2016/11/17
第2回さいたま国際マラソン2016
11月13日(日)、今年も私が住む埼玉県さいたま市で第2回の『さいたま国際マラソン』が開催されました。この『さいたま国際マラソン』は「東京国際女子マラソン」、「横浜国際女子マラソン」の系譜を受け継ぐ後継大会として昨年から開催されている大会で、今年が2回目です。
第1回さいたま国際マラソン
この『さいたま国際マラソン』のコース、ほとんどがさいたま市内(一部、越谷市)を走るのですが、このさいたま市、市内に山と呼べるほどの山はほとんどないのですが、実は大宮台地を突っ切って走ることから微妙に登ったり下ったりする起伏がいっぱいあり、純粋に平坦なところというところはほとんどないような地形なんです。“心臓破りの坂”と呼べるほどの急な坂はないものの、アップダウンを何度も何度も繰り返す、好タイムはなかなか期待できそうにない難コースになっているのです。昨年の大会はリオデジャネイロ五輪日本代表選手の選考会を兼ねた大会だったのですが、この微妙なアップダウンが多い難コースなので好タイムが出ず、優勝したアツェデ・バイサ選手(エチオピア)のタイムも2時間25分44秒と国際マラソン大会としては極めて平凡なものでした。リオデジャネイロ五輪日本代表選手の座がかかった日本人選手も地元埼玉県出身の吉田香織選手(TEAM R×L所属)が日本人選手トップ(全体では2位)でゴールしたのですが、タイムは2時間28分43秒。なので、せっかく日本人選手トップでゴールしたものの、リオデジャネイロ五輪の日本代表には選ばれませんでした。
そこで、第2回となる今年の大会ではコースをガラッと変更しました。さいたま新都心にある「さいたまスーパーアリーナ」をスタート地点とゴール地点とすることは昨年の大会と同じなのですが、一言で言うと、第1回のコースをほぼ逆走するようなコースになりました。特に、我が家から徒歩5分ほどのところを走る国道17号線の区間の捉え方が大きく変わってきました。我が家から国道17号線に出たところが昨年の大会で言うとスタートしてからちょうど1kmの地点だったのですが、今回は反対にゴールまでちょうど1kmの地点となりました。ここから北浦和駅方向に向けては約2kmにわたってダラダラとしたかなり長い距離の登り坂になっています。昨年の大会で言うと、スタートしてすぐにこのダラダラとした長い距離の登り坂になっているため、スローペースの入り方をしないといけなかったのですが、今年の大会ではその逆で、ゴール手前にあるダラダラとしたかなり長い距離の下り坂になっています。ランナーにとってはこれはかなりの福音になったのではないか…と思われます。
結果としては優勝したチェイエチ・ダニエル選手(ケニア)のタイムは2時間23分18秒と昨年の大会の優勝タイムから少し向上はしました。しかしながら、日本人選手トップ(全体では5位)の那須川瑞穂選手(ユニバーサルエンターテインメント所属)のタイムは2時間33分16秒。昨年の日本人選手トップだった吉田香織選手のタイムが前述のように2時間28分43秒だったことを考えると、さほどの改善にはならなかったようです。まぁ~、途中のアップダウンの多さはどうしようもないようで、ランナーにとっては“さいたま”は相変わらずの難コースのようです。
私は今年も我が家から徒歩5分ほどのところにある国道17号線の沿道で、選手達に声援を送りました。この日の大会は日本テレビで生中継が行われていましたので、そのテレビを観て、先頭の選手が埼大通りに入ったあたりで家を出ました。先頭の選手の真上にはヘリコプターがついているようなので、先頭の選手が、今、どのあたりを走っているのかすぐに分かります。バリバリと頭上をヘリコプターの爆音が近付いてきたと思ったら、国道17号線をテレビの中継車が北浦和駅方向からダラダラ坂を下ってきているのが見えました。そのテレビの中継車に続いて、2台の白バイ。その後を、逆光の中、一人の黒人選手が駆けてくる姿が小さく見えます。優勝したチェイエチ・ダニエル選手(ケニア)です。その姿はだんだんと大きくなり、そして、私のすぐ目の前を快調に疾風のごとく駆け抜けていきました。アフリカの大草原を駆けていくカモシカを思わせるようなしなやかでリズムカルな走りです。一歩一歩のストライドがとても広い! とても41km以上も走ってきた後とは思えません。速い!
