2017/07/20

状況判断への経験則の活用について

1 災害対策本部の意思決定環境について
災害対策本部が活動する世界を観察すると、災害対策本部が背負う宿命のようなものが見えてきます。宿命の一つは、「不確実性の支配」です。 災害対策本部が活動する世界は不確実性が支配しています。 現在の情報科学技術は不確実な状態を、ある程度改善してくれますが、100%改善してくれるわけではありません。 昔も、今も、将来も、不確実性は危機の属性であることには変わりなく、災害対策本部を取り巻いているのは不確実性が支配する世界と言っても過言ではありません。 もう一つの宿命は「時間の縛り」です。災害対策本部は、常に、時間の縛りを受けて行動しています。 これを無視すると、活動そのものの意義が失われ、ミッション上の重大リスクが発生する恐れがあります。 本部活動の中で行われる個人やチームの仕事はすべて、他の仕事との関係性の中で行われますが、そこで求められるものは必ずしも「完全性」ではありません。「適時性」です。人は往々にして、自分の仕事の世界に没入すると、全般を律する時計の動きが見えなくなる傾向があります。仕事に完全性を 期するあまり、時間に無頓着であることは許されません。組織の仕事は、あらゆる局面で「時間の縛り」との戦いです。 不確実な状況下においても、或いは、時間の制約下においても、マネジャーにとって、理に適った適時適切な状況判断を実行することは、重要な使命であり、自己研鑽の主要な課題です。 ここで、参考にして頂きたいのが、今回のテーマである「過去の経験則の活用」です。

2 状況判断への経験則活用方法とその効果
状況判断への経験則の活用とは、簡単に云えば、問題に直面しその対応策を判断するときに、過去に起きた同様の事例を想いだし、その時の教訓を参考にして、現実の問題解決策を判断するというやり方です。  この方法は、私たちが日常的に行っており、馴染みの深いやり方です。 経験則を活用する事によって、将来を予測するための情報収集・分析作業を簡略化し、 所要時間を短縮することが出来ます。 状況を診断する際に、情報の重要性を見抜く感性があれば、入手した断片的な兆候情報を、経験則に照らし合わせて、こまごまとした分析作業を飛び越えて、近未来を直覚的に予測することが出来るようになります。 その事によって、情報収集分析に要する時間が大幅に短縮できるのです。 一方、意思決定についても過去の経験則を使うことにより、複雑な状況判断作業を単純化することが可能になります。 この場合の経験則の使い方には、大きく分けて二通りのタイプの方法があります。 「モノマネ型」と「創造型」です。 「モノマネ型」の方法は、普通の人でも比較的簡単にできます。 人は、新しい状況に遭遇し、何かを決断しなければならない時、殆どの場合、自分の経験に照らし合わせて、同じような場面を想い起します。 即ち、「あの時、こんな場面で、このように行動した。その結果はこうだった。」と。 その時に行った行動の設計図を引っ張り出し、直面する状況に適応できるように部分 修正し、採るべき行動要領を決断します。 このやり方は、行動パターンが標準化し易い現場レベルの対応行動の決定に適しており、「巧遅よりも拙速」が求められる場面において、より大きな効果が生まれますが、過去の事例の適用条件を良く理解して置くことが大切です。 この方法によって産み出されるのは、過去に実行したことがある「常識的な行動」ですが、 自然災害相手の対応行動としては、十分に有効であると思います。

「自分の経験に照らし合わせて」と言いましたが、災害対策本部が対応行動を決定する 場合、意思決定者が状況判断に利用できる「自身の経験」など、殆ど、期待できません。 このようなときは、他人の経験、即ち、「追体験」に頼らざるを得ません。 一方、「愚者は自分の経験から学ぶ。賢者は他人の経験から学ぶ。」という格言があります。 これは、「他人の経験を利用する方が失敗は少ない」という意味です。 以上二つの意味から、自治体の防災部署においては、他者(他自治体)の経験を最大限に 利用するという心構えが肝要です。そのような方針の下に、万一の事態に備えて、日頃から、他者の経験を組織的に収集整理しておくという施策が大変重要になります。

