2017/12/08

中山道六十九次・街道歩き【第18回: 岡谷→贄川宿】(その1)

11月11日(土)、12日(日)の1泊2日で『中山道六十九次・街道歩き』の【第18回】に参加してきました。【第18回】は前回【第17回】のゴールだった岡谷を出発し、塩尻峠を越えて塩尻宿に、さらに洗馬宿、本山宿を経て贄川(にえかわ)宿まで歩きます。贄川宿の手前では有名な「是より南 木曽路」の石碑があり、ついに中山道のクライマックスとも言える木曽路に入ります。

【第16回】の和田峠の登りは台風で中止(その後、順延で開催されたのですが、私は事情があって不参加)、前回【第17回】の和田峠の下りと下諏訪宿は雨中での開催…と、「晴れ男のレジェンド」の運も尽きたか…と思われたのですが、この日は晴れ! 初日の11日(土)は数日前から前線の通過で明け方まで雨の予報が出ていたのですが、それがズバリ的中。長野県を含む関東甲信越地方は夜中に降っていた雨も明け方にはあがり、さいたま市の自宅を出る時には一面の青空が広がっていました。この2日間、雨の心配は全くしなくていいようです。

その代わり、気掛かりなのは気温。北から寒気が南下してきて、寒くなるようです。弊社ハレックスのオリジナル気象情報サービス『HalexDream!』によると、今回歩く下諏訪から贄川あたりの気温は標高が高いこともあって予想される最高気温は2日間とも8~9℃と10℃以下。夜になると気温はグッと下がり、2日目の12日(日)朝の予想最低気温は0℃。こういう時は着ていく服に迷ってしまいます。気温だけで判断するとウールのセーターやダウンのコートなどの防寒着が必要なほどではあるのですが、陽射しはあるし、歩くのでそこまでは必要ないとも思いますし…。荷物は極力コンパクトにしたいし…、悩ましいところです。いちおう、上下ヒートテックの下着を着て、長袖のトレーナーを着て、風を通さないジャケットを羽織ることとし、もしもの時のためにダウンのベストを持っていくことにしました。予報ではこの2日間、雨の心配はないようだったのですが、万一のことを考えてレインコートもリュックサックに入れました。これでもうリュックサックはパンパンです。この時期の街道歩きは荷物が思いのほか嵩張ります。

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いつものように池袋駅西口に午前8時に集合。すっかり顔馴染みになった“いつものメンバー”と1ヶ月ぶりの再会です。池袋駅西口を出た観光バスは中央自動車道を西へ。この日の街道歩きの出発地、岡谷を目指します。1ヶ月前と比べるとすっかり秋めいて、中央自動車道の沿線も紅葉が進んでいます。今年はこのところ大陸(北)から寒気が流れ込んできて急激に寒くなったせいか、紅葉の色付きが例年よりもいい感じです。その紅葉目当てにこの週末は多くの観光客が紅葉狩りに出掛けるのか、中央自動車道の交通量は普段より多目。加えて、途中、小仏トンネル付近で発生した事故により渋滞が発生。岡谷まで3時間ほどで到着する予定が約4時間半もかかってしまいました。

とは言え、この日は北から乾いた寒気が流れ込んだおかげで大気が澄んで、周囲の景色がハッキリクッキリ見えます。山頂付近に多少雲が残っていますが、八ヶ岳や富士山、さらには甲斐駒ケ岳や赤石岳といった南アルプスの山々の山容が綺麗に見えます。空の青さも濃く、赤や黄色の紅葉と相まって、実にカラフルな景色です。これまでの中山道街道歩きでは、ずっと関越自動車道と上信越自動車道を利用してきました。車窓に見える山々も赤城山、榛名山、妙義山、浅間山、蓼科山…でこのところお馴染みになっていたのですが、中央自動車道では八ヶ岳に富士山、そして南アルプスの山々。変化があっていいですね。前述のように事故渋滞で時間がかかったのですが、そのぶん車窓の景色をたっぷりと堪能できました。行き帰りのバスの車中で読もうと文庫本を1冊持ってきたのですが、車窓の景色に見とれたのと、お仲間の皆さんとの会話が楽しくて、結局、1字も読みませんでした。

岡谷に着く直前、諏訪湖サービスエリアでトイレ休憩です。この諏訪湖サービスエリアは諏訪湖の南側の少し高いところに位置していて、諏訪湖の全貌を眺めることができます。諏訪湖を挟んだ対岸には、前回【第17回】で越えてきた和田峠あたりも見えます。北のほうの山々はうっすらと白くなっています。和田峠は標高1,600メートル、もうそろそろ雪が降っているかもしれません。

