2015/06/22

第10回 防災情報連絡会

6月29日に実施されるNTTGpの防災情報連絡会で、自治体防災をテーマに、何か話をするように云われました。 大勢の人を前にして話をするのは、大の苦手です。
私は、先月末で、古稀を迎えました。この歳で、アガルことはないと思いますが、苦手な事は、幾つになっても変わりありません。
そこで、一計を案じました。私が話したい内容を文章にし、参加者に事前配布して、よく読んで頂き、当日は、参加者の皆さんから、私の見方・考え方に対するご意見を頂く場にしようと考えました。

そこで、今回のブログは、事前配布する資料の紹介です。
原稿の枚数が多いので、2回に分けます。前半は、会議前に、後半は、会議後にアップして頂き、後半の最後に、参加者からのご意見を追記したいと考えております。テーマは、陸自OBの眼から観た、基礎自治体の災害対応の問題(所感)です。所感ですから、論理性は考慮せず、思い付いた事を、そのまま書きました。

陸自OBの眼から観た、基礎自治体の災害対応についての問題(所感)

1 基礎自治体の「真の危機」について

 1)市区町村等の基礎自治体は、地域密着型サービス業である。
住民との接触度合が大きく、小さな失敗でも、住民からの批判の対象になり易く、簡単に信頼感が失われる恐れがある。

 2)基礎自治体の「真の危機」は、人災によって引き起こされる。
自治体防災のリスクを説明する次のような公式がある。
【リスク=災害(事故)発生の可能性+行政による災害対応結果の不確実性】
上記公式では、自治体防災のリスクは、単に、天災による災害発生の可能性だけを問題にしているわけではなく、行政による災害対応結果の不確実性を含めてリスクと定義している。
公式を考えた人は、行政の対応は、常に完璧であるとは思っていない。「行政の対応」そのものが、リスクを含んでいる。
対応によっては、リスクを増大させる事も十分あると読んでいるのである。
一方、基本法では、「自治体防災の目的は、災害の拡大防止にある」と明確に言い切っている。
以上の話を総合すると、自治体防災の「真の危機」は、災害そのものではない。行政対応の拙さや遅れによって引き起こされる「災害の拡大=人災」こそ、問題にすべきである。特に、基礎自治体は、住民との接触度合が大きく、
小さな失敗でも、住民からの批判の対象になり易く、簡単に信頼感が失われる恐れがあると云う事を考え併せると、人災による災害拡大を切っ掛けにして、その先に起きるかもしれない状態を心配せざるを得ない。
それは、住民の怒りと行政不信が地域社会に過剰連鎖反応的に伝搬していく状態である。
そこから何が起こるか予測できない。それこそが、「基礎自治体の真の危機」であると、私は認識している。
大半の職員は、「組織の真の危機」について、認識しているようには見えない。

 3)真の危機を防ぐため、災害対応指揮は、巧遅よりも拙速を尊ぶべき。
●災害対応指揮に当たる職員は、緊急事態に直面したら、真の危機発生を防ため、対応のための時間的側面について、即座に、次のような検討をする必要がある。

・事態の拡大を防ぐために、いつ頃までに対応行動を開始すべきか?
・準備のために残されている時間は、どの程度あるのか?
・情報収集に、意志決定のための状況判断に、計画策定に、実行部隊との調整に、実行部隊の活動準備に、どれだけの時間が必要か?
・実行部隊が現場に移動するために、どれ位時間がかかるのか?
・行動を開始できる時機は、いつ頃と推測されるか?
・それで間に合うのか? 時間を短縮する方法はあるか?
・間に合わないとしたら、どのようなリスクが発生するか?
・どうしたら、リスクを軽減する事が出来るか?

災害対応指揮活動を最短時間で実施するために、準備時間を短縮する手立ては、その時になって考えても遅い。
平素から、徹底的に研究する必要があると思う。

 4)応急対策の進捗が遅れている事の意味を理解する事が重要である。
職員や各機関代表の状況認識を統一するために、本部作戦室に、応急対策活動の各地の進捗状況を表示するシステムを導入している自治体がある。
そこで表示されるレッドマークが、「その地域の活動は進捗していない」と云う事実を示していると云う事は、誰でもわかる。
しかし、その遅れが、地域住民に、及ぼす影響と対策について考える職員は、どれくらいいるだろうか。
真の危機を生みだす原因の大半が「対応の遅れ」にあると述べたが、進捗が遅れている状況を見て、その事が住民に及ぼす影響にまで、思いを致す事が重要である。
目の前の業務に追われ、忙しさの中でこの感覚が乏しくなると、危機を生む温床になると思っている。

