2016/05/16

大人の修学旅行2016 in城崎温泉(その11)

大谿川沿いの温泉街は川べりの柳並木と、幾つもある石でできた太鼓橋が独特の風情を醸し出しています。知名度と京阪神地域からのアクセスの良さがある温泉であるにもかかわらず、歓楽色の少ない閑静な雰囲気が素敵です。浴衣姿でそぞろ歩くのには雰囲気が抜群です。

私達の『大人の修学旅行』は今回が7回目ですが、“修学旅行”らしいという観点で言うと、ここまでの一番“修学旅行”らしかったのは一昨年の第5回目の伊勢神宮だったように思っています。ですが、今回の城崎温泉もそれに匹敵するような感じのところです。ただ、伊勢神宮は中学校や高校の修学旅行でも行きますが、城崎温泉はあくまでも『大人の修学旅行』向きではあります。

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この城崎温泉、1925年(大正14年)に発生した北但馬地震で街全体が全焼してしまい、現在の和風木造3階建ての建物が建ち並ぶ街並みの多くは、その北但馬地震の震災復興の時に建てられた建物か、その時の建物に由来する建物です。なので、調和のとれた美しい街並みになっているのですね。私達が今回宿泊する山本屋旅館も、そうした由緒のありそうな和風木造3階建ての立派な旅館です。扉を開けて中に入るなり昭和初期から中期の香りが漂ってきます。素晴らしい‼

ちなみに北但馬地震とは、1925年5月23日午前11時11分、兵庫県但馬地方北部で発生した大きな地震のことで、地震の規模を表すマグニチュードは6.8。直下型の地震で、震源地は円山川の河口付近。最大震度は城崎で観測された震度6(当時の震度階級による最大震度)です。当地ではこの地震による災害のことを「北但(ほくたん)大震災」と呼んでいたりもします。

この地震での死者は428名、負傷者1,016名、全壊1,733棟、半壊2,106棟、消失2,328棟、全焼1,696棟。この地震では兵庫県但馬地方、特に円山川流域の豊岡と城崎の2つの町に甚大な被害をもたらしました。当時の建築物は木造の建物が大半であったために、地震の初動で建物の多くは一気に倒壊しました。折しも昼時で、炊事のために火を起こしていた民家や旅館が倒壊したことに伴い、瞬く間に火の手が上がったようです。この火災により、豊岡では町の半分が焼失し、城崎では実に272名という多数の死者が出ました。犠牲者の大半は、炊事中に家屋の倒壊に巻き込まれ、脱出できないまま焼死した女性達であり、「北但大震災の最大の犠牲者は城崎の女性である」とまで言われています。

ちなみに、この北但馬地震が発生した翌月には早くも多くの観光客が城崎温泉を訪れたそうで、湯が沸いている限り客足が途絶えることがない‥‥という城崎温泉伝説になっています。

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山本屋旅館に到着し部屋に入ると、マサヤが1人で留守番をしていました。マサヤは酷い花粉症のため、他の先着男性陣が大師山に登りに行った中で1人残って私達後続組の到着を待っていたのでした。2階にある部屋の窓からは温泉街を浴衣姿でそぞろ歩く多くの観光客の姿が見えます。とてもいい景色です。宴会の開始は18時なので、まだまだ十分に時間があります。そこで、浴衣と丹前に着替え、ウスキとマサヤを誘って外湯巡りに行くことにしました。

城崎温泉の魅力と言うか醍醐味の1つが、この外湯巡りです。外湯とは、温泉街にある宿泊施設を伴わない公衆浴場、日帰り入浴施設のことで、城崎温泉では基本的にこの外湯巡りが主体です。もちろん各宿泊施設にはどこも内湯が設けられているのですが、城崎温泉を訪れた客のほとんどが外湯巡りを楽しみます。

城崎温泉には次の7つの外湯があります。

•一の湯 : 「海内第一の湯」と称された城崎温泉を代表する温泉です。
•御所の湯 : 後白河法皇の御姉である安嘉門院御入湯の湯とされています。
•まんだら湯 : 道智上人が一千日修法を行った末に湧き出したとされる湯です。
•さとの湯 : 前述の城崎温泉駅の駅前にある日本最大の駅舎温泉です。
•柳湯 : 柳の木の下から湧き出したとされる湯です。
•地蔵湯 : 里人(地元の人向け)の湯です。
•鴻の湯 : コウノトリが傷を癒していたことにより発見されたという伝承が残る湯です。

さぁて、果たしてこのうち幾つの外湯を巡れるか‥‥という意気込みで下駄を履いて外へ出ました。城崎温泉では旅館宿泊者は全ての外湯の入浴料を免除する制度が採用されていて、これにより浴衣姿で外湯を巡る「外湯巡り」が名物となっています。改めて眺めてみると、城崎温泉の温泉街には宿泊している旅館ごとの模様の入った色とりどりの浴衣で溢れています。特に女性の浴衣は色鮮やかでいいですね。ちなみに、外湯では下足番の方が客の着ている浴衣の模様を見て、その旅館の下駄を差し出してくれます。

城崎温泉の泉質は食塩泉で、源泉の温度は37℃〜83℃。現在、すべての源泉は1972年に作られた集中配湯管理施設に集められて、平均温度を57℃に安定されてから町内に張り巡らされている配管を通じて、各外湯や旅館に送られています。この配湯システムができる前までは源泉ごとに泉質や湯の温度に多少の差異があったのですが、完成後の現在は全ての源泉の湯をいったん1箇所に集めてブレンドするため、実は全ての外湯や旅館の内湯とも泉質にまったく差がなく、どこも同じになっているのですが、まっ、それを言っちゃあオシメェ〜よぉ d( ̄  ̄) 各外湯の差は気分の問題、雰囲気の違いってことです。

