2017/03/27

中山道六十九次・街道歩き【第9回: 本庄→新町】(その9)

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新町宿に入りました。新町宿は中山道上野国7宿の東口にあたり、中山道で最も遅く成立した、すなわち、最も歴史の浅い宿場です。江戸時代初期までの中山道(元の東山道)は新町宿を通らず、本庄宿を出ると金久保村(現在の埼玉県児玉郡上里町金久保)の陽雲寺の手前で右折して北に進路をとり、利根川の支流である烏川の北岸にある玉村(現・群馬県佐波郡玉村町)を経由して倉賀野宿に至るルートを通っていました。その後、中山道を整備するにあたり、この北へ大きく迂回するルートではなく、距離を短くするために神流川を渡ってほぼ直線で倉賀野宿に至る短絡ルートを作って、そちらに中山道のルートを変えようという整備計画が持ち上がりました。その整備計画の中で、神流川の渡しを控えてその近隣に宿場がないと不便だということで慶安4年(1651年)に落合村、また承応2年(1653年)に笛木村と烏川南岸の村に伝馬役が命ぜられ、承応3年(1654年)に現在の新町宿を通るルートに変更されると、新町宿の前身となる落合村と笛木村に宿場町の形ができはじめ、落合新町と笛木新町と呼ばれるようになりました。そして享保9年(1724年)にこの両町を合併させ、新町宿として中山道の正式な宿場になったわけです。中山道の宿駅制度が制定されてから、実に123年後のことです。ちなみに、この新町宿を通る短絡ルートは、加賀藩前田家が開拓したと言われています。

新町宿は江戸日本橋から11番目の宿場で、天保14年(1843年)の記録によると人口1,437人、家数407軒、本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠43軒、問屋4軒と、中山道では中堅に位置するような規模の宿場でした。現在の新町は、平成の大合併により、平成18年(2006年)に群馬郡群馬町・箕郷町・倉渕村と共に高崎市に編入されたのですが、藤岡市と玉村町に阻まれ高崎市の飛び地のような状態になっています。

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新町宿に入るとすぐ右手には小さな土蔵造りの八坂神社があり、赤鳥居が見えます。傍らに立つ松尾芭蕉の句碑は天保年間(1830年~1843年)に建立されたもので、『からかさに おしわけ見たる 柳かな』と刻まれています。昔、このあたりに茶屋があり、その傍らに柳の大木があったことから柳茶屋と呼ばれていました。松尾芭蕉がこの茶店に立ち寄って詠んだ句なのかどうかははっきりしません。どうも、松尾芭蕉のことをこよなく愛する新町宿在住の俳人が柳にちなむ芭蕉の句を選び、天保10年(1725年)頃にこの句碑を建てたのだそうです。

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ここからしばらく中山道を行くと、右側に諏訪神社があります。新町宿の街並みを歩くと、「諏訪神社」の文字の入った赤い初詣の幟がズラァ~っと並んではためいているので、この新町宿の総鎮守社だと思われます。総鎮守社に相応しいさぞや立派な神社があるのかな…と思っていたのですが、うっかり見過ごして通り過ぎてしまったようです。添乗員さんに聞くと、「さきほど通り過ぎましたよ。さほど大きくない神社でした」とのこと。先ほどから天気が気になって、西(進行方向左側)の空ばかりを眺めていたので、うっかりして通り過ぎちゃったのでしょう。現在、時刻は14時50分。先ほど弊社のオリジナル気象情報サービス「HalexDream!」で確認したところ、この新町あたりでは15時10分過ぎから0.5ミリ/時程度の弱い雨が降り出すという予報になっていましたから。

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専福寺の前を通り過ぎ、ここは浄泉寺です。この寺院は天正2年(1574年)の開山で、境内には樹齢400年、樹高25mの大銀杏(イチョウ)がどっしりと腰を据えて立っています。街道からも葉をすっかり落とした銀杏の大木の姿が見えます。

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しばらく中山道に沿って新町宿の中を歩きます。右手の個人宅の敷地内に高札場跡の碑が建っています。ここまでが笛木新宿、そしてこの先が落合新宿となります。前述のようにこの笛木新町宿と落合新町宿が合わさって新町宿ってことなんですね。道路も群馬県道178号中島新町線に変わります。

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そこから少し先の右手に、行在所公園という名の公園があり、公園の奥に「明治天皇新町行在所」の石柱があります。説明によれば、明治天皇が明治11年に北陸東海地域の御巡幸(視察)を行われた際、新町のこの場所に宿泊されたのだそうです。当時は木造瓦葺平屋建ての本屋と付属家の2棟で、旧中山道に面して正門を設け、周囲は高さ9尺の総板塀で囲い、庭には数株の若松を植えてあったと説明版に書かれています。

