2017/08/16

中山道六十九次・街道歩き【第14回: 軽井沢→塩名田】(その6)

2日目の翌25日(日)は窓の外の木々の葉っぱに当たるザァーザァーという雨の音で目が覚めました。時刻は午前6時前。ヤバい!…って思ってベッドから飛び起き窓のカーテンを開けると、外はかなり大粒の雨が降っています。本降りを通り越して、激しい雨って感じです。

24日(土)の夜から25日(日)にかけて、西日本付近に停滞する梅雨前線の活動が活発になり、25日未明に和歌山県で1時間に110ミリの猛烈な雨が降るなど、西日本を中心に断続的に非常に激しい雨が降りました。九州南部では降り始めから雨の量が多いところで150ミリから200ミリ近くに達し、地盤が緩んでいるところが続出しました。鹿児島県垂水市は大雨で土砂災害が起きる可能性があるとして、25日午後4時に市内全域の7,693世帯、1万5,374人に避難準備の情報を出したほどです。

その影響で、長野県北軽井沢でも雨になっているようです。前日の夜、寝る前に弊社ハレックスのオリジナル気象情報サービス『HalexDream!』で確認した限りでは、この日歩く予定の長野県佐久地方は25日(日)は未明から明け方にかけて雨が降り、午前9時過ぎにはいったん雨はあがり、日中いっぱいは曇り空に。また17時過ぎあたりから再び雨が降るかもしれないって予報になっていました。明け方までの雨もさほど強い雨が降るという予報ではなかったので、さすがにこの激しい雨には驚きました。気象庁の降雨レーダーを使った降水ナウキャスト情報で確認すると、北軽井沢あたりには30mm/h以上 50mm/h未満の『激しい雨』のエリアを示すオレンジ色のメッシュになっています。この激しい雨はこの時間帯だけの一時的なもののようですが、降水ナウキャスト情報による1時間後(午前7時頃)の降雨予想でも5mm/h以上 10mm/h未満の本降り雨。雨雲の位置とその移動速度を考えると、雨はホテルを出発する予定時刻の午前8時頃までずっと降り続くものの、現在この雨を降らせている雨雲の西側には目立った雨雲が確認できなかったので、日中は大きく天気が崩れることはなさそうです。

実は街道歩きの天敵は雨。「雨天決行」が原則の『中山道六十九次・街道歩き』ツアーでは雨が降る中を歩かねばならないこともあり、雨具は絶対の必需品です。背負っているリュックサックの中の荷物の半分は雨具と言っても過言ではないほどです。雨具と言っても傘は街道歩きでは原則として使用禁止なので、レインコートです。今回、私は上下セパレーツタイプとポンチョタイプの2種類のレインコートをリュックサックに入れて携行しています。雨が強い場合は完全武装の上下セパレーツタイプ、弱い雨の時にはポンチョタイプのレインコート……と使い分けています。『晴れ男のレジェンド』の私はこれまで13回の中山道街道歩きで、幸いなことに悪天候に遭ったことがありません。極短時間、一時的に弱い雨に遭ったことはありますが、ポンチョタイプのレインコートを羽織るだけで十分でした。上下セパレーツタイプのレインコートは、まだ一度も使用したことがありません。

宿泊旅行の朝の楽しみは、なんと言っても朝風呂。特に温泉地に泊まった時には、朝風呂に入るのは絶対の定番です。前夜、寝る前に一風呂浴びて、朝、寝起きにも一風呂浴びる…、これが旅のささやかな贅沢というものです。私達が今回の街道歩きで宿泊した紀州鉄道軽井沢ホテルは、“軽井沢”と名が付いていますが、実は群馬県吾妻郡の嬬恋村にあります(北軽井沢と言えば北軽井沢ですが…)。今も活動を続ける活火山浅間山の北東の麓にある嬬恋村には万座温泉や鹿沢温泉などの温泉が幾つもあり、この紀州鉄道軽井沢ホテルも嬬恋温泉から湯を引いているのだそうです。わぁ~い、温泉だ!温泉だ!…と言うことで、温泉大好きの私としては定番の朝風呂です。このホテルの大浴場には露天風呂はありませんが、ガラス窓を通して外の風景が見られるのですが、雨は相変わらず降り続いています。

