2016/12/09

鉄研機関誌「せのはち」(その3)

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『男の隠れ家』で紹介した長澤靖クンが、広島大学鉄道研究会の機関誌『せのはち』の創刊号から数冊を自宅の物置の奥から見つけ出してきてくれて、今回の会に持ってきてくれました。40年近くが経過し、紙はすっかりセピア色で変色していますが、そこに書かれた文字はしっかりと私を含む当時の仲間達の思い出が詰まっています。手作り感満載の『せのはち』創刊号を手に取って、パラパラとめくってみました(装丁は自分達で大型のホチキスを借りてきてやりました)。

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目次に並んだその内容は……

鉄道キチガイ
軽便へのアプローチ
トロッコのこと
鉄道模型分科会紹介
駅構内線路配置分科会紹介
ヘッドライトの話
ローカル線に旅のロマンを見つけた
輝け!! 全国車窓ベスト10(東京以西編)
全日本の長距離列車、夜行列車、完全乗破達成状況
雨の紀州路「南紀」乗破
My Favourite クモハ51・54型
広島・電車の車掌は美少年
〔創刊の戯れ〕なして、なぜか線路の上好き
………

以前にも書きましたが、鉄道マニアには趣味のジャンル別に様々なカテゴリがあり、

・車両研究〔車両鉄〕
・鉄道撮影〔撮り鉄〕
・音声音響研究〔音鉄〕あるいは〔録り鉄〕
・鉄道模型〔模型鉄〕
・鉄道に関する物品の収集〔蒐集鉄〕
・鉄道旅行〔乗り鉄〕
・完乗〔乗りつぶし〕
・時刻表収集・ダイヤグラム分析〔時刻表鉄〕
・駅研究〔駅鉄〕
・廃線跡の探索〔廃線跡〕
・軽便鉄道専門〔軽便〕
・鉄道業務・設備の研究
・鉄道の歴史・鉄道経営などの学術的研究……等々
このほかにもかなりディープなジャンルのマニアがいると言われています。

“鉄”の原点(その4)

同じ鉄道マニアの集まりといってもメンバーの趣味は多岐に渡り、めいめいバラバラ。広大の鉄道研究会も各々自由勝手に己の好きなことを楽しんで、“鉄道”というキーワードだけで週に1回集まっていろいろと語り合うって感じのサークルだったのですが、その雰囲気がこの目次を眺めてみるだけで伝わってきます。

私が書いたのは、題名から想像がつくと思いますが、真ん中あたりの「ローカル線に旅のロマンを見つけた」。パラパラと自分が書いた文章を読んでいると、ああ、これが私が書いた一番最初の紀行文なのかもしれないな…と思えてきました。20歳そこそこで書いた僅か5ページの稚拙な文章ではあるのですが、将来、“草(アマチュア)”で紀行作家の端くれにでもなりたいな…と思っている私にとっては、言ってみれば原点のような文章です。当時と基本的には何も変わらないな…と思いながら、読み返してみました。

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私が書いた文章ですので著作権の心配もないので、せっかくなのでここでブログに(ディジタルデータに)書き起こすことにします。



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『ローカル線に旅のロマンを見つけた』   越智正昭


自ら“鉄路に旅のロマンを求める酔狂人”と称している私は、名前も知られていないようなローカル線にひとりフラッと乗って、その旅情を楽しむのを最大の趣味にしている。

ローカル線、それは車窓に自然の素顔を見せてくれる線であり、土地の人、つまり、その線を毎日の足にしている人達の愛しい(かなしい)生活(いとなみ)やら喜怒哀楽が直接(じか)に伝わってくる線である。

ローカル線の車窓は実に様々に我々を楽しませてくれる。海岸線を走る列車の窓からの景色は実に変化に富んでいる。海が見えたり隠れたり。窓を開けていると、野草の甘い匂いが潮のしょっぱい匂いとうまく溶け合って、なんとも言えず清々しい。夏などどんな冷房にも勝る。また、山村を走る列車から見えるひなびた風景。高原を走る列車から見える干し草の匂いがするようなとても牧歌的な情景。みんなそれぞれ味があって素晴らしい。

