2014/11/26
大麻が日本を救う?(追記集)
【追記1】
現在の日本では、大麻取締法により、大麻の成分を医療目的であっても使用・輸入・所持することは厳しく禁止されています。考えてみたらこれは不思議な話ではあります。先ほど少し触れましたが、かつて、大麻は日本人にとって極めて神聖な作物でした。
日本で大麻の生産が行われなくなったのは、太平洋戦争後、進駐してきた米国軍(GHQ)により大麻取締法が制定されたことによるもので、それまで米(コメ)と並んで国に生産を奨励されてバンバン作ってきた農家にとっては、反対の声が大きかったということのようです。
日本では元々嗜好目的での大麻の吸引の習慣はなく、大麻はあくまでも繊維の利用など産業用途だけに栽培されていたものでした。日本における嗜好目的での大麻の使用は太平洋戦争後のアメリカ進駐軍から広まったとされています。
でもまぁ、太平洋戦争で敗北した日本本土に米国の進駐軍が乗り込んできた時、目にしたのが一面の麻畑だったとしたら、そりゃあビックリしたとともに、これはヤバい!と思ったのでしょうね。米国では嗜好目的で大麻を吸引するという習慣というものがかなり以前からあったようなので、日本人はみんな大麻を吸引するのか!?…と勘違いしたのかもしれません。あるいは、米国兵から教えられて日本人も吸引するようになると困ると思って、予防的に栽培禁止にしたのかもしれません。
それと、もしかしたら米国の繊維(綿花)の売り込みも裏では動いたのではないでしょうか。なんと言っても学校給食にパンを奨励して、小麦をバンバン買わせた国ですから。
そうそう、かつてはお盆の迎え火や正月の護摩焚きでも麻(大麻)が燃やされるなど、大麻は神事、仏事に広く利用されていました。迎え火や護摩焚きも正式には大麻を燃やしていたわけです。もしかしたら、その煙を吸ったことによりなんらかの幻覚が見えた人がいたりして、そんなことが宗教的意味合いを持っていたのかもしれません。もしかしたら、ブードゥー教の呪いなども同じことなのかな?
で、最初に書いたように、日本に大麻取締法を押し付けたその米国で大麻解禁の動きが出てきているというわけですので、日本でもうこれ以上大麻の栽培を禁止する名目はなくなってきていると私は思うのですが…。
【追記2】
大麻について調べてみると、さらにいろいろと興味深いことが分かってきました。
先に書いたとおり、かつて大麻は天皇一族にとって、とても重要な植物でした。それは、大麻の持つ強い生命力が魂の象徴とされたようなところがあり、神の依り代と見られていたからです。
大麻(おおあさ)が神の依り代とされている神話の一つに、「天照大御神の天岩戸(あまのいわと)隠れ」があります。
ある日、素盞鳴尊(スサノオウノミコト)が暴れ回ったことに怒った天照大御神は天岩戸に隠れてしまい、世界中が真っ暗闇になってしまいました。(言うまでもなく、これは巨大火山の爆発により噴出された大量のガスが大気を覆ったのだと推定されます。) 困った神々は、天照大御神の気を引こうと、岩戸の前で詔を唱えたり、踊りを踊ったりしました。
その中の神の1人に、忌部(いんべ)氏の祖である天太玉命(あまのふとだまのみこと)という方がいました。この天太玉命は、天照大御神の気を引くために、大麻の先に幾つもの勾玉を綺麗に飾り付けて捧げ持ってきました。そして岩戸の前に集まっていた神々によるパフォーマンスが最高潮に達し、まさに岩戸が開かれようとしたその時、天太玉命が捧げもっていた大麻の先に、一羽の鳥が舞い降りました。神々は、これを吉兆と見て大変喜びました。そして、この鳥は天日鷲命(あめのひわしのみこと)という神となったと言われています。
また、大麻(おおあさ)が神道で神の象徴であるという例の一つに、伊勢神宮の御札があります。この御札は「神宮大麻」という名で、その昔は現在のような紙ではなく、大麻草が材料として使用されていました。
大正時代には、「大麻(おおあさ)は之を仰ぎ崇敬の念を致すべき御神徳の標章」であるとされていました。また、家庭においても大麻(おおあさ)を、朝夕家族で拝むことは、子供たちの教育上も多大な効果があるとされていました。
