2016/02/01

映画『風立ちぬ』

零式艦上戦闘機(ゼロ戦)と言えば、ゼロ戦を設計した三菱重工業の天才エンジニア・堀越二郎さんのことを思い浮かべます。その堀越二郎さんをモデルにしてスタジオジブリが制作したアニメ映画に『風立ちぬ』という作品があります。2013年の7月に公開されたので、既に3年前の作品です。私はエンジニアとして堀越二郎さんを尊敬する者として、この映画を公開前から非常に楽しみにしていて、公開後はあまりにも感動しちゃったので、3度も観に行ったほどでした。

その『風立ちぬ』に関しまして、当時ハレックス社の社内向け情報共有サイトで連載していた社長ブログに映画を観た感想文等を掲載しています。復元「ゼロ戦」が70年ぶりに日本の空を飛んだことを受けて、改めてその感想文を読み直してみたのですが、自分で読み返してみてもなかなかの出来でしたので、そのままここにも掲載することとしました。長文になりますが、是非お読みください。


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【題名: 映画『風立ちぬ』】


スタジオジブリの宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」(2008年)以来5年ぶりとなる監督作品『風立ちぬ』が、いよいよ今週末7月20日より全国でロードショー公開されます。

映画『風立ちぬ』公式HP

この作品は太平洋戦争時にあの名機・零戦を、さらには雷電、烈風という後世に語り継がれるような特徴的な名機を設計し、そして戦後は国産初の旅客機YS-11を設計したことでも知られる天才エンジニア・堀越二郎さんと、同時代に生きた文学者・堀辰雄さんの人生をモデルに生み出された主人公の青年技師・二郎が、不景気や貧困、震災などに見舞われ、やがて戦争へと突入していく1920年代という時代をどのように生きたのか、その生きざまや薄幸の少女・菜穂子との出会いなどを描きます。

堀越二郎さん設計の機体でその零戦よりも有名なのが日本海軍最初の全金属単葉戦闘機である『九六式艦上戦闘機』です。それまでの欧米各国のコピーを脱して、日本独自の設計思想の下に制作された最初の戦闘機です。まだ加工が容易な木製で、しかも運動性能に優れた複葉機が全盛時代に全金属製でしかも単葉(主翼が一枚)の戦闘機を作りだしたわけで、天才エンジニア・堀越二郎さんなくして作れなかった機体と言われています。

楕円翼の採用など空気力学的に洗練された機体と徹底的に追究された重量軽減により、当時としては画期的な速度を出すことに成功しました。特に日本で始めて沈頭鋲を全面採用したことで知られています。金属板の締結に使用される鋲(リベット)は通常金属板表面に丸い頭が出っ張るのですが、これでは高速で飛ぶ航空機の場合、この出っ張りが重大な空気抵抗の原因となるので、頭の出ない特殊な形状の鋲が必要になります。これが沈頭鋲で、これを使用することにより機体表面を空気抵抗の少ない非常に平滑なものに仕上げることができました。この沈頭鋲、今では航空機だけでなく、自動車や鉄道車両等、空気抵抗を軽減させる必要があるモノには必ず使用されていますが、その一番最初が堀越二郎さんが設計した『九六式艦上戦闘機』でした。

引き込み式主脚も考慮されたようですが、複雑な機構部品を搭載することによる機体重量の増大や、未舗装の飛行場での運用が予想されたため断念。その代わりに固定脚はできる限り小形とし、空気抵抗を抑えるために流線型のスパッツで覆いました。これらの技術を盛り込んだ結果、旧式のレシプロエンジンを搭載した当時の固定脚機としては驚異的な最高速度400km/時を超える機体を作り上げ、太平洋戦争序盤では海軍の主力戦闘機として大活躍しました。

ちなみに、その後継機(改良機)が今もなお“傑作機”としてあまりにも有名な『零式艦上戦闘機』、いわゆる零戦です。戦闘機としては汎用性があり、あまりに設計性能が優秀すぎたがゆえに10,000機以上も大量に生産され、本来の目的以外にも使用されたので、最終的には可哀想な運命を辿ることになります。おそらく設計した堀越二郎さんも、まさか10,000機以上も作られることになろうとは、設計時には予想していなかったのではないでしょうか。空気力学を極限まで追究するあまり機体に曲線部分が多く、もともと大量生産には不向きな機体でしたし、機体重量を軽減させる必要から防御性能が著しく低い機体でしたから、消耗が激しかったですからね。零戦に画期的な運動性能をもたらした空戦フラップは堀越二郎さんの大発明でした。