「創造型」は、経験則を活用して新しい対応行動を創り出すという方法です。これは、 「モノマネ型」と比べ、少々、レベルが高い経験則の活用方法です。 一例を挙げます。 最近注目されている「線状降水帯」と呼ばれる気象現象がもたらす集中豪雨警報に接した地方自治体が、予想危険地域に対し「タイムライン」という事前防災行動を発動すべく、その行動要領を判断している、とします。 意思決定者は、先ず、「モノマネ型」の方法を模索します。 意思決定者は、すぐに、他自治体の経験は、サンプル数が少ないことに気付きます。 例え、サンプルがあっても、他自治体の例と我が自治体が直面している課題とは、環境 条件が違い過ぎるという事に気付きます。 タイムラインは、風水害によって引き起こされる地域性の高い様々な問題・課題に対し、地方自治体によってガバナンスの方式が異なる災害対策本部の下で、多種多様な組織が、同時、或いは時系列に沿って、様々な地域で、多様な任務行動を行い、夫々の活動効果を総合して、「人的被害の未然防止」という作戦目標の達成を追求します。 このような作戦では、変数が多すぎて、過去の対処行動をそっくり当て嵌めることは困難です。聡明な意思決定者は、過去のやり方の踏襲に拘って、大修正するよりも、経験則を生かし、直面する状況に適合する自分流の新たな行動要領を創造する方が合理的であるという結論に気付きます。 意思決定者は、先ず、風水害対応に関係がある過去の重要な経験則(法則、原則、理論)をデータベースから探し出します。  次にやることは、自分達がこれまでに訓練経験があり、良く習熟している「タイムライン」の行動パターン(行動ドクトリン)を俎上に上げて、今直面している状況(時期・場所、主要課題)に適合させ、行動ドクトリンを実行要領として具体化する作業を行います。  具体化作業の過程において、経験則が指し示す重要な原理・原則(例えば、目標の原則、集中の原則、奇襲回避の原則、統一の原則等)を実行要領の中に具現する工夫を行います。 こうして、「タイムライン」の行動ドクトリンは、直面する状況に適合し、過去の経験則を具現した自分流の「新たな実行要領」として再生されます。 このタイプの活用法は、変数が多いタイムラインのような「作戦レベルの行動要領の設計」に適しています。 勿論、自分自身が経験したタイムラインは、将来、同じような環境条件の下で生起する 風水害に「モノマネ」対応するための経験として記録を残しておくことが重要です。

3 今後の課題
ここで課題になるのは、質の高い経験則・知見を数多く収集し、活用しやすい状態で 蓄積することです。経験則は、災害対応要領を決定する際の「貴重な知的資産」です。 組織を挙げて色々な経験則を収集し、本部訓練を通じて、これらを意思決定に活用する 方法に習熟する必要があります。 自治体の防災部署が知的資産として調査・収集しておきたい経験則・知見を、思いつくまま、以下、列挙してみました。

〇各種危機対応で活用すべき基本原則、或いは最近の傾向から、今後、基本原則の仲間入りする可能性がある新たな原則に関する資料
〇地域の災害特性等、自然災害の素因に関する資料
〇誘因と素因が織りなす災害発生理論に関する知見
〇特定地域に特定の災害が発生する条件及び科学的根拠に関する資料
〇災害が段階的に顕在化していくプロセスの因果関係を証明する資料
〇災害が段階的に顕在化していくプロセスを把握するために、時系列に整理された 兆候資料
〇他自治体において用いられた災害対応行動、出来れば、それらをパターン化した資料
〇意思決定プロセスと結果等に関する資料
〇失敗の事例、特に、原因と対策に関する教訓資料

これらの情報源としては、気象庁、国土交通省、消防庁、自衛隊、災害対処を経験した事がある自治体等の組織、研究者、様々な公刊資料等があります。 様々な活用場面・用途を考慮して、なるべく複数の情報源から資料を収集・統合して、 質の高い経験則を構築し、使いやすい状態で、データベースに整理保管しておく必要が あります。 良質の経験則に具備すべき条件は、次の通りです。

① 経験則に十分な科学的合理性があること
② 経験則の適用場面・条件が明確であること
③ 実行した行動が、時空間エリアに具体的に展開されていること
④ 過去に経験した行動が、種類ごとにパターン化されていること
⑤ 原因と結果の因果関係が明確であること

すべての条件が満たされることは、中々難しいと思いますが、今後の事例研究の目標として認識しておく必要があります。

コンピュータが発達した現代社会においては、経験則を利用しやすい状態で分類・保管することは基より、人工知能システムを活用して、データベースを元に対応行動を推論することが出来るようになると、経験則の利用価値は高まり、「経験則の状況判断への適用」は、確実にステージアップすると確信しています。

以上