2017/03/03

銀の匙Silver Spoon第2章(その6)

出張最終日(2月17日)、この日は東京に戻るだけだったのですが、「せっかく2月の中標津に来ていただいたのに、氷点下20℃もブリザードも体験できなくて申し訳ない。その代わりと言っちゃあなんですが、ちょうど網走あたりに流氷が接岸したという報道が流れていたので、流氷を観に行かれませんか?」というオーレンス総合経営の高橋社長のお勧めもあり、この日はちょっと網走まで遠出をして、冬のオホーツク海名物の流氷を観に行くことにしました。

高橋社長からのお勧めを受けた時、「エッ! 流氷!!」私はこれまで流氷をこの目で見たことがないので、この提案にすぐに飛びついちゃいました。聞くと、中標津から網走まではクルマで約2時間半。朝早くに中標津を出ても、流氷を観てから中標津空港に戻ってくるのは時間的にちょっと厳しいので、前日のうちに網走近くの女満別空港発羽田空港行きの便に予約を変更しておきました(中標津空港発羽田空港行きは14時35分発の1日1便だけなので)。

この日はそれまでの2日間と異なり、天気は曇り。気温も低めです。これから週末にかけてオホーツク海の低気圧が発達して西高東低の冬型の気圧配置となり、このあたりは風も強く、平年の2月らしい天気に戻る予報が出ています。まさに私が中標津に滞在したこの2日間だけがよく晴れて、気温も高め。奇跡のようなことです。これでまた私の“晴れ男”神話に1つの伝説が加わりました(笑)

午前8時にオーレンス総合経営の社員さんにホテルまでクルマで迎えに来ていただき、そのクルマで網走に向かいました。オホーツク海に面する網走市は、北海道の北東に位置する都市で、冬季には流氷が接岸することで有名なところです。オホーツク海の流氷はユーラシア大陸の北東部を流れるアムール川という大河の流水によって塩分の薄くなった海水が凍って形成されます。その流氷は更に周囲の海水を取り込み、塩分を排出して成長すると言われています。

流氷の接岸状況はそのシーズンの気象条件によって大きく左右されます。今年は暖冬で、平年より網走市付近に流氷がやって来るのが少し遅れたのですが、網走地方気象台発表の情報によると、1月31日に流氷初日(視界外の海域から漂流してきた流氷が、視界内の海面で初めて見られた日)を観測し、ほぼ平年なみの2月2日に接岸初日(流氷が接岸、または定着氷と接着して沿岸水路がなくなり船舶が航行できなくなった最初の日)を迎えたようです。

第一管区海上保安本部海氷情報センター「最新の海氷速報」

根室市から知床半島の付け根を横切る形で斜里町を経由して網走市に至る国道244号(野付国道・斜里国道)があり、中標津から網走市に向かうにはその国道244号を使うのが一般的なのですが、その国道244号には標高1,547mの斜里岳の麓にある根北峠(こんぽくとうげ)という結構な峠が標津郡標津町と斜里郡斜里町の境にあって、冬季に通行止めになることが多いということだったので、ここは敢えて南下し、弟子屈(てしかが)町に出て、摩周湖と屈斜路湖の間を通る国道243号(これも根室市から網走市に至る国道)を使うことにしました。この国道244号にも野上峠という峠があるのですが、根北峠よりは安全だろうという地元の方の判断です。

クルマは初日に訪れた開陽D.A.I TMRセンターがある開陽台の横を通り過ぎ、養老牛温泉を右手に見ながら、南下します。別海町(と言っても広いですが…)に入り国道243号(根室市から網走市に至る国道)に突き当たった弟子屈町で右折し、国道391号(釧路市から網走市に至る国道)に入り、網走を目指します。ちなみに、国道243号は弟子屈町に入ったあたりで国道391号と合流し、弟子屈町内でこの両国道はしばらく重複します。

