2017/08/25

中山道六十九次・街道歩き【第14回: 軽井沢→塩名田】(その10)

塩名田宿まで2.2km。もうすぐこの日のゴールです。

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途中の諏訪神社で水分補給の休憩をとりました。ここにも周辺の石塔石仏が集められて祀られています。おおっ!「佐久市塚原根々井塚原」、“塚原”が2つ出てくる地名です。ここでしばし水分補給の休憩を取りました。

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佐久市塚原根々井塚原という集落の中を進んでいきます。

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「如意輪大士碑」です。如意輪大士とは如意輪観音の別名。旧中山道沿いには馬頭観音はよく見掛けるのですが、如意輪観音は珍しいように思います。あいにく私はこのあたりの知識はまったく乏しいので、この旧中山道の道端に建つ如意輪観音(如意輪大士)の碑が何を祀ったものなのかは分かりません。ご存知の方がいらっしゃったら、教えてください。

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ここにも「佐久市塚原根々井塚原」の住所表示が…! 少なくともこのあたりが“塚原”って名称の集落であることは確かなようです。

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先ほどから濁川用水路が旧中山道に沿うように道路の右脇を流れています。濁川は浅間山の南に聳える石尊山の東側(標高1,500メートル付近)に端を発し、南南西の方向にほぼ直線的に流れ、御代田町を経て佐久市塚原にて流れを西に変え、塩名田で千曲川に合流する総延長約17kmの河川です。その濁川の水は御代田町や佐久市に広がる農地への灌漑用水として利用されており、古くから用水路が作られました。

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下塚原の集落に入ると、名覚山妙楽寺の山門が立っています。妙楽寺はここから続く参道の奥にあるのですが、実はこの妙楽寺、貞観8年(866年)に「信濃の国に五ヶ寺を定額に列する」と日本国史に明記された信濃五山の一寺なのだそうで、1,000年以上続く名刹なのだそうです。時間の関係で、山門の前を通り過ぎるだけでした。

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平塚、塚原の集落を通って下塚原まで来ると、道が二手に分かれます。このうちの左に入る細い道のほうが「旧中山道」です。この日のゴールである塩名田宿まではあと1kmです。この日はスタートポイントである追分宿の分去れから笑坂という10km以上も続く緩く長い下り坂をダラダラと下ってくるだけだったので、歩いた距離のわりには疲れていません。「あと1km」という表示を見て、「チッ、もうゴールかぁ~。もうちょっと歩けるのに」って思っちゃいました。疲れてはいませんが、さすがに10km以上も連続して下り坂を歩くと、いささか膝に負担がかかっているようです。膝に疲労感を感じてきたので、ちょうどいいのかもしれません。

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妙楽寺という寺院の前を過ぎるとやや緩い下り坂になっていて、小さな川を渡って行くと、右手にこんもりとした森があります。小さな丘になっていて、丘の頂上には文明18年(1486年)建立の「駒形神社」が鎮座しています。

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参道は橋になっていて、小さな川を渡り階段を上ると上は公園になっていますが、左手にひっそりと見られるのが本殿で、国の重要文化財に指定されています。中には騎乗の男女二神像が祀られていて、この先の「望月の牧の守り神」と伝えられています。ちなみに、「望月の牧」とは奈良時代から平安時代にかけて、天皇へ献上する馬を飼育していた牧場のことです。

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この駒形神社の創建年代は明らかになっていませんが、源頼朝がこの駒形神社の前で落馬をしたという伝承が残っています。

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駒形神社を出ると駒形坂と呼ばれる少し急な下り坂を下っていきます。碓氷峠を越えた前回【第13回】と異なり、今回の【第14回】は軽井沢宿を出てからここまで舗装された道路ばかりを歩いてきましたが、塩名田宿を目前としたこの坂の途中で、少しだけワイルドなルートを通ります。舗装された道路を右側に外れて下っていくこの細い坂が旧中山道で、坂を下り終わったところで今度は坂を登って、元の舗装された道路に戻ります。距離にして200メートル弱ほどでしょうか。短い距離ですが、こういう昔ながらのワイルドな道が残っているところが中山道の魅力です。また、最大の難所と言われる碓氷峠を越えた者としては、多少はこういうワイルドなところを歩かないと街道歩きとして満足できないようなところが出てきています。

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やがて右手に製材所が見えてきて、ここからしばらく歩くと大きな五差路になった塩名田交差点に出ます。

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この塩名田交差点には「中山道塩名田宿」と記された標柱が建てられており、交差点を渡った先が塩名田宿下宿、すなわち塩名田宿の入口です。