車窓はなにも自然の景色だけではない。ATS(自動列車停止装置)やCTC(列車集中制御装置)の導入により近代化された幹線にはないローカル線特有の優雅な腕木式の信号機やタブレットの受け渡しなど、そこはかとなく旅情が伝わってくる。

ローカル線の鈍行は停車時間がたっぷりあるのが嬉しい。中にはこれを嫌う人も多いが……。降りてカメラを楽しんだり、ホームの水道で顔を濡らしたり、ちょっと走って駅前の何でも売っているような店でスルメやアイスキャンデーを買い込んだりできるのが嬉しい。

また、気に入った駅があったら、そこで降りてみるのもいい。今まで自分が乗ってきた列車を名前も知らなかった小さな駅のホームのはずれで見送るのも、また格別である。なにか哀しい気持ちがしたり、人生を見るようで考え込んだりすることもある。

ローカル線は駅前もいい。改札口を抜けると、すぐにその土地に溶け込んでいくような錯覚さえも覚える。駅前は人間くささの中に何か異郷の香りを漂わせているような魅力がある。

ローカル線の車内は生活の匂いがする。茶色の車体で中は木造り、そして、いろいろな人の生活の垢や汗が染み込んだような、そんな客車。もっとも今はディーゼルカーや電車が多いが、それも塗装が剥げ、錆びついて、車内も客車と同様生活の滲みが付いている、そんな車両の中に、毎日同じように、同じ人達の生活の一コマがある。行商のおばちゃんあり、通学の高校生あり、買い物の主婦あり……。

土地の人達が方言丸出しで喋っている声は、軋む車輪の音と奇妙な調和(ハーモニー)を持ち、素晴らしい唄となって耳に入ってくる。実にいいものである。

私はよく隣り合わせた土地の人と話をする。長年そこに住んでいる人達はどんなガイドブックよりもその土地について知っており、なによりも親切である。中には「在野の学者」といった人物も多い。また、ローカル線の車掌達も親切で、土地のことはよく知っている。彼等の話から思わぬ穴場を発見してくることも数ある。そうした車内のゆきずりの偶然という楽しみもローカル線ならではのものである。

よく、旅とは出会いだと言われるが、旅する者にとってローカル線ほど偶然の出会いに巡り会えるものはない。ローカル線の車窓には思いもかけない偶然がよく起こる。去年の夏、山陰本線を鈍行で旅した時のことであるが、夜の餘部(あまるべ)鉄橋から水平線に無数のイカ釣り船の灯りが蜃気楼のように見えて、とてもファンタジックで素晴らしかった。

夏には河原などで打ち上げ花火をよく見かけるし、田んぼの中のささやかなお祭りや、満艦飾に飾られた小学校の運動会などにもお目にかかる。そうした予期せぬ偶然はアッと言う間に通り過ぎる新幹線や特急では目にも止まらない。旅で偶然を期待するならば、やはりローカル線に限る。ゆっくりと時間をかけていると、必ずや予期せぬ偶然にぶつかるものである。

私はできるだけ鈍行列車でゆっくりと旅をすることを勧める。最近の旅はなにか本当の旅の味というものがなくなってきているように思える。パック旅行なんかがいい例で、なんでもかんでもお膳立てができているから、身一つあれば気軽に旅行ができる。けれども、なにか味気ない。本当の旅は、やはり自分で苦労しなければ、その感慨はない。

昔の人の旅は随分と苦労をした。すべて自分の足に頼らなければならなかったから。今はそんな旅はちょっとできないけれども、そこには人間の身体に合ったリズム、すなわち歩くリズムがあった。鉄道はその歩くリズムを受け継いでいる最後の乗り物のように思える。飛行機や船にはそれがない。だから私は鉄道が好きだ。

長い道のりを列車でゴトゴト揺られて目的地に着くと、本当にはるばるやってきたなという実感と距離感がある。新幹線ができてからは、それが薄らいできた。確かに速くて便利にはなったけれども、歩くリズムがなくなってしまった。だから、これからの旅はたまには鈍行列車を選んだりして、時代の流れに呑まれないような反骨精神を持たなければダメだと思う。

