2017/01/11
中山道六十九次・街道歩き【第7回: 熊谷→深谷】(その2)
旧中山道は石原(南)交差点で国道17号と合流します。その合流地点の近く、国道17号沿いに不思議な看板を見つけました。荷造りの材料を売っている商店のようなのですが、“麻袋”“俵”“縄”までは読めるのですが、最後の一字が読めません。なんと読む文字で、どういう意味なのでしょうか?
石原駅入口の標識のある交差点を横切ります。ここを左に曲がると秩父鉄道秩父本線の石原駅があるのですが、かつてこのあたり(旧石原村)には日本有数の製糸会社であった片倉工業の熊谷工場があり、ピーク時には500人近い女子工員がそこで働いていました。熊谷は第二次世界大戦までは繊維産業で栄えたのですが、安い労働力を求めて繊維産業が次々と海外に製造拠点を移したため、片倉工業の熊谷工場も1994年に閉鎖になり、現在は片倉シルク記念館になっているのだそうです。
昭和58年(1983年)に廃線となった東武鉄道熊谷線の跡地に作られた遊歩道「かめのみち公園」です。東武鉄道熊谷線は、熊谷市の熊谷駅から大里郡妻沼町(現・熊谷市)の妻沼駅までの10.1kmを非電化単線で結んでいた鉄道路線です。地元では妻沼線とも呼ばれていました。この熊谷線、もともと軍の命令で建設された鉄道路線で、第二次世界大戦末期に、群馬県太田市にあった中島飛行機(現・富士重工業)の工場への要員輸送&資材輸送を目的として、熊谷駅と東武小泉線の西小泉駅間の建設が計画されたもので、第一期工事区間として1943年(昭和18年)に熊谷駅〜妻沼駅間、西小泉駅〜新小泉駅間が開業しました。しかしながら、第二期工事区間である新小泉駅〜妻沼駅間の開通前に終戦を迎えてしまいました。新小泉駅〜妻沼駅間には広い川幅の利根川が横たわっていて、第二期工事ではその利根川を渡る橋梁工事が残されており、そのため、利根川を挟んで南北に分断された形で営業を行うことになりました。終戦を迎えたことにより、中島飛行機の大工場への要員輸送や資材輸送の目的が必要なくなったため、熊谷駅〜西小泉駅間を全通させることなく、小泉線側は西小泉駅〜新小泉駅間が終戦後すぐに廃線となりました。熊谷駅〜妻沼駅間は戦後もしばらく運行を続けたのですが、開業から40年後の1983年(昭和58年)に廃線となりました。
この東武鉄道熊谷線、1943年の開通当初は小型の蒸気機関車牽引の客車列車で運転されていて、昼夜を問わず工員輸送のためのピストン輸送が行われました。妻沼駅から利根川を渡り工場までの連絡は東武バスによって刀水橋を経由して行われました。当時は低質な石炭を用いての運行だったことに加えて、熊谷駅〜妻沼駅間には高崎線とのオーバークロス区間があり、蒸気機関車の蒸気圧が上がらないために勾配を登るのが大変で、いきおい低速での運転となり、その自転車並みの鈍足ぶり(熊谷〜妻沼間10.1kmを所要24分)から、沿線乗客からは揶揄混じりに「のろま線のカメ号」とか、単に「カメ」と呼ばれていました。1954年(昭和29年)に無煙化を図るため、ディーゼルカーを3両導入したのですが、それでも所要17分と鈍足ぶりは変わりませんでした。
このように田園地帯をゆっくり亀のように走っていたということから、後に「かめのみち」と呼ばれるようになり、この廃線跡に作られた遊歩道も「かめのみち公園」なのだそうです。その目の前を偶然路線バスが通過していったのですが、行先が「太田駅前」になっていました。熊谷駅から東武鉄道伊勢崎線の太田駅を結ぶ路線バスで、この路線バスがかつての東武鉄道熊谷線なのでしょう。太田市というと群馬県。群馬県との県境が近いことを実感します。
しばらく国道17号をひたすら北北西方向に直進します。
埼玉県では知らない人はいないと言われる和菓子屋「梅林堂」さんの新島店です。創業が元治元年(1864年)といいますから、創業から150年以上が経過しています。梅林堂は埼玉県内に33店舗および群馬県に2店舗、東京都に1店舗の計36店舗の販売店舗を設けているそうですが、そういう老舗の和菓子屋さんの本店は熊谷にあります。塩豆大福が有名で、添乗員さんはしきりと「お土産に買っていかれてはいかがですか…」と薦めるのですが、実はさいたま市の我が家のすぐ近くにも梅林堂の与野本町店があり、洋菓子を含め我が家はいつも梅林堂の与野本町店を御用達にしているので、申し訳ないけれど、ここではパスです。
ちなみに、「うまい、うますぎる !」のキャッチフレーズとともに「埼玉県の伝統的な和菓子」として知られている『十万石まんじゅう』も埼玉県行田市の菓子メーカー「十万石ふくさや」が製造・販売する和菓子です。「十万石」とは、江戸時代に行田市から熊谷市にかけてあった忍藩の石高が10万石であったことに因んでのものです。この「十万石まんじゅう」の店舗も埼玉県内ではよく見掛け、我が家のすぐ近くにも与野本町店があります。
