2017/12/04

中山道六十九次・街道歩き【第17回: 和田峠→岡谷】(その10)

昼食後、午後の部の出発まで時間があったので、秋宮の境内を見学することにしました。

さすがに諏訪大社。手水舎も立派です。諏訪湖の竜神伝説にちなんだ龍の口から水が流れ出ています。手水舎で手水をとり、心身の穢れを清めてから鳥居を潜り、御神前に進みます。

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鳥居を入ってまず目に付く正面の大きな木は「根入の杉」と呼ばれ樹令は約八百年の御神木です。前述のように秋宮はイチイの御神木を御神体としているのですが、まずは杉の巨木です。

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身長1.7メートル、青銅製では日本一と言われる狛犬を両脇に従えた秋宮の神楽殿は三方切妻造りで、諏訪立川流の宮大工・2代目立川和四郎富昌の手により、天保6年(1835年)に完成したものです。この秋宮の神楽殿は、国の重要文化財に指定されており、諏訪大社と言う古い歴史を持つ神社に相応しく、圧倒されるほどの存在感のある佇まいです。(春宮の神楽殿にほうは修改築が幾度となくなされているということで、申し訳ないけれど、ここまでの存在感は感じられませんでした。)

目を引く「大きな注連(しめ)縄」は、地元の下諏訪町の氏子有志による「大しめ縄奉献会」の方々が、わざわざ出雲から注連縄職人を呼び寄せて作らせたものだということのようです。出雲大社の注連縄とよく似ており、長さが13メートル、重さは約500kgほどもあるといわれています。出雲大社型の注連縄としては日本一の長さなのだそうです。

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神楽殿の奥に、二重楼門造りの弊拝殿と左片拝殿及び右片拝殿から成る拝殿が横に並んで建っています。これらの建物も国の重要文化財に指定されています。この拝殿は江戸時代中期の絵図面では帝屋(御門戸屋)及び回廊と記されており、現在の建物は安永10年(1781年)春に諏訪立川流の宮大工・初代立川和四郎富棟が棟梁となって落成しました。春宮のところでも書きましたが、この秋宮も春宮も社殿の建替が諏訪藩によって計画された時、基本的に同じ絵図面(設計図面)で建てられたものなので、大きさこそ微妙に違っていますが、神楽殿と弊拝殿、左右の片拝殿、御宝殿と続く建物の配置等、その構造は全く同じで、瓜二つと言っていいくらい非常によく似ています。

ただ、この秋宮の建築を請け負ったのが前述のように諏訪立川流の宮大工・初代立川和四郎富棟、いっぽう春宮の建築を請け負ったのが地元の大隅流の宮大工・柴宮(伊藤)長左衛門。この両者、激しいライバル関係にあったようで、春宮を請け負った大隅流の柴宮(伊藤)長左衛門のほうは秋宮より後から着工したにもかかわらず、秋宮より1年早い安永9年(1780年)に竣工しました。また春宮・秋宮両社の建築は建物に施された細かい彫刻において、宮大工界を二分する両派、両棟梁の技が競われているのだそうです。特に秋宮の建設を請け負った諏訪立川流は彫刻の巧みさ・美しさに特徴があるそうで、近寄ってみると、見事の一言です。昔の宮大工の技というものには感嘆させられます。

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拝殿奥の神明造りの建物は御宝殿で、新しい方を神殿、古い方を権殿と呼び、寅年と申年毎に左右の遷座祭を行います。諏訪大社の宝殿は上社、下社共に平素二殿並んでいます。室町時代の記録では新築後六年間雨風に晒し清めて御遷座をなし、直ちに旧殿を解体新築という形式だったようですが、いつしかこれが逆になり、祭典の直前に旧殿を建て直して新殿に御遷座するようになったのだそうです。

春宮と同じく、御宝殿の周囲を取り囲むように四隅には4本の御柱が立てられています。

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秋宮の境内には、諏訪湖の竜神伝説にちなんだ龍の口から温泉がこんこんと湧く「御神湯」があります。手をはじめ身の穢れを清めるための手水舎で、「長寿湯」といわれているそうなのですが、ここの下諏訪温泉の源泉の温度は49℃ということなので、ハッキリ言って熱い!…です。でも、ご利益がありそうですね。

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午後の部の出発までまだ少しだけ時間が残っていたので、御土産を買いに行きました。諏訪大社の名物と言えば「塩羊羹」。明治6年創業の塩羊羹で有名な和菓子屋『新鶴本店』が秋宮に来る途中にあるのを見掛けたので、そこまで足を伸ばし、購入してきました。塩が貴重品であった信州で生まれた銘菓で、上品な甘みが特徴です。まだお昼を少しまわったばかりだというのに売り切れの商品もあり、諏訪名物として大変な人気のようです。購入できてよかったです。