雪の大平原といった単調な風景が続きます。ナビがなかったら、自分がいったいどのあたりを走っているのか皆目見当がつかなくなります。地元の方がハンドルを握っているので完全にお任せして、私はただただ観光ガイドのパンフレットの地図とスマホの地図アプリ(自分の現在位置が分かるので…)を見ながら、網走までの道中を楽しんでいました。

中標津のホテルを出発してから約1時間。「道の駅・摩周温泉」で小休憩です。

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ここは文字通り摩周温泉街の玄関口にあたる道の駅です。神秘の湖として有名な摩周湖と屈斜路湖という美しい2つの湖に挟まれたようなところに位置しています。

世界有数の透明度を誇るカルデラ湖・摩周湖はここから北東に約11kmのところにあります。摩周湖は約7,000年前の巨大火山噴火によって生成された窪地に水が溜まってできたカルデラ湖であり、アイヌ語では「キンタン・カムイ・トー(山の神の湖)」と呼ばれています。流入・流出河川がいっさいない閉鎖湖であり、周辺に降った雨が土壌に浸透した後、十分に濾過されて流入するため、有機物の混入が非常に少なく、生活排水の影響もないため、世界有数の透明度を誇っています(日本では、現時点で最も透明度が高い湖で、世界ではロシアのバイカル湖に次いで2番目に透明度の高い湖です)。急激に深くなっていることとその透明度から青以外の光の反射が少なく、よく晴れた日の湖面の色は「摩周ブルー」と呼ばれ、刻々として変わる湖面の変化が訪れる人々を魅了する神秘的な湖です。また、太平洋上を北上する暖かく湿った空気が北海道沿岸で急激に冷やされることで濃い霧が発生することでも知られ、冷たい霧が外輪山を越えてカルデラの中に溜まり、湖面を覆い尽くすことから「霧の摩周湖」と呼ばれています。注ぎ込む川も流れ出る川もないのに水位はいつも変わらない不思議な湖です。一度、霧で湖面が覆い尽くされた摩周湖を観てみたいものだと思います。

また、北へ12kmほど行ったところには屈斜路湖があります。屈斜路湖は藻琴山やサマッカリヌプリなどを外輪山とする東西約26km、南北約20kmの日本最大規模のカルデラである屈斜路カルデラの内側に約3万年前に形成されたカルデラ湖で、日本の湖沼では6番目の面積規模を有します。平均水深は28.4m、東南部にある旧噴火口にある最深部では117mになります。屈斜路湖の語源はアイヌ語のクッチャロ(沼の水が流れ出る口)です。冬季の2月には湖面が全面結氷し、総延長5~10kmの日本最大級となる鞍状隆起現象「御神渡り」が形成されることで知られています。また、1970年代には、謎の巨大生物“クッシー”の棲む湖として一躍話題となったのですが、酸性度が強いこの湖に大型水生生物が存在する可能性は限りなく低いとされ、今では話題にものぼらなくなりました。

さらに、道の駅から北へ15kmほど行くと、噴煙をあげた活火山があります。アトサヌプリ(別名:硫黄山)です。標高は512m。屈斜路カルデラの中に存在する活火山で、現在でも噴気活動は活発で、大規模に噴出ガスを排出し、山体のあちこちから火山ガスが噴出しています。アトサヌプリの語源はアイヌ語の「アトゥサ」(裸である)と「ヌプリ」(山)に由来します。すなわち、「裸の山」という意味です。火山から出る硫黄成分のため山麓周辺部の土壌は酸性化しており、北海道で広く見られるエゾマツやトドマツなどがまったく生育できないため、「裸の山」と呼ばれるのに相応しい山ではあります。アトサヌプリは活動度の低い「ランクC」の火山と認定されていますが、火山噴火予知連絡会によって火山防災のために監視・観測体制の充実等の必要がある火山に選定されているほか、気象庁も火山性微動や噴火に伴う空気の振動等を観測するための地震計や空振計を設置して常時監視している活火山に1つになっています。