(零戦をここまで大量に生産せざるを得なかったのは、大出力のエンジンの開発が欧米と比べて大きく遅れてしまったことが最大の原因です。航空機の最大のコア技術であるエンジンの弱点を、機体の設計で補うのには、やはり限界があったと言うことです。これは現代の技術開発にも繋がる大きな教訓なのですが…。)

で、話は『九六式艦上戦闘機』に戻して、その『九六式艦上戦闘機』の量産前に作られた試作機が『九試単座戦闘機』。当時の数百馬力しか出ないか弱いエンジン出力を補うため大きなプロペラを回転させる必要があったのと、固定脚を採用しながらも空気抵抗を極限まで減らすため小型にしたことで“逆ガル翼”という特殊な形状の主翼を採用するなど随所に革新的な設計が行われた機体です。

映画『風立ちぬ』のポスターに描かれている飛行機の主翼は“逆ガル翼”。まさにこの『九試単座戦闘機』です。飛行機マニア的には、こう来ましたか…って感じがしますね。『九試単座戦闘機』は九六式艦上戦闘機、零式艦上戦闘機、雷電、烈風…と繋がる堀越二郎さん設計の名機の数々の原点とも言える機体で、『九試単座戦闘機』と“戦闘機”という名称が付けられてはいますがあくまでも試作機で、実戦投入されていない機体ですからね。武装を含め軍からの追加要望を取り込んだり、量産に向けて構造が簡素化されたりする前の機体で、設計者の思いが一番こもった機体とも言えますからね。ネットであらためて『九試単座戦闘機』の写真を見ましたが、古風なれども、工業製品として非常に美しい形の機体だと私は思います。見栄えが美しい工業製品は、間違いなく性能もいいものです。

どうしてここまで私が詳しいのかと言うと、私が日本のエンジニアとして尊敬している方のお一人が堀越二郎さんだからです。そしてもう一人が元国鉄技師長の島秀雄さん。「デゴイチ」の愛称で知られるD51形蒸気機関車の設計を行い、その後、新幹線計画では、国鉄総裁の十河信二さんとともにその実現に大きく貢献した方です。国鉄退職後は、宇宙開発事業団でロケット開発にも携われました。

日本の優秀なエンジニアにはこのお二人の他にもブラウン管テレビを開発に成功した高柳健次郎さんや、トランジスタラジオを開発したソニーの井深大さんや盛田昭夫さんなどがいらっしゃいますが、乗り物好きな私は堀越二郎さんと島秀雄さんですね。エンジニアはそうした過去の優れた偉人の足跡から多くのものを学べ…と、埼玉大学工学部で非常勤講師として教えていた当時、学生達には毎年教えていました。

宮崎駿監督が実在した人物を主人公にした作品を出すのは初めてですね。でも、その取り上げた人物というのが堀越二郎さんというのは分かる気がします。宮崎駿監督とあい通じるものがあるのでしょうね、間違いなく。

宮崎駿監督はじめジブリの皆さんは“武器”に異常なまでの執着があるようで、やたらこだわりをもって描かれています。中でも飛行機(と言うか飛翔体)。第一次世界大戦後のイタリア・アドリア海を舞台に、飛行艇を乗り回す空中海賊を相手に賞金稼ぎをするブタの物語『紅の豚』がその代表ですが、その他の作品でも飛行機や武器に異常なまでのこだわりをもって描いた作品が多くあります。『天空の城のラピュタ』や『風の谷のナウシカ』なんか、そういうものの大集合って感じです。中でも『風の谷のナウシカ』の作中で辺境の風使い達が用いる小型軽量の飛行機「メーヴェ」や小型の戦闘機「ガンシップ」は秀逸でした。