ローカル線。とにかく本当に旅のロマンを求めるのなら、やはりローカル線に限る。

これを書いているうちに、また乗りに行きたくなった。次の休日あたり、私の大好きな夕暮れの瀬戸内海の風景を拝みに、呉線に乗りに行くことにしよう。ささやかな偶然に期待して。

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40年の時を経て、改めて自分が書いた文章を読み返してみると、文章のあまりの稚拙さに赤面してしまいます。さすがに修正を入れましたが、誤字もいくつかあるし(昔はワープロソフトはなかったですからねぇ~)。全体的な印象としては、創刊号ということで、異常なまでに肩に力を入れすぎですね。伝えたいことはよぉ~く解るのですが(自分だしぃ)、その伝え方がこなれてないですね(笑)

“愛しい”と書いて“かなしい”とか、“調和”と書いて“ハーモニー”と読ませるためにわざわざルビを付与したりしているところ、これはまったくの無駄ですね。当時は幾つかオリジナルの楽曲の作詞もしていた頃なので、こういうのがカッコいいんだと勝手に思い込んでいた自分の歴史が垣間見え、恥ずかしくなっちゃいます。

「20歳そこそこの学生が、なぁ~に背伸びした大人の文章を書こうとしてるんかい。無理にカッコつけて書こうとしているから、アッチャコッチャに無駄に話が飛んじまって、伝えようとする話の論理がまるでまとまりきれていなぁ~い! もっと自分の気持ちを素直にそのまま書いてごらんよ。無理に背伸びなんかせずに。それと、5ページという自分の担当する分量をあまりに意識しすぎだよ。5ページなんて、キミの“隠れた実力”ならサラサラっと楽勝で書ける。肩の力を抜いて、書き直し!」

今の私からは、昔の私に対して、このようにアドバイスをしてあげたくなります。

それにしても、指紋や声紋があるように、文章にもその人なりの“文紋”のようなものがあるのですね。言い回しの癖なのでしょうか、40年前の私の文章と、今の私の文章、やっぱり似ている…と言うか、基本的にまるで同じです。40年前からまるで進歩していないってことでしょうか(笑)


【追記1】
茶色い車体の客車列車。木製の床には油が塗られて車内に独特の匂いを発していました。腕木式の信号機やタブレットの受け渡し……今ではほとんどで見られなくなってしまいました。そもそもローカル線では駅員がいる駅自体が絶滅危惧種のようになっています。鉄道に限らず、この40年間で世の中は大きく様変わりしてしまいました。

昔の仲間達と40年近くぶりに再開し、またこうして40年前に自分が書いた文章を読み返しながら、当時のことを思い出し、懐かしさがこみ上げてきました。幸せなひとときです。


【追記2】
冒頭に示した機関誌『せのはち』創刊号の表紙の絵を描いているのは、長澤クン。彼は現在地元の中学校の技術家庭科の教師を勤めながら、絵本作家や陶芸家、三線演奏家、DIYクリエイターという多彩な才能を発揮して活躍している知る人ぞ知る有名な芸術家(?)でもあります。

男の隠れ家(その5)

北海道で開催された全国規模の絵本のコンクールで入選し、サイン会も開催したこともある“長澤靖画伯”が大学1年生の時に描いた貴重な1枚がこの『せのはち』の表紙です。彼の絵のタッチや世界観は昔も今も少しも変わりませんね。そこが嬉しい。

で、鉄研機関誌「せのはち」の裏表紙に描かれたキャラクター、これは広島大学鉄道研究会の正式なマークです。このマークは不肖、私がデザインしました。頭に着いたリボンは電車のパンタグラフで、丸い脚は車輪。顔は蒸気機関車(SL)を前方から見たところをイメージしたものです。サークル、それもお堅い鉄道研究会の正式マークをこういう可愛らしいキャラクターにすることなんて、前代未聞のようなところがありましたが、とにかく描きやすさと斬新さを求めたくて、こういうマークをデザインしました。当初は目に睫毛が付いていたのですが、その後、いつの頃からかその睫毛がなくなっていたり、向きが左右反対(鉄道用語では公式面が非公式面に変わったと言います)になっていたりしているようですが、元々40年前に私がデザインしたマークはこれでした。右下に書かれた「H.U.R.C」とは「Hiroshima University Railfan Circle」の略で、そこからこのマークのことを「フル子マーク」と呼んでいました。

