2017/07/18

中山道六十九次・街道歩き【第13回: 松井田(五料)→軽井沢】(その6)

2日目(5月28日)、いよいよ今日は中山道最大の難所と言われる碓氷峠を越えて、信濃国最初の宿場である軽井沢宿まで歩きます。歩く距離もさることながら、スタートポイントの坂本宿の標高は約400メートル。コース上の最高地点である碓氷峠頂上の熊野神社の標高が約1,200メートル。標高差約800メートルを一気に登っていくので、もうこれは“街道歩き”というより“登山”です。

これまでこの碓氷峠越えを楽しみに中山道を歩いてきましたので、いよいよ越えると思うと、ちょっと興奮して朝早く目を覚ましてしまいました。外が明るくなったので、天気の様子を見ようとホテルの外に出ると、路面が濡れ、駐車場に停まっている乗用車の屋根に水滴がついています。気づきませんでしたが、夜の間に弱い雨が降ったようです。ちょっと気温も低いので、雨というより濃い霧のようなものがかかって、一時的に霧雨のような雨になったのかもしれません。空を見上げると、雲の切れ間に青空が覗いています。日本列島の南岸を進んでいた低気圧も東の海上にすっかり抜けてしまったので、これから青空が広がって、晴れて暑い1日になりそうです。大気の状態も安定しているようで、一時的な雨の心配もなさそうです。さすがにレジェンドの『晴れ男』です。今日だけは…と願った日に、晴れを引き寄せてきました(と、自分で言っちゃあ、おかしいか・笑)。

とは言え、路面が濡れているのが少し気掛かりです。2日前はこのあたりは少しまとまった雨が降ったようで、それに加えて昨夜も小雨が降ったようなので、路面の状態が心配です。急勾配の坂を登っていくので、足元には注意しないといけません。それに加えて心配なのが蛭(ヤマビル)。昨日の白鬚神社のところで書きましたが、動物の血液を食べ物にする吸血性の蛭(ヤマビル)は、もちろん人間にも取り憑いて血液を吸います。登山をする際にはこの蛭(ヤマビル)にも注意を払う必要があるのですが、蛭(ヤマビル)は湿った状態を好むようで、このように路面が湿っている時は特に危険なのです。蛭(ヤマビル)対策のため肌を露出する部分を極力小さくしようと、暑くなるのは承知のうえで、敢えて長袖Tシャツを着ることにしました。

私が参加している某旅行会社の『中山道六十九次・街道歩き』ツアーでは、観光ガイドを兼ねたウォーキングリーダーさんが案内してくれるのですが、これまでは参加者20~25名に1人ついたウォーキングリーダーさんが、今回は中山道最大の難所と言われる碓氷峠を越えるということで、9~10人に1人という特別体制です。で、私が属したC班は女性5名に男性が4名の9名。おそらくこの9名の中では私が一番年齢が下のようで、最高齢のかたは70歳代後半ではなかろうかと思われます。こういうメンバーの中で私が途中で弱音を吐くわけにはいかないな…と思ったりもしたのですが、なかなかどうして、私を除く8名の方々はかなりの猛者揃いでした。

某旅行会社の『中山道六十九次・街道歩き』も今回から1泊2日。2日間とも同じメンバー構成ですし、皆さん同じホテルに宿泊するので、夕飯をご一緒できるわけです。多少アルコールも入って、いろいろ話もでき、一気に親しくなれます。皆さんお1人で単独参加なさっている方ばかりで、ほとんどの方が初対面の方ばかりなのですが(これまでの回でお顔をお見かけしたことがある方はお1人いらっしゃいましたが…)、同じ街道歩きが趣味ということで話も合いますし。お聞きすると、私以外の8人のうち、既に東海道五十三次を完歩して京都三条大橋にゴールしたって方がお2人もいらっしゃいますし、それ以外の方々も、現在、東海道五十三次や日光街道を歩いているって方ばっかりです(そういう方々は月に2回も街道を歩いているってことです)。さらには富士山を登頂したって方が何人も含まれていて、前述のようになかなかの猛者揃いって感じです。この中山道六十九次が初めての街道歩きの私なんてほんの初心者、“ひよっこ”です。碓氷峠越えではそういう猛者揃いの皆さんの後ろを遅れないようにくっついて行こう…と思っちゃいました。

