2016/08/04
昭和最後の大横綱、逝く・・・・
大相撲で史上3位の優勝31度を誇り、1989年に角界で初めて国民栄誉賞を受賞した元横綱千代の富士の九重親方が、さる7月31日午後5時11分、膵臓癌のため東京都文京区内の病院でお亡くなりになりました。
千代の富士は1970年秋場所で初土俵。精悍な顔つきから「ウルフ」の愛称で人気を集め、1981年名古屋場所後に第58代横綱に昇進しました。体重120キロ台の大相撲の力士としては小兵の部類に入る力士で、右肩の脱臼など小兵力士ゆえの度重なる怪我に悩まされましたが、肉体を鍛え上げ、筋肉の鎧を纏うことで克服。その鍛え上げられた筋肉質の体で左前まわしを引いての寄り、豪快な上手投げで数々の栄光を手にして昭和から平成にかけて一時代を築き、「小さな大横綱」、「昭和最後の大横綱」と称されました。昭和以降、双葉山の69連勝、白鵬の63連勝に次いで歴代第3位にあたる53連勝をするなど、数々の記録を残しました。
後に「小さな大横綱」、「昭和最後の大横綱」と呼ばれるほどになりましたが、決して順調な相撲人生ではなく、実は「入幕後、幕下まで陥落」、「三役昇進後、十両まで陥落」という経験を併せて持つ横綱はほとんど皆無で、大変な苦労人でもありました。
生涯通算戦歴は1,045勝437敗159休(125場所)、幕内通算戦歴807勝253敗144休(81場所)。生涯通算勝利数は魁皇の1,047勝に次ぐ歴代第2位で、幕内通算勝利数も白鵬に次ぐ歴代第2位です。1989年には当時の生涯通算勝利数最高記録を更新したこと、さらには相撲界への著しい貢献が認められて、相撲界(角界)で初めて国民栄誉賞を受賞しました。
とにかく強い横綱でした。ただ強いだけなら朝青龍や白鵬といったモンゴル出身の横綱のほうが、もしかしたら強いかもしれません(時代が違うので、比較するほうがおかしいかもしれませんが‥‥)。ただ、取り口が非常に美しい横綱で、特に立合いの際の踏み込みの鋭さは凄まじいものがありました。この鋭い立合いから得意の左まわしを奪い、豪快な上手投げで「どうだぁ!」とばかりに相手をねじ伏せる様は、「ウルフスペシャル」として有名になりました。また、体の芯が異常に強く、常に軸がぶれない堂々とした取り組みは惚れ惚れするほど美しかったです。強さと美しさを兼ね備えた横綱らしい横綱という点では、千代の富士が一番です。
特に、雲龍型の横綱土俵入りも四股が美しく、全体として気合の入った土俵入りで、見事でした。特に、重い横綱を付けた状態で上げた足が頭より高い位置にまで達する横綱の土俵入りは、千代の富士のほかに、私は知りません。
1991年夏場所(5月場所)初日に、当時新鋭だった貴花田(のちの横綱・貴乃花)と対戦したのですが、まわしが取れず頭をつけられて一気の寄り切りで敗れ、翌日の板井戦はかろうじて勝利したものの納得いく相撲とは程遠く、「もう1敗したら引退する」との決意を固めて臨んだ3日目の貴闘力戦では“とったり”で完敗。この貴闘力戦の取組を最後に、「気力・体力の限界!」として当日の夜、緊急記者会見で現役引退を表明。「小さな大横綱」として歴史に名を刻んだその相撲人生を終えました。この時の記者会見の様子は今でも鮮明に覚えています。
現役を引退後は、年寄・陣幕を経て、1992年4月から年寄・九重に名跡変更し、九重部屋を継承。九重親方として大関千代大海らを育て、2008年に初めて日本相撲協会理事となり、以降は事業部長や審判部長などを務められました。
私は2年前の2月に開催されたあるパーティーで九重親方とお会いする機会がありました。「ファンでした!」と告げて少しお話をさせていただいたのですが、その時はビールもお召し上がりになり、お元気そうでした。公称では身長が183cmということになっていますが、身長172cmの私から見て、とても10cm以上も背が高いようにはお見受けできませんでした。せいぜい178cmといったところでしょうか。大勢の方が参加していたパーティーだったので、お見えになっているご紹介はあったのですが、実は見つけるのが大変なほどでした。
首都圏で暮らしていると、時々現役の大相撲の力士を見掛けることがあるのですが、この身体であのような身体の大きな力士達に真っ正面から立ち向かい、数々の大記録を打ち立てられたということで、かえって感動してしまいました。さすがに全盛期の体重120キロ台からは随分とお痩せになられていましたが、筋肉質の肉体は相変わらずで、時には稽古土俵に立って弟子達に胸を貸して稽古をつけておられるのだな‥‥と推察されました。