アトサヌプリの火山観測データ(気象庁)

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道の駅の前には、観光客の記念撮影用にデッカイ雪だるまが飾られています。可愛いです。

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近くに火山噴火でできたカルデラ湖や、現在も活動している活火山があるということで、この道の駅周辺には摩周温泉や川湯温泉、コタン温泉、和琴温泉など、幾つもの温泉があります。この道の駅は「道の駅・摩周温泉」の名称の通り、摩周温泉街の玄関口にあたるところです。それを象徴するように、道の駅の前にも足湯が設置されています。私達が訪れた時には清掃中で足湯を楽しむことはできませんでしたが、横に立ってある案内看板を見ると、源泉の湯温は65℃。かなり高温の温泉です。さすがに活火山のすぐそばにある温泉です。

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弟子屈(てしかが)と言えば、大相撲の第48代横綱・大鵬幸喜さんはこの弟子屈町の出身です(出生地は樺太敷香郡敷香町で、少年時代をこの弟子屈町の川湯温泉で過ごしました)。大鵬さんは終戦直後の復興から高度経済成長期の大相撲を支え、ライバルとされた第47代横綱・柏戸剛さんと共に「柏鵬(はくほう)時代」と呼ばれる大相撲の黄金時代を築きました(余談ですが、現在活躍中の第69代横綱・白鵬関の四股名は、この両横綱の名前に由来します)。優勝32回(6連覇:2回)・45連勝など数々の大記録を残したことから「昭和の大横綱」と称され、戦後最強の横綱と呼ばれることもあります。父親がウクライナ人で母親が日本人のハーフで、現役時代は大変な美男子と評判の力士でした。

当時の子供たちの好きな物を並べた「巨人・大鵬・卵焼き」という流行語は、当時の大鵬さんの人気と知名度を象徴する有名な言葉です。大鵬さんと柏戸さんがともに横綱に昇進したのは昭和36年(1961年)のこと。私は5歳で、小学校に入学して大相撲に興味を持った頃には、横綱は大鵬さんの柏戸さんの柏鵬時代全盛期の頃でした。とにかく強かったです。弟子屈という地名は大相撲のテレビ中継で「東方、横綱大鵬、北海道川上郡弟子屈町出身、二所ノ関部屋」という館内アナウンスが流れるので、実は子供の頃から知っていました。

大鵬さんは平成25年(2013年)に72歳でお亡くなりになりました。この「道の駅・摩周温泉」にも大鵬さんの輝かしい業績を記念する特別の常設コーナーが設けられていましたが、少年時代を過ごしたここ弟子屈町の川湯温泉の温泉街には、昭和59年(1984年)に開館した大鵬相撲記念館があり、大鵬さんが実際に使用した化粧廻しや優勝トロフィーなどのゆかりの資料が展示されているのだそうです。また、大鵬さんの名勝負・名場面などの栄光の記録と生い立ちから最晩年に至るまでの歩みを綴ったドキュメンタリー映像を上映するコーナーもあり、記念館の前には、大鵬さんの銅像も建っているのだそうです。

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北海道と言えば「ばんえい競争」。「ばんえい競争」とは、競走馬がソリを曳きながら力や速さなどを争う競馬のことです。世界的にみても唯一となる形態の競馬で、現在、日本国内の公営競技(地方競馬)としては帯広市が主催する「ばんえい競馬(ばんえい十勝)」のみが行われています。公営競技ではないものの、この弟子屈町でも地元の方々の冬の楽しみの一つとして「ばんえい競争」が行われているようで、その様子を撮影した地元の方々のフォトコンテストの作品展が道の駅の建物の中で開催されていました。なかなか迫力のある写真が並んでいます。

