2017/12/01

中山道六十九次・街道歩き【第17回: 和田峠→岡谷】(その9)

御作田神社前を通り5分ほど歩いたあたりが「下諏訪宿」の江戸方の入口で、当時はこのあたりに番所が置かれていたそうです。温泉宿が建ち並ぶ坂を下っていきます。

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下諏訪宿(しもすわしゅく)は、中山道六十九次のうち江戸の日本橋から数えて29番目にあたる宿場で、同時に五街道のもう1つ甲州街道の江戸日本橋から数えて39番目で終点にあたる宿場でもあります。

下諏訪宿は現在の長野県諏訪郡下諏訪町の中心部にあたり、難所であった和田峠の西の入口として、また、諏訪大社下社(しもしゃ)の門前町として大いに栄えたところでした。また、前述のように甲州街道の終点でもある交通の要衝で、江戸・京都・甲州それぞれの方面から多くの人々の往来があり、中山道信濃国内最大の40軒の旅籠がありました。宿場の中で甲州街道が分岐・合流する追分がありました。また、古くは鎌倉時代から温泉の利用が確認されており、中山道唯一の温泉のある宿場として知られ、当時の絵画などには温泉を利用する旅人達の姿が描かれています。ともに難所である和田峠と塩尻峠の間にあり、旅人にとって格好の休憩地だったことでしょう。旧称は「下ノ諏訪」と言います。

天保14年(1843年)の記録(中山道宿村大概帳)によると、下諏訪宿の宿内家数は315軒で、宿内人口は1,345人。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠40軒がありました。この他、茶屋が2軒、商屋が15軒あり、さらには宿の外れには木賃宿があり、巡礼者や下級の旅芸人などが利用したそうです。その当時は宿泊客が非常に多く、足の踏み場もないほどに人が集まり、雑魚寝をしていたほどであったと言われています。宿場は約800メートルほど町並みが続いていたとのことです。

中世より、この地は湯の町として知られ、街道の道端に高温の温泉が幾つも自噴し、多くの旅人が疲れを癒した温泉場で、名湯として広く知られてきました。

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今でも街道筋のあちこちに、湯を出しっぱなしにした蛇口が見受けられます。この蛇口のところに風呂桶を置けば、即「源泉掛け流しの温泉」そのものになります。諏訪の温泉といえば、甲州街道の1つ手前の宿場である上諏訪宿に上諏訪温泉があり、温泉の規模や賑やかさはそちらのほうが大きいのですが、大規模に観光開発された上諏訪温泉と異なり、下諏訪宿あたりは小規模な旅館街と入浴施設があるだけで、鄙びた温泉街という感じで、歓楽的な雰囲気はほとんどありません。私はむしろこういう感じの温泉のほうが好きです。

下諏訪温泉はかつては各旅籠に引き込まれておらず、共同浴場でした。古くから綿の湯(わたのゆ)、児湯(こゆ)、旦過の湯(たんかのゆ)の3湯があり、ここはそのうちの旦過の湯です。今でも共同浴場が営業されています。

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宿場に入るとすぐに「今井邦子文学館」があります。この今井邦子文学館は茶屋「松屋」の建物を復元したものです。今井邦子は、四国・徳島市出身の「アララギ」の歌人で小説家。後に女流短歌誌「明日香」を創刊したことで知られています。四国・徳島の生まれではありますが2歳の時に下諏訪町の祖父母の家に引き取られ、ここで育ちました。結婚、出産を経てアララギ歌人の島木赤彦と出会い、短歌の新境地を開いたとされています。文学館の入口に今井邦子の写真が飾られていますが、女優の松たか子さんによく似たメチャメチャ美人です。

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下諏訪宿は宿場内にアップダウンの多い宿場で、坂の途中に旅籠が建ち並んでいるって印象です。これはこれで風情があります。

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宿場の入口から坂を少し上った左に天文10年(1541年)創建の来迎寺という寺院があります。驚いたことにその寺院の境内には平安中期の歌人・和泉式部の供養塔があり、傍らに

「あらざらむ この世のほかの 思い出に 今ひとたびの 逢うこともかな」

という和泉式部の歌碑も立っているのだそうです。諏訪と和泉式部とは結びつかないのですが、夫が転勤族だったようで、もしかすると、夫が諏訪地方に赴任したのに同行して、この地に住んだことがあったのかもしれません。

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中山道を挟み来迎寺の反対側に、欅の大木で守られた諏訪地方随一の前方後円墳「青塚古墳」があります。7世紀末~8世紀に築造されたものと考えられていて、長野県指定の史跡となっています。諏訪大社は古事記や日本書紀にも登場する日本国内にある最も古い神社の一つとされていますが、7世紀末~8世紀に既に諏訪のこのあたりは大いに栄えていたということなのでしょうね。ちなみに、「青塚古墳」は諏訪大社の神陵とされました。