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塩名田宿(しおなだしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて23番目の宿場です。天保14年(1843年)の記録によれば、塩名田宿の宿内家数は116軒、うち本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠7軒で宿内人口は574人だったそうです。現在の長野県佐久市塩名田にあたります。暴れ川であった千曲川の東岸にあり、旅籠が10軒以下の小さな宿場にも拘らず、本陣と脇本陣が合わせて3軒ありました。橋も掛けられていたのですが、洪水の度に流失し、その都度川止めとなり、船や徒歩で渡るのが専らであったと言われています。宿は東から下宿、中宿、河原宿と3つの宿に分かれていたのだそうで、なかでも河原宿には往時の面影がよく残っています。

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塩名田宿に入ってすぐの下宿あたりには昔の面影は少ないのですが、数分歩いて中宿までくると当時の建物なども残っており、少しだけですが宿場時代雰囲気が出てきます。

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前述のように、塩名田宿には、千曲川の川止めに備えて2軒の本陣と1軒の脇本陣が用意されていました。その本陣のうちの1軒は、現在は大井屋という食料品店となっているところにありました。「丸山善兵衛本陣跡」です。

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塩名田宿の宿内の建物には昔の屋号の看板が掲げられていて、味があります。

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その丸山善兵衛本陣跡の斜め前の切妻・大屋根の建物も本陣・問屋跡でこちらは丸山新左衛門家。丸山新左衛門本陣の現在の建物は宝暦6年(1756年)に建てられたもので、現在も改装されながらも住居として使われているようです。ちなみに脇本陣も丸山文左衛門家と、丸山一族が塩名田宿の本陣・脇本陣を務めていました。屋根を見上げると、鬼瓦に「丸山」という本陣名が刻まれています。

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この先、旧中山道塩名田宿は千曲川に向かって緩やかな坂を下っていきます。坂を下ったところに信州・長野県を代表する大河・千曲川が流れています。

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この日のゴールはこの丸山新左衛門本陣・問屋跡のすぐ目の前にある佐久市浅科公民館の駐車場でした。駐車場には塩名田宿のデッカイ案内板が立っています。ふむふむ、なるほどぉ~。ここから先は次回のお楽しみです。

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佐久市浅科公民館という名称から推し量れるように、ここは平成17年(2005年)に佐久市に合併される前までは北佐久郡浅科村でした。ちなみに浅科とは浅間山と蓼科山の間に位置していることから、それぞれ一字ずつとって浅科という名前になったのだそうです。なるほどぉ~。今回【第14回】は浅間山がキーワードでしたが、次回【第15回】は蓼科山がキーワードになるのですね。これまでの中山道街道歩きでは、特に上州(群馬県)に入ってから、赤城山、榛名山、妙義山、刎石山(碓氷峠)、浅間山…と、各回で風景や土地の伝承のキーとなる山が異なってきました。いよいよ次は蓼科山ですね。楽しみになってきました。

この日も27,866歩、距離にして20.3km歩きました。心配されたお天気もまったく問題なく、雲で浅間山の雄大な景色が楽しめなかったのは残念ではありましたが、そのぶん陽射しが雲に遮られてさほど強くなく、気温も程よかったのでとても歩きやすかったです。「晴れ男のレジェンド」は今回も健在でした(^-^)v

碓氷峠を越えて信州に入ったことで、中山道の沿道の風景もガラッと変わりました。まさに中山道、「The中山道」、「イメージ通りの中山道」って感じになってきました。今回も見どころが多く、1泊2日の旅程ではありましたが(その1)から(その10)までの10分冊、総計約4万7千字という超大作になってしまいました。中山道最大の難所である碓氷峠超えという話題豊富だった前回【第13回】の13分冊、約5万9千字には及びませんが、それを除けば過去最長の分量です。これほど書けるとは、当初は予想もしていませんでした。歩いてみると、それだけ私の好奇心が擽られるルートだったってことだ…とご理解ください。やっぱ、中山道は信州路に入ってからが本番です。

次回【第15回】は、約1ヶ月後の7月中旬に、ここ塩名田宿を出発して千曲川を渡り、八幡宿、望月宿、芦田宿、笠取峠を経て長久保宿まで1泊2日で歩きます。ちなみに、長久保宿の次は和田宿。次々回の【第16回】では、和田宿を経て、いよいよ五街道最高地点である和田峠(標高1,600メートル)越えに挑みます。次回も、そしてその次もメチャメチャ楽しみです o(^o^)o



――――――――〔完結〕――――――――




執筆者

株式会社ハレックス代表取締役社長 越智正昭

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