2017/02/15
王座陥落(T ^ T):日本スーパーバンタム級タイトルマッチ
2月4日(土)、プロボクシング第39代日本スーパーバンタム級チャンピョン石本康隆選手(帝拳ジム)の3度目の防衛戦が東京水道橋の後楽園ホールで行われ、石本選手は残念ながら挑戦者の同級1位、久我勇作選手(ワタナベジム)に2ラウンド2分49秒、タオル投入によるTKO負けを喫し敗戦。2度防衛したチャンピョンベルトを奪われてしまいました(T ^ T)
これまで一生懸命に石本選手を応援してきただけに、その敗戦のショックがあまりに大きく、なかなか観戦ブログの最初の一文が書けませんでしたが、石本選手がご自身のオフィシャルブログで敗戦を受け入れている文章を読み、やっと気を取り直してスマホのキーボードを叩き出した次第です。これほど落ち込んでしまうとは、正直、自分でも想像がつきませんでした。ふぅ〜〜ε-(´∀`; )
石本康隆オフィシャルブログ「まぁーライオン日記~最終章~」
私が応援している香川県高松市出身、プロボクシング第39代日本スーパーバンタム級チャンピョン、石本康隆選手(帝拳ジム)は昨年10月1日(土)に東京水道橋の後楽園ホールで行われた防衛戦で、同級8位(当時)の古橋岳也選手(川崎新田ジム)を相手に10ラウンド2分27秒TKO(レフェリーストップ)で勝利し、2度目のタイトル防衛に成功しました。
日本チャンピョン石本康隆選手、2度目の防衛成功!!
それから4ヶ月後。3度目の防衛戦の相手は指名挑戦者で同級1位の久我勇作選手(ワタナベジム)でした。久我選手は2015年12月21日(月)、王座決定戦を戦った相手です。この試合、3度目の日本王座挑戦で悲願のベルト獲得を目指す当時34歳の石本選手と、当時25歳、日本王座初挑戦の久我選手が王座獲得を狙うという構図でした。石本選手は久我選手の強打に手を焼きつつも、的確な左ジャブでリズムを作り、相手の攻勢は巧みにクリンチで寸断するなどの老獪な試合運びを見せ、僅差の接戦だったものの3対0で判定勝ちを収め、念願の第39代日本スーパーバンタム級チャンピョンのタイトルを掴んだのでした。
日本スーパーバンタム級チャンピョン、いっしもとぉ~やっすたかぁ~!
それから約1年2ヶ月ぶりの対戦です。この間、石本康隆選手は2度のタイトル防衛を果たし、いっぽうの久我勇作選手は昨年10月22日に後楽園ホールで行われた日本タイトル挑戦権を争う「最強後楽園ミリオンマッチ」で当時同級1位だったジョナサン・バアット選手(カシミジム・フィリピン国籍)を4ラウンドKO勝ちで破り、指名挑戦者(同級1位)としてこの試合に這い上がってきました。
久我勇作選手はここまで16戦して13勝(9KO)2敗1分。13勝のうち9勝がKO勝ちという強打の持ち主です(2敗のうちの1敗が前述の日本王座決定戦で石本康隆選手に敗れた1敗です)。いっぽうのチャンピョン石本康隆選手はここまで37戦して29勝(8KO)8敗。29勝もしていながらKO勝ちはわずかに8つ。強打のボクサーというよりも着実にポイントを稼ぎ、判定で勝つという試合巧者のボクサーです。26歳・強打の若手の挑戦を、35歳巧者のベテランが受けるという対戦でした。
試合のパンフレットには「この1年、石本さんを倒すためにずっとやってきた」という久我選手のコメントが載っていました。実は私は1年2ヶ月前の王座決定戦のことを思い出し、本当に気が気でなりませんでした。タイプからいっても久我選手はおそらく石本選手にとって現在最強の対戦相手です。そうとうな苦戦が予想されました。しかし、この試合の前の段階で、石本康隆選手はWBOスーパーバンタム級6位、WBC同級11位、OPBF東洋太平洋同級7位という世界ランキングの上位にランキングされており、この試合に勝てば次は間違いなく世界タイトルに挑戦できるだろうという大きな期待もあり、本当にワクワクドキドキの気持ちのまま後楽園ホールに向かいました。