その翌年の昨年2015年5月31日、60歳(還暦)の誕生日の前日に、両国国技館で露払い日馬富士、太刀持ち白鵬という2人の現役横綱を従えて、赤い綱をしめて「還暦土俵入り」を披露したのですが、その直後の7月に膵臓癌が見つかり手術。いったんは復帰したものの、今年(2016年)に入って癌が再発、胃や肺などに転移しており、前述のように、7月31日午後5時11分、膵臓癌のため東京都文京区内の病院でお亡くなりになりました。
ご生前のご功績を偲び、心からご冥福をお祈り申し上げます。
合掌・・・・・・・・・・・・・・。
2013年に大鵬、昨年2015年11月に北の湖、そして今回の千代の富士と、歴代の名横綱が次々と亡くなってしまうのは、なんとも寂しい限りですね。次々と“昭和”という一つの時代が終わっていく感じがします。
還暦を過ぎ、このような有名人の訃報に接するたびに、その方のお亡くなりになった年齢というものがやたらと気になるようになりました。あと何年くらい頑張っていられるか‥‥という目安のように感じられますからね。そういう私ですので、九重親方がお亡くなりになったという報は、本当にショックでした。
九重親方は昭和30年、北海道福島町生まれで、今年61歳。実は私とは同じ学年にあたります(私は早生まれですが‥‥)。2年前にあるパーティーでお会いするまで一面識もなかったのですが、同じ学年だというだけで勝手に親近感を感じ、「同じ学年のヒーロー」として秘かに応援してきました。そのパーティーでお会いした際も、そのことを申し上げて握手をしていただいたのですが、意外なほどに柔らかい手だったのを思い出します。なので、実際の同級生が亡くなった報を受けたのと同じくらいに大きなショックを受けています。
逝くのが早過ぎますよね。やっと「還暦」を過ぎたばかりだというのに‥‥。「還暦」というと昔は随分とジジイのように思っていたのですが、実際、自分が還暦になってみると肉体的にもまだまだ元気で、「ヨッシャ! これからもう一花咲かせてやろうかしらん」と思えるほどです(持久力はかなり衰えましたが、瞬発力はむしろ様々な経験を積んできたことで、今のほうが若い頃よりもあるかも。特に思考の部分で‥)。気持ちは若い頃とさほど変わりなく、まだまだやりたいこともいっぱい残っていたのではないかと思います。なので、さぞかしご無念だったのではなかろうか‥‥と勝手に推察いたします。
九重親方のご逝去は、まだまだ元気でいても、いつなにが起こってもおかしくない年齢になってきたのだということを私に教えてくれた気がしています。これまで以上に健康管理に気をつけることはもちろんのことですが、人生やり残して後悔しないように、いろいろとチャレンジもやっていきたいな‥‥と思っています。
繰り返しになりますが、元横綱千代の富士、九重親方のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。安らかにお旅立ちください。
【追記】
ちなみに、私と同じ学年の有名人と言うと、
プロ野球選手で言えば、掛布雅之さん、江川卓さん、大野豊さん、藤田学さん
サッカー選手で言えば、G大阪の監督を務めた西野朗さん
歌手だと、西城英樹さん、郷ひろみさん、野口五郎さん、世良正則さん、松山千春さん、川中美幸さん、大友康平さん、Bro.TOMさん、桑田佳祐さん、新沼謙治さん、佐野元春さん
俳優だと、嶋田久作さん、田中裕子さん、内藤剛志さん、藤真利子さん、長谷川初範さん、永島瑛子さん、國村隼さん、升毅さん、野田秀樹さん、坂口良子さん、役所広司さん、榎木孝明さん、大地真央さん、浅田美代子さん、矢島健一さん、竹中直人さん
タレントだと、上沼恵美子さん、明石家さんまさん、ラサール石井さん、小堺一機さん
競輪の中野浩一さん
プロボクサーの具志堅用高さん
作家の百田尚樹さん
等がいらっしゃいます。この他にもいろいろな方がいらっしゃって、まさに多士済済。実は私の学年って、各界でキラ星のごとく有名人が出ておられるんですよね。その中でも国民栄誉賞を受賞された元横綱千代の富士の九重親方が抜きん出ての“首席”でした。
私は結構意識してこれら同じ学年の方々の活躍を眺めています。「オッ、頑張っているなぁ?。じゃあ俺ももうひと頑張りするか!」ってね。