2 災害対応の戦略性について

 1)自治体の災害対応には、戦略性が乏しい。
私が、自治体の災害対応に戦略性がないと認識したのは、自治体の災害対策に、「目的と手段の関係性がない」と分かった事が、直接の切っ掛けである。
戦略では、当然のことながら、目的と手段の関係を重視する。
手段は目的にガイドされて、初めて、その位置づけが決まるのである。
自治体の災害対応においては、救助の手段は、救助の目的との関係で地位づけられるのではなく、基本法、救助法、その他の法制度によって、地位を与えられているのである。災害対応に有効と判断される手段であっても、法制度の定めがなければ、手段として採用することが出来ない。
私は、基本法は、最低限の事を規定していると認識している。しかし、平素から、法に準拠して仕事をする人間は、「法に何が書かれ、何は書かれていないか」、「何は法的根拠があり、何は根拠がないか」を峻別することが習性化している。彼等は、法的根拠のない仕事をすることは、公務員としてのルール違反であると認識している。

 2)地域防災計画は、自治体職員の災害対応のバイブルである。
●地域防災計画は、その地域で起こる可能性があるあらゆる災害対応を総花的に並べたメニュー計画である。
私が、荒川区の危機管理監に就任して間もない時期に、地域防災計画を読んで、気付いた事がある。区の地域防災計画は、首都直下地震災害対応をメインに記述されている。首都直下地震災害時に想定される様々な状況に対し、必要な応急対策活動が詳しく記述されているが、そこには首都直下地震災害対応の目的に関する記述はなかった。
そこに記載されている災害応急対策項目は、都知事による災害救助法の適用決定(被害規模に基づき、適用基準が決まっている)によって、救助手段として、一括、承認される事になる。手段は法律が認定するのである。
地域防災計画には、災害対応目的に関する記述はない。当該計画の根拠法である基本法にも、その記述はない。しかし、それを否定する記述もない。
だから、基本法が構築した災害対応の土台の上に、例えば、首都直下地震災害対処のための戦略計画なるものを策定する事は差し支えないと、私は思う。
しかし、担当職員は、「法の定めがない事はしない。」仮に、必要性を認めても、「法の定めがない事に、組織内の合意を採ることは難しい。」という理由で、戦略計画の策定を拒否された経験が、何度もある。
役人が、法を根拠に仕事をすると云う姿勢は、国も地方も変わらない。
非常時においても、その体質は変わらない。
注意しなければならない事は、法を根拠に仕事をする役人の体質が、非常時の行動を委縮させる事によって生じる問題である。

●戦略は、組織(国・地方公共団体等)の存亡に関わるような重大な課題や困難に対して立てられる。
重大な困難に直面している時であっても、法は戦略に基盤を与えるだけではない。逆に、目的を追求する戦略の活動を縛る事もある。

●法が戦略を縛った事例がある。
私が尊敬する先輩が、阪神淡路大震災の時、陸上自衛隊中部方面総監として、災害派遣部隊の指揮を執った。
マスコミは、何か問題が起きると、問題の大きさに見合うスケープゴートを探す。
彼等が攻撃対象に取り上げたのが、自衛隊の行動の遅れである。
あの時、陸上自衛隊の大規模派遣の号令が遅れた真の原因は、兵庫県庁側にある。県知事の災害派遣要請がなかった事が、直接の原因である。しかしマスコミは、被災者を攻撃しない。
恰も、自衛隊の指揮に原因があったかのごとく、現地軍最高司令官である中部方面総監をバッシングしたのである。
私は、その時は、東北の連隊長をしていたが、震災発生の10か月前まで、中部方面総監部の作戦課長の仕事をしていたので、県知事の要請が無かった理由が良く理解できる。
兵庫県庁、神戸市役所、神戸市民は、自衛隊が嫌いな政治風土を持っていたのである。だから、震災以前は自衛隊との付き合いは殆ど無かったし、自衛隊の事業に非協力的であった。
私は、何度も煮え湯を飲まされた経験がある。
だから県の役人は(恐らく知事も)、「県内に災害が起きても、自衛隊には頼らない」と、本当に思っていたのである。
だから要請手続きも知らないし、誰に要請したら良いかも知らなかった。
あの日の朝が来るまで、知る必要も無かったのである。要請がなかった理由は、そんな処に有ったのである。
一方、自衛隊は、一部の部隊が「近傍派遣」の名目で、要請がなくても自主的に派遣活動を開始した。
しかし、事態は、陸上自衛隊の全力で対処しなければ解決できないような危機的状況だったのである。
方面総監部は、要請がなくても自主的に部隊を派遣する案を検討したが、「県知事の要請に基づき部隊を派遣する事が出来る」と云う自衛隊法の定めを無視して、戦略上の要求から大部隊の神戸集中を自主決定した場合、後で、防衛庁・自衛隊が非難され、政治問題化する事を恐れたのである。
だから、自衛隊は、何度も何度も兵庫県庁に要請を催促する電話をするが、結局、埒が開かなかったのが真相である。
この事例は、法が戦略の動きを拘束したケースである。戦略が、それに甘んじたのは、自衛隊側の保身ではなく、背景に、神戸の政治風土があったからであると、私は確信している。
一方、昭和51年に発生した庄内酒田の大火では、山形に司令部を配置する陸上自衛隊第6師団は、全く、逆の行動をした、細部は述べないが、戦略判断を優先したのである。
因みに、第6師団の行動は、地域で絶賛された。
現在は、自衛隊法が改正され、このような場面で戦略判断を優先しても法に抵触しないようになっている。

