2016/11/30

『大人の修学旅行2017』ロケハン編(その2)

来年の『大人の修学旅行2017』では、“修学旅行”らしく、中世から鎌倉に残るそうした文化財の幾つかを観て回ることにし、今回のロケハン(下見)では、マサヤが予め用意してくれたコースに従って移動に無理がないかどうか、各地での見学のための滞在時間はどれほどを考えておけばいいのかの確認を目的にしました。

鎌倉は前述のように三方を山に囲まれ、残る一方も海に面しているので、都市としての面積はさほど広くはありません。ここも同じ古都でも京都とは大きく異なるところです。そういうコンパクトにまとまった観光地であっても、移動するとなると、ちょっと時間がかかってしまいます。その移動の時間の無駄を省くため、本番では観光ワゴンタクシーをチャーターすることにしています。観光ワゴンタクシーに関しては、今年7月に開催した『大人のお泊まり遠足2016 in 京都祇園祭』でも利用し、好評でしたので、迷わず選択です。なんといってもドライバーさんがいろいろと観光案内をしてくださるので、それが嬉しい。費用だって、人数割りするとたいした負担にはならず、荷物だって積めますから、各観光地では身軽な格好で見物できますからね。

今回のロケハンは我々4人だけですし、前述のように、JR鎌倉駅前から、観光ワゴンタクシーではなく、ふつうのタクシーを利用して急ぎ足でリストアップした観光地を見て回ることにしました。順番が来てたまたま乗ったタクシーの運転手さんに事情をお話しし、鎌倉の道路事情や各観光地の駐車場事情等をお聞きしました。前述のように鎌倉の市街地は大東亜戦争時に空襲の被害に遭っていないので、大々的な都市計画が行われておらず、道路網も近代的に整備されていないので、一般的に道路が細く、駐車場も有名な観光地以外はさほど整備されていないのだとか。なるほどなるほど。

JR鎌倉駅の駅前は、各地に向かう路線バスがいっぱい停車しています。鎌倉市の人口は現在約17万人。この規模の都市の中心駅の駅前としては、居並ぶ路線バスの数が異様に多いように思えます。さすがに観光地で、観光客向けに市内に散らばる各観光名所や三浦半島の他の街へ向かう路線バスが数多く運行されていることもありますが、これも前述のように、東京近郊のベッドタウンとして周辺地域に大規模な住宅開発が行われたことで、その住宅地へのアクセスのための路線バスも数多く運行されていることもその大きな理由の一つかと推察します。

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来年の『大人の修学旅行2017』の代表幹事であるマサヤが予めリストアップしてくれた観光地は、敬虔なクリスチャンであるマサヤにしては神社仏閣だらけ。クリスチャンである以前に高校教師(確か物理の教師)ですし、鎌倉といえば、神社仏閣です。リストにはまさに修学旅行で訪れるのに相応しい定番の観光地の名称が並んでいます。時間の制約もあるので、これが一番の選択のように思えます。異論はありません。

国の史跡に指定されている有名な鶴岡八幡宮は8月の第1回のロケハンで見学し、既に2日目の午前中に訪れることに決めているので、今回はパス。で、まず訪れたのは北鎌倉にある建長寺です。ここは禅宗である臨済宗建長寺派の大本山で、山号を巨福山(こふくさん)。寺号は正しくは建長興国禅寺(けんちょうこうこくぜんじ)と言います。鎌倉時代の建長5年(1253年)の創建で、本尊は地蔵菩薩。開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権の北条時頼です。巨福山と言えば、元弘の乱の際、新田義貞軍が攻め込んだ3つの切通しの一つが巨福呂坂でした。この近くなのでしょうか。確かにちょっと急峻な山が寺の背後に迫っています。

鎌倉は武家の棟梁である源頼朝が幕府を開いた場所らしく、禅宗の寺院が多いことが特徴です。禅宗とは、自己の仏性を内観することを目的とする仏教の一派です。特に坐禅を重んじることに特徴があります。6世紀の初頭にインド人仏教僧の菩提達磨(ぼだいだるま:サンスクリット語でボーディダルマ)によって中国に伝えられたもので、その菩提達磨を宗祖としています(菩提達磨は、単に達磨、あるいは達磨祖師、達磨大師ともいいます)。禅宗は、12世紀の終わりから13世紀初頭にかけての鎌倉時代に栄西禅師が中国から持ち込み、その後も何人もの僧によって次々と中国から教えが持ち込まれ、様々な流派が成立しました。

日本では、禅宗は主に臨済宗と曹洞宗、黄檗宗に大別されます。このうち建長寺は臨済宗。この臨済宗は歴史的に鎌倉幕府・室町幕府と結び付きが強かったのも特徴の1つで、ここ建長寺を大本山として主として武家を中心に全国に広がっていきました。今回は観ておりませんが、西の外門(北鎌倉側門)には『天下禅林』と書かれた書が掲げられています。これは「人財を広く天下に求め、育成する禅寺」という意味だそうで、我が国最初の禅宗寺院で鎌倉五山第一位と言われる建長寺を象徴する言葉になっています。京都五山(南禅寺、天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺…南禅寺が別格として加わっているので五山と言っても6寺あります)・鎌倉五山(建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺)のどちらも全て臨済宗の寺院で占められているほか、室町文化の形成にも臨済宗は多大な影響を与えました。鎌倉五山巡りも良さそうですが、来年3月の『大人の修学旅行2017』では、第一位の建長寺を五山の代表として参拝することにしました。