神道における大麻(おおあさ)の使用は、その美しい繊維の束を棒の先にくくりつけ、参拝する者の頭上や特定の場所などの穢れを祓う大麻(おおぬさ)や御幣(ごへい)であったり、聖域を囲む結界のための麻紐であったりしました。また、神殿に吊るしてある鈴の縄として、現在も使用されています。
神道では、「清浄」を重視しており、大麻(おおあさ)は穢れを拭い去る力を持つ繊維とされ、1948年にアメリカの占領政策によって大麻取締法が制定されるまでは、日本では大麻(おおあさ)の成分を抽出した薬が喘息やアレルギー、痛み止めなどに効く漢方薬として市販されていました。
そうそう、大相撲の横綱がしめる綱には必ず大麻が使用されています。横綱は、大相撲の力士の格付け(番付)における最高位の称号で、語源的には、横綱だけが腰に締めることを許されている白麻製の綱の名称に由来します。すなわち、大麻で作られた綱を締めることができる最高の位のことから横綱と呼ばれるようになったのです。
ちなみに、私の田舎四国の徳島県には麻植(おえ)郡という郡がありました。鴨島町、川島町、山川町、美郷村の3町1村からなる郡でしたが、平成の大合併により2004年10月1日にこの4町村が合併し吉野川市となったため、郡としては消滅してしまいました。
この麻植郡、まさに“麻”を“植える”郡と書きます。そしてこの麻植郡(現吉野川市)には忌部神社という神社が今もあります。忌部というと、先述の「天照大御神の天岩戸隠れ」の一件の際に登場する天太玉命が祖とされる一族の名称です。
言い伝えによると、天太玉命の孫神である天富命が、麻を植えるのに適した地を求め、天日鷲命の孫達を率いて阿波の国に至り、その地に定住したとあります。ここが麻植郡で、それ以来、天皇が即位の礼の後、初めて行う新嘗祭である大嘗祭(おおにえのまつり)の際には、現代に至るまでずっとこの麻植郡に住む阿波の忌部氏が木綿や麻布(あらたえ)などを貢納するようになっているとのことです。言ってみれば、天皇家御用の麻(大麻)を一手に栽培していたところということです。
【追記3】
また、同じく四国の香川県の琴平に象頭山(ぞうずさん)という山があります。皆さん御存知の民謡『金毘羅船々』で、
「♪金毘羅船々 追い手に 帆かけて シュラシュシュシュ
回れば 四国は 讃州(さんしゅう) 那珂(なか)の郡(ごおり)
象頭山(ぞうずさん) 金毘羅大権現 いちど まわれば♪」
と歌われている象頭山です。この象頭山、海路、金毘羅詣でにやって来る人達が上陸した丸亀港や坂出港の方角から見ると象の頭のような形をしていますので象頭山と呼ばれていますが、実は3つの山の集合体で、その山々とは象頭山(標高538m)、琴平山(標高524m)、そして『大麻山(おおさやま:616m)』と言います。『大麻山』、まさにそのものズバリの名称でしょ。その大麻山の南には、麻(あさ)という村があり、このあたりもその昔は麻の一大産地であったと聞いたことがあります。おそらく金毘羅さんに奉納していたのかもしれません。
四国だけでなく、全国的にも地名に“麻”の字が入っているようなところはいっぱいあると思います。もしかしたら、そこは昔、麻の産地だったところかもしれません。
そうそう、この大麻山の麓には大麻神社という神社があります。この大麻神社は讃岐国のその付近一帯を開拓して麻の栽培を伝えた忌部氏が、自分達(忌部氏)の祖とされる天太玉命(アメノフトダマノミコト)を祀り、大麻神と崇めるために建てられたと伝えられています。日本神話の登場人物の中でも最も武力に優れた英雄の1人が日本武尊(ヤマトタケル)。その日本武尊(ヤマトタケル)の妃が弟橘媛(オトタチバナヒメ)で、弟橘媛は、この善通寺市にある大麻神社の神主・穂積氏忍山宿弥(ホヅミノウジオシヤマノスクネ)の娘として讃岐の地に生まれたとされています。