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この行在所公園において、地元の観光ボランティアガイドさんから新町宿の説明を受けました。

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行在所公園の隣に延びる路地のような道の先、右側に稲荷神社の赤い旗竿が、はたはたとはためいているのが見えます。そこが「於菊稲荷」です。説明板には、新町宿で評判の飯盛り女の「於菊」が動けなくなってしまった。「於菊」は日頃からお稲荷さんを信仰していたので、小屋を建てて養生させたところ元気になった……との言い伝えが書かれています。時間の都合で、行在所公園のあたりから眺めるだけで、「於菊稲荷」の参拝は今回パスしました。

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時刻は15時ちょうど。空を見上げると黒い雲が西から迫ってきています。「HalexDream!」で降雨レーダーのデータを確認すると、0.5ミリ/時の降水強度の雨域がすぐそこまで迫ってきています。NHKニュース&スポーツの『降りはじメール』でも14時45分に登録してあるさいたま市中央区で15時10分頃から0.5ミリ/時以上の雨が降り出すという降水予測メールが届いていました。朝方、弊社のオリジナル気象情報サービス「HalexDream!」で確認したところ、新町宿あたりで雨が降り出すのは15時前後という予報になっていましたので、ドンピシャで予報は的中しました。

ここまでなんとか天気はもちましたが、ついに本州のすぐ南の海上を急速に発達しながら東に進んできた低気圧の影響が出始めたようです。新町宿あたりもさいたま市中央区と同じ15時10分頃から雨が降り出すようですが、降り始めから1時間ほどは0.5ミリ/時程度の極々弱い雨の模様です。本降りといわれる5ミリ/時以上の雨に変わるのは16時30分過ぎ頃。この新町宿の行在所公園からこの日の目的地である柳瀬川の渡し跡までは約1時間ということなので、なんとか本降りの雨に変わる前にこの日の行程を歩き終えそうです。全員、ここで雨合羽を着用して街道歩きに戻りました。

行在所公園を出て、新町駅交差点のすぐ先のところに、旅籠「高瀬屋」跡の碑が建っています。説明書きを読むと、俳人・小林一茶が文化7年5月11日に宿泊した旅籠だそうで、烏川の増水による川留めで逗留していると、夜更けに突然起こされ、川渡りの助けのための灯籠を立てるためと石灯籠の寄進を強要され、幾度と断わったが、ついに根負けして、渋々12文を寄付したという話が残ると書かれています。強要とはちょっと言葉が悪いかもしれませんが、神流川の渡しの常夜灯の設置は新町宿の宿場あげての一大建設事業だったわけで、費用集めも大変だったということなのでしょうね。本庄宿側との競争の意味合いもあったのかな…と推察します。本庄宿側は地場の豪商・戸谷半兵衛からの大金の寄進もあったようで、それに対して新町宿側は町衆をあげての事業だったようですからね。

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古典落語(江戸落語)に『時蕎麦』という有名な演目があります。そこに次のようなくだりがあります。

「実は脇でまずい蕎麦を食っちゃった。おまえのを口直しにやったんだ。一杯で勘弁しねえ。いくらだい?」
「へい、十六文で」
「小銭は間違えるといけねえ。手ェ出しねえ。それ、一つ二つ三つ四つ五つ六つ七つ八つ…、今、何どきだい?」
「九ツで」
「とお、十一、十二……」
すーっと行ってしまいました。

江戸時代の夜泣き蕎麦は1杯16文と相場が決まっていて、今でも言われる「二八蕎麦」は蕎麦粉とつなぎ(小麦粉)の割合からきたという説に加えて、2×8の16からきたという説もあります。小林一茶が渋々支払ったという12文は、夜泣き蕎麦1杯の値段の16文よりも安いわけで、今の時代の立ち食い蕎麦の値段と比較して考えると300円前後のものでしょうか。小林一茶ともあろう有名人が夜泣き蕎麦1杯の値段よりも安い僅か12文(今の貨幣価値で約300円ほど)の寄付を出すのにさんざん渋ったというわけです。これを知ると、この逸話、小林一茶という有名俳人の人間性に関して、まったく趣きの違った解釈が出てくるように思います。すなわち、相当のケチだったようです(笑)

ちなみに、旅籠「高瀬屋」の跡は、今は駐車場になってしまっています。

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その高瀬屋跡からしばらく歩くと右手に久保本陣、その向かい側に小林本陣があったというところに来ます。残念ながら久保本陣の方には何も残っていませんが、左側の小林本陣の方には「小林本陣跡」と刻まれた小さな棒状の標柱が立っています。脇本陣の1軒あったといわれていますが、そこには今は何も残っていません

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その小林本陣の跡を出ると新町宿は終わりです。


……(その10)に続きます。

執筆者

株式会社ハレックス代表取締役社長 越智正昭

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越智正昭

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