2014/08/20

今度は大都市広島で悲劇が…

またまた自然の脅威の来襲により、悲しい悲劇が起こってしまいました。
それも中国・四国地方随一の大都市・広島市で。

広島市北部で今朝(20日)未明、局地的に1時間に100ミリを超える猛烈な雨が降り、広範囲にわたって各地で住宅が土砂に巻き込まれる被害が相次ぎました。このうち広島市安佐南区八木の付近では、住宅の裏山が広い範囲にわたって崩れ、複数の住宅が土砂に巻き込まれる被害が出ました。
警察によりますと、16時現在で2歳と11歳の男の子を含む27人の死亡が確認され、行方不明者は10人に上るということです。現場に向かう道路が土砂崩れにより至る所で寸断されていて、消防隊員が近づけない場所もあり、被害はさらに拡大する可能性があるということのようです。

2歳と11歳の男の子が犠牲ですか…。なんとも痛ましいものです。
犠牲になられた方とそのご家族に、謹んで哀悼の意を表したいと思います。合掌…………。


広島市では昨晩(19日夜)遅くに一時、激しい雨が降り、その後、20日未明から明け方にかけて猛烈な雨が降りました。 弊社の気象レーダ・降水ナウキャスト解析システム『RadarView』では24時間前からの雨の降り方を1kmメッシュで確認することができるのですが、それによると、土砂災害が発生した安佐南区の災害現場あたりでは、19日23時までの1時間に20ミリ近い雨が降り、降り始めからの5時間の累積雨量は80ミリに達していました。その後19日23時から20日午前1時までは雨が止み(0ミリ)、その後再び振り出したのは午前1時を過ぎたあたりから。午前2時までの1時間に40ミリを超える強い雨が振り、その後午前4時まで、1時間当たり100ミリを超えるくらいの猛烈な雨を観測しました。その結果、降り始めの18時から午前4時までの10時間で280ミリ近い、平年の8月1ヶ月分を上回るほどの大量の雨が降っていたことが見て取れます。(午前4時には雨は完全にやんでいます。)

広島地方気象台は19日21時26分に広島市に大雨洪水警報を出し、その後、20日午前1時15分には広島市などで土砂災害の起きる危険が高まっているとして、土砂災害警戒情報を発表していました。さらに、午前3時半までの1時間に広島市安佐北区付近でおよそ120ミリ、安佐北区上原で114ミリの猛烈な雨が降ったとして、午前3時49分に「記録的短時間大雨情報」を発表し、災害の危険が迫っているとして安全を確保するよう呼びかけていました。それでも、この悲劇は起きました。

私は、朝、テレビのニュ-スで初めてこの災害が発生したことを知り、そのままずっと見入ってしまいました。

気象災害と言うこともありますが、広島市は私にとっては学生時代を過ごした想い出の街ですから、土地勘があります。被害が発生した場所の一つに安佐南区の緑井というところがあり、ここには昔、親しい友達が住んでいたので、40年近く前のことですが、遊びに行ったこともあります。

地図をご覧いただくとお分かりいただけると思いますが、災害発生現場は広島市中心部から直線距離でさほど離れていないところにあります。テレビのニュース映像でも、画面の端に広島市中心部と思しきビル群が映っていたりもしています。広島に新幹線で行かれた方ならご記憶にあると思いますが、広島駅の北側(新幹線口側)はすぐ目の前にまで山が迫っています。今回の災害はその山の向こう側あたりでも発生しました。

広島市は広島県の県庁所在地であるばかりでなく、中国・四国地方最大の都市。同地方の政治・経済・文化の中心地です。太平洋戦争最末期の1945年8月6日、米軍により原子爆弾が投下され、一度は市内全域がほとんど壊滅。そこから、戦後、奇跡のような復興を遂げ、不死鳥のように蘇った街です(そうしたことから、世界の反核運動の象徴的存在となっている街です)。現在の人口は約120万人。広島市の産業構造は名古屋市の産業構造によく似ていて、マツダという自動車メーカーを中心とした製造業が広島経済を牽引するという構造になっています。雇用の裾野が広い自動車産業の街だけに、地方の中心都市として、現在も人口は増加している傾向にあります。

市内には太田川水系の6つの河川が流れていて、旧市街地(市内中心部)はデルタ形(三角州)をした地形として有名で、『水の都』と呼ばれています(ひじょうに橋が多い街で、主な橋の名前を覚えないと、暮らすのには苦労します)。

これは竹村公太郎さん著の『日本史の謎は「地形」で解ける』にも書かれていましたが、遠い昔、広島の街はほとんどが海でした。現在は公園になって市民の憩いの場にもなっている比治山(ひじやま)や黄金山(おうごんざん)はその昔は瀬戸内海に浮かぶ島だったわけで、当時の人々は海の近くの小高い丘の上などに住んでいました。市内を流れる大きな太田川(一級河川)によって運ばれた背後に連なる中国山地の山の土砂が、長い年月をかけて川の下流域や海の中にどんどん堆積していき、現在、旧市街になっている土地の基盤が出来上がりました。今から400年くらい前からは、海に向かって人工的な埋め立てが繰り返されるようになり、さらに新しく土地が作られました。そうして今の広島市の地形の基礎が出来上がったわけです。

こうして出来上がった市街地ですので、いかんせん市の中心部の面積は狭く、戦後の高度経済成長期以降、ドンドン増加する人口を吸収するには、背後の山の斜面を造成して、新しい住宅地を作るしかなかったわけです。私が広島大学に通っていた40年近く前も、ドンドンと山のほう山のほうへと住宅地の造成が進んでいました。

