2017/03/13

中山道六十九次・街道歩き【第9回: 本庄→新町】(その3)

歴史民俗資料館の1階には、縄文時代から弥生時代にかけての土器をはじめ、本庄市内や本庄市周辺地域に幾つもある古墳から出土した出土品や埴輪等、古代から中世にかけての資料を展示しています。

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埼玉県内最大規模の集落群が営まれた児玉町の児玉工業団地周辺にある縄文時代中期の「新宮遺跡」から出土した縄文土器です。

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「小島前の山古墳」から出土した盾持人物埴輪(6世紀末頃)です。全国でも出土例が少ない笑う人物埴輪で、左から2体目が本庄市マスコット「はにぽん」のモデルとなった埴輪です。本庄市指定文化財になっています。

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靫(ゆぎ)形埴輪です。靫は矢を入れて背負う道具のことです。埼玉県内でも確認例が数少ない埴輪窯跡である「宥勝寺裏埴輪窯跡」(埼玉県指定史跡)から出土しました。6世紀末頃のものだとされています。

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2階には近世〜近代にかけての資料等を展示し、中山道本庄宿の繁栄と、繭と絹の町への変貌と発展についての展示をしています。

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田村本陣の休泊帳も展示されています。寛永19年(1642年)から文久3年(1863年)までの221年間に、本庄宿の田村本陣に休泊した大名や役人等の記録が28冊の休泊帳として残されています。展示されているページには、文久元年(1861年)に皇女和宮が将軍家茂に降嫁した時の宿泊記録が記載されています。

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東諸井家に関する展示です。

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おやおやぁ〜、「幻の本庄遷都論」という展示もあります。

明治維新で日本の首都は江戸に置かれ、東京となったのですが、歴史から忘れ去られたもう一つの遷都候補地が提唱されていました。それがここ本庄でした。提唱したのは元佐賀藩士で元老院議員であった佐野常民。佐野常民は後松方内閣で農商務大臣を務め、日本赤十字社の創立者でもある明治政府の要人でした。佐野常民は2度にわたるヨーロッパ視察の経験から、明治11年に独自の遷都意見書を取りまとめ、元老院に提出しようとした形跡が残されています。

それによりますと、東京は箱根、碓氷峠を背後にして守りは堅いが、江戸湾から艦砲射撃を受けるとあまりにも脆い。東京は低湿地で伝染病が蔓延しやすい。消費都市として発達したため風俗が浮薄である。従って新首都は日本の中心である上州、武州に求めるべきであるが、前橋は水利がよくなく、高崎は山が迫り、冬が寒い。一方、本庄は相当の陸地の幅があり、武州、関東の中心にある。本庄は土地が高く眺望に優れ、冬もさほど寒くない。利根川の水運に恵まれ、飲料水も豊富であることなどを理由に、本庄こそが新首都として相応しい…と述べています。残念ながらこの佐野常民による遷都意見書は審議されるに至らず、本庄遷都は幻に終わってしまったのですが、当時の本庄がいかに繁栄していて住みやすく、魅力的な町であったかが窺える話ではないかと思います。

当時の本庄宿の様子を撮影した貴重な写真も掲載されています。

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理系の私にとって好奇心をくすぐられる興味深いポスターが展示されています。『松根油増産奨励ポスター』ですか…。ポスターには「松の根から重油とガソリン」という文字が書かれています。今年88歳になる母から、大東亜戦争中の逸話として、松ヤニなどを集め、航空機を飛ばすための燃料にしようとしていたという話を聞いたことがあります。その話を聞いた時、松ヤニで飛行機が飛ぶのか…と思ったものですが、本当だったのですね。このポスターは松の木の根を掘り起こして、松の木の油(松根油)の成分を取る運動を呼びかけたものです。ポスターには、陸軍省、海軍省、農商省、全国農業経済界とあり、実際に全国で展開されたもののようです。まさに、当時、国家総動員で松根油の増産に取り組んでいたことが判ります。

松根油(しょうこんゆ)は、マツ(松の木)の切り株を乾溜することで得られる油状液体です。調べてみると、昭和19年(1944年)7月、ドイツではマツの木から得た航空ガソリンを使って戦闘機を飛ばしている…という断片的な情報が日本海軍に伝わりました。日本でも東シナ海の制海権を連合国軍に奪われ、南方からの原油輸送が困難な状況に陥ってしまって、燃料事情が極度に逼迫していたため、国内で同様の燃料を製造することが検討されました。当初はマツの枝や材木を材料にすることが考えられたのですが、日本には松根油製造という既存技術があることが林業試験場から軍に伝えられ、松根油を原料に航空燃料用揮発油(ガソリン)を製造することとなったようです。実際、戦前には専門の松根油製造業者も存在し、松根油は塗料の原料や選鉱剤などに利用されていたようです。

国家総動員での取り組みだったにもかかわらず、松根油から航空機を飛ばせるほどのオクタン価の高い航空ガソリンを精製するためには非常に労力がかかり、収率も悪いため、残念ながら終戦までに実用化には至らなかったようです。ちなみに、この『松根油増産奨励ポスター』に描かれている航空機は、群馬県太田市にあった中島飛行機で開発・製造されていた日本陸軍の一〇〇式重爆撃機「呑龍」のようです。

