2015/04/20

高円寺ちんとんしゃん

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4月13日(月)、落語好き仲間のITコーディネータ協会のIさんからのお誘いを受けて、高円寺の『ちんとんしゃん』という居酒屋で開催される落語の独演会に行ってきました。

この高円寺の『ちんとんしゃん』、落語協会所属の都々逸(どどいつ)音曲師、柳家紫文(やなぎや しもん)師匠のおかみさん(奥様)が切り盛り(経営)なさっている居酒屋なのですが、ときどきこのように落語の独演会などを催しているとのことなんです。

JR高円寺駅の南口を出て歩いて約3分。すぐのところにその居酒屋『ちんとんしゃん』はあったのですが、間口の狭さに「本当にここでいいのか?」ってたじろいちゃいました(^^; 木戸(入り口の扉)を開けて中に入るとさらにビックリ!(@_@)。狭いところに人(お客様)がビッシリ入っています。広さは10畳ちょっとってところでしょうか。そこに小さな高座が作られ、即席の客席までできています。お客様は20名ほどってところでしょうか。カウンター席も客席になっているのですが、そこなど噺家さんの汗まで飛んできそうな距離です。一番遠い席でも高座の噺家さんから約3メートル。こんな至近距離でプロの噺家(落語家)さんの芸が堪能できるなんて…。ビックリです(@_@)

お客様は古くからの落語の熱心なファンの方々のようで、私のようなただの落語好き程度のレベルでは、お顔を拝見するだけで入っていくことに怯んでしまいそうです。正直、緊張して顔がこわばっちゃいました(^^; 落語を聴きに来て、ここまで緊張しちゃうなんて初めてのことです。

木戸(きど)を入ったところでおかみさんに木戸銭(入場料)を支払って中に。私を誘っていただいた方が先に来て、奥の席を確保してくれていたので、その席に。席と言ってもただ腰をかけるスペースがあるって感じのところです。隣の方と身を寄せあっての落語観賞って感じです。

室内はご贔屓筋の様々な方々の名前入りの提灯がぶら下がっていたり、千社札が貼られていたり…と、さすがは芸人さん(落語協会所属の都々逸音曲師)のお店です。『ちんとんしゃん』というお店の名前も、都々逸で使う三味線の音色から採ったのでしょう。今でこそ落語も大きなホールなどで開催されていますが、江戸時代などはそんな大きなホールなどはなかったわけで、きっとこんな感じの居酒屋さん等で演じられていたのではないか…と思われます。その意味では、落語の原点のようなこの日の独演会ではないでしょうか。徐々に期待が膨らみます。

このお店を開いている落語協会所属の都々逸音曲師、柳家紫文師匠は岸澤式祐の芸名で常磐津(ときわづ)三味線方として歌舞伎等の公演にも出演なさっている方で、都々逸は2代目柳家紫朝師匠の弟子となり「柳家紫文」を名乗っているほか、新内、長唄でも芸名も持ち、音曲師や邦楽演奏家としても幅広く活道なさっておられる方です。都内の寄席に常時出演中で、「紫文式都々逸のススメ」(集英社)等の本も執筆。さらには弟子達とともに邦楽バラエティバンド「柳家紫文と東京ガールズ」を結成して、明るく楽しい誰でも楽しめる邦楽を目指して活動中という多彩な才能を発揮されている方です。

柳家紫文HP

この日の独演会の主たる演者は三遊亭兼好(さんゆうてい けんこう)師匠。円楽一門会所属の噺家(落語家)さんで、福島県会津若松市出身。1970年(昭和45年)のお生まれですから、現在45歳。日本テレビの看板番組『笑点』の大喜利メンバーの1人でもある三遊亭好楽師匠(円楽一門会会長)の二番弟子で、2008年9月に真打ち昇進を果たされています。主に古典落語を得意とされています。大学を卒業してサラリーマン生活を経て、三遊亭好楽師匠のもとに入門(弟子入り)したのが1998年10月(28歳の時)のことですから、入門から僅か10年で真打ちにスピード昇進したわけで、その実力は折り紙付きです。これからの落語界を背負っていかれるお一人だと私は思っています。ちなみに、三遊亭兼好師匠が落語の世界に飛び込んだ時、既に結婚なさっていて、お子さんも2人いらっしゃったそうです。苦労人です(^^)d