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「道の駅・摩周温泉」で15分ほど休憩を取り、今度は北へ針路を変え、国道391号を一路オホーツク海沿岸を目指します。ほどなく国道243号が左に別れていきます。同じ網走市を目指す国道ですが、国道243号は屈斜路湖の西側を通って網走郡美幌町、女満別(大空町)を通って網走市に向かいます。いっぽう、国道391号は屈斜路湖の東側を通り、野上峠を越えて斜里郡小清水町を通り、小清水町で斜里経由でやって来た国道244号と合流します。その国道244号との合流地点にあるのがJR釧網本線の浜小清水駅で、そこでオホーツク海沿岸に出ます。その浜小清水駅のすぐ近くにある浜小清水前浜キャンプ場の展望台から流氷が見えるということですので、そこを目指すことにしているのです。すぐ近くをJR釧網本線が並行して通っている筈なのですが、車窓からは確認できません。

右手に見えるこの山(下の写真)は屈斜路カルデラの中の山なので、アトサヌプリ(別名:硫黄山)でしょうか。硫黄山という別名の通り、クルマの窓を閉め切っていても、かすかに硫黄の匂いが漂ってきます。噴出ガスは確認できません。バックの雲の白色に紛れてしまっているのかもしれません。このあたりには第48代横綱の大鵬幸喜さんが育った川湯温泉の温泉街があります。川湯温泉は町中を高温の湯が流れる温泉川の源流である湯元を中心に、20軒余りのホテル・旅館・土産物店・飲食店等が立ち並ぶ温泉街があり、温泉川から立ち昇る湯煙と硫黄の香りが漂う情緒深い温泉街として知られています。豊富な湯量と高温、釘を溶かすほどの強酸性泉であることが特徴で、全ての施設が源泉掛け流しになっています。温泉好きなら一度は訪れてみたい温泉の1つで、私も訪れてみたいのですが、今回は時間の関係でパスです。いつか是非訪れてみたいと思います。

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積雪を少し心配した野上峠もまったく問題なく通過し、順調なドライブで道の駅から走ること約1時間。目的地の浜小清水前浜キャンプ場に到着しました。キャンプ場の駐車場にクルマをおき、車外に出ると、目の前にオホーツク海が見え、沖に流氷が浮かんでいるのが見えます。これには私も運転してきてくれたオーレンス総合経営の社員さんも大興奮!遊歩道はすっかり雪に覆われていましたが、展望台に上ってみることにしました。滑らないように気をつけながら雪の遊歩道を上っていきます。

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時々目線を海のほうに移したのですが、高度が高くなるたびに見える流氷の数が増えてきます。ワクワク感が高まります。

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展望台に辿り着きました。眼下には海岸線まで着氷した流氷の様子が見えます。思わず「ワァ〜オゥ〜!」と声が漏れます。実に感動的な光景です。着氷した海岸線は知床半島のほうに向かってずっと続いています。沖にはこれから着氷するであろう流氷が無数に漂っています。この日は風もなく、海面も凪いでいるので、流氷は浮かんで止まっているようにしか見えませんが、一度風が吹くと、これが岸の方に押し寄せてくるのでしょうね。写真では確認できませんが、肉眼で見ると水平線のかなたに少し暗い陸地のようなものが見えます。地図で確認していただくとお分かりいただけるのですが、この沖合いに陸地はありません。北方領土の国後島は知床半島と根室半島の間に位置しているので、ここでは見えません。蜃気楼?、まさか……。おそらく流氷の巨大な塊なのではないでしょうか。流氷が重なり合って、高さ数メートルの小さな丘のような形を作ることがあり、これを氷丘(ひょうきゅう)と呼ぶそうなのですが、もしかするとそれかもしれません。双眼鏡があればその正体を確認できたのですが…。

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前述のように、流氷とは、水面を漂流する氷のことです。定着氷(陸に定着している氷)以外のものを指し、海水が凍って生じた海氷のほか、氷山や、川の水が凍って生じた河川氷も含まれます。オホーツク海の流氷は、ユーラシア大陸の北東部を流れ中国の黒竜江省とロシアの極東地方との間の境界ともなっているアムール川(黒龍江)が流れ込んで塩分が低くなった海水が凍り、凍る過程で塩分が排出されたものといわれています。その氷が北からの季節風に流されてオホーツク海を渡り、北海道の北東部の沿岸まで流れ着いてきたものです。