ちなみにハレックス社の社長室には2年前の誕生日に娘から贈られた『紅の豚』の主人公ポアロ・ロッソ(マルコ・パゴット)とその愛機サボイアS21試作戦闘飛行艇(エンジンとプロペラ部分のみ)のミニチュア模型が飾ってあります。『紅の豚』、私は大好きなんです。「カッコイイとは、こういうことさ」、「飛ばねぇ豚は、ただの豚だ」(^-^)v

この映画『風立ちぬ』、前述のように、古き良き日本の風景…そして、関東大震災、世界恐慌、恋人菜穂子の結核、戦争などが丁寧に淡々と描写され、宮崎駿監督は完成作品を見て号泣したそうです。宮崎駿監督は、「この作品が遺作になるかも知れない」という気持ちで、作られたそうです。遺作にしてもいいくらいの渾身の作品ってことですね。宮崎駿監督は現代日本の宝だと、私は思います。

ぜひ映画館に観に行きたいと思っています。ですが、そういう映画がここのところ溜まってきてしまっています(^^;

そうそう、この『風立ちぬ』、主題歌に使われたのがユーミンの『ひこうき雲』。あらためてYouTubeで聴いてみましたが、イメージにピッタリですね。映画のあらすじにも合っている感じです。30年以上も前にこの曲が作られ、ジブリの映画で主題歌として使われるなんて、運命としか思えませんね。ユーミンと言えば、映画『魔女の宅急便』のエンディングで使われた『やさしさに包まれたなら』もありますし、ジブリとは浅からぬ縁ですしね。


【越智正昭社長 2013/07/18 00:47】

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【映画『風立ちぬ』を観てきました】


8月10日(土)、現在公開中のジブリの宮崎駿監督作品『風立ちぬ』を観てきました。一言で言うと、いい映画です。

映画に描かれた当時の日本に関する時代背景や、飛行機に関するある程度の知識、主人公堀越二郎に関する知識や、物語のもう1つのモチーフになった堀辰雄さんの小説「風立ちぬ」を読んでないとあまりに難解な部分も多く、上映後の客席では、「意味分かった?」「ぜんぜん分からなかった」という若いカップル達の会話が聞こえてきたりしていましたが、上記に関してある程度事前知識のある私にはよぉ~く分かりました。単純なストーリーにも関わらず、難解と言うか、深い深い映画です。どの世代か、何を知っているかでもって、まったく違って観えてくる映画でしょうね。さらに何度か観たら、私でもそのたびに新たに気づくものがありそうな映画だと思いました。

私は妻と息子夫婦と4人で観に行ったのですが、4人とも違った感想を述べていました。妻と嫁は「さすがにジブリの作品だから、絵がとても綺麗だった」が第一声。息子は「堀越二郎達はただ性能のいい飛行機を作りたかっただけなのに、その時代背景で飛行機を作るということは、戦争のための“殺戮兵器”を作ることだったんだね。今のサラリーマンも通じるものがある」って感想。

加えて、乗り物好きの私にとっては、ストーリーもさることながら、大好きな飛行機をはじめ、汽車や電車、路面電車など当時の乗り物がふんだんに出てくるので、それが堪りませんでしたね。思わず隣の席の妻や嫁に「おぉっ!あれはね…」って解説したくなる衝動を抑えるのに必死でした(笑) さすがにジブリ、時代考証がしっかりしています。

映画では、私が過日詳しく書かせていただいた技術面のことも、かなりシーンを割いて出てきます。昼食に鯖の塩焼き定食を食べながら、その鯖の骨のカーブが美しい…と翼に繋げることとか、堀越二郎さんが世界で初めて採り入れた“沈頭鋲”の採用のシーンも具体的にありますし、ゼロ戦の戦闘機としての優秀さを特徴付ける主翼の“空戦フラップ”に関してもほんの一瞬出てきます。なにより堀越二郎さんを中心とした技術者達の間で熱くその辺りを討議する場面にも力が入れられています。

理想的な飛行機が設計できそうなイメージがせっかく出来ていながら、これでは重量の関係から機銃が載せられない(武器にならない)…という理由で、「これは将来に取っておこう」とひとまず封印し、主脚を引き込み式から固定式に戻すなど、ただひたすら機体の軽量化に励む姿には、エンジニアとして感動しました。そうなんですよね、エンジニアは“ヒト”“モノ”“カネ”“時間”…様々な資源に関して制約条件がある中で、お客様の要求を満足させるために知恵の限りを使うことが求められるのですよね。これは私が埼玉大学工学部の非常勤講師を務めさせていただいていた折りにも、講義の中で学生達に力説していたことです。なので、エンジニアとして強く共感できました(^-^)v