そうそう、いまや関東の1都6県に140店舗を展開するファミリーレストラン『馬車道』も、1972年にこの熊谷市において面積わずか10坪、テーブル席3つとカウンター8席という小さな焼肉店からスタートしました。今も本部は熊谷市に置いています(馬車道と言っても横浜が発祥の地ではありません)。また、埼玉県内でよく見掛ける回転すしチェーン店の『がってん寿司』もここ熊谷が発祥の地で、本部が置かれています。
梅林堂を過ぎたところで道路がYの字に分かれる三叉路があり、旧中山道はその左側を進みます(右側を行くのが現代の中山道・国道17号です)。
「新島一里塚」です。この新島一里塚は江戸の日本橋を出立してから17番目の一里塚です。1里が約4kmですから、ここまで約68km来たことになります。一里塚は通常左右一対になっているのですが、この新島一里塚では北側の塚だけが現存しています(反対の南側には道祖神だけが祀られています)。塚木は樹齢300年といわれるケヤキ(欅)の木です。通常塚木は榎を植えるのですが、さすがに武蔵野国埼玉県、塚木にもケヤキ(欅)が使われています。
さらに先に進みます。このあたりまで来ると、旧中山道はセンターラインもない細い道路に変わります。昔の中山道もこのくらいの幅の道路ではなかったか…と推察されます。ここが中山道であったことを示すのか、ところどころに道標が建っています。
新島一里塚のすぐ先に「忍藩領地石標」があります。この石標は忍藩が他藩との領地区分するために立てたもので、安永9年(1790年)に木材から石標に立て直されました。「従是南忍領」と彫られているのが分かります。
行く手の両側には稲刈りを終えたばかりの田圃が広がっています。
いったん並行する国道17号のほうに出て、国道17号沿いの広いコンビニエンスストアの駐車場に駐車しているバスの中でお弁当の昼食です。このあたりには50人ほどが一度に食事できるような施設もないので、観光バスがレストラン代わりです。こういう観光バスの使い方もあるのですね。よく晴れていて気持ちいいので、私はバスの外で田圃の畔に腰を下ろしてお弁当をいただきました。
……(その3)に続きます。
石原駅入口の標識のある交差点を横切ります。ここを左に曲がると秩父鉄道秩父本線の石原駅があるのですが、かつてこのあたり(旧石原村)には日本有数の製糸会社であった片倉工業の熊谷工場があり、ピーク時には500人近い女子工員がそこで働いていました。熊谷は第二次世界大戦までは繊維産業で栄えたのですが、安い労働力を求めて繊維産業が次々と海外に製造拠点を移したため、片倉工業の熊谷工場も1994年に閉鎖になり、現在は片倉シルク記念館になっているのだそうです。
昭和58年(1983年)に廃線となった東武鉄道熊谷線の跡地に作られた遊歩道「かめのみち公園」です。東武鉄道熊谷線は、熊谷市の熊谷駅から大里郡妻沼町(現・熊谷市)の妻沼駅までの10.1kmを非電化単線で結んでいた鉄道路線です。地元では妻沼線とも呼ばれていました。この熊谷線、もともと軍の命令で建設された鉄道路線で、第二次世界大戦末期に、群馬県太田市にあった中島飛行機(現・富士重工業)の工場への要員輸送&資材輸送を目的として、熊谷駅と東武小泉線の西小泉駅間の建設が計画されたもので、第一期工事区間として1943年(昭和18年)に熊谷駅〜妻沼駅間、西小泉駅〜新小泉駅間が開業しました。しかしながら、第二期工事区間である新小泉駅〜妻沼駅間の開通前に終戦を迎えてしまいました。新小泉駅〜妻沼駅間には広い川幅の利根川が横たわっていて、第二期工事ではその利根川を渡る橋梁工事が残されており、そのため、利根川を挟んで南北に分断された形で営業を行うことになりました。終戦を迎えたことにより、中島飛行機の大工場への要員輸送や資材輸送の目的が必要なくなったため、熊谷駅〜西小泉駅間を全通させることなく、小泉線側は西小泉駅〜新小泉駅間が終戦後すぐに廃線となりました。熊谷駅〜妻沼駅間は戦後もしばらく運行を続けたのですが、開業から40年後の1983年(昭和58年)に廃線となりました。