余談ですが、この紀州鉄道軽井沢ホテルのある群馬県吾妻郡嬬恋村の村名の「嬬恋」は、日本武尊(やまとたける)が東征の帰路、碓氷峠に立ち、海の神の怒りを静めるために海に身を投じた愛妻の弟橘媛(おとたちばなひめ)を「吾嬬者耶」(あづまはや)と追慕した古事にちなむのだそうです。郡名の「吾妻」も同じで、「吾妻郡嬬恋村」って、羨ましいくらいにメルヘンチックな地名だと思いますね。

朝風呂を浴び、バイキング形式での朝食を摂り、午前8時ちょうどにホテルを出発しました。降水ナウキャスト情報によるとそろそろ雨が止む頃ではあるのですが、外は薄い霧が垂れ込め、細かい霧雨が降り続いています。私は弊社ハレックスのオリジナル気象情報サービス『HalexDream!』の情報を信じて雨具はリュックサックにしまったままなのですが、他の人はほとんど皆さんレインコートを羽織って、完全に雨仕様の格好です。「雨は降りません」と教えてあげたいのですが、身分を明かしていないので遠慮しておきました。

車内での話題はさっき起きた地震のこと。この日(25日)の朝、午前7時2分頃、長野県南部を震源とする地震が発生し、長野県の王滝村と木曽町で震度5強の強い揺れを観測しました。また、震度4の揺れを長野県の上松町と大桑村、石川県輪島市、岐阜県の高山市、中津川市それに下呂市で観測したほか、震度3から1の揺れを関東甲信越と北陸、東海、近畿、中国地方、それに四国の各地で観測しました。気象庁の観測によりますと、震源地は長野県南部で、震源の深さは7キロ、地震の規模を示すマグニチュードは5.6と推定されています。長野県南部ではその後も地震が相次ぎ、長野県木曽町では午前9時24分頃に震度4の揺れを、午前9時48分頃に震度3の揺れを観測しました。

私達が宿泊した紀州鉄道軽井沢ホテルは、前述のように長野県東部の軽井沢に接しているとは言え、群馬県吾妻郡嬬恋村にあり、震源となった長野県南部の王滝村とは随分と距離が離れており、ほとんど揺れを感じませんでした。おそらく震度1ってところだったのではないでしょうか。今回の中山道六十九次街道歩きの旅に参加していらっしゃるどなたも揺れを感じなかったとおっしゃっていました。「(ケータイの)緊急地震速報も鳴らなかったし(エリアメールも届かなかったし)」とおっしゃられる方も。「それはホテルのある場所が群馬県だったからですよ」と教えてあげようかと思いましたが、躊躇しているうちに次の話題に移っちゃったので、やめときました。人的被害は出ていなさそうですが、揺れの強かった長野県南部の王滝村周辺では住宅や農地などに大きな被害が出ていないか心配になります。加えて、これから本格的な梅雨の時期を迎えます。揺れの強かった地域では土砂災害などの危険性が高まっているおそれがあるので、その方面での注意も必要となります。弊社ハレックスの緊急地震速報サービスもちゃんと動作して、情報を出すことができたのかも気になるところですが、24時間365日のシステム監視センターからこの時間になっても何も連絡が来ないということは、問題なく動作したってことでしょう。安心してこの日の街道歩きを楽しむこととしました(この仕事をしていると、何か重大な自然災害が起きると、常にそういうことが心配になります)。

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写真は紀州鉄道軽井沢ホテルにあるかつての寝台列車の客車を利用した列車ホテルです。さすがに“紀州鉄道”です。鉄ちゃん(鉄道マニア)としては昔を思い出して泊まってみたくなります。

バスはこの日の街道歩きの出発点である追分宿を目指してどんどん曲がりくねった坂道を下っていきます。高度が低くなるにつれ、周囲の霧が晴れて、車窓の景色も明るくなってきました。フロントガラスのワイパーも動作を止めています。紀州鉄道軽井沢ホテルのある群馬県吾妻郡嬬恋村のあたりの標高は約1,200メートル。軽井沢や追分宿のあたりの標高は約1,000メートル。おそらく嬬恋村周辺には出発時には雲がかかっていたのでしょう。あの霧は雲の中だってことだったのでしょう。バスの車内ではレインコートを脱ぐ人が続出。レインコートを着ていると、蒸し暑いですもんね。

およそ40分ほどでバスは昨日のゴール地点であり、この日の出発地点である「追分宿の分去れ」にある中山道69次資料館の駐車場に到着。入念なストレッチ体操の後、街道歩きを再開しました。

