2017/06/14

全国の越智さん大集合!(その3)

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本殿参拝の後は社務所に移動して、越智氏族の略系図を用いて、越智氏族の歴史について大濱八幡大神社の宮司さんから説明を受けました。約1700年(大濱八幡大神社神裔氏族誌による)と言われる越智氏族からは河野や矢野、立花、土居、村上、久留島、伊藤など約200の氏族が分派しています。これだけ長い歴史を持つ氏族でありながら、越智氏として歴史上表舞台で活躍した人物がほとんど出ていないという極めて謎の多い氏族ではありますが、分派した氏の一族からは村上や河野といった歴史上有名な武家も出ています。初代内閣総理大臣の伊藤博文公が越智氏族だと表明しているというのは前述のとおりですが、そのほかにも江戸幕府第3代将軍・徳川家光の乳母であった春日局(春日局の父は美濃国の守護代の一族で明智光秀の重臣であった斎藤利三、母は稲葉良通の娘。齋藤氏も稲葉氏も越智氏族から分流した一族)、時宗を開祖した鎌倉時代中期の僧侶・一遍上人(一遍上人は越智氏族の分流の河野氏の出)、明治時代を代表する文学者の一人で俳人の正岡子規(正岡氏も越智氏族の分流)も越智氏族であると自ら表明しています。さらには、後醍醐天皇を奉じて鎌倉幕府打倒に貢献し、建武の新政の立役者となった楠木正成。楠木正成は伊予橘氏の後裔とされていて、この伊予橘氏も越智氏族の分流です。このように、越智氏族には越智は名のっていなくとも、歴史上有名な意外な方々のお名前が並びます。

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それまで小市や小千、乎致という漢字があてられていた「おち」に「越智」という漢字が充てられるようになったのは前述の「氏姓制度」が導入された文武天皇(第42代天皇:在位西暦697年~707年)の時代。乎致命から数えて20代後の玉興が「越智玉興」と称して伊予大領(伊予国の領主)となったのが記録として残る最初だと言われているようなのですが、なぜ「おち」に「越智」という漢字が充てられたかについては諸説あり、明確な答えは見つかっていないようです。ちなみに、越智玉興の子の越智玉澄が伊予国温泉郡(風早郡)河野郷に住んで河野氏の祖になったとされています。また、越智玉興の父は西暦663年に起こった日本古代史上最大の対外戦争と言われる「白村江の戦い」の時、伊予水軍を率いて水軍大将として出陣し、手痛い敗戦を喫した後、新羅の捕虜になり、39年間もの長い間新羅(朝鮮半島)に抑留された後に脱走して、この地に帰還したとされる小千(越智)守興です。

まるっきり余談ですが、昭和61年(1986年)に旧越智郡朝倉村(現在の今治市朝倉)が刊行した『朝倉村誌』によると、小千(越智)守興は39年の長きに渡る新羅での抑留生活を終えて、大宝2年(西暦702年)に無事に現在の今治市朝倉の地に帰還できたのですが、39年ぶりに帰還してみると、天武13年(西暦684年)に発生した大地震(白鳳大地震)により小谷(現在の今治市古谷・旧朝倉村)にあったであろう屋敷は倒壊していて、息子の越智玉興がこれを捨て、当時、既にこのあたりの文化の中心地になっていた桜井郷に近く、国府に近接する拝志郷上神宮(現在の今治市拝志)に居館を新築して、そこに転居していた…というような記述があります。また、今治市玉川町の朝倉と隣接するあたりにある四国霊場第58番札所の作礼山千光院 仙遊寺は、天智天皇の勅願により、小千(越智)守興が建立したとされています。天智天皇と小千(越智)守興は、共に白村江の戦いを戦った上司・部下の関係ですからねぇ~(^^)d

ちなみに、小千(越智)守興が白村江の戦いの後、捕虜として抑留されていたのは約3年間に過ぎなかったとか、抑留されていた場所は朝鮮半島の新羅ではなく唐であったとか、さらには抑留中に現地の女性と子供をもうけていた…といった説もあるようですが、なにせ1300年以上も前のことなので、なにが真実なのかは分かりません。

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(その1)で現在苗字として越智を名乗っている人の数は全国で約4万人と推定されると書きました。諸説ありますが、乎致命(おちのみこと)は今から2000年ほど前の方なので、乎致命を祖とする越智氏族の数は約4万人なんてものじゃあないと思われます。今年西暦2017年は皇紀でいうと2677年。皇紀とは、日本書紀の記述により、神武天皇即位の年(西暦紀元前660年にあたる)を元年とする紀元のことです。すなわち天皇家の起源からの年数。現在の今上天皇陛下は第125代の天皇なので、2000年というと越智氏族も100代近く続いている氏族ということができます。氏族の数は1代経るごとに指数関数的に増加していくので、同じ氏族の中での婚姻を考慮しても、少なくとも約4万人の100倍、乎致命を祖とする越智氏族の方々は約400万人はいる計算になります。先ほど越智氏族からは河野や矢野、立花、土居、村上、久留島、伊藤など約200の氏族が分派しているということを書きました。分派した各氏族の方々が平均で約2万人ずついらっしゃると仮定すると、越智氏族全体では約2万人×200氏族で約400万人という想定もできます。