広島市西区の山陽本線の横川駅から分岐して、北上し、同市安佐北区の可部駅に至るJR西日本の可部線(かべせん:路線距離14.0km)というローカル鉄道路線があります。この可部線、かつては瀬戸内海に面した広島市と日本海側に面した島根県浜田市を中国山地の下を抜けて結ぼうと計画された鉄道路線で、私の大学時代には、中国山地の山深く、景勝地の三段峡まで線路が延びていました。当時も(現存する)横川駅~可部駅間は全線電化されており、広島市の都市近郊路線となっていて、首都圏や関西圏からはるばるやって来た旧型国電という老朽化した電車が広島市内への通勤通学輸送で最期のお務めを果たしていました。可部駅~三段峡駅間は非電化で、景勝地である三段峡への観光輸送路線としての役割を担っていましたが、2003年12月1日に可部駅~三段峡駅間(路線距離46.2km)が廃止されました。横川から可部までの路線は前述のとおり広島市の都市近郊路線となっていて、今も人口の増加に伴って住宅地の造成がドンドン進み、今は可部駅から旧・河戸駅周辺まで1.6kmの延伸(電化復活、2駅新設)が予定されているほどです。(このJR可部線の線路が流れてきた土砂に埋まっている映像がテレビのニュースでも流されていました。)

また、広島は『バスの街』でもあります。広島と言えば、市内を走る路面電車のイメージがありますが、紙屋町や流川等の市内中心部に立って街の景色を眺めていると、走っている路線バスの数がやたらと多いことに気付かれると思います。通勤通学等、市民の日常生活の中で利用する機会の多い路線バスだけをとらえても、緑色の広島電鉄バス、赤い色の広島バス、オレンジ色の広島交通バス、青い色のJRバス中国、その他にも芸陽バス等々、色とりどりの路線バスがひっきりなしに走っています。路線バスが多いことでは福岡市が有名ですが、福岡市の場合、西鉄バスがほとんどで単一化しているのに対して、広島市の場合は複数のバス会社が運行している路線バスが入り乱れて走っているので、マニア的には広島市のほうがよっぽど楽しいくらいです。

このように『バスの街』と呼ばれるくらい、公共交通機関の中心として路線バスが位置付けられている背景にも、広島市の地形が大きく関係しているように思えます。多くの人々が住む住宅地や団地が山を造成したところにあり、しかも斜面が急なところが多いところから鉄道の敷設が困難で、どうしても現在でも路線バスが主たる公共交通機関の地位を保てているように思います。

しかも、このあたりの土壌は風化した花崗岩が堆積してできた「真砂土(まさど)」と呼ばれる土壌です。この「真砂土」、非常に脆く、崩れやすいのが特徴です。日本列島は火山が多く、この真砂土は全国に広く分布してはいるのですが、特に降雨が少ない瀬戸内海沿岸地域は地表に近い部分に今も多くの真砂土が堆積しています。今回、崩れて土石流を発生させた山も、この真砂土が地表付近に堆積した山ではないか…と推察します。

このように、私は今回の土砂災害の災害発生現場付近の地理的(地形的)特徴を知っているだけに、問題の深刻さが分かります。

これまでもこの「おちゃめ日記」の場で、『災害』とは“災い”が“害”になると書く…ということを書かせていただきました。“災い”とは、気象や地象、海象といった自然現象がもたらす様々な脅威のことです。しかし、こうした自然の脅威も人々の生命や財産になんら被害をもたらせなければ『災害』とは呼びません。『災害』とは、「自然の脅威」と「都市(人が生活をしているところの意味)の脆弱性」が合わさってはじめて『害』、すなわち『災害』となるということを何度も申し上げてきました。“災い”はもちろん“気象”、“都市の脆弱性”の一番大きな要因は“地形”ということになります。今回の広島市で起きた災害も、広島市が持つ都市としての脆弱性が、局地的に短時間で降った猛烈な雨で一気に露呈した…ってことが言えるのではないかと思っています。

広島市はそもそもが大雨に対して脆弱な土地だったのです。それに対する広島市独自の『防災』の仕組みが必要だったのにも関わらず、それが十分ではなかったと言えるのではないかと思っています。『防災』は全国一律のやり方ではダメなんです。その土地その土地に合った『防災』の仕組みを考え、用意していくことこそが重要だと、私達は考えます。

広島市では過去にも土砂災害が相次ぎ、多数の死者が出ています。 15年前の1999年6月には、大雨で広島市や呉市を中心に325箇所で土石流や崖崩れが起きるなどして、31人が死亡し1人が行方不明となりました。このうち今回、住宅の裏山が崩れるなどの被害が相次いでいる広島市安佐北区と安佐南区では、土石流が住宅などに流れ込み、合わせて6人が死亡しました。そうした危険な地域だと分かっていながら、再び悲劇は繰り返されたわけです。自治体としても防災工事はそれなりに進んでいたと思いますし、ハザードマップ等も作って住民に注意を呼びかけていたと思いますが、それでも悲劇は繰り返されてしまいました。これは、これまでの仕組みや考え方のままではダメだ…ということを意味しているように思います。

このあたりについての気象情報会社ハレックスとしての考え方と取り組み方針につきましては、『南木曽の悲劇を防ぐには…』(2014年7月14日)に書かせていただいたものと同じですので、そちらを是非お読みください。

http://www.halex.co.jp/blog/ochi/20140714-3688.html

なんとかしないと……。

執筆者

株式会社ハレックス代表取締役社長 越智正昭

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