噺家・三遊亭兼好黙認ファンサイト

開演時間が来て、柳家紫文師匠の三味線とおかみさんの太鼓による出囃しにのって、まず、前座さんの登場(落語では最初の演者・演目のことを“開口一番”と言います)。この日の前座さんは三遊亭兼好師匠のお弟子さんで、三遊亭けん玉クン。兼好師匠のところに入門して2年目で、現在26歳(我が家の娘と同い年ですか…)。入門2年目ということで、初々しさが身体全体から滲み出ています。まだまだ人前で芸を披露する経験も浅いのでしょうけど、なかなか堂々と演じています。この日のお客様は20名程とは言え、どの方も“落語通”と言ってもいい目と耳の肥えた方々です。しかも、こんな至近距離。さぞ緊張することではないか…と思うのですが、一生懸命さが伝わってきて、なかなか上手かったです(演目名は失念しちゃいました。ごめんなさい)。なんと言っても、ハキハキしていて明るく聴きやすい。法政大学落語研究会出身で、アマチュアでの経験は豊富。こういう経験を積み重ねて、二つ目、そして真打ちへと昇進していくのでしょうね。娘と同い年ということで、応援したくなります。頑張れ!三遊亭けん玉クン!

前座の三遊亭けん玉クンが場の空気を十分に温めてから(落語会の雰囲気にまで盛り上げてから)、この日の独演会の主演者である三遊亭兼好師匠の登場です。さすがに真打ち。身体中から“真打ちオーラ”が出ているので、場の空気が一変します。

この日はあいにくの雨模様(それも本格的な雨)だったので、マクラ(最初の噺の入り。導入部)はこのところのお天気のネタで入り、続いて時事ネタとして東◯ゴムの耐震データ改竄問題を取り上げて、最後は上手に落として笑いを取ります(なるほど、そう持っていくのか…)。気象や地震のネタは多くの方に直接関係するようなネタなので、マクラに持ってくるには最適ですね。私も講演では、いつもマクラ(導入部)に拘っているのですが、たいていは気象ネタや地震ネタを使っています。

落語の場合、その日の演目は事前に知らされないのがふつうで、落語の“通”と呼ばれる境地の人ともなると、マクラを聞いただけで、演者がこの後どういう演目を仕掛けてくるのかを想像して楽しむらしいのですが、私はまだまだその域にまでは達しておりません。いったいどういう風に本題の演目に移っていくのかと楽しみにして聞いていると、マクラから極々自然な流れで本題の演目に移っていきました。兼好師匠は古典を得意にしているので、この日の演目もその古典から『ぞろぞろ』でしたが、現代の時事ネタから何の違和感もなく、この上方落語の古典の演目に入っていきます。人々の日々の営みには今も昔もないってことなのかもしれません。興味深いところです。

それにしても、さすがは真打ち。噺が上手いので、一気に噺の世界に引き込まれます。しかも、高座までの距離が近いので、師匠の微妙な息遣いやちょっとした仕草の音まで聞こえてきます。これがこの「ちんとんしゃん」での落語会の魅力なのでしょう。素晴らしいの一言です。私も御利益を期待してお稲荷さんにお参りに行こうかな(笑)

噺に引き込まれたので、アッと言う間に『ぞろぞろ』が終わり、続いて客演の三遊亭歌太郎クンが高座に上がりました。こうした噺家さんの“独演会”の場合、前座が場を温めた後、主たる演者である真打ちクラスが高座に上がって(登場して)、まずは肩慣らしのように軽めの小ネタを披露。その次に客演の二つ目クラスが高座に上がって、その後、しばし中入り(休憩)です。中入りで場の空気を変えた後、再び主たる演者である真打ちクラスが高座に上がり、今度は比較的演じる時間の長い大ネタと呼ばれる演目を仕掛けてくる…というのが定番です。

この日の客演の三遊亭歌太郎クンは、落語協会所属の噺家(落語家)さんで、三遊亭歌武蔵師匠のお弟子さん(二つ目)です。大学を卒業した11年前に三遊亭歌武蔵師匠のもとに弟子入りして、現在32歳。2014年にはNHK新人落語大賞で入賞を果たした若手落語家の注目株の1人です。