まずは山本屋旅館の隣にある「柳湯」に入ることにしました。中はかなり混雑していました。湯船の中が大混雑していたこともあり、まず先に身体を洗ってから、中の様子を見計らって湯船に浸かりました。お湯の温度はかなり高めです。43℃はあるでしょうか。城崎温泉の源泉温度は37℃〜83℃、全ての源泉をブレンドした上で各外湯等に供給している湯の温度も57℃というのですから、もともと相当の高温の温泉です。気持ちはいいのですが、さすがに高温なので、すぐにのぼせそうになります。入浴客の回転率を上げようとする温泉側の作戦なのかと疑いたくなります。

ウスキもマサヤももともと“カラスの行水”で長湯は苦手だというので、早々に湯から上がったので、私も一緒に出ることにしました。私は温泉好きで、比較的長く浸かって、ボォ〜っとした時間を楽しむほうなのですが、今回は外湯巡りが目的なので、1箇所で長く時間を使うわけにはいきません。急いで浴衣と丹前を着て、次の外湯に向かうことにしました。熱いお湯であったまったので、丹前を羽織ると暑いくらいです。

次に向かったのは、 “海内第一(日本一)の湯”と称された城崎温泉を代表する「一の湯 」。この「一の湯」も山本屋旅館のすぐ近く、「柳湯」とは反対側にあります。その意味では宿泊先に山本屋旅館を選んだのは大正解、幹事さん達の大殊勲でした。なんと言っても、ロケーションのいい人気旅館なので、幹事は1年前に予約したそうですから。

城崎温泉を代表する外湯ということで、「一の湯」もそうとう混雑していましたが、すぐに湯船に浸かることができました。この「一の湯」のお湯は先ほどの「柳湯」のお湯と比べると若干ぬるめ。41℃前後といったところでしょうか。私好みのちょうどいい具合の湯加減です。配湯システムで供給されるお湯の温度は57℃だということを先ほど書きましたが、その57℃のお湯の温度だととても入浴などできません。テレビのバラエティ番組の中でタレントのデガワさんやウエシマさんがナイスなリアクションを見せる罰ゲームで使われる熱湯風呂のお湯の温度がそのくらい(55°C前後)だということをどこかで聞いたことがあります。火傷をしない温度で、しかも水蒸気がモウモウと立ち昇るギリギリの温度。ここがテレビ局の番組作りのノウハウなんだとか。同様に城崎温泉の各外湯も、お湯の温度を調整して、お客様に湯質の違いを味わって貰っているのかもしれません。泉質が多少違っても素人にはほとんど分かりませんが、湯の温度の違いは誰でも1発で分かりますからね。これが城崎温泉の隠れたノウハウってことなんでしょう。

ですが、ここで問題発覚! 急にのぼせてきてしまいました。このところ溜まりに溜まった疲れと昨夜からの睡眠不足、さらには長距離の移動の疲れが重なって体調不良を起こし、のぼせたのでしょうヽ(´o`; すぐに湯からあがり、脱衣場の椅子に腰掛けて休むことにしました。この間にウスキとマサヤも湯からあがり、先に旅館に帰ってもらうことにしました。さすがに3人とも外湯巡りはここでギブアップ。7つの外湯を全て巡るというのは、相当の苦行のように思えます。外湯巡りの続きは翌朝にすることにしました。

水を飲んでしばらく休んだところ、すぐに体調が戻ってきたので、山本屋旅館に戻ることにしました。「一の湯」の暖簾をくぐって外を出た時、突然背後から女性の声で声を掛けられました。「ねぇ、旅館、どこなの?」 エッ⁈ シチュエーションから考えてこれは間違いなく私に掛けられた言葉σ(^_^;) はて誰だろう‥‥と思って後ろを振り返ると、そこには鞄を提げたトシエさんの姿が‥‥。トシエさんは午前中大阪で仕事(診療)をして、今、城崎温泉に着いたばかりでした。地図を頼りに山本屋旅館を目指して城崎温泉駅から歩いて来たものの、最後に迷ってしまってどうしようかと思っていたところに、偶然、私が「一の湯」の暖簾をくぐって出てきたので声を掛けたということでした。

それにしても、「エッチャン」とか「越智くん」とかの呼び掛けもなく、いきなり背後から「ねぇ、旅館、どこなの?」って声をかけられると驚きます。また、妙な誤解もしちゃいそうになりますがな(^_^;)。トシエさんは今朝からの100通近い私達のメールのやり取りを読んで、すっかり私と既に逢っているような気分になっていたのでしょう。だとしたら、いかにもトシエさんらしい。相変わらずってやつです(笑) そういうトシエさんだからこそ、多くの患者さんから慕われて、開業医として成功しているのではないでしょうか。それにしても、午前中お仕事をされてからの城崎入り、お疲れさまでした。

トシエさんを無事にご案内して山本屋旅館に戻ってきました(と言っても、歩いて10秒ちょっとの距離ですが‥‥)。ほどなく地元香川からシンショー、岡山からテッチャンも到着して、今回の『大人の修学旅行』の参加者全員が揃いました。


……(その12)に続きます。

執筆者

株式会社ハレックス前代表取締役社長 越智正昭

株式会社ハレックス
前代表取締役社長

越智正昭

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