いつものように落書きだらけの階段を上り、後楽園ホールに…。この日の後楽園ホールはちょっといつもと雰囲気が異なっていました。どういうわけか大相撲の力士さんがいっぱい観戦に来ています。おいおいおいおい、ここは後楽園ホール、プロボクシングとプロレスの聖地。同じ格闘技でも、大相撲は両国国技館ですよぉ〜。
後で調べたところによると、どうもかつて大相撲で「南海のハブ」と呼ばれ、小結まで進んだものの突如現役を引退して国会議員に転身した旭道山さん(現在はタレントや実業家として活動中)の甥っ子さんがこの日の第3試合のスーパーフェザー級6回戦に登場する波田大和選手(帝拳ジム)のようで、旭道山さんがその甥っ子を応援するためにチケットを大量に購入し、後輩にあたる大相撲の力士の皆さんに配ったようです。
おぉっ!、この力士は確か碧山関(春日野部屋)ではありませんか。ブルガリア出身だけにすぐに分かります。その他にもテレビの大相撲中継で観たことのある力士が大勢いらっしゃいました。初場所が1月22日(日)に大関稀勢の里関の優勝で千秋楽を迎え(場所後、稀勢の里関は横綱に昇進)、次の3月場所の初日は3月12日(日)。束の間の休日を楽しんでいるって感じでした。
この日もリングサイドには帝拳ジム関係者をはじめ多くのボクシング関係者が顔を揃えていました。これはこれはロンドン五輪ボクシング・ミドル級金メダリストの村田諒太選手(帝拳ジム)ではありませんか。村田選手は帝拳ジムでの先輩にあたる石本康隆選手の試合をよく観戦に来ていて、この日の試合にも駆けつけてくれていました。村田選手は昨年(2016年)12月30日、有明コロシアムで“世界前哨戦”として元WBC米国ミドル級王者のブルーノ・サンドバル選手(メキシコ)と10回戦の試合を行い、3ラウンド2分53秒に強烈な右ストレートを炸裂させてKO勝利を収めました。この勝利で2016年は4戦したすべての試合でKO勝利。プロ転向後12戦して12勝(9KO)無敗。ついにWBA世界ミドル級の2位にランクされました(WBOでも同級2位。IBFでは同級3位。WBCでは同級4位です)。今年中には間違いなく世界挑戦が実現することでしょう。是非とも世界タイトルを奪取して欲しいものです。男が男に惚れる…と言いますか、とにかくカッコいいです、はい。そしてとぉ〜っても爽やかです。
こちらは第37代日本ライトフライ級チャンピョンで、第35代WBC世界ライトフライ級チャンピョンだった木村悠選手です。昨年(2016年)3月4日、島津アリーナ京都で行われたWBC世界ライトフライ級タイトルマッチで同級6位のガニガン・ロペス選手(メキシコ)に判定で敗れて初防衛に失敗。そのまま現役引退を表明しました。さすがに現役を引退して減量の心配がなくなったためか、体型的に少しふっくらした感じがします。ボクシングのライトフライ級と言えば、契約ウェートは105〜108ポンド (47.627〜48.988kg)。ミニマム級とフライ級の間の階級で、全17階級中で2番目に軽い階級でしたからねぇ〜。
この日の試合は石本康隆選手の登場する日本スーパーバンタム級のタイトルマッチを含め、全部で6試合が組まれていたのですが、そのうちの5試合がTKOで勝敗が決まるというエキサイティングな試合ばかりとなりました。
第1試合、スーパーバンタム級4回戦は田中和泉選手(TEAM 10COUNT)がケーシー・プラチャンダ選手(角海老宝石ジム:ネパール国籍)に3ラウンド1分21秒TKOで勝利しました。田中選手はプロデビュー戦を見事KOで飾りました。
第2試合のライトフライ級4回戦は柴沼智樹選手(KG大和ジム)が椎名善聴選手(八王子中屋ジム)に4回判定勝ちを収めました。