師匠である三遊亭歌武蔵師匠を真似て、マクラの冒頭では以下のような自己紹介ネタを入れてきました(笑)
「ぜひとも名前を覚えて帰っていただきたい。私は三遊亭歌太郎。本名をベトちゃん・ドクちゃんと申します。またの名を浜口京子とも申します」
確かに、言われてみれば、下半身が繋がった結合双生児としてベトナムで産まれた双子の兄弟ベトちゃん・ドクちゃんや、レスリングの浜口京子選手と顔が似ています。

三遊亭歌太郎HP

ちなみに、三遊亭歌武蔵師匠の場合は、
「ぜひとも名前を覚えて帰っていただきたい。『うたむさし』と読みます。『かぶぞう』とか『かむぞう』ではありません。この間なんか『キャバクラ』と読んだ奴がいました。私は三遊亭歌武蔵。本名を松井秀喜と申します」
という自己紹介ネタが定番になっています。確かに、元ニューヨークヤンキースの松井秀喜選手と顔が似ていると言えば似ている感じがします。ただ、この三遊亭歌武蔵師匠、大相撲の力士から転身したという珍しい経歴の噺家さんで、 大相撲時代は武蔵川部屋に所属していたことから“歌武蔵”さんです。

この歌太郎クン、若手の有望株と言われるだけあって、噺が上手いです。落語の場合、江戸時代に作られた演目が“古典”、明治以降に作られた演目が“新作”と呼ばれるのですが、この日、仕掛けてきた演目は新作落語の中でも大正時代に作られた古典に近い新作で、確か題名が『電報違い』。特に江戸っ子の気っぷのいい台詞回しが求められる演目なのですが、よく通る声と滑舌がいいので、聴いていてまったく苦になりません。随所に“くすぐり”が入り、何度も笑えます。最後の“落ち”も見事に決まり、満足させていただきました。

この『電報違い』という噺を聞くのは2度目です。この『電報違い』は歌太郎クンの師匠である三遊亭歌武蔵師匠の、そのまた師匠である3代目三遊亭圓歌師匠(圓歌を名乗る前、2代目三遊亭歌奴として笑点の大喜利メンバーとして大活躍した)の、そのまたまた師匠である初代三遊亭圓歌師匠が作った新作落語で、私が前にこの『電報違い』を聞いたのは確か3代目の三遊亭圓歌師匠が演じているのをテレビで観た時でした。

初代の三遊亭圓歌師匠の時代の新作落語ですから、時代背景は大正時代。鉄道の東海道本線の開通や電報による通信手段の発達等、大正時代の情景をいきいきと描いたこの噺は実に興味深いものがあります。

このネタに振るために歌太郎クンがマクラに使った時事ネタは、この落語会の前日に起きた山手線と京浜東北線のトラブルの話。この日、歌太郎クンは西荻窪の自宅を出て、落語会に出演するために大森に向かったのですが、結局品川からバスで大森に行くことになった時の噺をマクラに使って、見事に『電報違い』に入っていきました。なるほどねぇ~、そう来ましたか(^.^)

ちなみに、3代目三遊亭圓歌師匠が“心筋梗塞”て倒れ、病院に運び込まれた時、マスコミからの問い合わせに対して、弟子の三遊亭小円歌が間違って「師匠の病状は“近親相姦”です!」と真顔で答えたという有名な逸話があるのですが、噺の中では、歌太郎クンもさりげなく(“通”と呼ばれる人だけには分かる)この逸話を噺のネタに組み込んできました(笑) このあたりが“圓歌一門”を感じるところです(他の一門では、このネタは使えません)。

しばしの中入りの後、再び三遊亭兼好師匠が登場。今度は少し長めの演目、『猫の災難』を仕掛けて来られました。この『猫の災難』も元々は上方落語の演目だったのですが、それを昭和の初期に東京に持ってきて、江戸前にアレンジしたものになっています。日本酒の飲み方(の仕草)がなんとも決め手になる演目で、兼好師匠のその仕草の見事なこと。見ているだけで、キューって日本酒が飲みたくなってきます。