また、ここ今治は古くから瀬戸内海の海上交通の要所。越智氏族の方々も間違いなく海を伝って新天地を求め全国に出ていったと思いますから、越智氏族も全国に散らばっていった筈です。なのに、何故、現在苗字として越智を名乗っている人の数は全国で約4万人に過ぎず、その60~70%が愛媛県の今治市周辺に集中しているのかについては、明治時代になって国民全員が「姓(せい)」を持つようになった時、主として越智氏族発祥の地に近いこの今治市周辺に住んでいた越智氏族の方々だけが、乎致命を祖とする越智氏族であることの誇りを持って、「越智」を自分の家の名称、すなわち姓(せい)、苗字(名字)として選択したためではないでしょうか。まぁ~、最初に書きましたが、「越智」は意外と“面倒臭い苗字”ですから、残念ながら同じ越智氏族の方々でも、当時この地から出ていかれていた方々は苗字として使うのを、もしかしたら躊躇われたのかもしれません。

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宮司さんより越智氏族の歴史についての説明を受けた後、案内看板に従って、大濱八幡大神社の奥の裏山に向かいます。池を挟んだ向こう側に『越智氏族発祥之地』の石碑が建立されています。

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今から76年前の昭和16年(1941年)6月にこの石碑は建立されたのですが、その際も全国から伊藤博文公のお孫さんを含む越智氏族の方々が大勢集まり、ここで大濱八幡大神社の宮司さんを囲んで撮影された記念写真が残っています。今回、集まったのは16名と少ないのですが、76年前と同じような構図で記念撮影をパチリ! さぞや氏族の祖・乎致命も喜ばれているのではないでしょうか。

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その『越智氏族発祥之地』の石碑のところから大濱八幡大神社の方を見ると、来島海峡大橋とその向こうには大島も見えました。4月も半ばだというのに桜の花が満開で、綺麗でした。きっと私達にこの風景を見せようと待ってくれていたのかも知れません。

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【大浜漁協・昼食】
昼食は近くの大浜漁協で郷土料理の鯛飯のお弁当をいただきました。愛媛県の郷土料理の代表とも言える鯛飯ですが、大きく二つの種類に分けられます。宇和島市を中心とする南予地方では、鯛の刺身を醤油を主体としたタレに生卵、ゴマ、きざみねぎなどの薬味を混ぜたものに和え、ご飯に載せたものを鯛飯と呼びます。いっぽう、この今治市周辺をはじめとした東予地方や中予地方では一般的に予め焼いた鯛を一尾まるごと米飯に炊き込んで作った焼き鯛の炊き込みご飯のことを鯛飯と呼びます。鯛は臭みを取り香ばしさを出すために予め焼かれ、米飯の味付けには醤油、塩、酒、みりん、昆布などが用いられます。このように名前は同じ鯛飯でも、全く似て非なるものです。どちらの鯛飯が美味しいかは好みが分かれるところですが、私は両親がどちらも東予の出身であるため、食べ慣れた焼き鯛の炊き込みご飯の東予の鯛飯のほうが好きです。

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この大浜地区は今治市の北西に位置し、目の前を日本三大急潮と伊予水軍で知られる来島海峡が通っています。しまなみ海道の来島海峡大橋もすぐ間近に見え、大変に景色が綺麗なところです。

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古くから、天然真鯛、スズキ等の高級魚の“一本釣り漁”を主体として発展してきた地域で、鯛飯のお弁当も、期待に違わず、美味しかったです。鯛飯のお弁当に加えて、大浜漁協女性部の皆さんが作る自慢の名物“サバ饅”もいただきました。すぐに売り切れるという名物の“サバ饅”、肉まんの肉の代わりにミンチされた鯖が入っているとお考えいただければいいのですが、私は今回初めていただきました。これも美味しく、私はこの“サバ饅”、大いに気に入っちゃいました。すぐに売り切れるというのも分かる気がします。

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昼食時、参加した16名で自己紹介を行ったのですが、先ほどの大濱八幡大神社の宮司さんからの説明で、越智氏は同じ乎致命を祖とする血縁集団の名称だということが分かったので、初めてお会いした人達ばかりなのに一気に親近感が湧き、すぐにまるで親戚のご一行様のような感じになっていきました。愛媛県内からの参加者が多いのは当然のことなのですが、埼玉県から私を含め2人、兵庫県と広島県、香川県から1人ずつと、『全国の越智さん大集合!』の名に恥じないツアーになったのではないかと思います。さらに、年齢も下は20代から最高齢は90歳と幅広く、ホント親戚のご一行様って感じでした。中には兵庫県の神戸市から参加された女性と地元今治市の大西町から参加された男性のお互いの4代前が実は兄弟で、本当の親戚だったってことがこの場で初めて分かったりして、驚かされました。中にはご自分で作られた「小千命」の文字がプリントされたTシャツを着ておられた方もいらっしゃって、大盛り上がり。ほとんどが越智さんなので、お互いを名前で呼び合います。私は「正昭さん」。これが俗に言われる“血の繋がり”ってものなのでしょうね。越智であることを、ホント誇りに思えました。

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……(その4)に続きます。

執筆者

株式会社ハレックス代表取締役社長 越智正昭

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越智正昭

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