千代の富士は1970年秋場所で初土俵。精悍な顔つきから「ウルフ」の愛称で人気を集め、1981年名古屋場所後に第58代横綱に昇進しました。体重120キロ台の大相撲の力士としては小兵の部類に入る力士で、右肩の脱臼など小兵力士ゆえの度重なる怪我に悩まされましたが、肉体を鍛え上げ、筋肉の鎧を纏うことで克服。その鍛え上げられた筋肉質の体で左前まわしを引いての寄り、豪快な上手投げで数々の栄光を手にして昭和から平成にかけて一時代を築き、「小さな大横綱」、「昭和最後の大横綱」と称されました。昭和以降、双葉山の69連勝、白鵬の63連勝に次いで歴代第3位にあたる53連勝をするなど、数々の記録を残しました。
後に「小さな大横綱」、「昭和最後の大横綱」と呼ばれるほどになりましたが、決して順調な相撲人生ではなく、実は「入幕後、幕下まで陥落」、「三役昇進後、十両まで陥落」という経験を併せて持つ横綱はほとんど皆無で、大変な苦労人でもありました。
生涯通算戦歴は1,045勝437敗159休(125場所)、幕内通算戦歴807勝253敗144休(81場所)。生涯通算勝利数は魁皇の1,047勝に次ぐ歴代第2位で、幕内通算勝利数も白鵬に次ぐ歴代第2位です。1989年には当時の生涯通算勝利数最高記録を更新したこと、さらには相撲界への著しい貢献が認められて、相撲界(角界)で初めて国民栄誉賞を受賞しました。
とにかく強い横綱でした。ただ強いだけなら朝青龍や白鵬といったモンゴル出身の横綱のほうが、もしかしたら強いかもしれません(時代が違うので、比較するほうがおかしいかもしれませんが‥‥)。ただ、取り口が非常に美しい横綱で、特に立合いの際の踏み込みの鋭さは凄まじいものがありました。この鋭い立合いから得意の左まわしを奪い、豪快な上手投げで「どうだぁ!」とばかりに相手をねじ伏せる様は、「ウルフスペシャル」として有名になりました。また、体の芯が異常に強く、常に軸がぶれない堂々とした取り組みは惚れ惚れするほど美しかったです。強さと美しさを兼ね備えた横綱らしい横綱という点では、千代の富士が一番です。
特に、雲龍型の横綱土俵入りも四股が美しく、全体として気合の入った土俵入りで、見事でした。特に、重い横綱を付けた状態で上げた足が頭より高い位置にまで達する横綱の土俵入りは、千代の富士のほかに、私は知りません。
1991年夏場所(5月場所)初日に、当時新鋭だった貴花田(のちの横綱・貴乃花)と対戦したのですが、まわしが取れず頭をつけられて一気の寄り切りで敗れ、翌日の板井戦はかろうじて勝利したものの納得いく相撲とは程遠く、「もう1敗したら引退する」との決意を固めて臨んだ3日目の貴闘力戦では“とったり”で完敗。この貴闘力戦の取組を最後に、「気力・体力の限界!」として当日の夜、緊急記者会見で現役引退を表明。「小さな大横綱」として歴史に名を刻んだその相撲人生を終えました。この時の記者会見の様子は今でも鮮明に覚えています。
現役を引退後は、年寄・陣幕を経て、1992年4月から年寄・九重に名跡変更し、九重部屋を継承。九重親方として大関千代大海らを育て、2008年に初めて日本相撲協会理事となり、以降は事業部長や審判部長などを務められました。
私は2年前の2月に開催されたあるパーティーで九重親方とお会いする機会がありました。「ファンでした!」と告げて少しお話をさせていただいたのですが、その時はビールもお召し上がりになり、お元気そうでした。公称では身長が183cmということになっていますが、身長172cmの私から見て、とても10cm以上も背が高いようにはお見受けできませんでした。せいぜい178cmといったところでしょうか。大勢の方が参加していたパーティーだったので、お見えになっているご紹介はあったのですが、実は見つけるのが大変なほどでした。
首都圏で暮らしていると、時々現役の大相撲の力士を見掛けることがあるのですが、この身体であのような身体の大きな力士達に真っ正面から立ち向かい、数々の大記録を打ち立てられたということで、かえって感動してしまいました。さすがに全盛期の体重120キロ台からは随分とお痩せになられていましたが、筋肉質の肉体は相変わらずで、時には稽古土俵に立って弟子達に胸を貸して稽古をつけておられるのだな‥‥と推察されました。