日本武尊が九州で熊襲(クマソ)の反乱を鎮圧して大和へ帰ってすぐに、父である第12代景行(ケイコウ)天皇から今度は東国の乱を鎮めるように命令を受けて東征に出発したのですが、この際に妃の弟橘媛も同行しました。
(途中経過はバッサリと省略しますが…)日本武尊は、相模の国から走水(ハシリミズ)の海を船で渡り対岸の上総の国(今の千葉県)に行こうとします。走水の海とは、東京湾の浦賀水道のことで、三浦半島の横須賀市辺りを船出し房総半島の木更津辺りを目指したと考えられています。しかし、この時、日本武尊の軽はずみな言動に怒った海神が荒波を起こしたため、船は木の葉のように翻弄されて今にも沈没しそうになります。このとき弟橘媛命は、海の神の怒りを解くため、武尊の身代わりとなって海に身を投げました。するとそれまで荒れ狂っていた海も次第に静まり、難行した船も無事に上総の国に上陸することができました。
この後、日本武尊は、東方の乱れを鎮めて大和へ帰る途中、箱根の碓氷の坂で、東の走水の海の方向を臨んで、自分の身代わりになって亡くなった弟橘媛のことを偲び、「吾妻(あづま)はや」(ああ、我が妻よ)と嘆きました。それから箱根より東の方を「東(アヅマ)」と呼ぶようになったといわれています。
この日本神話に登場する悲劇のヒロイン弟橘媛ゆかりの地が善通寺の大麻神社ということです。ちなみに、大麻神社には、国の重要文化財に指定されている天太玉命座像と、彦火瓊々杵命(ひこほのににぎのみこと)座像があります。
出雲の国からやって来て、麻の栽培を伝えた忌部氏の代表的な苗字は“三木”ですが、この善通寺周辺には三木姓の方がいっぱいいらっしゃって、私の中学や高校の同級生にも何人もいます。そうそう、中学校にはズバリ“麻田先生”っていう怖~い先生もいらっしゃいました。
これまでこの『おちゃめ日記』では、私の本籍地・愛媛県今治市朝倉の謎ということで、7世紀中盤(斉明天皇の時代)まで歴史を遡っていたのですが、さらに遡って、4世紀の神話の時代にまで足を踏み入れてしまいました。古い時代の気象に興味を持ちはじめると、際限がありません。果たしてどこまで遡っていくのでしょう? 私にも分かりません┐(‘~`;)┌
現在の日本では、大麻取締法により、大麻の成分を医療目的であっても使用・輸入・所持することは厳しく禁止されています。考えてみたらこれは不思議な話ではあります。先ほど少し触れましたが、かつて、大麻は日本人にとって極めて神聖な作物でした。
日本で大麻の生産が行われなくなったのは、太平洋戦争後、進駐してきた米国軍(GHQ)により大麻取締法が制定されたことによるもので、それまで米(コメ)と並んで国に生産を奨励されてバンバン作ってきた農家にとっては、反対の声が大きかったということのようです。
日本では元々嗜好目的での大麻の吸引の習慣はなく、大麻はあくまでも繊維の利用など産業用途だけに栽培されていたものでした。日本における嗜好目的での大麻の使用は太平洋戦争後のアメリカ進駐軍から広まったとされています。
でもまぁ、太平洋戦争で敗北した日本本土に米国の進駐軍が乗り込んできた時、目にしたのが一面の麻畑だったとしたら、そりゃあビックリしたとともに、これはヤバい!と思ったのでしょうね。米国では嗜好目的で大麻を吸引するという習慣というものがかなり以前からあったようなので、日本人はみんな大麻を吸引するのか!?…と勘違いしたのかもしれません。あるいは、米国兵から教えられて日本人も吸引するようになると困ると思って、予防的に栽培禁止にしたのかもしれません。
それと、もしかしたら米国の繊維(綿花)の売り込みも裏では動いたのではないでしょうか。なんと言っても学校給食にパンを奨励して、小麦をバンバン買わせた国ですから。
そうそう、かつてはお盆の迎え火や正月の護摩焚きでも麻(大麻)が燃やされるなど、大麻は神事、仏事に広く利用されていました。迎え火や護摩焚きも正式には大麻を燃やしていたわけです。もしかしたら、その煙を吸ったことによりなんらかの幻覚が見えた人がいたりして、そんなことが宗教的意味合いを持っていたのかもしれません。もしかしたら、ブードゥー教の呪いなども同じことなのかな?