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温泉地である下諏訪宿では宿内のいたるところで掛け流しの温泉があるということは既に書いた通りですが、なんと秋宮の鳥居横の駐車場のところにある公衆トイレの手洗い場にも温泉が使われていました。さすがです。朝、出発してからずっと雨の中を歩いてきて身体がいささか冷えていたので、このお湯の温かさは嬉しかったです。

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ちなみに、秋宮の社叢には「専女の欅」と呼ばれる樹齢1000年以上の欅の巨木があり、下諏訪町指定の天然記念物になっています。

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中仙道六十九次街道歩き【第17回】、午後の部のスタートです。

秋宮から「甲州街道・中山道合流之地」と刻まれた碑が立っているところまで戻り、中山道を先に進みます。中山道に入って50メートルほど先に、旅籠屋当時の建物を使った「歴史民族資料館」があります。その先にも街道時代の雰囲気ある建物や湯口が散見されます。右側の写真は中山道を京方から進んできた旅人向けに立てられた道標で、「右甲州道中 左中仙道」と刻まれています。

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国道20号線に合流する地点に高札場がありました。当時の様子が復元された高札場が立っています。

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昨日、夕食を食べた色祭館の前を通ったのですが、実はこのあたりが下諏訪宿の京方の木戸、すなわち上木戸があったところだそうで、石灯籠が立っています。

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ここからは国道20号線に沿って歩いていきます。道路標識に「松本33km 塩尻19km 岡谷4km」という表示が出てきました。中山道の下諏訪宿の次の宿場は塩尻宿。その間に塩尻峠が控えています。この日のゴールは岡谷。あと4kmですか。もうちょっとです。

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国道をしばらく行き「下諏訪駅前」の交差点の先で旧道に入ると、ほどなく「魁塚」があります。慶応4年(1868年)正月、東山道総督軍先鋒嚮導赤報隊は、年貢半減を掲げて江戸に向けて進んでいったのですが、その間に朝議が一変し、哀れ赤報隊は官軍をかたる“賊徒”として捕われ、ここ諏訪の地にて斬首されてしまいました。この「魁塚」はかつての同志であった人達など有志により明治3年(1870年)に建立された塚です。

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JR下諏訪駅のところから諏訪大社下社の春宮の鳥居に向かってはほぼ真っ直ぐな参道が延びているのですが(中山道はこの間を秋宮の近くを通るルートになっていて、大きく迂回します)、その参道との交差する地点には大きな常夜灯が立っています。雨粒がレンズについてしまったので撮影した写真がピンボケになってしまったので掲載はできませんが、ここに春宮の大門の青銅製の鳥居があります。

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春宮に向かう参道を横切り、西へ向かいます。

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長野県と言えば“リンゴ”。さすがに長野県です。このお宅ではリンゴを庭木として植えていて、ちょうど今、その庭木のリンゴが大きく色づいて実っています。美味しそうです。

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「魁塚」から少し行くと御柱に囲まれた道祖神があります。

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その先でT字路にぶつかるのですが、なんと旧中山道は正面の道の幅が1メートルもないような路地に入っていきます。ここに「中山道」の道標が立っています。ビックリ!です。「中山道」という道標が立っているので、この路地がかつての中山道なのでしょうが、どうしてこんなに狭くなっているのか、謎が広がります。

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路地を抜けると砥川の土手にぶつかります。土手の上から対岸を見ると、ここまでと同じような狭い路地が延びています。かつてはここに砥川橋という木橋があったそうなのですが、現在はこの区間に橋がないので、50メートルほど砥川を土手沿いに上流へ遡り、富士見橋という橋を渡ります。この富士見橋は晴れていれば南東方向に富士山を遠望することができることから富士見橋と名付けられたそうなのですが、この日はあいにくの雨で、富士山を遠望することはできませんでした。富士見橋を渡り、その後、対岸の土手を50メートルほど戻ってきます。

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またここから狭い路地を進みます。「中山道」という道標があるので、ここが中山道だと分かりますが、それがなければ、絶対に気付かないような細い路地です。

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十四瀬川という細い川を小さな木橋で渡ります。諏訪郡下諏訪町はここまでで、この木橋を渡った先は岡谷市になります。

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岡谷市に入って徐々に道幅が広くなり、あわせて沿道の風景も旧街道らしい雰囲気が戻ってきました。

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……(その11)に続きます。

執筆者

株式会社ハレックス代表取締役社長 越智正昭

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