映画の中では主人公堀越二郎さんの良き設計のライバルである本庄季郎さんという人との飛行機作りを通した友情も描かれています。堀越さんが小型機を作ろうとしているの対して、本庄さんが大型機を作ることとの対比もうまく織り込まれていると思いました。

この本庄季郎さんも実在した人物で、堀越二郎さんと東大の同期で共に三菱重工に入社し、これまた名機と言われる大日本帝国海軍の爆撃機「九六式陸上攻撃機」と、その後継の「一式陸上攻撃機」を設計した主任技師さんでした。

「九六式陸上攻撃機」は堀越二郎さんの設計した「九六式艦上戦闘機」と並んで日本の航空技術が欧米と同等のレベルまで進んだことを示した最初の機体としてあまりに有名です。映画の中でも開発途中の垂直尾翼が左右に2枚ある独特の機体が登場します。当時としては画期的な航続性能を有し、支那事変から太平洋戦争の初期まで第一線で活躍しました。

特に、太平洋戦争開戦直後のマレー沖海戦において、英国東洋艦隊の旗艦である戦艦プリンス・オブ・ウェールズと僚艦の戦艦レパルスを雷撃と爆撃により撃沈したのは、この九六式陸上攻撃機と一式陸上攻撃機でした。

この英国海軍の最新鋭戦艦であるプリンス・オブ・ウェールズとレパルスが、作戦行動中に航空機の攻撃のみで撃沈されたという事実は、世界の海軍関係者に大きな衝撃を与え、対空砲多数を装備した最新鋭の戦艦でも、航空機の攻撃には勝てないということが明らかになりました。それゆえ、これ以降、海戦の主役が戦艦から航空機に移ったとされています。そんな歴史的飛行機を設計したのが本庄季郎さんでした。(なのに、当の日本国は大艦巨砲主義を捨て去ることができず、戦艦大和や武蔵の建造を続けることになります。)

さらに、この「九六式陸上攻撃機」で特に有名なのは、毎日新聞社が飛ばした「ニッポン号」。「九六式陸上攻撃機」を改造したこの機体は、純国産飛行機による初めての「五大陸、二大洋征覇の世界一周親善飛行」に成功しました。太平洋と大西洋、2つの大洋の無着陸横断に成功したことで、その航続性能を世界に知らしめました。

太平洋戦争開戦初頭のハワイ真珠湾攻撃で大活躍した「九六式艦上戦闘機」と「零式艦上戦闘機(ゼロ戦)」、マレー沖海戦において大活躍した「九六式陸上攻撃機」と「一式陸上攻撃機」を開発したこの堀越二郎さんと本庄季郎さんという2人の天才エンジニアを抱えて、その技術力の高さで世界を震撼させた三菱重工が、現在、100人乗りクラスの国産初の小型ジェット旅客機「MRJ(三菱リージョナルジェット)」を開発しています。既に米国の航空会社から100機を受注するなど、営業も好調のようです。期待しています。

調子にのって余談があまりに長くなりました。

そうそう、彼等がそれらの飛行機の開発に着手する前に、ドイツのユンカース社を2人で視察に行くシーンも描かれています。当時のドイツはアメリカと並ぶ世界の技術大国。ユンカースのあまりに進んだ優れた技術を目の当たりにして驚き、完成した機体を牛が滑走路まで運んでいた当時の日本はドイツより少なくとも20年は遅れている…という感想をこの2人は語り合います。さらに自分達の頑張り(技術開発)でもってこの20年の遅れを5年で、いや1年でなんとか追いつこう…と誓いあいます。

またまた余談ですが、ドイツのユンカース社と言えば、当時の三発(プロペラが機体の前に1つと、両翼に1つずつの3つ付いている)の旅客機が超有名です。機体の表面をジュラルミンの波板で覆う構造は、レトロな感じがして、妙に素敵です。まぁ、三発機とは言っても搭載されたエンジンが非力で、あまりの鈍足のため、軍用機(爆撃機)としてはすぐに使い物にならなくなり、余った機体が旅客機に改造されてルフトハンザ航空をはじめ広く使われました。