で、最初に書いたように、日本に大麻取締法を押し付けたその米国で大麻解禁の動きが出てきているというわけですので、日本でもうこれ以上大麻の栽培を禁止する名目はなくなってきていると私は思うのですが…。
【追記2】
大麻について調べてみると、さらにいろいろと興味深いことが分かってきました。
先に書いたとおり、かつて大麻は天皇一族にとって、とても重要な植物でした。それは、大麻の持つ強い生命力が魂の象徴とされたようなところがあり、神の依り代と見られていたからです。
大麻(おおあさ)が神の依り代とされている神話の一つに、「天照大御神の天岩戸(あまのいわと)隠れ」があります。
ある日、素盞鳴尊(スサノオウノミコト)が暴れ回ったことに怒った天照大御神は天岩戸に隠れてしまい、世界中が真っ暗闇になってしまいました。(言うまでもなく、これは巨大火山の爆発により噴出された大量のガスが大気を覆ったのだと推定されます。) 困った神々は、天照大御神の気を引こうと、岩戸の前で詔を唱えたり、踊りを踊ったりしました。
その中の神の1人に、忌部(いんべ)氏の祖である天太玉命(あまのふとだまのみこと)という方がいました。この天太玉命は、天照大御神の気を引くために、大麻の先に幾つもの勾玉を綺麗に飾り付けて捧げ持ってきました。そして岩戸の前に集まっていた神々によるパフォーマンスが最高潮に達し、まさに岩戸が開かれようとしたその時、天太玉命が捧げもっていた大麻の先に、一羽の鳥が舞い降りました。神々は、これを吉兆と見て大変喜びました。そして、この鳥は天日鷲命(あめのひわしのみこと)という神となったと言われています。
また、大麻(おおあさ)が神道で神の象徴であるという例の一つに、伊勢神宮の御札があります。この御札は「神宮大麻」という名で、その昔は現在のような紙ではなく、大麻草が材料として使用されていました。
大正時代には、「大麻(おおあさ)は之を仰ぎ崇敬の念を致すべき御神徳の標章」であるとされていました。また、家庭においても大麻(おおあさ)を、朝夕家族で拝むことは、子供たちの教育上も多大な効果があるとされていました。
神道における大麻(おおあさ)の使用は、その美しい繊維の束を棒の先にくくりつけ、参拝する者の頭上や特定の場所などの穢れを祓う大麻(おおぬさ)や御幣(ごへい)であったり、聖域を囲む結界のための麻紐であったりしました。また、神殿に吊るしてある鈴の縄として、現在も使用されています。
神道では、「清浄」を重視しており、大麻(おおあさ)は穢れを拭い去る力を持つ繊維とされ、1948年にアメリカの占領政策によって大麻取締法が制定されるまでは、日本では大麻(おおあさ)の成分を抽出した薬が喘息やアレルギー、痛み止めなどに効く漢方薬として市販されていました。
そうそう、大相撲の横綱がしめる綱には必ず大麻が使用されています。横綱は、大相撲の力士の格付け(番付)における最高位の称号で、語源的には、横綱だけが腰に締めることを許されている白麻製の綱の名称に由来します。すなわち、大麻で作られた綱を締めることができる最高の位のことから横綱と呼ばれるようになったのです。
ちなみに、私の田舎四国の徳島県には麻植(おえ)郡という郡がありました。鴨島町、川島町、山川町、美郷村の3町1村からなる郡でしたが、平成の大合併により2004年10月1日にこの4町村が合併し吉野川市となったため、郡としては消滅してしまいました。
この麻植郡、まさに“麻”を“植える”郡と書きます。そしてこの麻植郡(現吉野川市)には忌部神社という神社が今もあります。忌部というと、先述の「天照大御神の天岩戸隠れ」の一件の際に登場する天太玉命が祖とされる一族の名称です。
言い伝えによると、天太玉命の孫神である天富命が、麻を植えるのに適した地を求め、天日鷲命の孫達を率いて阿波の国に至り、その地に定住したとあります。ここが麻植郡で、それ以来、天皇が即位の礼の後、初めて行う新嘗祭である大嘗祭(おおにえのまつり)の際には、現代に至るまでずっとこの麻植郡に住む阿波の忌部氏が木綿や麻布(あらたえ)などを貢納するようになっているとのことです。言ってみれば、天皇家御用の麻(大麻)を一手に栽培していたところということです。
【追記3】
