2015/03/02
♪上野発の夜行列車…が絶滅(その1)
JR東日本さんの発表によりますと、現在「上野発の夜行列車」として唯一定期(毎日)運行されている寝台特急「北斗星」(上野~札幌間)が、3月のダイヤ改正で3月13日(金)の発車をもって毎日の定期運行を終了し、臨時列車化されるとのことです。
既に昨年(2014年)3月15日のダイヤ改正で、寝台特急「あけぼの」も定期運行を終了し、臨時列車化されているため、これで毎日運行される「上野発の夜行列車」は全廃されてしまうことになります。
と同時に、これまで長く親しまれてきた「ブルートレイン」も、絶滅(全廃)になります。ブルートレインは1958年(昭和33年)に登場した国鉄の20系客車以降の青い車体色で特徴付けられた固定編成の専用寝台客車を使用した夜行特急列車のことで、1958年10月にそれまでの旧型客車を置き換えて東海道・山陽本線の寝台特急「あさかぜ」(東京~博多間)に導入されたのを皮切りに、当初は主に東京から九州方面を結ぶ寝台特急列車に充当されました。しかし1964年からは東京から北へ向かう寝台特急「はくつる」などにも充当されるようになり、瞬く間にその勢力を全国に伸ばしていきました。
客車内に2段、あるいは3段の寝台(簡易ベッド)を設け、東京を夕方に発てば翌日の朝には目的地に着くことができるため、ビジネスマンや旅行客から好評を博し、かつては新幹線と並ぶ国鉄(日本国有鉄道)の看板列車でした。
登場当時から鉄道マニアの間では根強い人気があったのですが、私が大学を卒業して社会人になった1978年頃、テレビや雑誌といったマスコミでブルートレインのことが大々的に取り上げられるようになると(きっと国鉄の仕掛けた施策なのでしょうが…)、小・中学生を中心に一大「ブルートレイン」ブームが巻き起こり、東京駅等ではそれまでの鉄道マニアのみならずブルートレインの撮影をする人が一気に急増して、一種の社会現象のようになったりもしました。このブルートレインブーム以降、鉄道マニア(鉄ちゃん)が世の中で一気に急増殖していったと思っています(それ以前は単なる少数派の“オタク”に過ぎませんでした)。
私も仕事の出張やプライベートな帰省、旅行でよく利用しました。一番乗ったブルートレインは、四国の出身だけに寝台特急「瀬戸」(東京~宇野)ではなかったか…と思います。帰省での利用でしたが、「瀬戸」で終点の宇野(岡山県)に着いて、宇野で宇高連絡船に乗り換えて四国の高松に向かうのですが、宇高連絡船の甲板にある売店で買って食べる“うどん”が「お帰りなさい」と言ってくれているようで、嬉しかったです。
仕事の出張でよく使ったのが特急ではなくて急行でしたが寝台急行の「銀河」(東京~大阪)でした。関西方面に出張する時によく利用しました。当時、千代田区の内幸町に職場があったので、ギリギリまで仕事をして東京駅から乗車していたのですが、ビールと駅弁とツマミをホームで買って乗車し、少し気分が良くなって寝台で横になり、翌日目が覚めたら大阪。朝からバリバリ仕事ができるので便利でした。宿泊代を浮かすこともできましたしね(^^)d。
最盛期、東京駅からはなんと最大13本(急行「銀河」を含める)ものブルートレインが次々と発車して、九州・中国・四国方面に向けて走っていました。
そんなブルートレインでしたが、1975年3月の山陽新幹線博多開業、1976年11月の国鉄運賃・料金の大幅な値上げ、国鉄の赤字拡大による旅客サービスの簡略化によりブルートレインの乗客は大幅に減少。「ブルートレイン」ブームが巻き起こった1978年と1980年に行われた2回のダイヤ改正では、利用者減を理由に、まずは主に山陽(岡山)~九州間の列車を中心に多くのブルートレインが廃止されていきました。
