2015/06/05

サマーレスキュー~天空の診療所~(その2)

土曜日(23日)の夜に開催された懇親会の場では、シンポジウムでの私の講演を聴いていただいた方々といろいろと意見交換をさせていただいて、大変に有意義な時間を過ごすことができました。私が“世界初公開”だと称してご覧にいれた弊社の最新技術は聴いていただいた方に相当のインパクトを与えたようで、懇親会の場では次から次にいろいろな方が話をしに来ていただきました。場違いな門外漢の私がこのような懇親会の場にいて大丈夫なんだろうか…と思っていたのですが、まったくの杞憂に終わっちゃいました。

『サマーレスキュー』のドクターの皆様からは、具体的な事例をあげて山岳気象情報の必要性や特殊性について、今後のサービス検討に大いに参考になりそうなお話をたくさんお聞きすることができました。また、何人かのドクターとは、別途こちらからお伺いしてお話を聞かせていただくお約束もさせていただきました。私が聞くだけでは勿体なくて、是非とも社員に聞かせたい話が多かったですからね。

そうそう、懇親会には翌日(24日)に今回の日本登山医学会の学術大会と並行して開催された市民公開シンポジウムで講演なさる登山家でプロスキーヤーの日本の草分けでもいらっしゃる三浦雄一郎さんがいらっしゃって、私もお話をさせていただきました。80歳をとうに過ぎたお歳ではあるのですが、メチャメチャ元気で、とてもそんなお歳には見えませんでした。こりゃあ、もしかしたらもう一回くらいヒマラヤに行かれるかもしれませんね(^-^)v

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(写真は三浦雄一郎さんとドクター臼杵と私です。残念ながら、今年大学4年生になった姪っ子の就職相談にのらないといけないので、日曜日は夕方までに松山に帰る必要があり、三浦雄一郎さんの貴重なご講演を聴くことができなかったのが残念ではありますが、短い時間ではありましたが、直接間近でお話をさせていただいたことで、私としては十分に満足しております。)

懇親会では今回の学術大会の開催事務局を務めてくださったドクター臼杵率いる香川大学医学部と岡山大学医学部の学生さん達が、彼等が『サマーレスキュー』を務める三俣診療所の歌をご披露してくださいました。この歌はドクター臼杵の作詞作曲だそうで、かれの多彩な才能に触れることが出来ました。やるもんだ…。ちなみにドクター臼杵と私は中学校3年生の時、音楽の先生の猛烈な引抜で、全国大会出場を目指していた合唱部に“助っ人”として強制入部させられた過去を持ちます。その時は県の最優秀賞を獲得したものの、全国大会を目の前にした四国大会で私が音程を微妙に外してしまい(たぶん…)、惜しくも全国大会の出場は逃しちゃいました。

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大会2日目の24日(日)も、せっかくなので午前中は学術会議の会場を覗いてみました。この日のプログラムで面白かったのは、ドクター臼杵をはじめ岡山大学・香川大学医学部の皆さんが運営している三俣診療所をはじめ、日本全国(日本アルプス周辺の山々が主体ですが…)の山岳診療所の代表が一堂に会した一大パネルディスカッション。パネラーが座る各テーブルの前には、山のことがさほど詳しくない素人の私でも名前を知っているような山の名前を書いた札がズラァ~っとかかっています。その山々の名前を見ているだけで、ちょっと幸せな気分になれました。資金面、資材面…、ボランティアでの活動だけに、皆さん、それぞれご苦労をなさっている様子が伝わってきました。ただ、ご苦労されているわりには悲壮感のようなものがほとんど感じさせてくれないのが特徴なのではないでしょうか(本当は大変なんでしょうけど)。きっと、皆さん、心の底から山がお好きなんでしょうね。

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まぁ、そんなこんなの高松出張でした。大勢のお医者さんの前で講演する…、滅多にできない経験をさせていただきました。大変に素晴らしい学術大会だったように思います。私もそういう素晴らしい場で講演をするという機会を作っていただいたことを、大変に感謝しています。少しでも聴いていただいた皆様の、特に大会委員長であるドクター臼杵のお役にたてたのであれば幸いです。

