2018/01/30

元日本スーパーバンタム級チャンピョン石本康隆選手、現役引退

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1月17日(水)、私が応援してきた元WBOインターナショナル スーパーバンタム級チャンピョンで第39代日本スーパーバンタム級チャンピョンのプロボクサー・石本康隆選手(帝拳ジム)が現役引退を発表しました。

昨年の11月4日(土)に、日本王座奪還への挑戦権を賭けて、ボクシングの聖地・後楽園ホールにおいて中川勇太選手(角海老宝石ジム)と最強挑戦者決定戦(8回戦)で対戦し、“死闘”とも呼べる過酷すぎるほど過酷な激戦を制し、2対1の僅差の判定で勝利し、日本チャンピョン久我勇作選手(ワタナベジム)への挑戦権を獲得したのですが、1ラウンドに相手選手とのバッティング(頭突き)で顔面を強打し、その際、眼窩(がんか)底骨折の重傷を負っていたようで、その怪我からの回復にかなりの時間がかかりそうなことと、現在36歳という年齢を考えて引退を決意したということのようです。

石本康隆選手、日本王座への再挑戦権獲得!!
石本康隆オフィシャルブログ「まぁーライオン日記~最終章~」

【新聞報道等】
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スポーツ報知

石本康隆選手は香川県高松市の出身。2013年4月6日にマカオで行われた元WBO世界スーパーバンタム級王者で当時WBO世界スーパーバンタム級1位だったウィルフレド・バスケス・ジュニア選手(プエルトリコ)に2対0の判定勝ちを収め、WBOインターナショナル スーパーバンタム級王座を獲得したのですが、その年の10月に開催された香川県人会の場で偶然にも石本康隆選手の隣の席に座ったことで知り合い、私は彼の人間性の良さに惹かれていっぺんでファンとなりました。

2014年2月1日に東京水道橋の後楽園ホールで行われたズン・リンダム選手(インドネシア)との10回戦が私が石本康隆選手の試合を観戦した最初の試合で、この試合が私にとってナマでのプロボクシング初観戦でした。この試合は3回KOで石本康隆選手の勝利。

その後、2014年5月31日にマカオで開催されたクリス・アバロス選手(米国)とのIBF世界スーパーバンタム級挑戦者決定戦で8回44秒TKO負けを喫し、IBF世界スーパーバンタム級王座への挑戦権の獲得に失敗しました。世界タイトルにあと一歩で手が届くところまでいっていたのですね。

そのマカオでの試合こそ観にいけませんでしたが、その後、国内(すべて後楽園ホール)で開催された9試合はすべてナマで観戦させていただきました。

2014年12月6日には、その後、IBF世界スーパーバンタム級王者ともなった小國以載選手(角海老宝石ジム)と日本スーパーバンタム級王座決定戦を戦い、0対3の判定で敗れ王座獲得に失敗したものの、各ジャッジの判定は極僅差でした。

日本スーパーバンタム級タイトルマッチ

2015年4月4日には宇津見義広選手(ヨネクラジム)と8回戦を行い、7回2分11秒、3対0の負傷判定勝ちを収めて再起を果たし、2015年8月7日には古橋岳也選手(川崎新田ジム)と8回戦を行い、8回3対0の判定勝ちを収めました。

“Re-START”…イシモ、現役続行!
リッチギー石本選手、次は日本タイトル獲得だぁ~っ!

そして、2015年12月21日、久我勇作選手(ワタナベジム)と日本スーパーバンタム級王座決定戦を行い、10回3対0の判定勝ちを収め、35戦目、3度目のタイトル挑戦でついに日本スーパーバンタム級チャンピョンのタイトルを獲得しました。

日本スーパーバンタム級チャンピョン、いっしもとぉ~やっすたかぁ~!