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観光バスは中央自動車道の岡谷ジャンクションから長野自動車道に入り、すぐの岡谷インターチェンジで高速道路を降ります。前回【第17回】のゴールだったその岡谷インターチェンジのすぐ傍にあるコンビニの駐車場がこの日のスタートポイントでした。中央自動車道で事故渋滞に巻き込まれたこともあり、この日の街道歩きのスタートポイントに到着した時には既に12時半を回っていました。昼食は塩尻峠を越えた先のワイナリーの駐車場まで歩いた後ということなので、おそらく14時近くになるだろうということで、先ほどトイレ休憩で立ち寄った諏訪湖サービスエリアでサンドウィッチを購入して小腹を満たしておきました。なんと言っても、この日はスタートしていきなり塩尻峠越えがありますから。碓氷峠や和田峠といった難所には数えられていないものの、峠は峠。空腹では腹に力が入らず、峠越えはちとキツそうですからね。

十分なストレッチ体操をしてからスタートです。国道20号線脇の歩道をほんの少し歩き、旧中山道に戻ります。

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このダラダラした登り坂は丸山坂と呼ばれています。ここから塩尻峠へ入っていきます。

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振り返ると諏訪湖が見えます。

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旧中山道道標が立っています。少し坂道の勾配がキツくなってきます。

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15分ほど進むと石船観音の石段下に出ます。馬頭観音が船の形の石の台座に乗っていることから「石船観音」と呼ばれているのだそうです。当時ここは足腰に御利益がある観音として人気があり、険しい峠を控えていることもあって、参拝者が多かったといわれています。長い石段を上るとお堂があり松葉杖や草鞋が供えられているそうです。今でも、足腰に御利益があるとして、訪れる人が多いのでしょう。境内には小さな滝もあるそうです。渋滞に巻き込まれてスタートが遅くなったこともあり、石段を登って参拝することは諦め、石段の下からお参りしました。

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これは見事な紅葉です。前述のように、今年はこのところ大陸(北)から寒気が流れ込んできて急激に寒くなったせいか、紅葉の色付きが例年よりもいい感じです。そんな見事な紅葉の中を気持ちよく進んでいきます。

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鳴沢清水です。この鳴沢清水は石船観音横の鳴沢から金明水が落下してきたもので、皇女和宮も明治天皇もここを通過する時にこの清水を飲まれたと記録に残っています。

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石船観音から先は塩尻峠への本格的な登り坂となります。中山道の難所といえば、碓氷峠があり和田峠があり、そして鳥居峠があり…と標高差の激しい峠が数多くありますが、忘れがちなこの塩尻峠も諏訪側から登ると大変な急坂で、登るのには結構難儀します。道路の幅はニ間(約3.6メートル)で、現在は舗装され、トラック等の大型車を除きクルマの通行もできるようですが、すれ違いができないため、ほとんどクルマは通りません。私達が登っている途中で地元の人のクルマでしょう2台の軽乗用車が前方から下ってきました。

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坂の途中で振り返ると諏訪湖が見えます。その先には八ヶ岳、そして富士山、さらには南アルプスの山々の山容が見えます。ちょっと上がっただけで、見える景色が変わってきました。この日は晴れて、しかも空気が澄んで遠くまで見渡せるので、こりゃあ塩尻峠頂上にある展望台からの景色が楽しみです。ちなみに、この塩尻峠、登りの区間は長野県岡谷市になり、ここに降った雨は諏訪湖へ注ぎ、天竜川を下って太平洋へ流れます。一方、峠を越えた先の下りの区間は同じく長野県の塩尻市で、そこに降った雨は、田川を下り、薄川、奈良井川と合流し、梓川と合流すると名を犀川に変え千曲川に合流し、最後は信濃川となって日本海に注ぎます。つまり、この塩尻峠は太平洋と日本海に分ける日本の大きな分水嶺のひとつなのです。

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街道脇に巨大な転石があり、昔から「大石」と呼ばれていました。江戸時代に中山道の様子を描いた絵地図『岐蘇路安見絵図』などにも「大石」として描かれているほか、『木曽路名所図会』にも、「大石、塩尻峠東坂東側にあり。高さ二丈(約6メートル)ばかり、横幅二間余(約3.6メートル)」と記されているのだそうです。伝承によると、昔この大石にはよく盗人が隠れていて、旅人を襲ったと言われています。ある時のこと、この大石の近くで旅人が追いはぎに襲われて殺され、大石のたもとに埋められました。雨の降る夜に下の村から峠を見ると、この大石のところで青い火がチロチロと燃えているのが見えたということのようです。またこの辺は昔よくムジナ(妖怪)が出て、夜歩きの旅人を驚かし、そのすきに旅人の持っている提灯のローソクを奪ったという (ムジナはローソクの油が大好物だったといわれています)。

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大岩の前を通り抜け、急坂をどんどんどんと上がって行きます。峠の麓にあった石船観音から峠の頂上までは距離にして約1km、標高差は約150メートルなので、この数字だけを見ると比較的楽な峠のように思えるのですが、なかなかどうして。特に最後の200メートルはなんでこんなに急な勾配の道を作ったのか…と言いたくなるような急坂になっています。メンバーには年配の方が多いので、この急坂の途中で腰をおろしてしばし休まれる方も出るくらいです。