その翌年の昨年2015年5月31日、60歳(還暦)の誕生日の前日に、両国国技館で露払い日馬富士、太刀持ち白鵬という2人の現役横綱を従えて、赤い綱をしめて「還暦土俵入り」を披露したのですが、その直後の7月に膵臓癌が見つかり手術。いったんは復帰したものの、今年(2016年)に入って癌が再発、胃や肺などに転移しており、前述のように、7月31日午後5時11分、膵臓癌のため東京都文京区内の病院でお亡くなりになりました。
ご生前のご功績を偲び、心からご冥福をお祈り申し上げます。
合掌・・・・・・・・・・・・・・。
2013年に大鵬、昨年2015年11月に北の湖、そして今回の千代の富士と、歴代の名横綱が次々と亡くなってしまうのは、なんとも寂しい限りですね。次々と“昭和”という一つの時代が終わっていく感じがします。
還暦を過ぎ、このような有名人の訃報に接するたびに、その方のお亡くなりになった年齢というものがやたらと気になるようになりました。あと何年くらい頑張っていられるか‥‥という目安のように感じられますからね。そういう私ですので、九重親方がお亡くなりになったという報は、本当にショックでした。
九重親方は昭和30年、北海道福島町生まれで、今年61歳。実は私とは同じ学年にあたります(私は早生まれですが‥‥)。2年前にあるパーティーでお会いするまで一面識もなかったのですが、同じ学年だというだけで勝手に親近感を感じ、「同じ学年のヒーロー」として秘かに応援してきました。そのパーティーでお会いした際も、そのことを申し上げて握手をしていただいたのですが、意外なほどに柔らかい手だったのを思い出します。なので、実際の同級生が亡くなった報を受けたのと同じくらいに大きなショックを受けています。
逝くのが早過ぎますよね。やっと「還暦」を過ぎたばかりだというのに‥‥。「還暦」というと昔は随分とジジイのように思っていたのですが、実際、自分が還暦になってみると肉体的にもまだまだ元気で、「ヨッシャ! これからもう一花咲かせてやろうかしらん」と思えるほどです(持久力はかなり衰えましたが、瞬発力はむしろ様々な経験を積んできたことで、今のほうが若い頃よりもあるかも。特に思考の部分で‥)。気持ちは若い頃とさほど変わりなく、まだまだやりたいこともいっぱい残っていたのではないかと思います。なので、さぞかしご無念だったのではなかろうか‥‥と勝手に推察いたします。
九重親方のご逝去は、まだまだ元気でいても、いつなにが起こってもおかしくない年齢になってきたのだということを私に教えてくれた気がしています。これまで以上に健康管理に気をつけることはもちろんのことですが、人生やり残して後悔しないように、いろいろとチャレンジもやっていきたいな‥‥と思っています。
繰り返しになりますが、元横綱千代の富士、九重親方のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。安らかにお旅立ちください。
【追記】
ちなみに、私と同じ学年の有名人と言うと、
プロ野球選手で言えば、掛布雅之さん、江川卓さん、大野豊さん、藤田学さん
サッカー選手で言えば、G大阪の監督を務めた西野朗さん
歌手だと、西城英樹さん、郷ひろみさん、野口五郎さん、世良正則さん、松山千春さん、川中美幸さん、大友康平さん、Bro.TOMさん、桑田佳祐さん、新沼謙治さん、佐野元春さん
俳優だと、嶋田久作さん、田中裕子さん、内藤剛志さん、藤真利子さん、長谷川初範さん、永島瑛子さん、國村隼さん、升毅さん、野田秀樹さん、坂口良子さん、役所広司さん、榎木孝明さん、大地真央さん、浅田美代子さん、矢島健一さん、竹中直人さん
タレントだと、上沼恵美子さん、明石家さんまさん、ラサール石井さん、小堺一機さん
競輪の中野浩一さん
プロボクサーの具志堅用高さん
作家の百田尚樹さん
等がいらっしゃいます。この他にもいろいろな方がいらっしゃって、まさに多士済済。実は私の学年って、各界でキラ星のごとく有名人が出ておられるんですよね。その中でも国民栄誉賞を受賞された元横綱千代の富士の九重親方が抜きん出ての“首席”でした。
私は結構意識してこれら同じ学年の方々の活躍を眺めています。「オッ、頑張っているなぁ?。じゃあ俺ももうひと頑張りするか!」ってね。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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