2016年4月2日には藤原陽介選手(ドリームジム)と対戦し、10回3対0の判定勝ちを収めて日本スーパーバンタム級王座の初防衛に成功。2016年10月1日には古橋岳也選手(川崎新田ジム)と対戦し、10回2分27秒TKO勝ちを収めて日本スーパーバンタム級王座の2度目の防衛に成功しました。

チャンピオン石本康隆選手、初防衛戦決定!
チャンピョン石本康隆選手、タイトル初防衛に成功!!
チャンピョン石本康隆選手、タイトル初防衛に成功!!(祝勝会編)
日本チャンピョン石本康隆選手、2度目の防衛成功!!

しかし、2017年2月4日、久我勇作選手(ワタナベジム)と対戦した3度目の防衛戦で2回2分49秒TKO負けを喫し、日本スーパーバンタム級王座の防衛に失敗し、王座から陥落してしました。

王座陥落(T ^ T):日本スーパーバンタム級タイトルマッチ

この時点で石本康隆選手は35歳。年齢から考えてこのまま現役を引退するのではないか…と誰もが考えたのですが、石本康隆選手は現役続行を選択。2017年7月18日にアルネル・バコナヘ選手(フィリピン)と10回戦を行い、7回2分38秒KO勝ちを収め再起を果たしました。

前日本スーパーバンタム級チャンピョン石本康隆選手、現役続行!
石本康隆選手、再起戦KO勝利!

そして2017年11月4日、日本スーパーバンタム級1位の中川勇太選手(角海老宝石ジム)と日本スーパーバンタム級王座の最強挑戦者決定戦を行い、8回2対1の判定勝ちを収め、日本スーパーバンタム級王座への挑戦権獲得に成功しました。

石本康隆選手、日本王座への再挑戦権獲得!!

しかし、この中川勇太選手との1戦で上述のように眼窩底骨折を負ったため、今年(2018年)2月のチャンピオンカーニバルで行われる予定だった日本スーパーバンタム級タイトルマッチへの出場を辞退。前述のように、2018年1月17日(水)、現役引退を発表しました。

現役を引退した石本康隆選手のプロボクサーとしての戦歴は40戦して31勝(9KO)9敗。中学2年の時にボクシングを始めたとはいえ、アマチュアとしての経験は浅く、本格的にボクサーを目指したのは20歳の時に上京し、帝拳ジムに入門してから。プロボクサーとしてのデビュー戦は入門2年目の2002年11月16日。最初はスーパーフライ級でプロデビューし、デビュー戦は4回判定での勝利でした。この時21歳。その後、連敗を喫したこともありましたが、バンタム級、スーパーバンタム級と登録階級を上げていき、徐々にその才能が開花していきました。バンタム級、スーパーバンタム級といえば、梶原一騎さん原作で、ちばてつやさんの絵による漫画「あしたのジョー」の主人公・矢吹丈が属していた階級で、日本人にとっては一番選手層が厚い階級の一つ。その層の厚い階級の中でランキング上位に上がっていくには相当の努力が必要だったろうと思います。

タイトルへの初挑戦はデビュー後9年以上が経過した2012年2月13日。当時の日本スーパーバンタム級王者・芹江匡晋選手(伴流ジム)に挑戦したのが最初で、この時、石本康隆選手は30歳。プロボクサーとしては遅いタイトル初挑戦でした。この日本タイトルへの初挑戦は残念ながら0対3の判定で敗れ、王座獲得に失敗したものの、その翌年の2013年4月6日、前述のようにマカオで行われた元WBO世界スーパーバンタム級王者で当時WBO世界スーパーバンタム級1位だったウィルフレド・バスケス・ジュニア選手(プエルトリコ)に2対0の判定勝ちを収め、ボクシング界に衝撃を与え、WBOインターナショナル スーパーバンタム級王座を獲得しました。31歳の時のことです。

そして前述のように、その後2015年12月21日に3度目の挑戦で、見事、第39代の日本スーパーバンタム級チャンピョンの座につくことができました。この時、石本康隆選手は34歳。文字通りの遅咲きのボクサーです。