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追分宿の「分去れ」より、旧中山道は左に入り、「笑坂」と呼ばれる長い坂を下っていきます。ここから次の小田井宿までは、浅間山を背に、蓼科山を前にした緩やかな下り坂の続く快適な道となります。京都方面から来た旅人が、この長いだらだら坂を登ってきて、目の前に追分宿の灯火を見て思わず笑みを浮かべたところから、笑坂と言われるようになったと言われています。その笑坂の10km以上も続く長い長い下り坂を下っていきます。

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緩やかな長い下り坂の途中に小さな公園があり、そこに浅間山が噴火した際の「焼け石」が置いてあります。このあたりは「追分原」といわれて、昔のままの殺風景な雰囲気が残っているところです。建物の周りにも浅間山の噴火石が使われていることが多いとのことです。当時この付近は「浅間山噴火」の影響が大きく、火山灰が積もって、不毛の地だったといわれています。ただ落葉松だけは育ち、ちょうど渓斎英泉が「浅間山眺望」と題して残した浮世絵もこの付近から見た風景ではないかと言われています。現在、このあたりは追分笑坂上の別荘地として開発されています。

中山道街道歩きでは沿道の木々や道端の野草、沿線のいろいろなお宅の庭に咲く花を眺めるのも楽しみの一つです。初夏のこの時期、沿道はカラフルです。このお宅の庭では薔薇の花が綺麗に咲いています。

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軽井沢町追分と御代田(みよた)町との境目に「千ヶ滝湯川用水温水路」があります。元々は慶安3年(1650年)に柏木小石衛門なる人物が開削した長さ約16里にも及ぶ農業用の水路です。ただ、このあたりは浅間山の山麓で火山の軽石等が多く、また漏水がひどく何度も改良を繰り返したとのことです。漏水予防のために真綿を流したこともあったそうです。現在のものは戦後、約21kmにわたって改修したものです。軽井沢町の千ヶ滝と湯川を水源とし、幹線用水路から御影用水路、岩村田用水路に分かれ、約21kmに及ぶ用水路により導水しています。浅間山の中腹を水源とした河川で、雪解け水や湧水が中心なので水温が低く、稲の生育には不向きな水だったのですが、この冷水を温めるため、延長約934メートル、幅約20メートル、水深約20cm、勾配2,000分の1の水路(人工の池)が作られました。この水路は日当たりの良い場所に傾斜が小さく作られていて、太陽光によって水温を上げようというものです。なるほどぉ~。

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千ヶ滝湯川用水温水路を過ぎると、御代田町に入ります。このあたりは、まさに「背負い富士」ならぬ「背負い浅間」で、後方に浅間山、前方には蓼科山が聳えています。快適な緩い下り坂をドンドン下っていきます。

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木々の陰に観音像が立っています。中山道沿いでは庚申塔や馬頭観音像、道祖神といった石仏・石塔はよく見掛けるのですが、観音像は珍しいですね。

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旧中山道を示す道路標識が立っています。追分宿から1.8km。次の小田井宿まで3.4km。今日のゴールである塩名田宿まで13.5kmですか。まだまだ先は長いです。この先、幾つもこのような道路標識が立っているのですが、その都度、ゴールまでの距離が分かるので、ありがたいです。

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本来、旧中山道は右側の道を進んでいくのですが、途中で行き止まりになって、その先は消滅してしまっているようなので、左側の道に入って迂回していきます。

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標高が1,000メートル近いこのあたりは高原野菜の産地です。向こうに見えるのはブロッコリーのようです。手前はマルチが敷き詰められ、これから何かの野菜の苗を植えるようです。

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すぐに旧中山道に戻ります(合流します)。なかなか味わいのある道を進んでいきます。

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大山神社です。古い木の鳥居が印象的です。

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沿道にサクランボが実っていました。実はちょっと高いところにあるので、ちょっと失礼していただく…というわけにはいきません。

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江戸の日本橋から41里目の一里塚、「御代田一里塚」がほぼ原型を留めたまま残されています。寛永12年(1635年)に中山道の改修工事が行われたのですが、そのとき中山道のコースが一里塚の外側に変わってしまったのだそうです。そのため、その後も道路工事等に遭わず昔のままに残ったという幸せな一里塚です。こちらは直径13メートル、高さ5メートルの西側(進行方向右側)の塚で、東側の塚も同様の規模です。この御代田一里塚には立派な枝垂桜(しだれざくら)の木が植えられています。桜の季節には満開の枝垂桜の向こうに浅間山の姿が見え、さぞや雄大な風景なんだろうな…と推察されました。

