2017/06/12

全国の越智さん大集合!(その2)

伊藤博文公の石碑も大濱八幡大神社に立っています。伊藤博文公の功績については、ここで私が申し上げるまでもありません。伊藤博文公は尊皇攘夷・討幕・啓蒙革新の時代に生まれ、松下村塾に学び、夙に開国論を主唱し明治維新の偉業に身を投じました。明治維新後は、明治天皇の厚い御信任の下、アジアで最初の立憲君主制の憲法を起草。初代内閣総理大臣にもなられるなど、その功績は枚挙にいとまがありません。伊藤博文公の石碑には「この地に公の像を建つるは、越智氏族神裔の方々の誇りと、公の偉業を後世に知らしむためなり」という碑文が刻まれています。

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初代内閣総理大臣の伊藤博文公が越智氏?…と疑問に思われる方も多いと思います。ここで、「氏」と「姓」と「苗字(名字)」について少し解説しておきたいと思います。

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「氏」も「姓」も「苗字(名字)」も現在では同じようにそれぞれの家を表す名称の意味で用いられていますが、実はその成り立ちはまったく違うものでした。古代以前の日本の原始共同体においては、先祖を同じくする血縁集団が社会の単位でした。その血縁集団の名称が「氏(うじ)」です。大和朝廷成立後、天皇家が中心となって5世紀から6世紀にかけて作り上げた身分支配の仕組みが「氏姓制度」です。氏姓制度ではそれぞれの血縁集団に対して「氏(うじ)」という名称が付けられ、さらに、それぞれの氏を持つ血縁集団(これが“氏族”です)に対して、天皇から与えられた政治的地位を表す呼称が与えられました。それが「姓(かばね)」です。越智氏に与えられた代表的な姓(かばね)は宿禰(すくね)と物部(もののべ)。宿禰は武人や行政官を表す称号として用いられていた姓(かばね)、物部は元々は兵器の製造・管理を主に管掌していた氏族に与えられた姓(かばね)でした。姓(かばね)は天皇から与えられた政治的地位を表す呼称ということですので、越智氏族は工業生産力を有する戦闘集団だったということのようです。その後、越智氏族がこのあたりの芸予諸島を根城に“水軍”として活躍するのも、この姓(かばね)を天皇から与えられていたからなのだろうと推察できます。また、国造(くにのみやつこ)のような大和朝廷の地方行政官を表す直(あたい)の姓(かばね)を有する者もいたようです。

氏と姓は、古代日本においてはほぼ一体のものでした。たとえば、『万葉集』を編纂したといわれる「大伴家持」は現代の教科書には「大伴家持」と書かれていますが、『万葉集』をみると、すべて「大伴宿禰家持」と書かれています。このうち大伴(おおとも)が氏、宿禰(すくね)が大伴氏に天皇から与えられた姓です。氏は様々な姓を天皇から与えられて、大和朝廷に奉仕しました。その代わり、それぞれの氏(血縁集団)に、その本拠地における地域支配権を天皇から公認してもらっていました。これが国造(くにのみやつこ)です。ですから、氏姓をもらったグループは血縁集団であると同時に、一種の政治集団、豪族集団でもありました。

ところが、氏の数も姓の数もあまり多いものではなく、人口が増え続けていけば、世の中は同じ氏姓の者だらけになり、個々人の区別が難しくなります。そこで、主として武家はその本拠地の地名を取って名字(みょうじ)や苗字(みょうじ)とし、公家の場合は都における自身の邸宅のある地名や、一族の精神的な紐帯となっている寺院のある地名をとって家名(かめい)としたのです。こうした名字や家名はあくまでも私的なもので、武家や公家は特別にこの私称が許されました。このように「氏・姓」と「名字」は本質的に違うということです。たとえば、室町幕府を興した「足利尊氏」ですが、足利とは本拠地の地名からとった私称の名字。公式な名称は「源朝臣尊氏」です。このうち“源(みなもと)”は氏、“朝臣(あそん)”は姓というわけです。

これが、明治時代になって四民平等の世の中となり、国民全員が「姓(せい)」を持つことになりました。この場合の姓(せい)は同じ漢字ではありますが、姓(かばね)とは本質的には違うものです。この時、もともと武士だった人達は、基本的に、自身のそれまでの名字を姓(せい)にしました。ややこしいのは、この時、そうした名字ではなく、自らの属する血縁集団を表す“氏”の名称に戻して姓(せい)とした人達がかなりの数いたということです。自らが属する血縁集団に誇りを持っていた人ほど、その傾向は強かったと思われます。そして、この「姓(せい)」を、それまでの習慣から、「名字」とも呼んだのです。こうして、現代に繋がる苗字・名字・姓(せい)・姓(かばね)・氏(うじ)がごちゃ混ぜに混合したことによる大混乱が始まったというわけです。なお、江戸時代、武士以外の農民や商人、職人などの庶民に名字はなかったというのは誤りで、公称できなかっただけのことです。武士や公家以外の人達の多くは、それぞれの家に伝わる氏姓を必ず持っていました。