これまで何人もの世界チャンピョンを輩出してきた名門・帝拳ジムにおいてはアマチュアでのめぼしい実績もない石本康隆選手はまさに雑草。雑草ではありますが、練習に練習を重ねて、1戦1戦、自らの拳で一歩一歩実績を積み重ねることにより日本スーパーバンタム級チャンピョンにまで上り詰めた苦労人、努力の人です。なので、人柄がいいのもよく分かります。

ボクサーのスタイルとしては右利きの比較的オーソドックスなスタイルのボクサーファイター。31勝しているもののノックアウト(KO)での勝利は僅かに9勝。KO率はさほど高くはなく、強力なパンチを放つハードパンチャーとは言いがたい選手でした。強力なパンチ力は持ち合わせてはいないものの、類まれな動体視力で相手のパンチを寸前でかわし、加えてベテランらしい老獪な試合運びで有効打の連打を浴びせ、相手を徐々に追い込んでいく、対戦相手にとっては実に“嫌らしいタイプ”のボクサー、我々応援する人にとっては派手さはないものの、玄人受けのするいろいろな意味で実に“面白い”ボクサーでした。私は40戦のキャリアを持つ石本康隆選手の終盤の10試合しかナマで観戦はしていませんが、それでもしっかりとボクシングの魅力を堪能させていただきました。彼のボクシングを通して、ボクシング観戦の醍醐味を知ったようなところもあります。その意味で、感謝感謝です。

ちなみに、私が後楽園ホールで観戦した10試合では石本康隆選手の戦績は8勝2敗。負けた2試合は小國以載選手(角海老宝石ジム)と対戦した日本スーパーバンタム級王座決定戦と、久我勇作選手(ワタナベジム)と対戦した3度目の日本スーパーバンタム級王座防衛戦というタイトルがかかった最高峰の試合だけでした。ちなみに、私は小國以載選手(角海老宝石ジム)に敗れた日本スーパーバンタム級王座決定戦の後から石本康隆選手が入場する際にリングサイドまでの花道で応援幟を持つようになったのですが、私が応援幟を持つようになってからは7勝1敗。周囲の石本康隆応援団の皆さんからは「勝利の男神」と呼ばれていました。

引退発表した時点で石本康隆選手はWBC世界スーパーバンタム級9位、日本スーパーバンタム級1位。堂々たる世界ランカーのままでの現役引退です。それも、昨年11月4日に行われた最強挑戦者決定戦に勝利し、今年(2018年)2月のチャンピオンカーニバルで行われる予定だった日本スーパーバンタム級タイトルマッチに出場し、王座奪還のチャンスを手にしたままでの、さらに言うと、WBC世界スーパーバンタム級9位ということは世界タイトル挑戦へもあと一歩と迫ったところでの現役引退。もったいないと言えば、これほどもったいないこともありませんが、それほど大きな怪我を負っていたということなのでしょう。ドラマや映画にでも描かれそうな終幕でした。苦労人・石本康隆選手らしい終幕と言えないこともありません。

石本康隆選手が現役引退を発表した前日の1月18日(月)の夜、神田錦町の『野らぼー 錦町本店』において、香川県出身者や香川県に所縁のある方々が集まって毎年恒例となっている『初春の讃岐餡餅雑煮と饂飩(うどん)を堪能する会』が開催され、私もご案内を受けたので参加してきました。この『初春の讃岐餡餅雑煮と饂飩(うどん)を堪能する会』は石本康隆選手を激励する会を兼ねていて、この日ももちろん石本康隆選手は参加してくれました。

讃岐餡餅雑煮と饂飩を堪能する会

私が会場に到着した時、既に石本康隆選手は来ていたのですが、その顔を見た時、「あれっ、いつもと違うぞ」と思ってしまいました。明らかに顔が丸くなっているのです。ふっくらしていると言ったほうが適切でしょうか。その時は、2月のチャンピオンカーニバルで行われる予定だった日本スーパーバンタム級タイトルマッチへの出場を辞退したことは知っていたので、まだ減量を開始するまでには時間があるからかな…と思ったのですが…。「石本、今のウエイトなら、ミドル級に階級を上げて、村田諒太選手と世界タイトルマッチを戦えるんじゃあないの?」と私が冗談を振ると、石本康隆選手は照れ笑いを浮かべていました。