また、同じく四国の香川県の琴平に象頭山(ぞうずさん)という山があります。皆さん御存知の民謡『金毘羅船々』で、
「♪金毘羅船々 追い手に 帆かけて シュラシュシュシュ
回れば 四国は 讃州(さんしゅう) 那珂(なか)の郡(ごおり)
象頭山(ぞうずさん) 金毘羅大権現 いちど まわれば♪」
と歌われている象頭山です。この象頭山、海路、金毘羅詣でにやって来る人達が上陸した丸亀港や坂出港の方角から見ると象の頭のような形をしていますので象頭山と呼ばれていますが、実は3つの山の集合体で、その山々とは象頭山(標高538m)、琴平山(標高524m)、そして『大麻山(おおさやま:616m)』と言います。『大麻山』、まさにそのものズバリの名称でしょ。その大麻山の南には、麻(あさ)という村があり、このあたりもその昔は麻の一大産地であったと聞いたことがあります。おそらく金毘羅さんに奉納していたのかもしれません。
四国だけでなく、全国的にも地名に“麻”の字が入っているようなところはいっぱいあると思います。もしかしたら、そこは昔、麻の産地だったところかもしれません。
そうそう、この大麻山の麓には大麻神社という神社があります。この大麻神社は讃岐国のその付近一帯を開拓して麻の栽培を伝えた忌部氏が、自分達(忌部氏)の祖とされる天太玉命(アメノフトダマノミコト)を祀り、大麻神と崇めるために建てられたと伝えられています。日本神話の登場人物の中でも最も武力に優れた英雄の1人が日本武尊(ヤマトタケル)。その日本武尊(ヤマトタケル)の妃が弟橘媛(オトタチバナヒメ)で、弟橘媛は、この善通寺市にある大麻神社の神主・穂積氏忍山宿弥(ホヅミノウジオシヤマノスクネ)の娘として讃岐の地に生まれたとされています。
日本武尊が九州で熊襲(クマソ)の反乱を鎮圧して大和へ帰ってすぐに、父である第12代景行(ケイコウ)天皇から今度は東国の乱を鎮めるように命令を受けて東征に出発したのですが、この際に妃の弟橘媛も同行しました。
(途中経過はバッサリと省略しますが…)日本武尊は、相模の国から走水(ハシリミズ)の海を船で渡り対岸の上総の国(今の千葉県)に行こうとします。走水の海とは、東京湾の浦賀水道のことで、三浦半島の横須賀市辺りを船出し房総半島の木更津辺りを目指したと考えられています。しかし、この時、日本武尊の軽はずみな言動に怒った海神が荒波を起こしたため、船は木の葉のように翻弄されて今にも沈没しそうになります。このとき弟橘媛命は、海の神の怒りを解くため、武尊の身代わりとなって海に身を投げました。するとそれまで荒れ狂っていた海も次第に静まり、難行した船も無事に上総の国に上陸することができました。
この後、日本武尊は、東方の乱れを鎮めて大和へ帰る途中、箱根の碓氷の坂で、東の走水の海の方向を臨んで、自分の身代わりになって亡くなった弟橘媛のことを偲び、「吾妻(あづま)はや」(ああ、我が妻よ)と嘆きました。それから箱根より東の方を「東(アヅマ)」と呼ぶようになったといわれています。
この日本神話に登場する悲劇のヒロイン弟橘媛ゆかりの地が善通寺の大麻神社ということです。ちなみに、大麻神社には、国の重要文化財に指定されている天太玉命座像と、彦火瓊々杵命(ひこほのににぎのみこと)座像があります。
出雲の国からやって来て、麻の栽培を伝えた忌部氏の代表的な苗字は“三木”ですが、この善通寺周辺には三木姓の方がいっぱいいらっしゃって、私の中学や高校の同級生にも何人もいます。そうそう、中学校にはズバリ“麻田先生”っていう怖~い先生もいらっしゃいました。
これまでこの『おちゃめ日記』では、私の本籍地・愛媛県今治市朝倉の謎ということで、7世紀中盤(斉明天皇の時代)まで歴史を遡っていたのですが、さらに遡って、4世紀の神話の時代にまで足を踏み入れてしまいました。古い時代の気象に興味を持ちはじめると、際限がありません。果たしてどこまで遡っていくのでしょう? 私にも分かりません┐(‘~`;)┌
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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