2017/11/24

中山道六十九次・街道歩き【第17回: 和田峠→岡谷】(その7)

「山の神」の前を通り過ぎたところで、一度右の側道に入ります。国道142号線から一段下がったところに民家が立ち並んでいて、ここが昔の街道だったってことが偲ばれます。

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ここが中山道だったことを物語るように、道の傍らに道祖神が祀られています。「木落し坂」のところにあった道祖神もそうでしたが、この諏訪地方の道祖神の特徴は周囲に4本の御柱が立っていること。さすがに諏訪大社のお膝元って感じがします。

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国道142号線のほうも徐々に高度を下げてきて、再び合流します。

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しばらく歩くと右手に旧道入口があり、諏訪大社の「春宮」が見えてきます。諏訪大社には諏訪湖を挟んで南に「上社(かみしゃ)」、北に「下社(しもしゃ)」があり、さらに「下社」には「秋宮(あきみや)」と「春宮(はるみや)」という2つのお宮があります。春宮はJR下諏訪駅から少し遠いためか、秋宮ほど参拝者は多くないのですが、鬱蒼と茂る静寂な森の中に社殿が建ち並んでいて、歴史の深さが偲ばれる神社です。

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ここが御柱の山出し・里曳きにおいて最後の難所とされる「春宮上(はるみやうえ)」と呼ばれる地点です。ここは諏訪大社の春宮の境内東側の急斜面の上にあたります。ここまで運ばれてきた御柱はこの急傾斜を使って木落しが行われ、一気に春宮の境内に運び込まれます。「木落し坂」とは異なり、狭い箇所での木落しなので、細心の注意が払われるのだそうです。

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諏訪大社春宮の参道に向かって坂道を下っていきます。右手には下諏訪宿の屋並みの向こうに諏訪湖が見えています。

諏訪湖は海抜759メートルにあり、面積13.3平方キロメートル、周囲15.9キロメートル、最大深度7.2メートル、面積としては国内23位の湖です。新生代第三紀の終わり頃からの中央高地の隆起活動と糸魚川静岡構造線の断層運動によって、地殻が引き裂かれて生じた構造湖(断層湖)で、糸魚川静岡構造線と中央構造線が交差する地であることでも知られています。下諏訪宿の対岸は諏訪大社上社の門前町で、諏訪藩の居城高島城の城下町の上諏訪です。中世から江戸期にかけて諏訪湖は下諏訪宿と上諏訪を結ぶ水上輸送路で、廻船が頻繁に往来していました。かつては毎年のように厚い氷が湖面全体を覆い、戦前には氷上での戦車の走行や航空機の離着陸の訓練まで行われていたそうなのですが、近年は地球規模の温暖化の影響か氷が薄くなって、全面氷結の頻度も減少しているのだそうです。また、諏訪湖と言えば、氷結した湖面に穴をあけて行うワカサギの穴釣りが有名ですが、氷が薄くなって危険なため、最近は陸釣りや船釣りが主体なのだそうです。

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諏訪大社春宮に着きました。入口の御影石の大鳥居は万治2年(1659年)の建立と推定されていて、後で訪れる「万治の石仏」と同じ作者(石工)の手によるものだと言われます。この大鳥居のある社頭からJR下諏訪駅方向に真直ぐ800メートルほど伸びる道路は、かつては春宮の専用道路で、多くの武士達が流鏑馬を競った馬場でもありました。

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繰り返しになりますが、諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖の周辺に4箇所のお宮をもつ神社です。諏訪湖を挟んで南に「上社(かみしゃ)」、北に「下社(しもしゃ)」があり、「上社」には「本宮(ほんみや)」と「前宮(まえみや)」、「下社」には「秋宮(あきみや)」と「春宮(はるみや)」の2つずつのお宮があります。諏訪大社は十二支の寅、申の年の7年毎の「御柱祭」と呼ばれる天下の奇祭があることで知られています。信濃国一之宮で神位は正一位。全国各地に5,400社余りある諏訪神社の総本社であり、 国内にある最も古い神社の一つとされています。諏訪大社の歴史は大変古く、古事記の中では出雲を舞台に国譲りに反対して諏訪までやってきて、そこに国を築いたとあり、また日本書紀には持統天皇が勅使を派遣したとも書かれています。

諏訪大社の最大の特徴は、本殿と呼ばれる建物がないことです。下社でも「秋宮」は一位(イチイ)の木を、また、この「春宮」は杉の木を御神木とし、上社は御山・守屋山を御神体として拝しています。古代の神社には社殿がなかったとも言われています。つまり、諏訪大社はそうした古くからの原始信仰の姿を今に伝える神社で、こうした神社の建て方は「諏訪神社造り」ともいわれています。祀られている主祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)と八坂刀売神(やさかとめのかみ)。両方の神を合わせて、「諏訪大明神」と呼ばれています。

諏訪大明神は古くは風・水の守護神で五穀豊穣を祈る神、すなわち、農業の神様です。諏訪大社の下社は春になると、神が山から里に下ってきて農耕を司るということから、その年の農作物の作柄を占う「筒粥(つつがゆ)神事」が毎年1月14日の夕刻から翌未明にかけて、夜を徹して行われます。下社の「春宮」と「秋宮」ですが、下社の御祭神は2月1日に春宮に遷され、8月1日になると秋宮に遷されるので「春宮」、「秋宮」と呼ばれるのだそうです。その下社の御祭神の移動を祝う祭りのことを「遷座祭」と言います。