そのチェイエチ・ダニエル選手からはかなり間が開いたのですが、2位以下もアフリカからの招待選手が続きます。その間隔はそれぞれ大きく開いていました。
下の写真、左側が日本人選手トップの5位となった那須川瑞穂選手です。右側を走るキャシー・フィン選手(オーストラリア)とこのまま「さいたまスーパーアリーナ」のゴール付近まで大デッドヒートを繰り広げ、結局1秒勝って、2時間33分16秒でゴールしました。このさいたま国際マラソンは陸上の世界選手権(来年8月・ロンドン)の女子マラソン日本代表選考会を兼ねていました。日本人選手のトップでゴールしたのは、この那須川瑞穂選手(ユニバーサルエンターテインメント所属)だったのですが、記録は2時間33分16秒。日本陸連が設定した世界選手権への派遣設定記録、2時間22分30秒には遠く届きませんでした。と言うか、優勝したチェイエチ・ダニエル選手の記録でさえも2時間23分18秒でしたので、日本陸連が設定した世界選手権への派遣設定記録には届きません。このさいたま国際マラソンのコースがいかにアップダウンが繰り返される難コースであるのかが、この記録からも窺えます。大宮台地の南の端に位置するさいたま市の地形がなんとなくお分かりいただけようかと思います。加えて、この日はよく晴れて、11月としては気温が高かったですし。
下の写真は地元埼玉県坂戸市出身の吉田香織選手です。昨年は日本人選手トップの2位(2時間28分43秒)でゴールしたのですが、今年はいまいち調子が出ないのか途中で失速し、2時間38分37秒で全体の9位(日本人選手では2位)でゴールしました。吉田選手は今年の北海道マラソンで優勝し、既に世界選手権の代表選考対象選手となっているのですが、さいたま国際マラソンでは不本意な成績に終わりました。地元埼玉県出身の選手ということで、沿道からは大きな声援が送られました。
下の写真は中盤まで日本人トップを争った関野茜選手です。関野茜選手は愛媛県の今治造船所属の選手と言うことで、今治市に本籍地のある私としては秘かに応援していたのですが、残念ながら25km過ぎに失速してしまい、20位に終わりました。この日はこの時期にしては気温が高く、おそらくそれが悪い影響を及ぼしたのでしょう。脱水症状が出ているのか、左右に蛇行を繰り返すフラフラの状態で目の前を通り過ぎていきました。「頑張れ! ゴールはもうすぐそこだ!」と大きな声をかけました。関野選手は、現在26歳。と言うことは2020年の東京オリンピックを目指してまだまだ頑張ってほしい選手の1人です。次は来年2月に開催される東京マラソンでリベンジを目指すそうなので、今回のレースを反省材料にして是非頑張ってほしいものです。
今年の大会では、制限時間を4時間から6時間に拡大し、一般フルマラソンの部では16,000人のランナーが出走しました(昨年は5,000人)。トップの選手の皆さん達が通り過ぎた後、いったん昼食を食べるために自宅に戻り、少しくつろいだ後、再び国道17号線にマラソンの応援に戻ったのですが、ちょうど一般市民ランナーの部に出場したランナーの皆さんが大集団で駆けてくるところでした。う〜ん、駆けるというのは正確ではなく、通り過ぎるという表現が適切かもしれません。
私が声援を送ったのは、前述のようにゴールまで約1kmの41km地点付近だったのですが、ここまで走ってきたランナーの皆さんは既に疲労困憊のご様子。なんとか脚を前へ前へと出しているのが精一杯という感じで、中には脚をつって、救護班から治療を受けている人もいらっしゃいます。なので、私がかけた声援は「頑張れ! あともう一息だ! 歩いても15分だから!」 その私の声にニッコリと笑顔を返してくれる方が何人もいらっしゃったのが嬉しかったですね。それにしても42.195kmのフルマラソンを走りきれる市民ランナーの皆さんのいかに多いことか。そうしたランナーの皆さんに元気をいただきました。
今年の大会はコースを抜本的に変更したほか、制限時間を4時間から6時間に拡大し、一般フルマラソンの部では16,000人のランナーが出走するという大きな大会に成長しました。おかげで、我が家の近所を通る国道17号線をはじめ、さいたま市は市内中心部のいたるところで昼間長期間の交通規制が敷かれて、どこに行くにも不便をしたのですが、事前に周知がなされ、まぁ~それなりに覚悟ができていたので、この日は特にどこにも行かず、ランナーの皆さんの応援をしながら、ゆっくりと身体を休めることができました。