そうした街道歩きの先達の皆さんから、それぞれの街道歩きの楽しさについて、いっぱい話を聞けました。東海道五十三次を完歩なさった方からは「街道歩きという点では、歴史の跡が色濃く残る中山道が一番面白い。中山道が本当に面白くなるのは信州に入ってから。これまでが序章のようなもので、碓氷峠越えからが本当の本番さぁ~」なぁ~んてお話もお聞きしました。いよいよ楽しみになってきました。

そうそう、最高齢と思われる70歳代後半の男性からは、「人間、なにか目標がないと何をやるにしても長続きするものではない。健康のためには毎日ウォーキングするのがいいと医者から勧められても、ただ単に健康という漠然としたことを目的にしたのでは、長続きなんてやれっこない。来月は◯◯街道の◯◯から◯◯を歩くぞ~…って具体的な目標があると、それを楽しみに毎日のウォーキングが続けられるってもんさ。病院に高い医療費を払うくらいなら、こうして街道歩きに参加して、旅行会社にそのぶんの御礼として参加費を払うのは惜しいことではない。気持ちが豊かになれるし、医療費よりよっぽどマシなお金の使い方である」なぁ~んてお話もお聞きしました。これには激しく納得しちゃいました。その通りですね。私も将来そうありたいと思います。

それにしても、この方々は碓氷峠越えに備えて、体調管理を含め、万全の準備をして参加なさっているのでしょうね。このところ運動不足気味の私がそうした皆さんのご迷惑になることがないようにしないと…って思っちゃいました。

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宿泊したホテルの前に見覚えのある給水塔が建っています。この給水塔の前を通っている道路が旧中山道で、前回【第12回】でこの給水塔の前を歩きました。給水塔に描かれている絵は安中藩の『安政遠足(とおあし)』の様子です。今年もこの日の2週間前にこの『安政遠足』を記念した『安政遠足マラソン』が開催されました。安中城から今日これから私達が越える碓氷峠の頂上にある熊野神社までのマラソンです。私達もそれに続きたいと思います。いやがうえにも気分が高揚してきました。

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午前8時、観光バスに乗って安中市のホテルを出発しました。安中市をこの時間に出発すると、午前9時には碓氷峠越えを開始できますので、峠のサミットにある熊野神社への到着は昼の13時前後。15時には軽井沢宿に到着できますので、たいした渋滞に巻き込まれることもなく帰路につくことができます。このような旅行会社が企画した1泊2日のツアーにでも参加しないと、今の時代、碓氷峠を歩いて越えるのは難しい感じです。

観光バスは国道18号線を今日の街道歩きの出発点、坂本宿の先にある玉屋ドライブインに向けて走っていくのですが、途中、実際に自分達が歩いたところが幾つかありますし、並行して走る旧中山道が見える区間もあります。その都度、バスの車内では囁きが聞こえます。隣の席の方と「あそこ通ったね」なんて話をされておられるのかもしれません。

朝はまだ空には雲が多く残っていたのですが、徐々に青空が広がってきました。前日には雲で霞んで全体が見えなかった妙義山も、この日はクッキリ姿を現しています。天気はバッチリです。

