2017/07/12

中山道六十九次・街道歩き【第13回: 松井田(五料)→軽井沢】(その4)

中山道は碓氷関所を過ぎたあたりから緩い下り坂になります。

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関所の前を線路が通っています。前述のように最大勾配が 66.7 ‰(パーミル:1,000メートル進む間に66.7メートル登る急勾配)に達する信越本線の碓氷峠区間には、かつてラックとピニオンによりこの坂を登攀するアプト式線路があったところで、現在は『アプトの道』として遊歩道に生まれ変わっています。前述のように、JR信越本線の横川駅~軽井沢駅間の廃止とともに役目を終えた、横川駅に隣接した横川運転区跡地には『碓氷峠鉄道文化むら』という体験型鉄道テーマパークになっていて、碓氷峠の歴史や資料、碓氷峠で活躍した鉄道車両、国鉄時代の貴重な車両などを展示・公開しているほか、信越本線の廃線跡を利用してEF63形電気機関車の体験運転が行われたり、トロッコ列車が運行されたりしています。

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碓氷関所跡から旧道を下る途中の左手に信越本線の碓氷峠区間の工事等で殉職された方々の鎮魂碑が建っています。碓氷峠は幾多の交通機関の変遷を辿っており、難工事であったため、信越本線の廃線など各種交通機関の建設にあたっては実に多くの方々が殉職されており、そうした方々の慰霊のための鎮魂碑です。隣には、碓氷アプト式鉄道の建設のため殉職された鹿島組の招魂碑も建っています。

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また、前述のように、アプト式鉄道時代の廃線敷を利用して、横川駅~熊ノ平駅の間の約6kmの区間は『アプトの道』と呼ばれる遊歩道として整備されています。『アプトの道』は国の重要文化財である旧丸山変電所をはじめ3つの橋梁と10の隧道(トンネル)があり、碓氷第3橋梁に代表される鉄道煉瓦構造物群などの碓氷峠鉄道遺産にふれることができます。特に圧巻は碓氷第3橋梁。明治25年4月に建設が始まり12月に完成。芸術と技術が融合した美しい煉瓦(レンガ)で出来たアーチ橋で、川底からの高さが31mあり、我が国最大のものです。この4連の雄大なアーチ橋は通称「めがね橋」として親しまれています。この凄い鉄道橋を明治時代に僅か半年ちょっとの期間で作ったということに驚かされます。橋梁は、この第3橋梁のほかにも第2橋梁から第6橋梁までの5基が残っており、すべてが煉瓦造りで、国の重要文化財に指定されています。私はこの『アプトの道』を二度歩いたことがあります。旧熊ノ平信号場からは下に降りる長い階段があり、旧国道18号線の峠道に繋がっていましたが、もしかしたらあの道が旧中山道なのでしょうか。

東日本で鉄道博物館というと、我が家にほど近いさいたま市大宮区にある鉄道博物館が有名ですが、『碓氷峠鉄道文化むら』もなかなか素晴らしい施設です。現在、密かに進行している「孫娘の鉄子化計画」のトドメに連れてくるのは、この『碓氷峠鉄道文化むら』だ! ここに連れて来て、トロッコ列車に乗せて、アプトの道を歩かせて、最後に峠の釜飯を味わわせると、絶対に“鉄子”になる!…と、私の中では勝手に決めちゃっています(笑) 老後は孫娘と一緒に鉄道趣味を楽しみたいと思っているので、今からそのための準備です。

関所跡のすぐ先で道はY字路となっていて、旧中山道はその左側の道に入り、その『碓氷峠鉄道文化むら』を左に見ながら、現在アプトの道として鉄路が残されている旧信越本線の陸橋下を潜ります。団体行動なので立ち寄れないのが残念なところなのですが、『碓氷峠鉄道文化むら』には旧国鉄時代からの蒸気機関車や電気機関車がずらりと野外展示されるので、それらを遠目からでも見られるだけで満足です。休日なので、この日も大勢の親子連れや鉄道ファンで賑わっているようです。鉄道マニアとしては嬉しい限りですね。

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ちなみに、上記2枚の写真は、1日目の街道歩きが終わって、安中市のホテルに向かう観光バスの車内から撮影した『碓氷峠鉄道文化むら』です。

信越本線(今はアプトの道)の高架下を潜って前へ進みます。ピョーォ!という汽笛の音が聞こえるので振り返ってみると、2両連なった(重連と言います)EF63形電気機関車が実にゆっくりとした速度で進んでくるのが見えました。『碓氷峠鉄道文化むら』では、信越本線の廃線跡を利用して、かつて信越本線の碓氷峠区間専用の補機として活躍したEF63形電気機関車の体験運転が行われていることは前述のとおりですが、ちょうどその体験運転が行われているようです。この体験運転は実際の機関車を実際の線路の上で走らせることができるということで鉄道マニア憧れのイベントなのですが、誰でもすぐに運転ができるというものではなく、何日か『碓氷峠鉄道文化むら』に通って講習を受けて、自動車の仮免許のような認定証をいただいてからでないと運転はできません。私もいつかはやってみたいと思っています。

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いったん国道18号線と合流し、碓氷川の支流の霧積川を小さな川久保橋で渡ります。この川久保橋のあたりは長雨などで川止めになった時でも通信物や小さな荷物類等だけは橋の少し上流の川の上を渡した綱に取り付けられた“もっこ”に乗せて渡していたそうです。

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国道18号線はすぐに左へ曲がってしまうのですが、旧中山道はそのまま真っ直ぐ進み、「薬師坂」の急な坂を登っていきます。