なお、ここまで来る途中に40里目の一里塚「荒町一里塚」があったのですが、これは位置が不明なのだそうです。

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御代田一里塚跡を出ると中山道は“しなの鉄道”の線路に突き当たってしまいますが、ここには地下道があり、旧中山道はこの地下道を潜って行きます。

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地下道のすぐ右側には御代田駅があり、この辺りは人家や商店も多いところです。

“しなの鉄道”の線路を地下道で抜けた先にある「龍神の杜公園」で水分補給とトイレ休憩です。「龍神の杜公園」は、この地に伝わる「甲賀三郎龍神伝説」に因んで名付けられた公園のようです。

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甲賀三郎は神道集「諏訪縁起事」や「大岡寺観音堂縁起」、民話の「龍神譚」など、中世以降日本各地で伝えられてきた物語の主人公です。公園の案内板によると、その逸話は次のとおりです。

用明天皇の勅願により、浅間山の噴火が鎮まることを祈願し用明2年(587年)に建立されたと伝わる御代田にある古刹の浅間山真楽寺(しんらくじ)。古い歴史を持つその真楽寺には「頼朝公の逆さ松」や「弁慶の腰掛けの松」といった様々な伝承が残っているのですが、その中の1つに「龍神伝説」があります。この真楽寺に伝わる「龍神伝説」は上記のように中世以降日本各地で伝えられてきた龍になった甲賀三郎に関する本家本元の伝説です。

大豪族の甲賀家の主人が病の床で三人の子供達のうち、三男の三郎を跡継ぎにしたことから、兄達がそれを妬み、巻狩りの折りに蓼科山の大穴に三郎を落としてしまいました。深い穴で地上には上がれないので、三郎は横穴を這って歩き、ようやく光のあるところに辿り着きました。そこが真楽寺の大沼の池でした。逃げまどう子供達に驚き、自分の姿を水面に写すと、そこには龍になった自分の姿が写りました。龍になった甲賀三郎はしばらくの間大沼の池に棲みついたものの、だんだん大きくなり、蓼科の双子池、さらには諏訪湖と棲家をかえ、諏訪大明神となり、今も諏訪湖の湖底に眠っていると伝えられています。

この伝説にちなみ、御代田町では毎年7月の最終土曜日に『龍神まつり』を行い、『龍神の舞』はこの祭りの最大の行事となっています。『龍神の館』は、この龍神の舞の龍を安置し、末永く後世にこの伝説を語り伝える目的で建設されたものです。

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しなの鉄道が誇る観光列車「ろくもん」がやって来ました。

しなの鉄道HP

観光列車ゆえか、ノッチ(抵抗器)を切って(offにして)惰行でスピードを緩めて静かに近づいてきたため、いきなり姿が見えたので、ベストのシャッターチャンスを逃してしまいました。さすがは高規格の信越本線の線路です。静かです。それにしても、国鉄時代に製造された115系近郊型直流電車、まだまだ頑張っています。私も還暦を過ぎ、孫が2人もいるジイジですが、その115系電車を見て、もうひと頑張りせねば…と思いました。ちょこっと“鉄分”の補給ができました(^ー^)

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公園の東屋の軒先にツバメが巣を作っていました。巣には3匹の雛がいるようです。親鳥がかいがいしく餌を運んできています。この3匹の雛がこの巣を巣立つのは一体いつになるのでしょうね。それまで元気に育って欲しいと願う2人の孫を持つジイジです。

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「龍神の杜公園」での水分補給&トイレ休憩を終えて、街道歩きを再開しました。

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地下道を潜った先まで戻り、すぐに左手に入ります。

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左側に長い板塀のあるこのあたり一帯の名主のものだったと思われる立派な屋敷があります。

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追分宿の標高が約1,000メートルで、このあたりの標高は約790メートル。だいぶ下ってきました。今回の街道歩きのゴールである3つ先の宿場である千曲川沿いの塩名田宿の標高は約625メートルなので、ここから先もさらにダラダラと緩い坂道をひたすら下っていきます。追分宿から塩名田宿の方向に歩くぶんにはダラダラと続く緩い下り坂ですが、反対に塩名田宿から追分宿の方向に歩くには10km以上も緩い登り坂が続くことになり、大変なことでしょうね。

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……(その7)に続きます。