また、ファンタジーとして最初から最後まで、夢の中でカプローニ伯爵というイタリアの設計士が関わってきます。このカブローニ伯爵というイタリアの設計士のことを私は知りませんでしたが、調べてみるとイタリアに第一次世界大戦から第二次世界大戦期に存在したカブロニという航空機製造メーカーがあって、その会社の創業者のことのようです。

イタリア、飛行機、ジブリ…と言えば、映画『紅の豚』ですね。この映画『紅の豚』の中で主人公ポルコ・ロッソが乗る愛機が「サボイアS.21試作戦闘飛行艇」でした。このサボイアも実在したイタリアの航空機メーカーでした。また、ポルコ・ロッソがまだ人間だった頃に乗っていたイタリア空軍機が「マッキM.5」。

知る人ぞ知ることではありますが、第一次世界大戦期、イタリアは隠れた航空機大国でした。複葉機が主流だったこの時代に当時としては空気力学的に洗練された単葉機を数々生み出し、アメリカやイギリス、ドイツ、フランスと比べ弱小国であったにも関わらず、空軍ではヒケをとらない国でした。

そのイタリアの飛行機の特徴は、前述のように空気力学的に洗練された単葉機を数々生み出したことです。当時のイタリアには競争力のある高出力のエンジンを製造する技術力はなかったので、それを補うために空力特性に優れた機体やエンジンを幾つも取り付けたプロペラがいっぱいの飛行機を作るしかなく、それにより独創的と言うか芸術的なアイデアの飛行機を生み出すしかなかったようです。

このような機体を設計した設計士に、きっと堀越二郎さんと言うか正確には宮崎駿監督が憧れを抱いたということなのでしょうね。「九六式艦上戦闘機」や「九六式陸上攻撃機」、「零式艦上戦闘機(ゼロ戦)」といった第二次世界大戦期の日本の航空機も、当時の日本に競争力のある高出力のエンジンを製造する力はなかったので、仕方なく空力特性に優れた機体を作って、その弱点を補うしかなかったという点でよく似ていますし。

そして、イタリア製の飛行機も日本製の飛行機も、結局のところは、空力特性は多少犠牲にしても量産に適するようにほぼ直線ばかりで形作られた機体に、有り余るほどの高出力が出せる大型のエンジンを積んだアメリカ製やドイツ製の飛行機に駆逐されてしまう(言ってみれば、一品料理の手作りの芸術作品が、大量生産された工業製品に駆逐されてしまう)という運命を辿る…という“滅びの美学”のようなところもありますからね。

戦争はつまるところ、国と国との総合力の戦いであって、1人の天才的なエンジニアが画期的な技術を開発したとしても、ただそれだけでは勝つことはできない…ということも、この映画は描いているように思えます。

夢の中で堀越二郎さんはカプローニ伯爵と何度も邂逅するのですが、夢の中で「設計はセンスだ」「創造的人生の持ち時間は10年だ」と激励を受けます。私もエンジニアとしてこの言葉には共感を覚えます。まさにその通りです。堀越二郎さんと本庄季郎さんにとって不幸だったのは、その10年という創造的人生の持ち時間が、日本が太平洋戦争に突き進む真っ只中であったということです。結局、戦争のための殺戮兵器としての飛行機を作ることに自身の創造的人生の持ち時間を充ててしまったわけですが、これは考えようによっては、むしろそういう時代だったればこそ、この2人は幾つもの飛行機を設計するチャンスに恵まれ、創造力を遺憾なく発揮して、後世に残る飛行機(新技術)の設計・開発ができたとも言えます。

技術開発とは、結局はこういうものなのかもしれない…と思ってしまいました。

カプローニ伯爵は最初に受け持った試作機の開発に失敗した主人公・二郎を励まし、同機の開発が失敗に終わった際には「泣く時はひとりで泣け」と慰めます。調べてみると、カプローニも幾多の開発の失敗を積み重ねた技術者のようで、このカプローニ伯爵と堀越二郎さんを重ねることで、「幾度もの挫折を乗り越えて少年の日の夢に向かって力を尽すことが大事だ」と伝えようとしているのだと私は感じました。

