2016/09/26

中山道六十九次・街道歩き【第5回: 桶川→鴻巣】(その1)

『中山道六十九次・街道歩き』の第5回に参加して来ました。炎天下の8月を避けて、約2ヶ月ぶりの街道歩きの再開です。第5回の今回は、中山道6番目の宿場町・桶川宿から7番目の宿場町・鴻巣宿までの約12kmの区間を歩きます。今回はJR桶川駅東口にある桶川南小学校の跡地がスタート。私達はこの日の最終スタートの第3班で、この第3班だけでも約50人の参加者がいらっしゃいましたので、この日も150名を超える参加者のようです。中には、これまでの4回でご一緒した方の姿も何人かお見受けします。この日は前日も翌日も小雨が降るあいにくの曇りの一日だったのですが、この日だけはピーカンの快晴。今や“レジェンド”の域に達した私の“晴れ男伝説”、この日も健在でした。同行した妻も、「パパの晴れ男伝説、凄すぎ!」と驚いていました。

駅前商店街を抜けて旧中山道(県道164号鴻巣桶川さいたま線)に戻ります。桶川市は宿場の保存に熱心なようで、桶川宿には今も旧家や古い商屋、土蔵造りの家が数多く残っていて、「街道歩き」マニアにとっては大変に魅力的なところです。江戸時代後期、桶川宿の商人は「中山道もの」と呼ばれた上質の麦や紅花の商いで大いに繁盛しました。中でも、“丸に木の字”の木嶋屋を屋号とする商人は5軒もあり、紅花取引の中心となっていました。その総本家にあたるのが島村家。天保7年(1836年)築の木造3階建ての堂々たる土蔵は国の有形文化財に指定されています。この建物は、天保大飢饉に喘ぐ人々に仕事を与えるために建てられたものと伝えられ、「お助け蔵」と呼ばれていたといいます。屋根に施された漆喰の模様が往時の繁栄を色濃く残しています。

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ちょっと先に味わいある古い商家があります。それが「島村老茶舗」。創業は嘉永7年(1854年)、ペリーが乗った黒船が浦賀に来航し日米和親条約が締結された年です。ちなみに現在の建物は昭和初期の建築なのだそうですが、二階の連子格子と、右から「御茶処」と彫られた板看板が風情と風格を備えて建っています。

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賑やかな商店街の先に見える 「蔵造りの商家」は穀物問屋矢部家の建物です。この矢部家はかつて「木半(きはん:木嶋半七)」の屋号で紅花や穀物の問屋を営んでいた矢部家の店蔵です。現在の建物は明治時代の初期に建てられたものですが、昔、このあたりの大商家がいかに繁盛していたかがいたるところに残る造りです。階段の下が全て箪笥になっていたりします。屋根の鬼瓦の上に金属の棒が何本も付けられています。カラス除けなのだそうですが、カラス除けというよりも、繁栄の象徴だったのでしょうね。紅花商人としても活躍していたそうで、そんな豪商がこの家を建てたのは明治の中頃なのだそうです。

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私の関心を最も引いたのがこれ! 電話番号票です。昔は自宅に電話が引かれているのが、裕福な家の象徴でした。“電電公社マン・マインド”が揺さぶられます。

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道路を挟んだ対面の建物は「旧旅籠小林家」です。こちらは国の指定登録文化財になっていて、江戸時代末期に建てられた旅籠です。「古久(穀)屋吉右衛門」と書かれた棟札が遺されています。文久元年(1861年)の皇女和宮の下向の際の割書帳には「吉右衛門」の名が記されているので、ここに和宮のお供の人達が宿泊したのでしょう。二階の出格子は見事の一言で、当時の旅籠の佇まいを今に伝えています。このほかにも街道沿いに味わいのある民家が何軒かあり「旧街道を歩いている」‥‥そんな雰囲気を味あわせてくれ、キョロキョロしちゃいます。

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蔵造りの穀物問屋矢部家の数軒先にある冠木門が「府川本陣跡」です。桶川宿の本陣は代々府川家が務め、また、名主として宿場の運営にあたっていました。府川本陣は、加賀百万石前田家の宿所であり、幕末には第15代将軍の徳川慶喜の父にあたる水戸藩主徳川斉昭が宿泊しています。また、文久元年(1861年)の皇女和宮の下向の際には、皇女和宮がここに宿泊しました。冠木門をくぐると薬医門があり、その脇に「明治天皇行在所」の碑が建っています。奥に皇女和宮も泊まられたという本陣建物(上段の間、次の間、湯殿等)が今も残っているそうなのですが、今も民家として使用されているため、残念ながら未公開です。

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この府川本陣跡の斜め向かいが脇本陣跡で、中山道宿場館があります。

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また、宿場館の先に「桶川宿碑」と「桶川宿案内板」が建てられていて、見どころを再確認することができます。

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その「桶川宿碑」と「桶川宿案内板」が建てられている公園の中に、「お茶博士・辻村みちよ顕彰碑」があります。その説明文によると、辻村みちよ博士は明治21年(1888年)、この桶川のご出身。東京女子高等師範学校の理科を卒業後、高等女学校や女子師範学校の教諭を経て、無給の助手として北海道帝国大学農芸化学科や東京帝国大学医学部理化学教室で働いた後、理化学研究所の鈴木梅太郎研究室に移り、そこで、緑茶の中にビタミンCが多く含まれていることを発見しました。この発見は北米向けの日本茶の輸出拡大をもたらしました。緑茶に含まれる化学成分の研究はさらに進み、緑茶中に含まれるカテキンの発見やタンニンの化学構造を決定するなど傑出した研究成果を挙げ、これらの成果をまとめた論文によって、昭和7年(1932年)、日本初の女性農学博士となりました。戦後は、お茶の水女子大学や実践女子大学などで後進の指導・育成にあたりながら、晩年まで研究活動を続けられたのだそうです。顕彰碑に刻まれた『滋味』という文字が、緑茶の研究に一生を捧げられた辻村みちよ博士らしいですね。

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……(その2)に続きます。