なにより、私にとっては、中学時代から知っている親しい友人が登山医学の分野で、関係者の誰しもが認める日本の第一人者であるということをしっかりとこの目で確認させていただいたこと、それがメチャメチャ嬉しかったですね。今回の高松出張の一番の収穫でした。“還暦”を迎えて、多くの同級生が第二の人生を送り始めていたり、悠々自適に入ろうか…と言っている中、まだまだ枯れずに社会の第一線で大活躍されているドクター臼杵の姿を間近で見させていただいて、大いに刺激を受けました。外科医とコンピュータエンジニア(兼経営者)と活躍する分野は全然異なりますが、私もドクター臼杵に負けてはいられない!…と、強く思っちゃいました。


【追記1】
日本登山医学会の学術大会が第35回という風に書きましたが、実は登山医学専門の学会というのは、この日本の学会が世界の草分けなのだそうです。すなわち、世界で一番古くからこの分野に取り組んでいる学会だということだそうです。素晴らしいことですね。


【追記2】
東京から高松へは空路ANA便で入ったのですが、そのANAの機内オーディオ番組の今月の7chでは、私にとって同郷のSuperfly、越智志帆さんの特集をやっていました。9曲が流されていたのですが、その中にドラマ『サマーレスキュー ~天空の診療所~』の主題歌「輝く月のように」が流れていました。まさにこのドラマのモデルになったドクター臼杵からの依頼で、“天空の診療所”で活躍なさっているお医者さん方が集まる学会に向かう飛行機の機内で、『サマーレスキュー ~天空の診療所~』の主題歌「輝く月のように」を聴く…。こんな奇跡のような偶然に、鳥肌が立つ思いがしました。Superflyの「輝く月のように」は久し振りに聴きましたが、本当にいい楽曲です(^^)d


【追記3】
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第35回日本登山医学会学術大会は高松駅前のサンポート高松というところで開催されたのですが、ここは元々、四国と本州を結ぶ国鉄の宇高連絡船の桟橋跡を埋め立てて建てた建物です。今も高松駅は櫛形の4面9線の頭端式のホームを持つターミナル駅(行き止まり式の駅)で、駅舎からホームまでは一切の段差がないバリアフリー構造になっています。瀬戸大橋開通以前は、四国各地から列車で集まってきた乗客は、この高松駅で宇高連絡船に乗り換えて、本州(岡山県の宇野)に向かいました。

瀬戸大橋が開通して、宇高連絡船が廃止され、桟橋跡は埋めたてられて陸地化しちゃいましたが、すぐ近くには高松と小豆島や直島、女木島等を結ぶフェリーや高速艇が発着する桟橋があり、学会の合間にはフェリーや高速艇がその桟橋に入港、出港する様をボォ~っと眺めていました。

実は高松港は今も1日の乗降旅客数日本一を誇る日本最大の旅客港なんです。瀬戸大橋が開通した以降、宇高連絡船だけでなく、高松港と岡山県の宇野港とを結ぶ宇高国道フェリーが営業を取り止め、同区間で唯一残った四国フェリーも大幅に便数を減らしているため、私が子供の頃のようなひっきりなしに大小様々な旅客船が出入りする光景は見られなくなりましたが(昔は国鉄の宇高連絡船をはじめ、数珠繋ぎのような状態で船が連なっていました)、それでも小豆島や直島、女木島、男木島といった高松市の沖に浮かぶ島々と高松港を結ぶ旅客船は、それらの島々に住む住民にとっては大事な大事な生活の足であるわけで、今後もしばらくこの乗降旅客数日本一の座は揺らぎそうにありません。


【追記4】
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第35回日本登山医学会学術大会はサンポート高松4階にあるホールで開催されたのですが、その同じ4階に香川県の運営する情報通信交流館『e-とびあ・かがわ』があります。この『e-とびあ・かがわ』は、お子さまから大人まで幅広い方々にITの素晴らしさを実感いただける参加体験型の施設です。

2004年(平成16年)3月30日のサンポート高松シンボルタワーオープンと同時に開業したので、今年で11年目を迎えます。実は私、『e-とびあ・かがわ』の開業前にこの施設のコンセプト企画や展示内容等について検討する有識者委員会の委員を務めさせていただいていました。地元出身ということと、マルチメディア(懐かしい響きの言葉です)関連の専門家ということで、前に勤めていた会社の四国支社(現在のNTTデータ四国)から依頼があったもので、当時は委員会が開催されるごとに、高松を日帰りで毎月のように訪れたものでした。