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坂道に入ってすぐの階段の上にある「川久保薬師堂」は、元和9年(1623年)、碓氷関所が開設されて取り締まりが厳しくなり、加えて碓氷峠が間近に控えて旅人が難渋を極めたため、旅人の通行の無事を祈って建立されたものだそうです。薬師坂の途中には薬師堂や「薬師の湧水」と呼ばれる清らかな湧水があり、かつては心太(ところてん)を商う茶店も置かれ、碓氷関所を目前に控えた旅人達はここで憩いながら旅装を整えたのだそうです。このため、「心太坂(ところてんざか)」という別名でも呼ばれていたそうです。

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かなり急な薬師坂をクネクネと蛇行しながら登ります。

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薬師坂を登りきったところで国道18号線に出ます。すぐに左手に白鬚神社の案内表示があります。

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この白鬚神社には次のような伝承が残っています。日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国を平定しての帰途、武蔵国、上野国を経て碓氷嶺の東麓にある川久保坂にさしかかった時、山の神が白鹿に化けて日本武尊の進路を妨げようとしました。日本武尊はその白鹿に向けて蛭(ヒル)を投げつけて前へ進もうとしたのですが、たちまち濃霧が発生し、足止めをくってしまいました。すると剣を持った白鬚の老人が現われ、その白鹿を撃退してしまいました。日本武尊はこの白髭の老人の霊験を猿田彦命(さるたひこのみこと)の御加護と思い、石の祠を建てて祀り、白鬚神社と命名したのだそうです。ふむふむ、なるほどぉ~。

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それにしても、東国を平定したほどの日本武尊が白鹿に蛭(ヒル)を投げつけて撃退しようとした…というところが、その姿を想像すると、ちょこっと笑えます。蛭(ヒル)、特に山蛭(ヤマビル)は動物の血液を摂取しなければ大きくなれず、卵を産むこともできずに死んでいってしまいます。で、自然界の中でヤマビルがどのような野生動物の血を吸っているのかを血液のDNA鑑定によって調べた結果があって、秋田県ではカモシカ、千葉県の房総半島ではニホンジカへの吸血が最も多いことが判ったそうです。ついで野猿(ノザル)、野兎(ノウサギ)からも血液を摂取していたそうです。このようにヤマビルは鹿の血液が大の好物のようなので、日本武尊が白鹿に向けて蛭(ヒル)を投げつけて前へ進もうとしたというのは理にかなっていると思います。

もちろんヤマビルは人(ヒト)の血液も吸血します。野生動物の多い山を登山しようとすると、ヤマビルの吸血被害に遭わないように注意を払う必要があります。特に雨上がりで路面が湿っている時は厳重な注意が必要です。2日目にいよいよ碓氷峠を登るのですが、前日まで雨が降っていて、路面は十分に湿っている筈なので、碓氷峠越えではヤマビル対策が重要だと行きの観光バスの車内でウォーキングリーダーさんからも説明があったばかりです。まぁ~被害と言っても蚊のように血液を吸われるくらいで(吸われる血液の量は蚊よりもはるかに多く、人間ドックの血液検査で採血されるくらいだそうです)、毒素を持っていないため痛くも痒くもないとのことですが、気持ち悪いですものね。翌2日目は注意しないといけません。

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妙義山は奇怪な山容をした山だということはこれまで何度か書いてきましたが、眺める角度によってその山の形は大きく変わってきます。このあたりから眺める妙義山は特別に“裏妙義”と呼ばれています。確かにこの日のスタートポイントだった五料から見た妙義山とも形が全く変わっています。予想通り青空も広がってきていて、裏妙義の山容がよく分かります。

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白鬚神社から旧中山道(国道18号線)に戻ったところで、私達の目の前に(白鹿ではなくて)2匹の野猿が現われ、じゃれ合いながら道路を左から右に横切っていきました。まだ近くにいるのではないか…と思って姿を消したあたりを探してみると、近くの民家の屋根の上からヒョコッと顔を出してこちらの様子を窺っているのを見つけました(上記の写真の中央部に写っている茶色い塊が野猿です)。まもなく付近の近所の農家の方が何人かやって来て、「猿の姿を見ましたか?」って訊かれましたので、「はい。2匹。ついさっき道路をこちらから反対側に横切って、今、あそこの屋根の上に登ってこちらの様子を見ていますよ」と教えてあげました。聞くと、このところこの近所ではその2匹と思われる野猿に相当に悪さをされて、農作物の被害もかなり出ているとのことのようです。追いかけっこ、頑張ってください。

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国道18号線を坂本宿のほうに向かって進みます。道路の脇が用水路になっているのですが、緩やかですが傾斜があるので(坂本宿に向かって登っています)その用水路をゴボゴボと音を立てて凄い勢いで水が流れています。

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来た道の方向を振り返って眺めてみると、裏妙義が私達を見送ってくれているように感じます。いよいよこれから旧中山道上州七宿の最後、坂本宿に入っていきます。行く手にはこれから越えることになる上信国境(上州と信州の国境)の山々が見えてきました。

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左に裏妙義の岩峰を眺めながらほぼ一直線に伸びる緩い登り坂を進むと、上信越自動車道の高架が見えてきます。その高架のちょっと手前に原村の「水神宮」が祀られています。坂本宿が出来る前、このあたりは原村と呼ばれ、40戸ほどの小さな集落でした。その集落の生活用水を守っていたのがこの水神様です。もとは現在地よりやや東の当時の原村の外れにあったといわれています。かつて道路の脇に流れていた水を原村の住民が生活用水として利用していたので、その川の水の清浄と安全と豊富を祈って水神を祀ったものと言われています。



……(その5)に続きます。