で、「越智」はその中の“氏”、すなわち先祖を同じくする血縁集団の名称というわけです。従って、ここ今治市の大濱八幡大神社は小市国造(おちのくにのみやつこ)だった乎致命(おちのみこと)を先祖に持つ“越智氏族”の発祥の地というわけです。

初代内閣総理大臣の伊藤博文公も血縁集団としては、越智氏族で、明治維新前の武士の正式呼称でいえば「越智◯◯博文」。私称としての名字が伊藤ということだったのでしょう。調べてみると、実際、博文は産まれた時の名字は林、その後、水井家、さらにその水井家が伊藤家に家族で養子に入ったので、伊藤姓に改名しています。武士は家名存続のため、養子縁組が頻繁に行われ、家名が必ずしも氏姓を表すものではなくなっていたため、自らの出自を表す氏姓はことさら大事なものとされていたと思われます。このあたり、現代人の感覚で捉えたのではいけないようです。

また、氏(うじ)と同じようにそれぞれの氏族がその独自性を示す固有の目印的な紋章として生まれたのが家紋。そして越智氏族の代表的な家紋が「折敷に三文字」です。折敷とは三方のこと。三方とは神樣に食物などを供える白木の台のことで、三方に孔が空いていることからそのように呼ばれるようになったといわれています。三方を上から見ると、四角または八角形をしています。大昔は木の皮などを単に折り敷いただけで台はなかったようです。折敷は神社に多く供したことから、折敷の形が間接的に神を表すようにもなったようです。このことから神紋として用いられるようになり、それが、やがて神官・神社の氏子、さらに神社の信仰者などが家紋として用い出したと考えられています。

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折敷紋を用いる神社として最も代表的な神社が、2日目に訪れる大三島に鎮座するこの大山祇神社で、その大山祇神社の神紋が「折敷に三文字」紋です。大山祇神社は大三島神社とも呼ばれ、全国にある三島社の宗社で、各地の三島社も「折敷に三文字」を神紋としています。ちなみに、折敷の中の「三」文字は大三島神社の三の字を表記したものと言われています。また、三島とは御島、美島のことであり、神が降臨するのに相応しい島という意味で付けられた名称ということのようです。大山祇神社(大三島神社)は古くから瀬戸内海を往来する舟主に崇められ、後には瀬戸内の水軍の尊敬も集めました。

古代、小市国(おちのくに)の国造であった越智氏は大三島の大山祇神社を氏神として尊び、その神紋を家(越智氏族)の紋章として用いました。そして、河野氏をはじめ戦国期に活躍した稲葉氏、来留島氏、一柳氏など越智氏族から分かれた一族の多くも、この大山祇神社の神紋である「折敷に三文字」紋を家紋とて使用しました。また、一遍上人が開祖の時宗の寺院では「折敷に三文字」を寺紋としています。これは、一遍上人が河野氏(越智氏族)の出自であることに因んだもののようです。

「折敷に三文字」紋にも、微妙に異なる幾つかの意匠のものがあります。これは本流・傍流を区別するための工夫のようで、折敷にも基本形である八角形のもののほかに真四角のものがあったり、三文字も筆字、角字、揺れ、縮みなど幾つかのバリエーションがあります。本家本元である大三島の大山祇神社が神紋として用いているのが「折敷に揺れ三文字」で、我が家を含め越智氏族の多くがこの「折敷に揺れ三文字」を家紋として用いています。現在Jリーグ昇格を目指してJFLで頑張っている今治市を本拠地とするサッカーチームFC今治がチームエンブレムに用いているのが、「折敷に縮み三文字」。さすがに大山祇神社の神紋そのものは畏れ多いと思われたのかもしれません。

このように、「折敷に三文字」紋を家紋として用いている家は、越智氏族と何らかの縁りがあるとみて間違いないと思います。

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伊藤博文公の石碑を観た後、大濱八幡大神社の本殿に参拝。さすがに創建約1400年、今治の総鎮守です。越智一族ということで、特別に内部も観させていただきましたが、古い歴史を感じる相当に立派な神社です。



……(その3)に続きます。

執筆者

株式会社ハレックス代表取締役社長 越智正昭

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越智正昭

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