建長寺は正応6年(1293年)に発生した鎌倉大地震により創建当初からの建造物の大半が倒壊炎上、その後なんとか再建されたのですが、正和4年(1315年)、応永23年(1416年)をはじめとするたびたび発生した火災により創建当初の建物をほとんど失いました。江戸時代に徳川家の援助で主要な建物が新築または他所から移築されたのですが、1923年の関東大震災でも大きな被害を受けて修復がなされました。この総門は1943年に京都の般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)から移築されたものなのだそうです。

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安永4年(1775年)の建立で、国の重要文化財に指定されている山門と、同じく国の重要文化財に指定されている仏殿と法堂です。仏殿は芝(東京都港区)の増上寺にあった、徳川秀忠夫人崇源院の霊屋を建て替えに際し譲渡されたもので、正保4年(1647年)に移築されていました。法堂は文化11年(1814年)に建立されたものです。

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三門右手の鐘楼に架かる国宝の梵鐘です。高さ約2.1メートル。重さは2.7トン。建長5年(1253年)の建長寺創建当時から伝わる数少ない貴重な遺品の1つです。

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重要文化財で方丈入口の門である唐門です。この唐門も仏殿と同じく、芝の増上寺から移築したもので、関東大震災以来の大修理が2011年5月に終了し、移築当時の姿がやっと再現されたのだそうです。

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足早に建長寺を見て回り、次に向かった先はユウテンのたっての頼みで銭洗弁財天。ここは正確には銭洗弁財天宇賀福神社(ぜにあらいべんざいてんうがふくじんじゃ)といい、境内洞窟の奥に湧き出る清水で硬貨などを洗うとそれが増える…と伝えられていることから、一般には銭洗弁財天(銭洗弁天)の名で知られています。四方を急峻な崖で囲まれたところにあり、入り口は岩山をくり抜いたトンネルになっています。

ユウテンのたっての頼みと書きましたが、さてはユウテン、株のデイトレードでもやっているのでしょうか? 熱心に拝んでいます(笑)。

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財テクに励んでいる友人も多いので、ここを本番のコースに組み込むのも面白いかと思いましたが、如何せん近くに適当な駐車場がなく、観光ワゴンタクシーで来ると、かなり離れたところで降りて歩かないといけないため、残念ながら却下!

で、次に高徳院、すなわち「鎌倉の大仏」に回りました。「鎌倉の大仏様」あるいは「長谷の大仏」の名称で知られる青銅製の巨大な阿弥陀如来像は、高徳院といわれる浄土宗の寺院の本尊です。高徳院、正しくは大異山高徳院清浄泉寺(しょうじょうせんじ)といいます。国宝であり鎌倉のシンボルともいうべき大仏(阿弥陀如来像)を本尊とする立派な寺院ではあるのですが、開山、開基は不明で、大仏の造像の経緯についても史料が乏しく、あまりにも不明な点が多いのだそうです。

この大仏、元々は大仏殿の中に安置されていたようなのですが、なんらかの原因で大仏殿が崩壊し、現在のような野晒しの状態になったのだそうです。その原因としては、室町時代に大風で倒壊したとか、地震と津波で倒壊したとかの説があり、これも実ははっきりしていないのだそうです。こういうところ、鎌倉が都市としての継続性が途切れてしまっていることの残念な証しなのかもしれません。そこがミステリアスで面白い…という考え方もできます。私なんぞそう思っちゃう一人です。でも、反対に野晒しになったことで、緑豊かな周囲の風景とも相まって、独特の雰囲気を醸し出していることも事実です。この日も多くの観光客、特に欧米人を中心とした外国人観光客が見物に来られていました。首都東京からも近いですし、外国人観光客にとって手軽に日本の中世の文化に触れようと思ったら、やはり鎌倉ですよね。

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大仏には後部左下の穴から内部に入れるようになっています。以下の写真は大仏の内部に入り上方を見上げたところです。くぼんで丸く穴が開いた部分が大仏の首の部分で、その上に頭部があります。この大仏の鋳造は胴体の部分が7段、頭部は前面が5段、背面が6段に分けて行われていることが、像の内外に残る痕跡から判明しているそうで、その建造の仕方についての説明も案内板に描かれていました。工学部出身のエンジニアとしては大いに好奇心を掻き立てられる内容だったのですが、時間の関係で今回はパス。3月の『大人の修学旅行』の本番の時のお楽しみとして残しておくことにしました。

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……(その3)に続きます。

執筆者

株式会社ハレックス代表取締役社長 越智正昭

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