日本人にとってオホーツク海といえば北の最果ての地という印象が強いのですが、実は網走市が位置する北緯44度にはモナコやコートダジュールなどフランスの地中海沿岸の温暖な保養地が位置しています。従って、オホーツク海沿岸などの北海道周辺の海域は、世界でもっとも低緯度で流氷が見られる場所となっています。これはまさに偏西風の蛇行と、オホーツク海流(親潮)という海の寒流のなせる技ですね。

これまでテレビや写真で流氷を見たことはあるのですが、ナマで見るのは初めてのことです。添付している写真はその感動的な風景のほんの一部を切り出しただけなので、この感動を上手く伝えることはできません。

私が感動するのは当然のことなのですが、中標津からやって来たオーレンス総合経営の若い社員さんも「流氷を初めてナマで見た!」と感動していました。そうですよね。中標津は内陸にあり、オホーツク海には面していませんし、近くの知床半島の付け根にある斜里町はオホーツク海に面して流氷がやって来ると言っても、冬季通行止めになることが多い根北峠を越えてまで斜里町に流氷を観に行くなんてこと、よっぽどじゃあないとやりませんものね。中標津は根室や釧路と同じ経済圏にあって、網走とは経済圏が異なるので、それほど往き来することはありませんからね。それでも彼等は子供の頃、学校で「流氷の上には絶対に乗らないように! 気がつけばどこまでも流されていくから」と教わったそうです。しばらく3人で流氷の景色に見惚れていました。

さすがに寒くなってきたので、展望台を下りて、クルマで網走の市街地に向かうことにしました。展望台から下りる途中、ついに滑って尻餅をついてしまったのですが、雪はサラッサラのパウダースノーで、まったく平気でした。

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上の写真の右端に見えるのがJR釧網本線の線路と浜小清水駅です。JR北海道の釧網本線では、昨年(2016年)まで流氷を眺める列車として、釧網本線網走〜知床斜里間に、「流氷ノロッコ号」というトロッコ列車を運行していました。この列車は、釧網本線のオホーツク沿岸の区間で列車の車内からゆっくりと流氷を眺め、酷寒体験も行えるというもので、酷寒体験のために吹きっ晒しのトロッコ型の展望車両を設置していました。しかし、JR北海道は同社が保有するディーゼル機関車の老朽化が著しく、廃車を進めざるを得ない状況にあることに加え、冬季は除雪用にディーゼル機関車を運用する必要があることから、「流氷ノロッコ号」を運転するためのディーゼル機関車が確保できないため今年(2017年)以降の運行を断念したのだそうです。

しかし、「流氷ノロッコ号」はさすがに人気列車だったこともあってか存続を期待する声が大きく、JR北海道では今年から後継の観光列車の運行を始めました。それがキハ54形のディーゼルカーを改造した「流氷物語号」です。

JR北海道プレスリリース

経営状況の厳しいJR北海道ですから、仕方がないことだと思いますし、特別な車両(しかもトロッコ客車)を利用していた「流氷ノロッコ号」と比べると設備面ではかなりのグレードダウンになったとはいえ、何とか観光列車を継続して走らせることができたのはよかったと思います。

浜小清水前浜キャンプ場からオホーツク海に沿って網走市内に向かってクルマを走らせます。このあたりは小清水原生花園という原生花園が広がっています。原生花園とは人為的な手をいっさい加えず、自然をそのままにした状態でも色鮮やかな花が咲く湿地帯や草原地帯のことです。独特の植生が見られることで知られ、“自然のお花畑”と呼ばれています。北海道ではオホーツク海沿岸を始め、道東~道北に多く分布します。なかでも、この小清水原生花園が全国的に有名で、このほかにもサロベツ原生花園、ワッカ原生花園が有名です。