続く第3試合のスーパーフェザー級6回戦は波田大和選手(帝拳ジム)と橋本拓也選手(ワイルドビートジム)の対戦でした。波田大和選手は、前述のように大相撲の元小結旭道山さんの甥っ子ですが、幕内格行司・木村寿之介さんの次男でもあります。埼玉県の草加市出身。大相撲一家に生まれた大和少年は父親から「力士になれ」と夢を託されて少年相撲の大会には出場していたそうなのですが、「小さい頃から背が低いし、ガリガリだった」と力士は断念。格闘技好きだったため、WBA世界スーパーフェザー級王者・内山高志選手(ワタナベジム)を輩出した花咲徳栄高に進み、ボクシングを始めたそうなのです。花咲徳栄高ではインターハイと国体で準優勝(ライト級)の実績があり、高校卒業後、鳴り物入りでプロに転向。プロに転向後は3戦して3勝。この3勝ともKO勝ちという将来を期待されるサウスポーのハードパンチャーです。
そうした期待からか、プロ転向後4試合目の6回戦ボーイにしては応援団がもの凄く、入場の際に花道を飾る幟の数もこれまで見たことがないくらいの本数でした。もちろん元小結旭道山さんと幕内格行司・木村寿之介さんの関係で観戦に来ている何人もの大相撲の力士の皆さんも波田大和選手の応援団です。その大応援団の声援の中、試合は最初から波田大和選手ペースで進んでいきました。まったくの余談ですが、私の2人目の孫は男の子で、名前はリング上の波田選手と同じ“大和”と言います。なので、勝手に親近感を覚え、「ヤマトォ〜!頑張れぇ〜!」と大声で声援を送れる喜びを味わわせていただきました。
しかし、試合は1発のパンチで決まりました。第4ラウンドも中盤を過ぎた時、橋本拓也選手が放ったカウンターのパンチが波田大和選手の顔面を見事に捉え、たまらず波田選手がダウン。すぐに立ち上がったものの、連打を浴び、第4ラウンド2分4秒、セコンドからタオルが投入されて試合終了。橋本拓也選手がTKOで勝利しました。“逆転のパンチ”ってやつですね。1発のパンチで勝敗がひっくり返りました。それまで優勢に試合を運んでいたので、波田選手にとっては悔いが残る試合だったのではないでしょうか。でも、これもボクシングの面白さってやつですね。波田大和選手はこの試合がプロ転向4試合目の20歳。あれだけのパンチ力があるのですから、これから経験を積むことでドンドン強くなるのではないかな…って思います。期待しましょう。「頑張れ、大和!」
第4試合はスーパーフェザー級の10回戦。OPBF東洋太平洋同級3位、日本同級5位の末吉大選手(帝拳ジム)とフィリピン同級チャンピオンのアラン・バレスピン選手の対戦でした。試合は第3ラウンド50秒、末吉大選手がTKO(レフェリーストップ)で勝利しました。これで末吉大選手は14勝(9KO)1敗。これまで9戦9勝無敗だったフィリピンチャンピョンを3ラウンドKOで倒したのは大きな自信になったのではないでしょうか。現在OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級3位ということなので、もしかしたら今年中には世界タイトルに挑戦ということになるかもしれません。現在26歳。期待できます。
5試合目はセミファイナル。スーパーフライ級10回戦としてOPBF東洋太平洋フライ級王者の比嘉大吾選手(白井具志堅ジム)が世界タイトル挑戦に向けての前哨戦としてフィリピン・フライ級7位のディオメル・ディオコス選手と対戦しました。リングサイドには白井具志堅ジム会長である元WBA世界ライトフライ級王者で日本人最多となる13度の世界王座防衛にも成功した具志堅用高さんの姿が見えます。この日の具志堅用高さんはトレードマークとなっている独特のアフロヘアーこそ健在でしたが、テレビのバラエティー番組で見せる陽気なイメージのキャラクターは封印し、完全に白井具志堅ジムの会長として、厳しい眼差しでリング上の教え子・比嘉大吾選手の戦いぶりを見つめていました。
試合は、第4ラウンド2分29秒、比嘉大吾選手が危なげなくTKO(レフェリーストップ)で勝利を収めました。現在WBCフライ級3位の比嘉選手はこれで12戦全勝。この12勝は全てKOでの勝利です。段違いな強さです。“カンムリワシ”具志堅用高の再来を予感させていただきました。これで完全に世界タイトルへの挑戦が見えてきた感じがします。リングを下りる比嘉選手を迎える具志堅用高会長の顔はとても満足そうでした。比嘉選手は現在21歳。そりゃあ具志堅用高会長も期待が膨らむでしょうね。私達も期待しています。
