり、西アジアから中央アジア(現在のイラク付近)にかけての広い地域で栽培されていたといわれています。ツタンカーメン王の墓(紀元前3000年頃)からも副葬品として納められた大麦が発見されたことからも、栽培の歴史の古さがわかります。大麦は寒冷・乾燥に強い植物で、熱帯地域を除いてほぼ世界各地で栽培されています。日本へは、小麦よりも早く、約1800年ほど前に中国から朝鮮半島を経て伝わったと考えられていて、奈良時代には、日本各地で広く栽培されていました。

 大麦は穂の形状の違いから「六条大麦」と「二条大麦」、さらに「ハダカ麦」に大別されます。まず、六条大麦と二条大麦の違いですが、これは穂に何列(条)の実が稔るかの差にあります。大麦の穂は基本的には6列で、その6列すべてに実が稔る種類の大麦が六条大麦、2列だけ稔る種類の大麦が二条大麦です。稔るのが2列だけなので二条大麦のほうが穀粒は大きいのですが、穀粒は小さくとも全ての列に実が稔る六条大麦のほうが全体としての収穫量が多いという特徴があります。二条大麦は穀粒が大きく、醸造時の管理がしやすいということで、主としてビールやウイスキーといったアルコール飲料の原料用に生産され、ヨーロッパで栽培される大麦のほとんどは二条大麦です。いっぽう、多くの収穫量が期待できる六条大麦は、主に大麦を穀物としてそのまま食べる地域において栽培され、日本や中国をはじめとした東アジアにおける在来の大麦は、ほとんどすべてが六条大麦です。なので、日本における二条大麦は、ビールやウイスキーの製造とともに、近代になってヨーロッパから持ち込まれたものがほとんどです。

 次に「ハダカ麦」について説明します。六条大麦も二条大麦も穎(エイ: 穀粒を包んでいる皮)と穀粒が糊状のもので固着しており、剥がすのが(脱穀するのが)極めて難しいという穀物としては致命的ともいえる弱点を持っています。穎を剥がすのが難しいことから、これらは“皮麦”とも総称されています。いっぽう、ハダカ麦はこの穎が揉むだけで簡単に穀粒から剥がれてしまうという極めて便利な特徴を持った麦です。ハダカ麦は、植物学上は原種に近い大麦(皮麦)の突然変異で誕生し、それが固定化された麦の品種であるとされています。ハダカ麦も西アジアで紀元前6000年頃には栽培が始まっていたとされていて、その栽培の歴史の長さから考えて、六条大麦や二条大麦といった皮麦とはまるで異なる、一つの独立した系統の麦であるということができようかと思います。ちなみに、ハダカ麦は英語名称でもnaked barley(裸の大麦)といいます。

 ハダカ麦は穀粒を包む穎が薄いことから、日本では主に東海近畿地方から以西の比較的温暖な地域で栽培されており、特に瀬戸内沿岸で取れるものが高品質だとされています。いっぽう、脱穀しても穎が取れにくい皮麦(六条大麦や二条大麦)は耐寒性が高いことから、栽培地域は関東地方以北に多く分布しています。愛媛県は29年連続で生産量日本一を誇るハダカ麦の生産地で、全国におけるハダカ麦の全収穫量約1万4,300トンのうちの約41%の約5,800トンを愛媛県産が占めます(平成19年産農林水産省統計資料より。ちなみに第2位は香川県で、この北四国2県で全国の生産量の58%を占めます)。その愛媛県の中でも松山平野(東温市、松前町)と西条平野が県下の二大生産地です。このどちらも冬季に西日本一の高さを誇る四国山脈の最高峰・石鎚山から吹き下ろす“石鎚降ろし”と呼ばれる強く冷たい乾いた寒風が吹くため、これがハダカ麦の生産に適していて、日本最大の産地なのです。愛媛県の農作物と言えばミカンが有名ですが、実はそれだけじゃあないのですd(^_^ )

 ハダカ麦は主に主食用(押麦など)のほかに、味噌(麦味噌)、麦茶、焼酎、発泡酒などに加工されます。また、麦を炒って挽いた「はったい粉(麦こがし)」は、砂糖と湯を混ぜて練り菓子として食べたり、落雁などの和菓子やホットケーキの材料などにも利用されます。