この小清水原生花園はオホーツク海と濤沸(トウフツ)湖の間に形成された細長い砂丘上の草原地帯に広がる原生花園で、エリアに約40種類の野花が原生しています。特に美しいのは6月〜8月のハマナス、エゾスカシユリ、エゾノコリンゴ等が咲く頃で、ピンク、赤、白などの花々が、普段は殺風景な草原を色とりどりに染めます。今は真冬の2月なので一面の雪に覆われて真っ白で、殺風景なので、観光客の姿も見えません。この小清水原生花園は網走国定公園の一部であり、北海道遺産に選定されています。

このあたりまで来ると、流氷は沖に漂っているのは多数見えますが、陸地まで着氷しているのはありません。

国道391号はJR釧網本線のすぐ横を並行して伸びています。途中で線路横でカメラを構えている人の姿を見かけました。“撮り鉄”と呼ばれる鉄道マニアでしょうか。冬の北海道の鉄道風景は大変に魅力的で、“撮り鉄”の皆さんには絶大な人気を誇っています。特にディーゼルカーで運行されているローカル線。寒冷地仕様で窓が小さいキハ40形やキハ54形と呼ばれるディーゼルカーが1両や2両の短い編成で真っ白な雪景色の中を線路に積もった雪をかき上げながら進んでくる様は迫力がありますからね。

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JR釧網本線もそうした魅力的な路線の1つです。“本線”を名乗っていますが、運行されている列車の本数は少なく、数時間に1本という感じなので、あの“撮り鉄”さんも数少ないシャッターチャンスを狙って、寒い中、長時間あそこで待ち受けているのだと思います。そうするうちに1両のキハ54形ディーゼルカーが私達のクルマの横を通過して行っちゃいました。こちらはクルマの中ですし、不意を突かれた感じで写真に撮影することはできず、ただただ見るだけでしたが、それでも私は満足しちゃいました(私は基本“乗り鉄”で、“撮り鉄”ではありませんから)。やっぱ、寒冷地仕様のキハ54形ディーゼルカーは北海道の厳しい冬の風景に似合います。

ちなみに、昨年(2016年)の11月18日、JR北海道は厳しい経営状況を理由に「自社単独で維持することが困難な路線」として、10路線13区間を発表しました。釧網本線も『自社単独では老朽土木構造物の更新を含め「安全な鉄道サービス」を持続的に維持するための費用を確保できない線区』とされ、今後は経費節減や運賃値上げ、利用促進策、上下分離方式への転換などを軸に沿線自治体と協議する予定であるということのようです。この鉄道風景が見られるのも何年先までのことでしょうか。

「道の駅・流氷街道網走」です。ここは、流氷観光砕氷船「おーろら号」の発着ターミナルと道の駅、みなとオアシスを兼ねた施設になっています。

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網走流氷観光砕氷船 おーろら 公式ホームページ

流氷観光砕氷船としては網走市からもう少し北に行った紋別市の「ガリンコ号」が有名ですが、ここ網走市からも「おーろら号」が出ています。「ガリンコ号」が「アルキメディアン・スクリュー」と呼ばれる螺旋型のドリルを船体前部に装備していて、それを回転させ氷に乗り上げ、船体重量を加えて氷を割ることで流氷域の航行ができるのに対して、「おーろら号」は流氷の上に乗り上げ、自重でもって流氷を割りながら進むという特徴を持っています。なので、船首下部が流氷の上に乗り上げやすいような構造になっています。

紋別市の「ガリンコ号」より大型の船で、この日も中国や韓国からの満員の観光客を乗せて出航していきました。上部の甲板にも多くの乗客が乗っています。皆さん、冬装備のようですが、それでも沖合いは風が強そうなので大丈夫でしょうか。メチャメチャ寒そうです。流氷観光砕氷船の航海時間は1時間。乗ってみたかったのですが、飛行機の時間があるので、諦めました。まぁ〜、この発着ターミナルから見る限り、流氷の姿は確認できませんので、流氷が見られるとしても相当沖に出なくてはならず、見られる時間も限られると思われますからね。