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これから超える碓氷峠は「木曽のかけはし 太田の渡し 碓氷峠がなくばよい」と馬子唄にも謳われた「中山道三大難所」の一つとされています。ちなみに、中山道三大難所の「太田の渡し」とは美濃国(現在の岐阜県)にある伏見宿と太田宿との間を流れる木曽川の渡しのこと、また「木曽のかけはし(桟)」とは木曽(現在の長野県)の福島宿と上松宿の間にある桟道(さんどう)のことで、この区間では通行困難な断崖が幾つもあった木曽川に沿って通行するために、断崖に差し込んだ丸太の上に板などをあてて棚のように張り出して造った木造の道である“桟道”を設けました。

また、碓氷峠(標高1,190メートル)は鳥居峠(奈良井宿~藪原宿間:標高1,197メートル)、和田峠(和田宿~下諏訪宿間:標高1,531メートル)とならんで「中山道三大峠」の1つにも数えられています。この3つの峠の中では和田峠がもっとも標高が高く、中山道最大の難所だという声も多いのですが、いずれにせよ、この碓氷峠が昔も今も中山道有数の難所であることは間違いないことです。

これまでにも何度か書きましたが、江戸時代、中山道は東海道と比べ、陸路が多いため渡場で止められることが少なく、安定して通ることができたので、比較的多くの旅人がこの道を往来しました。しかし、東海道と比べて伊勢湾の渡しや大井川のような大河の渡しなど危険な所が少ないとはいえ、険しい坂や幾度となく続く急峻な峠、さらには激流の河川が旅人を阻み、苦しめました。

「碓氷峠」は、坂本宿と軽井沢宿の境にある峠で、古代より西国と東国を結ぶルートとして重要視され、古くは現存する日本最古の正史(歴史書)『日本書紀』にも日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国の蝦夷(えぞ)の討伐(東征)に遣わされた帰途、上野国から碓氷坂を越えて信濃国へ向かったと書かれています。この時は現在の碓氷峠ではなく、「碓日坂(うすひのさか)」として登場します(このほか、古代には碓氷坂(うすいのさか)、宇須比坂、中世には臼井峠、臼居峠とも表記されました)。その際、亡き妻である弟橘媛(おとたちばなひめ)を偲び、〈吾嬬(あづま)はや〉と言ったことから、この碓日坂(碓氷峠)より東側の地方のことを“あずま”と呼ぶようになったという伝承も残っています。また、『万葉集』には東国に派遣される防人(さきもり)の妻が詠んだ〈日の暮に 碓氷の山を越ゆる日は 背なのが袖も さやに振らしつ〉という歌が収録されています。このように、古代から東国と都を結ぶ主要街道の一部でした。この当時の道(古東山道)は碓氷峠の南端、現在の国道18号碓氷バイパスが通る入山峠のルートを通っていたと推定されています。ちなみに、この信濃・上野国境(上信国境)にある碓氷坂、及び駿河・相模国境にある足柄坂より東の地域のことを「坂東」と呼びました。

東山道駅路が整備された飛鳥時代から奈良時代にかけて、碓氷坂の道は入山峠から碓氷峠を越えるルートに変わり、平安時代の昌泰2年(899年)には山中に「碓氷坂の関所」が設けられました。後の江戸時代に整備された中山道も、東山道とほぼ同じルートを踏襲したとの説が有力となっていて、碓氷坂の関所の跡ではないかと推定される場所が中山道筋には残っています。昌泰 2年(899年)には早くも群盗を取り締まるために碓氷坂に関所が設置されました。その後、元和9年(1623年)には徳川幕府により前日に通った「碓氷関所」が設けられました。

坂本宿側から行くと坂本宿の標高は約450メートル。碓氷峠の標高は1,190メートル。直線距離で約8kmの間に一気に740メートルも登る必要があります。いっぽう、軽井沢宿の標高が約960メートルなので、碓氷峠を越えるとあとは快適な下り坂(の筈)です。