第1回さいたま国際マラソン
この『さいたま国際マラソン』のコース、ほとんどがさいたま市内(一部、越谷市)を走るのですが、このさいたま市、市内に山と呼べるほどの山はほとんどないのですが、実は大宮台地を突っ切って走ることから微妙に登ったり下ったりする起伏がいっぱいあり、純粋に平坦なところというところはほとんどないような地形なんです。“心臓破りの坂”と呼べるほどの急な坂はないものの、アップダウンを何度も何度も繰り返す、好タイムはなかなか期待できそうにない難コースになっているのです。昨年の大会はリオデジャネイロ五輪日本代表選手の選考会を兼ねた大会だったのですが、この微妙なアップダウンが多い難コースなので好タイムが出ず、優勝したアツェデ・バイサ選手(エチオピア)のタイムも2時間25分44秒と国際マラソン大会としては極めて平凡なものでした。リオデジャネイロ五輪日本代表選手の座がかかった日本人選手も地元埼玉県出身の吉田香織選手(TEAM R×L所属)が日本人選手トップ(全体では2位)でゴールしたのですが、タイムは2時間28分43秒。なので、せっかく日本人選手トップでゴールしたものの、リオデジャネイロ五輪の日本代表には選ばれませんでした。
そこで、第2回となる今年の大会ではコースをガラッと変更しました。さいたま新都心にある「さいたまスーパーアリーナ」をスタート地点とゴール地点とすることは昨年の大会と同じなのですが、一言で言うと、第1回のコースをほぼ逆走するようなコースになりました。特に、我が家から徒歩5分ほどのところを走る国道17号線の区間の捉え方が大きく変わってきました。我が家から国道17号線に出たところが昨年の大会で言うとスタートしてからちょうど1kmの地点だったのですが、今回は反対にゴールまでちょうど1kmの地点となりました。ここから北浦和駅方向に向けては約2kmにわたってダラダラとしたかなり長い距離の登り坂になっています。昨年の大会で言うと、スタートしてすぐにこのダラダラとした長い距離の登り坂になっているため、スローペースの入り方をしないといけなかったのですが、今年の大会ではその逆で、ゴール手前にあるダラダラとしたかなり長い距離の下り坂になっています。ランナーにとってはこれはかなりの福音になったのではないか…と思われます。
結果としては優勝したチェイエチ・ダニエル選手(ケニア)のタイムは2時間23分18秒と昨年の大会の優勝タイムから少し向上はしました。しかしながら、日本人選手トップ(全体では5位)の那須川瑞穂選手(ユニバーサルエンターテインメント所属)のタイムは2時間33分16秒。昨年の日本人選手トップだった吉田香織選手のタイムが前述のように2時間28分43秒だったことを考えると、さほどの改善にはならなかったようです。まぁ~、途中のアップダウンの多さはどうしようもないようで、ランナーにとっては“さいたま”は相変わらずの難コースのようです。
私は今年も我が家から徒歩5分ほどのところにある国道17号線の沿道で、選手達に声援を送りました。この日の大会は日本テレビで生中継が行われていましたので、そのテレビを観て、先頭の選手が埼大通りに入ったあたりで家を出ました。先頭の選手の真上にはヘリコプターがついているようなので、先頭の選手が、今、どのあたりを走っているのかすぐに分かります。バリバリと頭上をヘリコプターの爆音が近付いてきたと思ったら、国道17号線をテレビの中継車が北浦和駅方向からダラダラ坂を下ってきているのが見えました。そのテレビの中継車に続いて、2台の白バイ。その後を、逆光の中、一人の黒人選手が駆けてくる姿が小さく見えます。優勝したチェイエチ・ダニエル選手(ケニア)です。その姿はだんだんと大きくなり、そして、私のすぐ目の前を快調に疾風のごとく駆け抜けていきました。アフリカの大草原を駆けていくカモシカを思わせるようなしなやかでリズムカルな走りです。一歩一歩のストライドがとても広い! とても41km以上も走ってきた後とは思えません。速い!