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20分ほど登り、最後の急坂を登りきると景色が一気にパァ~っと開けます。ここが塩尻峠の頂上です。

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ここが塩尻峠です。塩尻峠は諏訪平(現在の岡谷市)と松本平(塩尻市)を繋ぐ峠です。現在の国道20号線は標高1,012メートル付近で峠を越えていますが、明治22年(1889年)以前の旧中山道はその国道20号線よりも北寄りのこの標高1,055メートル地点を通っていました。

地形は諏訪平(岡谷)側が急で、岡谷市街地の標高が約800メートルなので、岡谷から峠の最高点1,055メートルまで一気に登ってきた感じです。反対に松本平(塩尻)側は比較的傾斜の緩やかな坂になっています。地元では塩嶺峠(えんれいとうげ)とも呼ばれています。同じ場所に塩嶺山という火山があったともいわれていて、それがいわれとされています。中央分水嶺にある峠の一つで、岡谷側に降った雨は天竜川(太平洋)へ流れ、塩尻側に降った雨は、犀川(信濃川、長野県内は千曲川へ合流し日本海)へ流れます。

また、塩尻峠は日本の主要な地溝帯の一つで、地質学においては東北日本と西南日本の境目となるフォッサマグナ(Fossa magna:中央地溝帯)の鞍部にあたります。日本における近代地質学の基礎を築くとともに、日本初の本格的な地質図を作成し、ナウマンゾウにその名を残すドイツの地質学者ハインリッヒ・エドムント・ナウマン(Heinrich Edmund Naumann)はこのフォッサマグナを発見したことでも知られています。ナウマンは明治9年(1876年)にこの塩尻峠を通り、この地質構造の異なるラインが糸魚川から静岡にまで至るのを発見し、1885年に発表した「日本群島の構造と起源について」と題する論文の中でフォッサマグナと命名しました。

奥に展望台の建物が見えます。

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旧峠付近は「塩嶺御野立公園」として展望台などが整備されています。この展望台からは東に岡谷市の先に諏訪湖、空気が澄んでいればさらにその先に富士山、南アルプス、八ヶ岳連峰、西に北アルプスの山々が眺望でき、野鳥も多いことから「日本の音風景100選」(塩嶺の小鳥のさえずり)にも選出されています。塩尻峠からの眺望は素晴らしい…の一語です。渓斎英泉が描いた浮世絵「木曾街道 諏訪ノ湖水眺望」もまさにこの地から描いたものです。

この素晴らしい景色を見たくて山に登るのが登山家ですが、街道歩きだってご覧の通り。結構苦しい思いをして登ってきた後に広がる景色を眺めるのは最高です。諏訪湖の向こう左手は、茅野の後ろに広がる永明寺山(標高1119.4メートル)、その後ろが八ヶ岳連峰の最南端に位置する編笠山(標高2,524メートル)から続く長いスロープです。諏訪湖の右手には南アルプスの山々が見えるのですが、その奥に日本最高峰の富士山(標高3,776メートル)の姿がうっすらと見えます。素晴らしい光景です。眺めているだけで、ここまで急坂を登ってきた疲れも吹き飛ぶ感じです。昔、中山道を旅した人達もこの素晴らしい眺望に、疲れを癒したことでしょう。

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諏訪湖とは反対側に目を向ければ、北アルプスの峰々が手に取るように望めます。送電線が視界を遮ってしまうのは非常に残念なところですが、目の前には穂高連峰が迫っています。

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峠の頂上には「浅間神社石碑」と「明治天皇塩嶺御野立碑」が立っています。

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「富士浅間神社碑」です。塩尻峠は、江戸時代、松本藩領・諏訪藩の郡境で、この富士浅間神社は郡境の宮として、このような石祠を奉祀したもののようです。

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この「明治天皇塩嶺御野立碑」は明治天皇が明治13年(1880年)6月に巡幸の際に塩尻峠にお立ち寄りになられ、ここで休憩を取られたことを記念して建てられたものです。旧峠は現在の岡谷市と塩尻市の市境にあたっており、両市では関係者の交流のために、年に2回「塩嶺御野立記念祭」を行っています。この祭礼は大正14年(1915年)に旧峠に明治天皇塩嶺御野立碑を設置した時から行われているもので、春は6月24日の明治天皇巡幸日にあわせて行なわれ、岡谷市が担当します。また、昭和22年(1947年)10月14日には昭和天皇が同じく巡幸の際にここに立ち寄られており、これを記念した秋の祭りは塩尻市が主催します。この祭りは明治天皇が訪れた時間に合わせて午前10時に一礼するしきたりになっています。両市の職員、議員、商工会関係者、住民などが並んで記念碑の前で「一同、礼」と頭を下げると祭りは終わり、所要時間はおよそ20秒。そのため「世界一短い祭り」とされているのだそうです。ちなみに、祭りの終了後は、周辺で参加者の懇親会が開かれるのだそうです。



……(その2)に続きます。

執筆者

株式会社ハレックス代表取締役社長 越智正昭

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