 3)戦略は、重大な課題に取り組むための「分析、構想、行動指針」の集合体である。
●災害対応における戦略の役割は、意志決定者に対し、「いま何をすべきか」ということを実現可能な形で、ハッキリと示す事である。
そのために、戦略計画は、一貫した行動に直結する以下の基本構造を有していなくてはならない。

【診断】状況を分析し、死活的に重要な問題点を発見し、取り組むべき課題
を見極めるための洞察
【基本方針】診断の結果見つかった重要課題に取り組むための大きな方向性
を方針の形で表現‐
【行動】基本方針で示された方向性に沿って総合調整された一貫性ある
一連の行動

 4)戦略計画の欠如は、災害対応のいろいろな分野に波及する。
●情報の分野では、情報活動の目的意識が欠落し、状況を診断するために、組織力を集中発揮する事が出来ない。
その結果、取り組むべき重要課題が把握できない。

●意志決定の分野では、診断が上手くいかないため、本部長の状況判断をガイドする指針(対応の基本方針)が定まらず、具体的事象に対する本部長の状況判断が、行き当たりバッタリの一貫性のないものになる。
一方、本部長の意志決定がなくても対応に差し支えはないという意見もある。
実行組織は、事前に割り当てられた担任業務を、「法律に基づき自主的に実行するのみである」と云う考え方である。
「本部長のガバナンスを重視するか」「実行組織の自主性を採るか」という二者択一問題にすると、「実行組織の自主性」に軍配を上げる人が、かなり多いように感じる。
そう云う考えは、ガバナンスの危機であると思うが、法律は、本部長のガバナンスがなくても、自治体の災害対応の最低保証をしているのかもしれない。
しかし、その法律のおかげで、自治体の災害対応は、最低レベルの位置で、横一線に並んでいる。

●行動の分野では、基本方針が示されないため、本部が行う行動を、一貫性ある一連の行動として調整する事が出来ない。要するに、今やるべき行動と、やってはいけない行動を、峻別する事が出来ないのである。
その結果、方向性を欠いたバラバラの行動が、実行組織の自主性の名の下に、実行される事になる。
行動については、他に、「オペレーション」が育たないという問題がある。
数年前、東京都の危機管理監が、就任挨拶を兼ね、荒川区長を表敬訪問した事がある。
私もその席に同席した。会談中、管理監は「オペレーションの実行」を何度も繰り返した。
自治体が災害対応を「オペレーションで実行する」という概念は、珍しく、荒川区として、初めて聞く話であった。
区長から、「あれはどういう意味だ?」という質問を受けた記憶がある。
オペレーションは軍事用語である。その意味は「戦略計画が示すミッション(目的・目標・時期等)を達成するために作成された作戦計画の下に実行される戦闘行動」であると認識している。
ミッションは戦略の産物である。ミッションがなければオペレーションは生まれない。戦略がない自治体の行動は、厳密に言うと、オペレーションではない。
実行組織に対し、何を、いつまでに達成するかという任務意識とそれに伴う責任感を醸成するためには、オペレーションの風土構築が大切と考える。

 5)災害対応に戦略性を育てるには、戦略を学ぶことが第1歩である。
この章の冒頭で、「自治体の災害対応に戦略性が乏しい理由はわからない」と述べた。
実は、色々見当をつけている。法制度の問題、計画の問題、職員パワーの問題等が考えられるが、一番の理由は、「災害対応の戦略が分からない」という知識の問題にあると思う。
ここにお集まりの皆さんが、災害対応戦略を研究し、ICTを活用した、使い勝手の良い「診断システム」を開発し、普及して頂きたいと思います。

(以上、前半です。後半は、次のブログに載せます)