ちなみに、現在、網走市の流氷観光砕氷船は「おーろら」と「おーろらII」の2隻が就航しています。この2隻とも1月中旬〜3月の間は網走市で網走流氷観光砕氷船として運航されるのですが、4月下旬〜10月の間は斜里郡斜里町で知床観光船として運航されるのだそうです。そちらのほうが魅力的かな。

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流氷といえば、もうひとつ忘れてはいけないのがクリオネです。羽根を広げたような姿をしており、スースーと優雅に泳ぐ様は、神秘的で可愛くそれでいて上品です。冬のオホーツク海のマスコット的存在になっていて、「流氷の天使」または「流氷の妖精」と呼ばれています。流氷には植物プランクトンが付着していて、これを餌にする動物性プランクトンも多く棲息しています。それらプランクトンを捕食する生物の1つがクリオネ(ハダカカメガイ)なのです。このクリオネ、ハダカカメガイという学術名の通り、ああ見えて実は巻貝の仲間で、子供の頃は貝殻を付けているのですが、成長すると完全に貝殻を失います。私は東京池袋のサンシャイン水族館で見たことがあります。この網走でも見られるのかな…と思ったのですが、残念ながら「道の駅・流氷街道網走」には生きたクリオネは展示されていませんでした。代わりにこれで我慢です。クリオネも棲息するということは、今度はそのクリオネを狙って大型の魚もやって来るということで、その食物連鎖がオホーツク海を豊かな漁場にしているのですね。親潮って言葉の意味がよく分かります。

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JR網走駅です。基本“乗り鉄”の私ですので、ついつい興味が惹かれます。網走駅には石北本線(新旭川駅〜網走駅間)と釧網本線(網走駅〜東釧路駅間)の2つの路線が乗り入れ、両方の路線とも本駅が終点になっています。かつては上記2路線に加え湧網線(中湧別駅〜網走駅間)も分岐していましたが、昭和62年(1987年)に廃止されました。網走駅が開業したのは大正元年(1912年)のことで、以来、稚内駅とともに最果ての終着駅の1つとして栄えました。しかし、近くに女満別空港ができ、道路網が整備されてくると、鉄道の利用者は年々減り続け、今やローカル駅のような寂しい状況になってしまっています。

札幌駅から函館本線・宗谷本線・石北本線経由でこの網走駅まで374.5kmをキハ183系ディーゼルカーを使って運行する特急オホーツク(1日4往復)があるのですが、その所要時間は約5時間30分。そりゃあ航空機利用にはかないませんよね。でも、札幌駅でこの特急オホーツクを見かけるたびに、一度、これで札幌駅〜網走駅間を乗破してみたいと“乗り鉄”としては思っています。

実は今回訪問した中標津町や別海町にも、昔、国鉄(JR)の鉄道路線がありました。川上郡標茶町の標茶駅で釧網本線から分岐し、標津郡標津町の根室標津駅に至る本線と、途中の標津郡中標津町の中標津駅でその本線から分岐し、根室市の厚床駅で根室本線に接続する支線の2線からなる標津線がそうでした。元々は根釧原野の森林資源並びに鉱物資源の開発を目的として建設された鉄道路線で、過去には釧路からの急行列車の乗り入れもあるくらい利用客も多い路線でしたが、沿線の過疎化が急激に進み、1965年頃をピークに利用客と貨物取扱高が減少に転じ、JR北海道に承継後の平成元年(1989年)4月に全線が廃止されてしまいました。中標津駅の跡地は、現在、中標津町交通センターというバスセンターに生まれ変わっています。

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……(その7)に続きます。

執筆者

株式会社ハレックス代表取締役社長 越智正昭

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