この『野らぼー錦町本店』は故郷・香川県の料理が味わえるというので、香川県出身者や香川県に所縁のある方に大変人気のお店です。この日も餡餅雑煮や讃岐饂飩(うどん)を肴に大いに盛り上がりました。もちろん話題の中心は石本康隆選手。昨年11月4日に行われた最強挑戦者決定戦では試合後の祝勝会に石本康隆選手自身は参加できず、試合後そのまま救急車で後楽園ホールから病院に搬送されたということでしたので、あの試合のことを直接本人から聞くのは、これが初めてになりますから。この試合の様子は「おちゃめ日記」にも詳しく書かせていただいておりますので、是非そちらをお読みください。

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石本康隆選手、日本王座への再挑戦権獲得!!

そこにも書いておりますが、この試合、石本康隆選手は試合開始早々の第1ラウンドに相手選手とのバッティング(頭突き)で顔面を強打し、負傷してしまいました。どうしても私達ファンの関心はそのことに集中します。眼窩底骨折という結果として選手生命を奪うことになるくらいの重傷を負い、それでも8ラウンドを戦い抜き、判定で勝利したわけですから。このことを石本康隆選手に聞くと、

「正直、試合中、何度も心が折れそうになりました。その揺れる気持ちをセコンドと応援団の熱い声援が揺るぎない気持ちに変えてくれました。諦めなくて良かったとほんとに思います。諦めなければいいことがあるんだなと…。心に残るものがあるんだなと…。そういうことを気づかせてくれた試合でした。」

という言葉が返ってきました。私はブログで、
「私は石本康隆選手の試合をこれまで10戦ほど観てきましたが、これほどの激戦を観たのは初めてです。そして感動しました。私こそ、目から涙が溢れていましたから。私も「泣きましたね」と問い掛けられたら、もちろん「泣いてません!」と返しますが…(笑) 」という風に書かせていただきましたが、私が感じた石本康隆選手の気迫と感動の裏にはそういうことがあったのですね。とにかく観ていた私達ファンにとってもずっと思い出に残る、そしてずっと語り継がれることになるであろう本当に素晴らしい試合でした。

楽しかった会もあっという間に過ぎ、時間的にそろそろ終わりになりそうだという時に石本康隆選手は「今日は皆さんに重大な発表があります」と言って立ち上がり、「皆さんには申し訳ないのですが、現役を引退することにしました。正式には明日(1月17日)発表するのですが、今日(16日)にこれまでずっと応援をしていただいた皆さんとお会いして、この場で何も告げずに、明日新聞報道を見て私が現役を引退することを知ったら、大変に失礼なことになると思い、1日前ではありますが、直接皆さんにお伝えしたいと思います」と切り出しました。

やはりな…。一瞬の沈黙があった後、私を含め会場の全員から出た言葉は「ありがとう。そして、長い間本当にお疲れ様でした」でした。「ありがとう」…、私達に夢を追いかけ続けることの大事さ、尊さを教えてくれ、そうした夢を追い続ける1人の若者(選手)を応援する喜びを与えてくれた石本康隆選手には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

石本康隆選手は現在36歳。日本ボクシングコミッション(JBC)の公式ルールによると、プロボクサーの年齢制限は17歳以上36歳まで。37歳に達した時に自動的にライセンスは失効する…となっています。ただ、日本タイトル以上の王座保持経験者、世界挑戦経験者、JBCが認める団体の世界ランキング15位以内の選手に限り、コミッションドクターの特別診断(CTスキャンや神経系の検査)を受けることを条件に満37歳以上の選手も試合出場を許可されます。石本康隆選手もその特例に該当するのですが、いずれにせよ36歳という年齢はプロボクサーとしてはギリギリのいっぱいいっぱいです。いずれ近いうちにこの(引退の)日がやって来るだろうことは私も分かっていたので、とうとうその日がやって来たな…って感じでした。11月4日に行われた最強挑戦者決定戦で眼窩底骨折を負い、その怪我の影響で今年(2018年)2月のチャンピオンカーニバルで行われる予定だった日本スーパーバンタム級タイトルマッチへの出場を辞退した段階で、残念ながらこのまま現役を引退するのではないか…と正直思ってはいました。前述のように石本康隆選手の最大の武器は類いまれな動体視力。眼窩底骨折を負ったことで、その動体視力が陰ってしまっては、これ以上は戦えませんからね。石本康隆選手もそのことをクチにしていました。プロボクサーとしてのキャリア15年。本当に長い間お疲れ様でした。