渡された地図によると、旧中山道は私の事前の想像とは大きく異なり、『アプトの道』の旧熊ノ平信号場から階段を下に降りたところにある旧国道18号線の峠道は通らずに、その手前で刎石山の南山麓(坂本宿から見ると、山の左側の斜面)を急勾配の坂道を一気に登り、そこからは尾根伝いに比較的平坦な道筋を子持山へ。その先に峠のサミット(熊野神社)があり、峠を過ぎると軽井沢宿までほぼ直線状に最短距離を一気に降りて行く…というコースとなります。旧国道18号線より遥かに北側を通るルートです。へぇ~~っ! これが本当の碓氷峠なんですね。

江戸時代末期から明治期にかけての中山道というと、皇女和宮の降嫁や明治天皇の北陸御巡幸のことが必ず登場するのですが、皇女和宮や明治天皇がこの碓氷峠の急勾配の山道を通られたのかというと、決してそういうわけではなかったようです。和宮道や明治天皇御巡幸道と呼ばれる迂回路が特別に設けられたようです。和宮道は平坦ではあるものの大変に大回りの道で、明治天皇御巡幸道にいたっては危険なため現在通行禁止になっています。実際に歩いてみた後の感想で述べさせていただくと、この旧中山道のコースは多少急勾配なところはあるものの、人馬が越える道としては比較的安全で経済的なコースを辿っているように思います。東山道と呼ばれた時代から幾多の試行錯誤を経て、街道としてはここしかない…と行き着いたルートがこの道ってことなのでしょう。

ちなみに、現在、「碓氷峠」と呼ばれる峠は国道18号線に移っていて、旧中山道の碓氷峠は「旧碓氷峠」と表記されています。時代の変遷を経てきた碓氷峠ですが、我々の先祖が苦渋した本来の碓氷峠(旧碓氷峠)越えは、現在も変わることなくその道筋を残しています。旧中山道の碓氷峠越えは険しい急坂が続く難路であったため、明治19年(1886年)に中山道は南方に開削された新道(旧国道18号線)に移り、“新しい碓氷峠”が作られました。さらに、昭和46年(1971年)には国道18号線の碓氷バイパスが開通し、平成5年(1993年)には上信越自動車道も開通しました。

本日の街道歩きのスタートポイントである玉屋ドライブイン前の駐車場に到着しました。

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この日は中山道最大の難所である碓氷峠を越えるというので、足元はいつも街道歩きで履いているスニーカーではなく、登山でも使っているトレッキングシューズを履いています。旧街道と言っても、まったく舗装されていない岩や小石がゴロゴロしていたり、堆積した落ち葉が湿って滑りやすくなっている道を歩くので、登山と同じくらいの装備で臨まないといけません。しかも、蛭(ヤマビル)が侵入してこないように足首のところでガムテープをグルグル巻きにしています。前述のように、この日は暑くなることはわかっているのですが、肌の露出を極力少なくするために長袖Tシャツを着て、首にはタオルを巻きました。蛭は木の上から獲物を狙ってポトンと落下してくるので、首元からの侵入を防ぐためです。頭にはいつも使っているキャップではなくて、全周にツバの付いたハット型の帽子を被っています。不恰好ですが、これくらいやっておかないと蛭(ヤマビル)対策としては危険なんです。

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いつも以上に入念なストレッチ体操をして体をほぐしてから、いよいよ碓氷峠越えに出発です。

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まずは、国道18号線を坂本浄水場の巨大な貯水タンクのところまで戻ります。

玉屋ドライブインのすぐ下には、横川の『碓氷峠鉄道文化むら』から元の信越本線の線路を利用して延びる碓氷峠トロッコ列車線の終点「とうげのゆ駅」があります。アプトの道も横川からここまでは今も線路が引かれていて、観光用のトロッコ列車が運行されています。この「とうげのゆ駅」の傍には『峠の湯』という天然温泉施設があります。また、信越本線はこの先で碓氷第一隧道というトンネルに入り、「めがね橋」までに5つのトンネルを通過します。

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……(その7)に続きます。

執筆者

株式会社ハレックス代表取締役社長 越智正昭

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