この東武鉄道熊谷線、1943年の開通当初は小型の蒸気機関車牽引の客車列車で運転されていて、昼夜を問わず工員輸送のためのピストン輸送が行われました。妻沼駅から利根川を渡り工場までの連絡は東武バスによって刀水橋を経由して行われました。当時は低質な石炭を用いての運行だったことに加えて、熊谷駅〜妻沼駅間には高崎線とのオーバークロス区間があり、蒸気機関車の蒸気圧が上がらないために勾配を登るのが大変で、いきおい低速での運転となり、その自転車並みの鈍足ぶり(熊谷〜妻沼間10.1kmを所要24分)から、沿線乗客からは揶揄混じりに「のろま線のカメ号」とか、単に「カメ」と呼ばれていました。1954年(昭和29年)に無煙化を図るため、ディーゼルカーを3両導入したのですが、それでも所要17分と鈍足ぶりは変わりませんでした。
このように田園地帯をゆっくり亀のように走っていたということから、後に「かめのみち」と呼ばれるようになり、この廃線跡に作られた遊歩道も「かめのみち公園」なのだそうです。その目の前を偶然路線バスが通過していったのですが、行先が「太田駅前」になっていました。熊谷駅から東武鉄道伊勢崎線の太田駅を結ぶ路線バスで、この路線バスがかつての東武鉄道熊谷線なのでしょう。太田市というと群馬県。群馬県との県境が近いことを実感します。
しばらく国道17号をひたすら北北西方向に直進します。
埼玉県では知らない人はいないと言われる和菓子屋「梅林堂」さんの新島店です。創業が元治元年(1864年)といいますから、創業から150年以上が経過しています。梅林堂は埼玉県内に33店舗および群馬県に2店舗、東京都に1店舗の計36店舗の販売店舗を設けているそうですが、そういう老舗の和菓子屋さんの本店は熊谷にあります。塩豆大福が有名で、添乗員さんはしきりと「お土産に買っていかれてはいかがですか…」と薦めるのですが、実はさいたま市の我が家のすぐ近くにも梅林堂の与野本町店があり、洋菓子を含め我が家はいつも梅林堂の与野本町店を御用達にしているので、申し訳ないけれど、ここではパスです。
ちなみに、「うまい、うますぎる !」のキャッチフレーズとともに「埼玉県の伝統的な和菓子」として知られている『十万石まんじゅう』も埼玉県行田市の菓子メーカー「十万石ふくさや」が製造・販売する和菓子です。「十万石」とは、江戸時代に行田市から熊谷市にかけてあった忍藩の石高が10万石であったことに因んでのものです。この「十万石まんじゅう」の店舗も埼玉県内ではよく見掛け、我が家のすぐ近くにも与野本町店があります。
そうそう、いまや関東の1都6県に140店舗を展開するファミリーレストラン『馬車道』も、1972年にこの熊谷市において面積わずか10坪、テーブル席3つとカウンター8席という小さな焼肉店からスタートしました。今も本部は熊谷市に置いています(馬車道と言っても横浜が発祥の地ではありません)。また、埼玉県内でよく見掛ける回転すしチェーン店の『がってん寿司』もここ熊谷が発祥の地で、本部が置かれています。
梅林堂を過ぎたところで道路がYの字に分かれる三叉路があり、旧中山道はその左側を進みます(右側を行くのが現代の中山道・国道17号です)。
「新島一里塚」です。この新島一里塚は江戸の日本橋を出立してから17番目の一里塚です。1里が約4kmですから、ここまで約68km来たことになります。一里塚は通常左右一対になっているのですが、この新島一里塚では北側の塚だけが現存しています(反対の南側には道祖神だけが祀られています)。塚木は樹齢300年といわれるケヤキ(欅)の木です。通常塚木は榎を植えるのですが、さすがに武蔵野国埼玉県、塚木にもケヤキ(欅)が使われています。
さらに先に進みます。このあたりまで来ると、旧中山道はセンターラインもない細い道路に変わります。昔の中山道もこのくらいの幅の道路ではなかったか…と推察されます。ここが中山道であったことを示すのか、ところどころに道標が建っています。
新島一里塚のすぐ先に「忍藩領地石標」があります。この石標は忍藩が他藩との領地区分するために立てたもので、安永9年(1790年)に木材から石標に立て直されました。「従是南忍領」と彫られているのが分かります。
行く手の両側には稲刈りを終えたばかりの田圃が広がっています。
いったん並行する国道17号のほうに出て、国道17号沿いの広いコンビニエンスストアの駐車場に駐車しているバスの中でお弁当の昼食です。このあたりには50人ほどが一度に食事できるような施設もないので、観光バスがレストラン代わりです。こういう観光バスの使い方もあるのですね。よく晴れていて気持ちいいので、私はバスの外で田圃の畔に腰を下ろしてお弁当をいただきました。
……(その3)に続きます。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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