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さらに先に進みます。

下諏訪温泉の源泉は20ヶ所あり、その1つが「綿の湯」です 。その昔、上社の地にお住まいだった諏訪明神・建御名方神 (たけみなかたのかみ)のお妃の八坂刀売神 (やさかとめのかみ)が日頃お使いになっておられたお化粧用に綿に湯を含ませて“湯玉”にして下社の地にお持ちになりました。その湯玉が置かれた場所から湧いたのがこの温泉で、「綿の湯(わたのゆ)」と名付けられました(諏訪明神御神湯伝説)。

この「遊泉ハウス児湯」は江戸時代中期以前から街道を行き交う旅人に親しまれ、日本三古湯として有名なその「綿の湯」と、湯質が良く特に子宝に恵まれるとの評判が高かった「児湯(こゆ)」の跡地に、昭和62年(1987年)に作られたものです。

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「遊泉ハウス児湯」の前あたりからが下諏訪宿の中心部となり、格式高い門構えの岩波家本陣跡があります。この岩波家本陣は本陣問屋役を元禄元年から明治維新まで務めていた家で、現在の当主は28代目にあたるのだそうです。この岩波家本陣は諏訪大社下社秋宮の境内を借景とし、当時、ここの広大な庭園は中山道随一の名園としても有名だったそうです。現在も一部が一般公開され、皇女和宮が御降嫁される際に、また明治天皇が宿泊した際に利用された奥の座敷を見学することができます。また、玄関には、参勤交代の際、大名家が宿泊している時に掲げる関札を展示しています。徳川御三家や井伊家などの関札が残されているのだそうです。残念ながら、時間の関係で立ち寄れませんでした。

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岩波家本陣の向かいにある大津屋も真っ白い漆喰の壁が印象的な建物です。歴史を感じます。

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本陣の少し先に「綿の湯」の跡があります。ここには当時の「錦の湯」の様子を描いたタイル絵が飾られています。江戸時代、各旅籠には温泉は引き込まれておらず、宿泊客も一般開放されていたこの「錦の湯」を利用しました。この時代、他の湯は地元の人以外は入れず、加えて、温泉は混浴が普通だったのだそうです。

お湯に浮かぶ球体の石のモニュメントは、先ほど書いた諏訪明神御神湯伝説に登場する“湯玉”をイメージしたものでしょうか。

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「綿の湯」の前で中山道は直角に右に曲がっています。角に脇本陣丸屋があります。現在も御宿「まるや」として旅館を営業しています。その「まるや」の向かいは旅籠だった「桔梗屋」です。

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直進する道は甲州街道で、この横断歩道がある地点がその甲州街道の終点でした。ここには「甲州街道・中山道合流之地」と刻まれた碑が立っています。ここで江戸の日本橋から上野国(群馬県)経由でやって来た中山道と、甲斐国(山梨県)経由でやって来た甲州街道が合流しました。

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「甲州街道・中山道合流之地」の碑の横に『お宿 瑞泉閣かめや』の案内看板が立っていて、そこから続く道の奥にその『聴泉閣かめや』の由緒ありそうな建物が建っています。岩波家本陣は本家と分家に二分されていて、この『聴泉閣かめや』は分家になります。その分家である『聴泉閣かめや』の『上段の間』は、皇女和宮や参勤交代の諸大名、第5代将軍~第14代将軍の歴代御台所の花嫁行列の寝所として使われました。また、隣接の岩波家本陣の本家には、幕末に赤報隊の相楽總三、近藤勇ら新撰組、水戸浪士軍等が宿泊し、激動の幕末の舞台となったところです。 現在のような旅館『瑞泉閣かめや』として営業を開始した明治以降も、島崎藤村や芥川龍之介、与謝野鉄幹・晶子、宇野浩二、西條八十など諸文豪がここに宿泊したのだそうです。現在も旅館として営業しているのですが、皇女和宮も宿泊した『上段の間』は公開されているのだそうです。

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「甲州街道・中山道合流之地」の碑が立っているところから“甲州街道”を直進すると、すぐに諏訪大社下社の秋宮に出ます。そこまでの道も両側に旧旅籠や商家が建ち並び、大変に風情のある通りになっています。

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諏訪大社の下社秋宮の鳥居です。その前の駐車場に乗ってきた観光バスが停車しています。時刻は12時になろうとしているところで、この日の昼食はこの観光バスの車内でお弁当をいただきました。晴れていたら秋宮の境内で気持ちよくお弁当をいただいてもよかったのですが、この日は朝からずっと雨が降り続いていて、そういうわけにもいきません。まっ、たまにはこういう時があってもいいか…。

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……(その10)に続きます。

執筆者

株式会社ハレックス代表取締役社長 越智正昭

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