その時点でまだ東京発や大阪発のブルートレインの多くは残っていたのですが利用者の減少は著しく、国鉄はそのテコ入れのため、1984年7月には特急「さくら」と「みずほ」に個室寝台車「カルテット」を連結、1985年3月には特急「はやぶさ」へのロビーカーの連結、そして国鉄分割民営化直前の1987年3月には特急「あさかぜ」の大々的にリニューアルする等、民営化を控えてブルートレインを重要な看板商品として売り出そうという懸命の姿勢が見られたのですが、必ずしも利用者の大幅な増加には結びつきませんでした。
そうした中、1987年に国鉄は民営化され、JRとして生まれ変わりました。
JRに継承された施策としては、1988年に開業した青函トンネルを経由して運行される列車の運行の開始と、同じく1988年に瀬戸大橋を経由して運行される列車の運行の開始があります。このうち前者にあたるのが上野~札幌間に新設されたブルートレインによる寝台特急「北斗星」で、後者にあたるものが、寝台特急「瀬戸」の高松延伸でした。今回、定期運行を終了することになった特急「北斗星」はこの時に誕生しました。これにより、北海道、本州、九州、四国という日本の主要4島にブルートレインが走るようになりました。
寝台特急「北斗星」は、個室寝台を中心にした特別編成で、専用色として青い車体に金色の帯を巻き、食堂車の時間指定を行うなど、従来の列車とは著しく異なった列車として、ブルートレイン復活の起爆剤としての役目も背負って、華々しく登場しました。当時のバブル景気の風潮に乗った豪華列車として成功した例となり、後に続く「トワイライトエクスプレス」や「カシオペア」などに繋がるものとなりました。ただし、「トワイライトエクスプレス」以降、車両の塗色が青を基調としないものになった関係で、これ以降「夜行寝台列車」=「ブルートレイン」という構図は事実上崩れた格好となってしまいました。
前述のように「北斗星」の成功を受けて「あさかぜ1・4号」など、東海道・山陽本線経由の寝台特急でも列車のグレードアップが試行されましたが、使用する14系・24系客車の老朽化という壁があって、1990年代半ば以降、グレードアップ施策の継承は、ほとんど見られなくなってしまいました。
国鉄民営化(JR移行)以降も利用者の減少にはなかなか歯止めがかからず、衰退の一途を辿っていきます。
全車寝台車の夜行急行列車はたいてい走行距離が600km以内と比較的短く、多くは1982年(昭和57年)の東北新幹線・大宮~盛岡間(465.2km)の暫定開業以降はその存在価値を失ったこともあって、急行「銀河」を除き、JR移行前に全廃されてしまいました。また、残された唯一の夜行急行列車である「銀河」も、2008年3月15日のダイヤ改正で廃止されてしまいました。
特急列車についても1990年代半ばごろから急激に縮小の方向へと向かっていきます。東京~九州間のブルートレインでは、まず1993年3月18日のダイヤ改正で食堂車の営業が中止され、その後1994年12月3日のダイヤ改正で歴史ある特急「あさかぜ1・4号」と特急「みずほ」が臨時列車に格下げ(その後いずれも廃止)となったのを皮切りに、運行区間の短縮や複数列車の併結化による運行本数の削減が進められていきました。2000年代後半からは東京~九州間のブルートレインだけでなく関西~九州間や東京~中国地方間のブルートレインについても急速に運行区間の短縮や運行本数の削減が進められました。
2005年3月1日のダイヤ改正で特急「さくら」と「あさかぜ」が、同年10月1日には特急「彗星」が廃止され、翌2006年3月18日のダイヤ改正では特急「出雲」が廃止されました。2008年3月15日のダイヤ改正では特急「なは」と「あかつき」が廃止され、関西~九州間のブルートレインが消滅してしまいました。
2009年3月14日のダイヤ改正では、特急「はやぶさ」と「富士」が廃止されたことにより、東京駅発着の元祖「ブルートレイン」は全廃となり、東海道本線、山陽本線および九州島内からブルートレインが消滅しました。それに伴い牽引機であるEF65形やEF66形などといった高速電気機関車も、旅客列車の定期運用から引退してしまいました。