その後、高松を訪れる機会になかなか恵まれず、『e-とびあ・かがわ』を訪れたのは開所式典以来のことです。11年ぶりに訪れた『e-とびあ・かがわ』ですが、開所当時の華やかな賑わいというものは影を潜めて見られなくなったものの、この日も子供達向けのワークショップが開催されて、それなりに多くの来館者の姿がありました。

少しではありますが、自分が関係した施設が、11年も経った今も運営されている様子を見ることができて、嬉しく思いました。


【追記5】
四国・香川県と言えば「讃岐うどん」の本場です。このところ美味しい「讃岐うどん」に対する禁断症状が出始めていたので、今回の高松出張では2食(プラス夜食の1食)がうどんでした。香川県人は1日3食がうどんでも平気だ…と言われますが、まさにそんな感じでした。時間的な制約から、食したのは高松駅周辺の都市型セルフ店ででしたが、それでもさすがは地元。どこもハズレはなく、それなりに美味しくいただいて、満足しました。

しばらくはうどんで補給した元気で乗り切れそうです(^^)d


【追記6】
今回の高松出張では思わぬ出会い、それも素晴らしい出会い、懐かしい出会いがありました。

24日(日)に会場のサンポート高松を後にして、高速バスで松山に向かおうと高松駅前の高速バスターミナルで乗車券を購入していた時、不意に後ろから「あれっ!、もしかして越智さんじゃあありませんか?」…と声をかけられました。「えっ!?」って思って声の主のほうへ振り返えると、確かにどこかでお会いした顔が…。

「阪急電鉄の〇〇です」

「あぁっ!〇〇さん!」

私にとって前の会社(NTTデータ)時代で“営業”として一番思い出に残っている仕事を一つ挙げよ…と言われたら、迷わず阪急電鉄梅田駅の旅客案内システムを挙げます。それまでシステム開発が主体で、しかも公共分野に所属していましたので、お客様は中央省庁様ばかり。そうした私が営業した初めての民間企業のお客様が阪急電鉄様。いきなり関西の会社さんでした。しかも販売の中心は、私が中心になって研究開発した大型ディスプレイ装置『光ファイバスクリーン』。その装置の価値を一番理解していただいたのが阪急電鉄様でした。

初めて尽くしで、いろいろ大変なことの連続でしたが、その分、今から思い出すと楽しかったし、ホント勉強になりました。阪急電鉄様の仕事を通して“営業”として多くのことを学ばしていただいて、今の私があると思っています。ですから、その学んだことを忘れずにおこうという思いで、ネクタイピンは阪急電車のネクタイピンを愛用しています。そのくらい、阪急梅田駅の仕事は私にとって思い出深い仕事です。

その時の阪急電鉄様側の担当部署の係長さんが〇〇さんでした。その〇〇さん、当時は若手バリバリの係長さんだったのですが、現在は偉くなられて、グループ会社の某電鉄会社の常務取締役を務めていらっしゃいます。ご両親が小豆島のご出身で、この日は親戚のお見舞いに小豆島に行き、その帰りなんだとか。神戸まで高速バスに乗ろうとして、私と遭遇したということのようです。

思い返してみると、私が阪急電鉄梅田駅の仕事をしたのは36~37歳の時のことですから、今から20年以上も前のことです。その時にご一緒させていただいたお客様からお声をかけていただけるとは…。これには本当に感激してしまいました。覚えていてくださったのですね。当時に比べると、私は髪の毛もすっかり白くなりましたし、体重もかなり増えてふっくらとしています。それでも、思い出して声をかけてくださるとは…。嬉しすぎて涙が出そうになりました。

積もる話もあったのですが、バスの出発時間が迫っていたので、名刺を交換して、東京に戻ってからメールで近況を報告させていただきました。あまりにも感激したので、後日ご連絡を差し上げて、お会いしに関西まで行こうと思っています。

日本登山医学会学術大会で中学高校時代の旧友のドクター臼杵のお役に少しでも立てたこと、そして、それが終わった後、20年以上昔にお仕事をご一緒させていただいたお客様からお声をかけていただけたこと…、松山に向かう高速バスの車内では、「幸せ(happy life)度」のボルテージはMAXになっちゃいました(^^)d

ホント、心に残る素晴らしい高松出張になりました。

執筆者

株式会社ハレックス代表取締役社長 越智正昭

株式会社ハレックス
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越智正昭

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