独演会終了後は紫文師匠に兼好師匠、歌太郎クンや兼玉クンといった出演者も加わっての“打ち上げ”。もともとが居酒屋なので、椅子を並べ直したり、座卓を入れ直したりすると、すぐに打ち上げの会場に早替わりです。なるほどぉ~。こういうところで開催される落語会に参加すると、こういう楽しみが付いてくるのですね。プロの噺家さんとこんな近いところで一緒に談笑しながらお酒が飲めるのですね。なんとも贅沢で素晴らしい経験をさせていただきました。

2時間ほど前、この『ちんとんしゃん』の木戸を入った時には、「ここはどういうところだ!?」って思いっきり緊張してしまったのですが、今はすっかりこの場の雰囲気に馴染んでしまっている自分がいます。私好みの、なんとも居心地のいいところです、ここは。

先程の噺『猫の災難』の中で、兼好師匠があまりに美味しそうにお酒を飲む(仕草をした)ので、それにつられて、私も珍しく最初から日本酒の冷やをいただきました。

おや、おや、おやぁ~!? 兼好師匠はビールですか? 「あれっ!? 師匠は日本酒じゃあないの? 冷やでキューってやるんじゃあないの?」って私がツッコミを入れると、「いや、私はお酒は好きなんですが、あいにく体質的に強くないので、もっぱらビールをチビチビです」と師匠(笑)
「ここの紫文師匠なんか、若いうちに一生分飲んじまったので、腎臓壊して今はノンアルコールですよ」
見ると紫文師匠はウーロン茶を飲まれています。ちょっとイメージが変わっちゃいましたが、私も体質的にアルコールはあまり飲めないほうなので、一気に親近感が湧いちゃいました。よぉ~く、分かります。

それにしても、兼好師匠が演目の中で演じた日本酒の飲む仕草は絶品でした。まさに“芸”ってやつですね(^^)d

歌太郎クンとけん玉クンは着物姿から一変、普段着に着替えて打ち上げに参加したのですが、普段着に着替えると極々普通の若者です。喋り方も一変、「マジっすか」なぁ~んて、極々普通の若者の喋り方になります。当然と言えば当然のことではあるのですが、こちらも一気に親近感が湧いてきます。

前述のように歌太郎クンもけん玉クンもなかなか上手いので、将来大いに期待が出来そうです。10年後あたりには2人とも真打ちになって、落語界を支える大看板の噺家さんになっていたりして。こういう将来有望な若手の成長を傍で応援しながら見守っていくってぇ~のも、落語の“通”の楽しみってことなのでしょうね。私も応援する若手噺家さんが出来ました。

兼好師匠からはふだんはなかなか聞けない落語の世界の裏側の話をいっぱい聞くことができました。

兼好師匠と歌太郎クンによると、お二人ともこの日、演じる演目は予め決めていないとのこと。マクラも本題も2つか3つくらい用意はしているのですが、どのネタを掛けるかはその日の客の顔を見て、最終的に決めるのだとか。さらには、前座も含め、その日どういうマクラやネタを仕掛けてくるのかは秘密なんだそうで、前の演者が仕掛けたネタと被らないようにその場で上手にネタを差し替えるのだとか。そのあたりが演じる側の面白さなんだそうです。なるほどねぇ~。勉強になります。

私も話題(ネタ)の引き出しは他の人より若干多いと自負いたしておりますが、そのネタの使い方に関してはまだまだ修行中の身でありまして、こうしたプロの噺家さんの話は、大いに参考になります。プレゼンを上手くなりたいなら、落語を聴くに限ります(^^)d

紫文師匠からは6月に発売予定の都々逸本の原稿を見せていただいて、いろいろと都々逸の解説をしていただきました。調子に乗って280ページも原稿を書いたところ、出版社からは100ページぶん削れと言われて、現在、どこを削ろうか思案中なんだとか(笑)。なかなか面白そうな内容なので、発売されたら購入したいと思っています。日本の古典芸能はいろいろと奥が深くて、素晴らしいものばかりです。

また、毎年8月に開催される夏の屋形船の集いのお誘いも受けました。隅田川に屋形船を浮かべて、紫文師匠の都々逸の独演を聴く…、まさに江戸の風情ってやつですね。すぐに「お誘い、ありがとうございます。もちろん参加させていただきます」と即答させていただきました。今からワクワクです!

落語好きにとって、なんとも贅沢な一時を過ごすことができました。これからハマりそうです(^^;

で、次回の落語会は……、ふむふむ(^.^)