このあたり、「戦闘機が大好きで、戦争が大嫌い」という宮崎駿監督ならではの表現方法ですね。

宮崎駿監督は1941年の生まれで、実家は隼をはじめ主として日本陸軍の飛行機を製造していた中島飛行機の下請けとして軍用機の部品を生産していたそうです(言ってみれば、あの時代の“裕福な家庭の子”)。この時の幼児体験が、「戦闘機が大好きで戦争が大嫌い」という軍事用兵器に対する相矛盾する感情を生むことになったと過去のなにかの雑誌のインタビューの中で述べられていたことを読んだことがあります。

この育ちの良さが大きく影響しているのだと思いますが、この映画の冒頭から、私が「あぁ、いいなぁ~」と感じたのは、登場する人物達の立ち居振る舞いでした。堀越二郎さんも結婚相手となる令嬢の菜穂子さんも裕福な大きなお家に育った子供として描かれていますが、言葉遣い、抑制され礼儀と人への思いやりを当然のように踏まえた行動。それらに共感と好感を感じました。主人公堀越二郎さんと菜穂子さんの恋愛も少し悲しいけれど清々しさを感じました。

もちろん、生々しくではないですが、関東大震災から太平洋戦争に向けての時代の流れも十分に読み取れます。聞くところによると、関東大震災の最中に主人公堀越二郎さんとヒロイン菜穂子さんが出会うシーンまでの脚本を宮崎駿監督が書き上げたのは、東北大震災が起きる前日のことだったそうです…。

実は主人公堀越二郎さんとヒロイン菜穂子さんの話の部分は堀越二郎さんの実話ではなくて、堀辰雄さんの小説『風立ちぬ』をモチーフにしています。で、この小説『風立ちぬ』は堀辰雄さんと奥様(節子さん)との実話に基づく小説だけに、この映画『風立ちぬ』は2つの実話を見事にミックスした作品ってことなんです。ちなみに堀辰雄さんの小説には『菜穂子』という作品があり、この映画のヒロイン菜穂子さんの名前は、この小説『菜穂子』からとったのだと私は読み取りました。

それにしても、堀越二郎さんを世界的に有名にした九試単座戦闘機で採用された画期的な逆ガルウィングが、その前の試作機の開発に失敗して激しく落ち込み、その失意を癒すために滞在した軽井沢のホテルで作った紙飛行機にあったとは…。そして、そこでヒロイン菜穂子さんと運命的な再開を果たすとは…。フィクションとはいえ、よく出来ています。

映画『風立ちぬ』の冒頭には『堀越二郎と堀辰雄に敬意を表して』という文字が出てきます。まさにそんな感じですね。

はっきり言って、“大人のためのジブリ映画”でした。お薦めです。


【追記】
この映画のエンディングテーマで流れる主題歌がユーミンの歌う『ひこうき雲』。

この作品は、夭逝したユーミンの旧友をモデルにした曲で、誰もが早すぎる死にただただ悲観する中、主人公は「けれど幸せ」と言う。空に憧れ、それそのままに空へと消えていった者への理解と羨望が歌われている名曲です。

歌詞も曲もまさにこの映画のために書かれたような楽曲なのですが、実はこの曲はユーミンが高校時代に作った楽曲で、発表されたのは1973年と言うのですから、今から40年も前に作られた楽曲です。

私と妻はオリジナルを知っていたのですが、息子と息子の嫁は私達が教えてあげるまでこの楽曲はユーミンがこの映画のために書き下ろした最新の楽曲だと思い込んでいました。「え~~~っ!本当なんですか!?(@_@)」と、驚いてスットンキョウな声を上げたのは嫁。

ちなみにエンディングロールには「主題歌『ひこうき雲』、作詞・作曲・歌 荒井由美」となっていました。現在の松任谷由美ではなくて、旧姓の荒井由美。歌声も若い頃のユーミンの伸びやかな声、まさに荒井由美の声でした。おそらく、当時の音源のままなんでしょう。

それだけ40年という長い時を経てもまったく錆びない名曲だ…ということなんでしょうね。


【越智正昭社長 2013/08/11 15:42】