 「モチ麦」はそのハダカ麦から突然変異により生まれた亜種であるとされています。米(コメ)に「ウルチ(粳)米」と「モチ(餅)米」があるように、ハダカ麦にもウルチ性の品種のものとモチ性の品種のものがあります。その違いは含まれるデンプンの質にあります。穀物に含まれるデンプンには、大きく分けてパサパサした粘り気がほとんどない性質のもの(アミロースの含有割合が比較的多いデンプン)と、モチモチした粘り気が強い性質のもの(アミロペクチンの含有割合が比較的多いデンプン)の2種類があります。米(コメ)を例に説明すると、パサパサした性質のデンプンを沢山含む品種のものは外米のインディカ米のように粘り気が少なく、ピラフなどで食するのには適しているのですが、炊いて銀シャリとして食するには食感も味もイマイチなところがあります。パサパサした性質のデンプンの割合が少ないものは「コシヒカリ」のように粘り気(ウルチ性)があり、そしてパサパサした性質のデンプンを全く含まないもの(すなわち、ほとんどモチモチした性質のデンプンだけのもの)は主として餅に使用される「モチ米」となります。 ハダカ麦もそれと同じです。ハダカ麦は「ウルチ麦(=ウルチ性ハダカ麦)」と別名で呼ばれることもあるくらいもともとの品種からして粘り気(ウルチ性)がある麦なのですが、そのハダカ麦の中でもパサパサした性質のデンプンを全く含まない品種のものを、特別に「モチ麦(=モチ性ハダカ麦)」と呼んでいます。

 その昔、世の中に白米が不足していた頃は、日本では白米の不足を補完する主食のひとつとしてウルチ麦(=ウルチ性ハダカ麦)は極々日常的に消費されてきました。通常の大麦(皮麦)は前述のパサパサした性質のデンプンが多く含まれるので、炊き上がった直後も、また冷めた後も白米の2倍近い硬さになり、白米と混ぜて麦入りご飯にして食べると食感があまり良くありません。そのため、食用にはウルチ麦(=ウルチ性ハダカ麦)が使われるのが一般的で、押し麦に加工したものを白米に混ぜて麦入りご飯にしたり、粥や雑炊にしたり、炒って粉に挽いてはったい粉(麦焦がし)にしたり、炒ったものを煎じて麦茶にしたり‥‥と、広く流通していました。いっぽう、大麦(皮麦)は主に飼料に使われていました。

 しかし、白米が大量に生産されるようになり、価格も低下してくると、麦入りご飯は多くの人から敬遠されるようになり、食用としてのハダカ麦の消費量及び国内生産量は急激に減少していきました。大麦とハダカ麦を合わせた国内生産量は昭和55年(1980年)には約38.5万トンだったものが、平成22年(2010年)には約16.1万トンと、この30年間で半分以下にまで減少しています。特にハダカ麦の国内生産量の落ち込みが激しく、作付面積でみると、昭和30年代初期までは50万ha台を維持していたのが、その後急速に減少し、昭和45年に10万haを割り、さらに昭和61年には1万haを割り、ついには平成27年産ハダカ麦の作付面積は5,200haと、この60年ほどの間で最盛期のなんと1/100にまで激減してしまっています。いっぽうで大麦・ハダカ麦の輸入量は年間200万トンを超え、大幅な国内生産増が求められています(農林水産省作物統計より)。このように今や“絶滅危惧種”のようになりつつある国内産のハダカ麦ですが、近年は生産量の大半が麦味噌の原料に用いられ、それで辛うじて命脈を保っているような状態です(愛媛県が29年連続でハダカ麦の都道府県別生産量日本一であることの最大の要因は、気候条件が栽培に適していることに加えて、愛媛県が麦味噌文化の土地柄である…ということにあるとも言えます)。

 ちなみに、今でも刑務所に入れられることを「臭い飯を食う」という表現を使ったりしますが、それは刑務所では100%白米ではなく、“麦シャリ(ばくしゃり)”と呼ばれる麦入りご飯が食事に出されているからです。しかも、戦後からしばらくの間は、その麦は国内産のウルチ麦ではなく、そのまた代用の海外から輸入された安価な大麦(皮麦)を主として使用していたようで、加えて当時は精麦技術も低く独特の臭いが残っていたため、“臭い飯”と言われるようになった‥との説が有力です。昔はコスト面から麦の比率が高かった(麦6:米4だったとも言われています)そうですが、今は白米の方が価格が安いので、むしろ収容者の健康面を考え、コスト面で少し高くついても整腸効果が期待できる麦を混ぜている(麦2:米8)ということのようです。しかも、今はウルチ麦を使用し精麦技術も向上しているので、同じ麦入りご飯でもほとんど臭いが気にならない美味しいものになっているのだそうです。(と言っても、私は刑務所に入所した経験がないので、よくは知りませんが‥‥。)

 同様に、昔、麦入りご飯を食べさせられた経験を持つ高齢者の中には、当時の麦の独特の臭いや硬い食感から、麦入りご飯に対してあまり良くないイメージを持っている人も多いと聞きます。ですが、それもほとんどの場合が海外から輸入された安価な大麦(皮麦)を用いた麦入りご飯を食べた記憶によるもので、決して国産のウルチ麦(ハダカ麦)を用いた麦入りご飯を食べた記憶ではないようです。ウルチ麦(ハダカ麦)の名誉のために、一言書き添えておきます。

……(その4)に続きます。(その4)は7月1日に掲載します。