東京(上野)から東北方面へ向かうブルートレインでも、1992年(平成4年)7月1日の山形新幹線(福島~山形間)開業や、1997年(平成9年)3月22日の秋田新幹線(盛岡~秋田間)開業を契機に廃止や統合が相次ぎました。2002年(平成14年)12月1日に東北新幹線の盛岡~八戸間の延伸が開業したことにより特急「はくつる」が廃止となりました。2008年3月15日のダイヤ改正では特急「北斗星」と「日本海」が減便され、2010年3月13日のダイヤ改正では、特急「北陸」が廃止となりました。
2010年(平成22年)12月4日に東北新幹線の八戸~新青森間の延伸が開業して東北新幹線が全線開業したことにより、2012年3月17日のダイヤ改正では特急「日本海」が繁忙期のみ運行の臨時列車と格下げとなりました。
昨年2014年(平成26年)3月15日のダイヤ改正では、特急「あけぼの」が定期列車としては運行を終了し、臨時列車に格下げされてしまいました。これにより、臨時列車を除き、日本に残る定期運行するブルートレインは唯一、上野~札幌間の夜行寝台特急「北斗星」のみになっていたわけです。
その特急「北斗星」も今月3月13日の発車をもって定期運行を終了することになり、これで栄光の「ブルートレイン」は約60年の歴史に幕を閉じることになりました。この特急「北斗星」が定期運行を終了する大きな理由の1つに、来年(2016年)3月に予定されている北海道新幹線開業に向けての最終的な工事や試験走行の実施というものがあります。いよいよ、来年には東京から津軽海峡を越えて北海道に新幹線が走るんですね。鉄道も新しい時代を迎えているのを感じます。
1980年代以降、成田国際空港、関西国際空港、中部国際空港の開港、さらには羽田国際空港の大規模な滑走路の拡充に伴って、日本国内も飛行機での移動が極々身近なものになりました。最近は忙しない世の中になったと言うか、時間という資源が大きな価値を呼ぶ時代となってきていて、長距離の移動においては短時間で目的地に到着すること求められるようになり、利用者の多くが飛行機に流れていきました。また、LCCという格安航空会社も台頭してきて、運賃面でも列車と飛行機の差がなくなってきました。
私も以前は四国松山への帰省に夜行寝台特急列車や新幹線を利用していましたが、今は必ずと言ってもいいほど飛行機を利用しています。出張でも大阪以遠はたいてい飛行機利用です。
これに最近は夜行高速バスが加わります。同じく1980年代以降、高速道路が全国津々浦々に網の目のように整備されたことに伴い、今は夜行高速バスが整備された高速道路を走って、大都市圏と地方の都市とを直接結ぶようになってきました。バスの場合、県庁所在地のような地方の中核都市だけでなく、その周辺都市や規模の小さな都市へも道路さえあれば容易に路線を延ばすことができるため、乗り換えが不要、あるいは少なくて済むという大きなメリットがあります。また、バスの車体以外大きな設備を必要としないため参入・撤退が容易で、バスの性能がよくなったこともあり、瞬く間に路線が増殖していきました。夕方以降に発車して、翌朝目が覚めたら目的地に到着している…という夜行寝台列車の特色は、今や夜行高速バスに奪われてしまった感じがしています。
こういう時代の背景がある以上、夜行寝台列車、ブルートレインが廃止になるというのは仕方のないことだ…と私は思っています。“鉄ちゃん”としては残念なことではありますが、これも時代の流れというものです。
………(その2)に続きます。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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