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『暴力の街』は物資統制下・占領下の本庄市で実際に起きた「本庄事件」の実話をもとに、実話の舞台となった本庄市(当時は本庄町)の住民も協力して製作された昭和25年(1950年)公開の映画です。原作は朝日新聞浦和支局が発行した『ペン偽らず 本庄事件』。「本庄事件」とは、昭和23年(1948年)に埼玉県本庄町(現在の本庄市)で起きた朝日新聞通信部記者に対する暴力事件(脅迫罪・侮辱罪で告訴)とそれに端を発した朝日新聞と住民による暴力団追放キャンペーン、暴力団と癒着する行政の是正運動のことです。この映画の主演は往年の名俳優・池部良さん。展示されているビデオのパッケージにはデビューまもない女優の三條美紀さんの姿も写っています。

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実に興味深い展示物の数々で、もっとじっくりと時間をかけて見たかったのですが、わずか20分間ほどの滞在時間ではホント駆け足のような見学になってしまいました。団体行動なので仕方ありません。本庄市は初めて訪れたのですが、実に私の好奇心を擽る素晴らしいところでした。同じ埼玉県なので、是非一度ゆっくりと時間をかけて訪れてみたいと思っています。

後ろ髪をひかれる思いで本庄市歴史民俗資料館を後にして、中山道街道歩きを続けます。本庄市歴史民俗資料館の奥に安養院という創建文明7年(1475年)の曹洞宗の立派な寺院があり、その屋根が見えるのですが、今回は時間の都合でパスです。この安養院、武蔵七党の1つ児玉党の頭・本庄信明の弟の藤太郎が仏門に帰依し開基したと伝えられている寺院です。

本庄市歴史民俗資料館からほどなく赤煉瓦(レンガ)造りの立派な建物が見えます。明治27年(1894年)創立の本庄商業銀行の建物で、保存状態がよく、国の登録有形文化財に指定されています。かつては銀行が担保に取った繭や生糸などを保管する倉庫だったそうなのですが、ローヤル洋菓子店となり、今は本庄市の所有になっています。しかしながら、古い建物なので耐震性に問題があり、本庄市の所有になったことと併せて、今年3月末の完了を目指して、現在、耐震工事が進んでいます。

歴史的な建造物だけに、この耐震工事、その外観を当時のまま残すために画期的な手法で行われています。大まかに言えば、煉瓦造りの建物の内部にもう1つの構造物を作ってしまうという手法です。地震が発生して、たとえ外側の煉瓦造りの建物が崩壊したとしても、内部の構造物はそのまま残るというわけです。工事完了後の活用方法はいまだ未定ということのようですが、中山道本庄宿の観光の目玉となる建造物だけに、大事に保存したいという本庄市の意気込みが感じられます。素晴らしい。

先月までは工事の足場と養生の幕で覆われて、煉瓦造りの建物の姿が見えなかったそうなのですが、年が明けて、その足場と養生幕が取り外され、運よくその姿を目にすることができました。歴史を感じさせる実に味わい深い建物です。

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旧中山道沿いには古く白い漆喰の蔵が目立ちます。さすがに商人の町・本庄です。

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「天明の飢饉蔵」です。本庄の豪商・戸谷半兵衛が天明の大飢饉の時に庶民生活の救済処置として建てさせた土蔵です。ちなみに、天明の大飢饉とは、天明2年(1782年)から天明8年(1788年)にかけて発生した近世最大の大飢饉で、江戸四大飢饉の1つです。岩木山と浅間山の火山噴火により噴出された大量の火山灰が日射量の低下を招いたことで冷害をもたらし、直接的に飢饉の最大の理由になったとされています。

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レトロな感じの病院です。「中澤醫院」という表示があります。今も開業中の病院なのでしょうか…。

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「本庄・宮本 蔵の街」です。ここは元々は明治43年(1910年)から酒卸売業を営む「小森商店」があったところなのですが、小森商店は平成21年(2009年)に閉店となりました。しかしながら、歴史的に貴重な蔵造りの建築物群があり、保存目的として残される事になったようです。写真手前に見える白い建物が「二の蔵」で、元々は醤油や味噌等の保管蔵だったのだそうです。現在はカフェ「cafe NINOKURA」になっていて、本庄市歴史民俗資料館の前で説明していただいた観光ボランティアガイドさんの奥様がこのカフェの切り盛りをなさっているのだそうです。奥に見える煉瓦造りの蔵が「三の蔵」です。大正10年(1921年)に完成した建物で、現在は「本庄赤煉瓦ホール」としてミニコンサートや美術展、サークル等の会議やパーティーなどで利用されているのだそうです。

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中山道沿いに面して建つ建物が「一の蔵」です。この「一の蔵」の内部も見学ができるのですが、残念ながら時間の都合でパス。前述の本庄市歴史民俗資料館とあわせて、是非一度じっくりと時間をかけて見学に来たいと思っています。

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……(その4)に続きます。

執筆者

株式会社ハレックス代表取締役社長 越智正昭

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