そのチェイエチ・ダニエル選手からはかなり間が開いたのですが、2位以下もアフリカからの招待選手が続きます。その間隔はそれぞれ大きく開いていました。
下の写真、左側が日本人選手トップの5位となった那須川瑞穂選手です。右側を走るキャシー・フィン選手(オーストラリア)とこのまま「さいたまスーパーアリーナ」のゴール付近まで大デッドヒートを繰り広げ、結局1秒勝って、2時間33分16秒でゴールしました。このさいたま国際マラソンは陸上の世界選手権(来年8月・ロンドン)の女子マラソン日本代表選考会を兼ねていました。日本人選手のトップでゴールしたのは、この那須川瑞穂選手(ユニバーサルエンターテインメント所属)だったのですが、記録は2時間33分16秒。日本陸連が設定した世界選手権への派遣設定記録、2時間22分30秒には遠く届きませんでした。と言うか、優勝したチェイエチ・ダニエル選手の記録でさえも2時間23分18秒でしたので、日本陸連が設定した世界選手権への派遣設定記録には届きません。このさいたま国際マラソンのコースがいかにアップダウンが繰り返される難コースであるのかが、この記録からも窺えます。大宮台地の南の端に位置するさいたま市の地形がなんとなくお分かりいただけようかと思います。加えて、この日はよく晴れて、11月としては気温が高かったですし。
下の写真は地元埼玉県坂戸市出身の吉田香織選手です。昨年は日本人選手トップの2位(2時間28分43秒)でゴールしたのですが、今年はいまいち調子が出ないのか途中で失速し、2時間38分37秒で全体の9位(日本人選手では2位)でゴールしました。吉田選手は今年の北海道マラソンで優勝し、既に世界選手権の代表選考対象選手となっているのですが、さいたま国際マラソンでは不本意な成績に終わりました。地元埼玉県出身の選手ということで、沿道からは大きな声援が送られました。
下の写真は中盤まで日本人トップを争った関野茜選手です。関野茜選手は愛媛県の今治造船所属の選手と言うことで、今治市に本籍地のある私としては秘かに応援していたのですが、残念ながら25km過ぎに失速してしまい、20位に終わりました。この日はこの時期にしては気温が高く、おそらくそれが悪い影響を及ぼしたのでしょう。脱水症状が出ているのか、左右に蛇行を繰り返すフラフラの状態で目の前を通り過ぎていきました。「頑張れ! ゴールはもうすぐそこだ!」と大きな声をかけました。関野選手は、現在26歳。と言うことは2020年の東京オリンピックを目指してまだまだ頑張ってほしい選手の1人です。次は来年2月に開催される東京マラソンでリベンジを目指すそうなので、今回のレースを反省材料にして是非頑張ってほしいものです。
今年の大会では、制限時間を4時間から6時間に拡大し、一般フルマラソンの部では16,000人のランナーが出走しました(昨年は5,000人)。トップの選手の皆さん達が通り過ぎた後、いったん昼食を食べるために自宅に戻り、少しくつろいだ後、再び国道17号線にマラソンの応援に戻ったのですが、ちょうど一般市民ランナーの部に出場したランナーの皆さんが大集団で駆けてくるところでした。う〜ん、駆けるというのは正確ではなく、通り過ぎるという表現が適切かもしれません。
私が声援を送ったのは、前述のようにゴールまで約1kmの41km地点付近だったのですが、ここまで走ってきたランナーの皆さんは既に疲労困憊のご様子。なんとか脚を前へ前へと出しているのが精一杯という感じで、中には脚をつって、救護班から治療を受けている人もいらっしゃいます。なので、私がかけた声援は「頑張れ! あともう一息だ! 歩いても15分だから!」 その私の声にニッコリと笑顔を返してくれる方が何人もいらっしゃったのが嬉しかったですね。それにしても42.195kmのフルマラソンを走りきれる市民ランナーの皆さんのいかに多いことか。そうしたランナーの皆さんに元気をいただきました。
今年の大会はコースを抜本的に変更したほか、制限時間を4時間から6時間に拡大し、一般フルマラソンの部では16,000人のランナーが出走するという大きな大会に成長しました。おかげで、我が家の近所を通る国道17号線をはじめ、さいたま市は市内中心部のいたるところで昼間長期間の交通規制が敷かれて、どこに行くにも不便をしたのですが、事前に周知がなされ、まぁ~それなりに覚悟ができていたので、この日は特にどこにも行かず、ランナーの皆さんの応援をしながら、ゆっくりと身体を休めることができました。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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