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石本康隆選手はプロボクサーとして40戦して31勝(9KO)9敗。WBOインターナショナル スーパーバンタム級チャンピョンにもなり、日本スーパーバンタム級チャンピョンにもなりました。ただ石本康隆選手のクチから出てきた言葉は意外なものでした。

「私にとって誇りなのは、40戦して31勝9敗。その31試合の勝ちのほうではなく、9つの負けのほうです。9試合も負けたのにそこから常に歯を食いしばって這い上がってきて、WBOインターナショナルのチャンピョンにもなれたし、日本スーパーバンタム級のチャンピョンにもなれた。そういう自分が誇りです」

「9つの負けた試合が誇りだ」とは、いかにも苦労人の石本康隆選手らしい言葉です。そういうことをサラッと言える石本康隆選手をこれまで応援してこられたこと、これが私達ファンの誇りです。

それにしても、現役引退を正式に発表する前日に、私達ファンの前でそれを表明するなんて、律儀な石本康隆選手らしいことだと本当に嬉しく思いました。常にファンを大切に思ってくれる選手でしたから。もしかすると、この日(1月16日)に私達と会うので、敢えてその翌日の1月17日に正式発表をするようにしたのかもしれません。考えすぎでしょうが、石本康隆選手の律儀さを考えると、そういう風にも想像できます。おそらく引退を決意してからこの会の前までに、これまで彼を支えてきてくれたスポンサー企業や主だったファンの方々への挨拶を済ませ、私達地元香川県関係の応援団への挨拶がその一番最後だったのかもしれません。石本康隆選手の表情からはプロボクサーとしてのすべて出し切って終わった…という安堵感のようなものが窺えました。

石本康隆選手は現役を引退する理由について、「怪我のこともありますが、日本タイトルを失った3度目の防衛戦を含め、ここ3試合ほど自分本来のボクシングが全然できていなかったこと」を挙げました。年齢のことは自分自身では最後までクチにしませんでしたが、「自分本来のボクシングができていなかった」ということがそういうことなのかもしれません。年齢的な限界を悟ったということなのでしょう。一度でも頂点を極めた者でないとなかなかクチにすることができない、実に重みのある言葉です。36歳になっても世界の頂点(チャンピョン)を目指して、夢を追い続けてきた石本康隆選手、本当にボクシングが好きだったんだな…と思ってしまいました。私はその言葉に感動を覚え、正直泣きそうになりました。36歳で現役を引退するにあたってそういう風に言える石本康隆選手をこれまで応援することができて、本当に光栄に思います。

会場には昨年11月4日に行われた最後の試合(最強挑戦者決定戦)で実際に穿いたトランクスを持ってきてくれました。私も持たせてもらったのですが、意外と重かったです。一面にラメとスパンコールが織り込まれていますし、後ろ側には石本康隆選手を応援した多くのスプンサー企業の社名の入った刺繍が施されていますからね。

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WBOインターナショナル スーパーバンタム級チャンピョンのチャンピョンベルトも持ってきてくれました。これも持たせていただいたのですが、かなり重い。これがチャンピョンの重みというやつなんでしょうね (日本チャンピョンのチャンピョンベルトは負けると日本ボクシングコミッションに返上しないといけないのですが、WBOインターナショナルのチャンピョンベルトはそのまま選手がいただけるそうなんです)。

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最後は参加者全員で記念撮影。私も石本康隆選手のすぐ隣でファイティングポーズを取らせていただきました。