また、諏訪大明神は古くから軍神(武勇の神)としても広く崇敬され、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際に戦勝祈願をしたとも伝えられています。現在は生命の根源・生活の源を守る神として御神徳は広大無辺で、1年を通して多くの方が参拝に訪れています。

春宮の大鳥居のすぐ近くに下馬橋(げばばし)という屋根付きの太鼓橋があります。かつては御手洗川(みたらしがわ)がこの橋の下を流れていたのですが、今は川は埋められ、道路に橋だけが残っています。この下馬橋は室町時代の建立ですが、建築様式は鎌倉時代のもので1730年代の元文年間に修築されました。下社では現存する最も古い建物の一つで、下社の御祭神が秋宮から春宮へ、反対に春宮から秋宮へ遷される「遷座祭」の折に、神輿はこの橋を渡ります。

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地元の観光ボランティアガイドさんの案内で、諏訪大社春宮に参拝しました。

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境内に入ると、中央に神楽殿が出迎えてくれます。ブットイ注連縄(しめなわ)が見事です。この神楽殿は修改築が幾度となくなされているのだそうです。

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その神楽殿の裏に、国の重要文化財に指定されている幣拝殿が建っています。その幣拝殿の左右の建物を片拝殿といい、この片拝殿も国の重要文化財に指定されています。ちなみに、幣拝殿と片拝殿を合わせたものを総称として“拝殿”と呼ぶようです。

春宮の幣拝殿は「御門屋(みかどや)」とも言われ、天正6年(1578年)に下馬橋と共に造営されたものです。現在の建物は、地元の大隈流宮大工・柴宮(伊藤)長左衛門矩重の手によるものです。安永6年(1777年)、秋宮を諏訪立川流の立川和四郎富棟が請負うことを知った高島藩御用の地元の宮大工・柴宮(伊藤)長左衛門矩重は兄の伊藤儀左衛門と相談して、春宮の建築を秋宮と同じ絵図面で、35両扶持米(ふちまい)なしで請負い、不足分は自分で勧化(かんげ)して造る旨の一札を出しました。これは採算を度外視した秋宮の半額以下の条件で、立川流と競り合う形となり、すぐ仕事にかかりました。秋宮より遅く始めたのですが、安永8年(1779年)6月に、秋宮より約1年早く工事を終えています。

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ちなみに、立川流と大隈流は江戸時代を代表する宮大工の2つの流派。中でも大隈流は完成した「規矩(きく)」(規則・技法)を持った当時全国に知れた一派でした。この春宮も一間一戸の楼門造りの幣殿と拝殿で見事です。屋根は切妻造平入の銅板葺き。正面は軒唐波風をつけ、二階四方は吹き放ちとなっています。左右の片拝殿は、桁行柱間5間(約11メートル)、梁行柱間1間(約3.1メートル)、屋根は棟を上げ「片流招屋(かたながれまねきや)造り」で、正面側に屋根が長く裏面側は短くなっています。三面は吹き放ち、裏面に格子窓がはめてあります。

拝殿正面には、飛末をあげる波から上層に向かって、水・空・地の構成で彫刻を配置しています。梁の上には牡丹の花咲く岩野に戯れる親子獅子、上層中央には二体の麒麟、さらには雲をまく龍や鶴…と技術の高さが窺える様々な彫刻に囲まれ見事です。また、幣拝殿内部の桁に巻きついた守護龍には迫力があります。両脇には雌雄の鶏、欄間の獅子が彫られているなど、彫刻の構成はあまりに見事で、大隈流の代表作と言えるのだそうです。

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拝殿の奥には、神明造りの御宝殿があります。前述のように、諏訪大社は御本殿をもたない神社としても有名で、この御宝殿の奥には建物がありません。その代わりとして、下社の春宮では御宝殿の奥の杉の御神木を御神体としてお祀りしています(秋宮は一位の木)。

御宝殿の四隅には御柱が建立されています。この御柱は7年毎に行われる御宝殿の造営とともに建て替えられ、この御柱は昨年平成28年(2016年)に建て替えられたものです。1年しか経っていないので、まだ木の表面は白いです。

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前述の「春宮上(はるみやうえ)」から急傾斜の斜面を木落され、境内に曳きつけられた春宮一から春宮四の4本の御柱は、「冠落しの神事」が行われ、柱の先端を三角錐の形に化粧直しされます。その後、「建御柱」が行われます。この建御柱は「建方(たてかた)」と呼ばれる人達が中心となって執り行われ、4本の御柱が御宝殿の四方を取り囲むように垂直に立てられます。直径約1メートル、長さ約17メートル、重さ約10トンにもなる樅(モミ)の木の巨木を重機も用いず、人力だけで真っ直ぐ垂直に立てる…、物凄い技術だと思います。その神事を遥か昔からやっていたとは……。感嘆以外の言葉が出ません。ホント凄いことだと思います。

ちなみに、下社の秋宮に立てられる秋宮一から秋宮四の御柱は、春宮上から急傾斜の斜面を木落され、いったん春宮の境内を経由して、秋宮を目指して運ばれるのだそうです。



……(その8)に続きます。

執筆者

株式会社ハレックス代表取締役社長 越智正昭

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