2016/04/20

大人の修学旅行2016 in城崎温泉(その4)

JR山陰本線は京都駅から中国地方の日本海沿岸(山陰地方)を経由し、山口県下関市の播生駅に至る路線総延長673.8kmにも及ぶ長大な鉄道路線です。2002年までは東北本線(739.2km)のほうが長かったのですが、東北新幹線の延伸に伴い、同線の一部が第三セクターのIGRいわて銀河鉄道や青い森鉄道に転換されたことにより、今では山陰本線が新幹線を除くJR在来線としては日本最長の鉄道路線となっています(地味な山陰地方を走るため、注目されることも少ないのですが‥‥)。

京都駅から園部駅までの区間は『嵯峨野線』という小洒落た愛称も付けられた大都市近郊区間なのですが、園部駅から先は一気にローカル線の様相を呈してきます。複線になっているのも京都駅から園部駅までの区間だけで、その先は他の路線との関係でところどころ短い区間が複線になっているだけで、基本的に大部分の区間は単線です。電化されているのも京都駅から城崎温泉駅までの区間だけで、その先は非電化です。“本線”という名称が付きながら、山陰本線は昔から鉄道マニアの間では「大いなるローカル線」と呼ばれてきました。なので、鉄道マニアにとってはたまらない路線なんです(日本海に沿ってただひたすら走るだけなので、車窓は比較的単調なのですが、この大いなるローカル線感がたまらないのです)。

在来線としては現在日本最長の長さを誇る路線なのですが、意外なことに起点から終点までを通して走る特急や急行といった優等列車の設定が開業以来一度もないという珍しい路線です。かつて、キハ80系やキハ181系の特急型ディーゼルカーを使って博多発山陰本線経由新大阪行きの「まつかぜ」という愛称の特急列車がありましたが、福知山からは福知山線に乗り入れて新大阪に向かうルートでしたので、山陰本線全線を走破とはいきませんでした。

これは、そもそもが山陰地方に住む人の数が少ないこと(47都道府県の中で、鳥取県と島根県は人口が少ない県ということの二大巨頭です)に加えて、山陰地方の東西方向の人の交流やモノの流動が昔から必ずしも盛んでないことや、国鉄や現在のJR西日本が、特に山陽新幹線の開業以降、山陰本線沿いの各都市から直接山陽新幹線に至るルートの路線、いわゆる「陰陽連絡路線」の整備に力を注いできた結果と思われます。実際、中国地方の山陰側と瀬戸内海側を結ぶ路線には福知山線や伯備線のように電化された路線や、智頭急行線のような高速で走行することを目指した新線があって、特急電車が何本も設定されているのですが、山陰本線のほうはというと、電化されている京都駅から城崎温泉駅までの間を除くと、現在は鳥取駅〜益田駅間を走る特急「スーパーまつかぜ」と鳥取駅〜新山口駅を走る特急「スーパーおき」くらいのものになってしまっています。

(同じ西日本でも1,500〜2,000メートル級の高い山々が屏風ように立ち並ぶ四国と異なり、中国地方を東西に走る中国山地の山々はさほど高くないので、南北方向の人の移動やモノの流動が盛んだったのではないかと思われます。)

山陰本線には国鉄時代、ほぼ全線を通して運転されるような長距離の客車普通列車の姿が多く見られました。京都駅発の客車普通列車の行き先だけでも園部駅や福知山駅だけでなく、豊岡駅、浜坂駅、鳥取駅、米子駅、出雲市駅、浜田駅などもありました。その中でも特筆すべき普通列車がありました。それが824列車(824レ)です。

この824列車は福岡県の門司港駅を朝の5時22分に出て、関門トンネルを抜けて山陰本線に入り、日本海沿いの山陰本線を走りに走って、終点の京都府の福知山駅には深夜の23時51分に到着するという日本で最も長い距離を走行する各駅停車の列車でした。走行距離は595.1km、その距離を焦げ茶色をした旧型の客車を何両も連ねた長い編成の列車で、なんとなんとの18時間29分かけて走っていました。今では信じがたいことです。

私は学生時代、広島大学鉄道研究会に所属していたのですが、その「夏合宿」でこの824列車を完全乗覇したことがあります。824列車だけではありません。824列車は早朝の5時22分に九州の門司港駅を出発するので、前日のうちに広島から門司港駅に移動してなくては乗ることができません。この移動も各駅停車を乗り継いでの移動でした。門司港駅の待合室で朝の出発時刻が来るのを待ち、824列車に乗車。あとは悪行苦行の18時間29分でした。

真夏の8月初めに敢行したのですが、旧型客車なので当然のこととして冷房の設備などはありません。天井に扇風機は付いていましたが、真夏の強い陽射しが照り付ける中では全くの無力。窓は全開で開けているのですが、入ってくるのは日本海からの熱風。ホント地獄のような状態でした。食べるものは駅弁のみ。また、いちおう「夏合宿」なので、単調な車窓の風景に思わず睡魔が襲ってくるのですが、寝ちゃうと誰かに「おい、寝るな!」と起こされてしまうのです。

山陰本線は単線で、行き違いの対向列車や追い抜きの優等列車の待ち合わせで駅に長時間停車することもあり、そういう時には身体を伸ばせるので、まぁ〜なんとかなりました。途中で乗務員(車掌)は何度も交代するのですが、長い旧型客車の編成と我々広島大学鉄道研究会の面々はそのままです(牽引する機関車は門司港駅から下関駅間は関門トンネル専用の電気機関車で、下関駅からはDF50型ディーゼル機関車が終着の福知山駅まで牽引していました)。それでもなんとか深夜の23時51分、定刻に終着の福知山駅に到着することができました。

福知山駅に到着したと言っても、既にそこから先に行く列車はなく、また福知山駅の待合室で京都行きの始発の普通列車が発車するのを待ちました。山陰本線を完全乗覇して次の日の朝に京都駅に到着した時には全員がボロボログチャグチャの状態で、汗と埃で着ていた真っ白のTシャツが薄茶色に変色していたのが、その悪戦苦闘ぶりを物語っていました。京都駅に到着して真っ先に行ったところがサウナ風呂。そこで汗と埃を流してサッパリしたのですが、サウナに入っても大して熱いと感じなかったのは、824列車の灼熱地獄を経験した直後だったからでしょうね(笑)

このように、私にとって山陰本線は思い出深い路線なんです。あの当時を思い出しながら、車窓を楽しんでいました。まぁ〜あんな無茶は今ではやりたくてもできませんが‥‥。

ちなみに、京都からは今度は山陽本線の各駅停車を乗り継いで、広島に戻りました。このように当時の広島大学鉄道研究会は間違いなく体育会系のサークルでしたね。学内の駅伝大会にも出場して、ゼッケンの上にブルートレインの先頭を飾るヘッドマークのシールを付け、タスキはタブレットという単線区間を走る列車が使用していた認識票に巻きつけて肩から下げて走ったりしました。剣道、柔道、弓道、空手道、‥‥‥そして『鉄道』!V(^_^)V

おおっと、いっけねぇ〜、鉄道ネタを書き始めたら、横道に思いっきり逸れちゃいました(^_^;) 『大人の修学旅行』に戻ります。


……(その5)に続きます。

執筆者

株式会社ハレックス前代表取締役社長 越智正昭

株式会社ハレックス
前代表取締役社長

越智正昭

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