ちなみに、石本康隆選手、いや石本康隆さんはしばらくは東京に残るのですが、いずれ故郷の香川県高松市に戻り、家業の焼肉屋さんを継ぐつもりなのだそうです。焼肉屋さんをやりながら、香川県高松市でボクシングジムを開くのがこれからの夢なんだそうです。自らのボクシングジムで、若いボクサーを育て、四国から世界チャンピョンを誕生させる…、これがこれからの夢だと語っていました。人格者の石本康隆さんだけに、この第二の夢もきっと成し遂げるだろうと思います。これからも私は、そんな夢を追い続ける石本康隆さんを応援し続けるつもりでいます。

石本康隆選手、本当に長い間お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。これからは第二の夢に向かって突き進んでいってください。私は応援し続けます。

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【追記】
『初春の讃岐餡餅雑煮と饂飩(うどん)を堪能する会』ということで、香川県の郷土料理を幾つかご紹介します。

おせち料理と並ぶ日本の正月料理の定番であるお雑煮(ぞうに)ですが、お餅を汁に入れて食べるという基本は全国共通なのですが、その際に汁に入れる具や、汁のベースとなる出汁(ダシ)等については全国各地の郷土色があって、様々です。その郷土色豊かな(地方毎にバリエーションに富む)雑煮の中でも、“際モノ”の代表格とも言える雑煮が、香川県地方で食されている雑煮ではないでしょうか。香川県の雑煮の特徴は餅に餡(あん)入り餅、正しくは粒餡(つぶあん)入りの丸餅を使い、白味噌仕立ての汁でいただくというものです。

粒餡入りの丸餅を白味噌仕立ての汁でいただく…という言葉を読んでいただいただけで、コッテリ濃厚で甘ったるい味ではないか…と想像されると思いますが、はっきり言ってその通りです(^^)d。最初におそるおそる一口クチに入れると、想像通りのそのコッテリ濃厚で甘ったるい味に最初は「なんじゃこりゃ!?」って思うところがありますが、慣れるとそのコッテリ濃厚で甘ったるい味が徐々に病みつきになってくるのです。美味しいですよ(^^)v

右側の写真は餅を半分食べたところです。餅の中の餡子(あんこ)がご覧いただけるかと思います。粒餡(つぶあん)です。

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香川県と言えば「うどん県」。讃岐うどんはあまりにも有名です。〆はもちろん讃岐うどんです。最近は首都圏でも讃岐うどんのチェーン店がドンドン出店してきて、いつでも美味しい讃岐うどんが食べられるようになってきましたが、そこで食べられるうどんは、申し訳ないけれど、あくまでも「讃岐うどん風うどん」。もちろんどの店も悪くはないのですが、本場香川県で育った人間からすると、どこかなにかが足りないのです。出汁であったり、麺のコシであったり…。その点、この神田錦町の『野らぼー 錦町本店』は、香川県善通寺市出身のご主人が、地元香川県の田舎の味を東京の人にも知ってもらいたいという思いで、うどんの原料となる小麦粉も、煮干し(イリコ)も、醤油も、地元香川県から取り寄せているので、正真正銘の本場もの(讃岐弁で“ほんまもん”と言います)の讃岐うどんが味わえます。

しかも、一口に“讃岐うどん”と言っても土地によって、さらには店によっていろいろな食べ方のバリエーションがあるのですが、この『野らぼー 錦町本店』では首都圏に住む香川県人のリクエストに応えて、そうしたいろいろなバリエーションのうどんを出してくれます。この日もいろいろなうどんを食することができました。このところ禁断症状が出かかっていた「美味しい讃岐うどん欠乏症」も、ここしばらく出なくなるでしょう。

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現役を引退して減量のことを考える必要がなくなった石本康隆選手も、これまでの反動からか食べる食べる(笑)。顔つきが明らかにふっくらしてきたのは、このせいだったのですね。私達もこれからは石本康隆選手の減量のことを気にせずに、気楽に食事に誘えそうです。

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執筆者

株式会社ハレックス前代表取締役社長 越智正昭

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越智正昭

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