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【追記3】 広島大学鉄道研究会のマークだけでなく、私は「会の歌」も作りました。それが『ローカル線の詩』。後年、「ローカル線の唄」に題名が変わって伝わっていたりしているようですが、正しくは『ローカル線の詩』。“詩”と書いて“うた”と読ませます。

歌詞は以下の通りです。


『ローカル線の詩』
                        作詞・作曲 越智正昭


♪レンゲの花を見たくて 飛び乗った列車は
   茶色の煤けた客車の ローカル線
     ガタゴト揺られて着いた 名前の知らない駅は
       なぜか不思議さ故郷(ふるさと)の 匂いがした
         レンゲの中にホームが一つ ヒバリの声と汽笛だけ
           レンゲの花を見たくて ここまで来た僕は
             レンゲの花も見たけど 故郷(ふるさと)も見た


♪夕焼けの海を見たくて 飛び乗った列車は
   家路を急ぐ人の 帰り道
     隣の人の話す 世間話聞いて
       妙に疲れた心を 和ませる
         水平線に沈む夕陽に 空飛ぶカモメも赤い色
           夕焼けの海を見たくて ここまで来た僕は
             夕焼けの海も見たけど 故郷(ふるさと)も見た


この歌の1番の歌詞は芸備線(広島駅〜備中神代駅間)、2番の歌詞は呉線(海田市駅〜三原駅間)という広島駅を発着する2本のローカル線をモチーフにして(実際に乗って)、書いた詩です。

その詩に1971年にジョン・デンバー(John Denver)が歌って世界的に大ヒットした『故郷に帰りたい』(原題:Take Me Home, Country Roads 日本では「カントリー・ロード」という題名で知られる)をイメージした曲を付けてみました。この「故郷に帰りたい」は、当時、私が大好きな楽曲でした。なので、『ローカル線の詩』はコード展開がジョン・デンバーの『故郷に帰りたい』と極めてよく似ています(メロディは違いますが…)。私は作曲は苦手だったので、私が付けた曲はあくまでも仮の曲で、広大鉄研の創設メンバーの1人で、当時、「ビールス」というバンドを一緒に組んでいた2年後輩の山田クンに「こんな曲を作ってみたんだけど、もっといい曲を付けてみてよ」と仮の曲で歌ってみせたところ、「このままでいいんと違いますか」ということになって、そのまま完成したのでした。

実は呉線をモチーフとした2番は、本当は3番のつもりで書いた詩で、2番が未だに未完成のままになっているのです。本来の2番の歌詞は広島駅を発着するもう1つのローカル線・可部線(横川駅〜三段峡駅間:当時)をモチーフにして書こうと思っていたのですが、どうしても詩が思い浮かべなくて未完成のままになっているのです。出だしのキーワードがなかなか見つからなかったんです。そのキーワードさえ見つかればあとは勢いでなんとか書けたとは思うのですが、なかなか上手くいかないものです。現在、可部線は魅力のあった可部駅〜三段峡駅間が廃止され、横川駅〜可部駅間の広島市近郊路線になってしまって、すっかりローカル線の風情も失われてしまっていると思うので、このまま未完成のままになっちゃうんでしょうね。後輩の皆さんに期待です。

そうそう、この『ローカル線の詩』にはB面、今で言うところのカップリング曲にしようと思っていた詩があって、その題名は『1枚の切符』。実はこの『1枚の切符』のほうが先に書き上がっていたのですが、自分でも気に入らなかったので、A面曲の『ローカル線の詩』を作ったようなところがあります。この『1枚の切符』、お蔵に入ったまま曲も付けていないので、歌詞もほとんど忘れてしまいましたが、出だしの歌詞は、確か

♪幼い頃の想い出を 訪ねてみようと思い立ち……

でした。


……(その4)に続きます。

執筆者

株式会社ハレックス前代表取締役社長 越智正昭

株式会社ハレックス
前代表取締役社長

越智正昭

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