ここまでの5試合のうち、なんと4試合が4ラウンド以内という早いラウンドでのTKOで勝敗が決してしまったので、この日は異常に早いペースで試合が進みます。セミファイナルが終わった段階でまだ20時前です。さすがにここで長いインターバル(休憩)が入りました。
私達、石本選手の入場時に幟を掲げる応援団の面々はセミファイナルが始まった段階で会場の外の通路のところに集合して幟を組み立て準備をしたのですが、あまりに早く試合が進むので、通路はその前の試合で戦った選手の応援団の片付けと重なってしまい、ちょっとした混乱状態でした。
その間、私達応援団はリングサイドへ続く花道の入り口のところで待機です。
写真の左端に写っている外国人らしき人はカシアス内藤さんです。元・日本ミドル級チャンピョン、東洋ミドル級チャンピョンで、世界ミドル級1位にランキングされたのですが、惜しくも世界タイトルに挑戦することはできませんでした。現役当時は「和製クレイ」、「東洋のクレイ」などと呼ばれました。リングネームは昨年お亡くなりになった元・世界ヘビー級チャンピョン、モハメド・アリさんの改名前の名前「カシアス・クレイ」からとったものです。現在はE&Jカシアス・ボクシングジムの会長をなさっています。アメリカ人の父と日本人の母との間に生まれたハーフで、私は高校時代に全盛期の輪島功一選手との壮絶な打撃戦をテレビで観た記憶があります。谷村新司さんが作詞作曲して大ヒットしたアリスの『チャンピョン』は、このカシアス内藤さんのことを歌ったものだという話を聞いたことがあります。第45代日本スーパーフェザー級チャンピョンの内藤律樹選手はカシアス内藤さんのお子さんです。
この日は昨年12月の月間新鋭賞をご自身が会長を務めるE&Jカシアス・ボクシングジムの日本ミニマム級10位・小浦翼選手が受賞したので、その付き添いで後楽園ホールにいらっしゃったようです。会長自らが付き添いに来るなんて、日本チャンピョン(息子さんの内藤律樹選手)を輩出したとはいえ、規模の小さなE&Jカシアス・ボクシングジムにとって新鋭賞を受賞した小浦翼選手は“期待の星”ってことなんでしょうね。
出番を待つ間、少しお話をさせていただいたのですが、経歴や見た目と違って(失礼)、メチャメチャ優しそうな気さくなオジさんでした。10月の米国ラスベガス出張で乗ったエア・カナダの機内で観た映画『クリード チャンプを継ぐ男』のシルヴェスター・スタローンさん演じるかつての世界ヘビー級チャンピョン、ロッキー・バルボアの姿と重なるところがありました。この映画『クリード チャンプを継ぐ男』では、年老いたロッキー・バルボアはかつてライバルであり親友だった同じく世界ヘビー級チャンピョン、アポロ・クリードの遺児に偉大なボクサーとしての素質を感じ、そのトレーナーになります。
長いインターバルが終わり、日本プロボクシング協会による12月の月間優秀選手の表彰式があり、いよいよ本日のメインイベント、日本スーパーバンタム級タイトルマッチです。
私の中ですっかりお馴染みになったリングアナウンサー須藤尚紀さんの「両選手入場です」というアナウンスに続いて、まず青コーナーから挑戦者の日本スーパーバンタム級1位、久我勇作選手(ワタナベジム)が入場してきました。絞った身体に闘志あふれる目が離れていても見て取れました。青コーナーの久我勇作選手に続いて、いよいよ赤コーナーから第39代日本スーパーバンタム級チャンピョン、WBOスーパーバンタム級6位ぃ~、WBC同級11位ぃ~、OPBF東洋太平洋同級7位ぃ~、香川県高松市出身、我らが“いっしもとぉ~ やっすたかぁ~(石本康隆)選手”の入場です。
私達石本康隆応援団はリングサイドまでの花道を幟で飾ります。彼の入場曲Hi-STANDARD の「brand new sunset」が場内に鳴り響き、一気に気分が高揚していきます。
例によって石本康隆選手は少しじらしての入場です。カクテルライトが照らされる中、リングに向かって進む石本選手の目は、獣の目に変わっています。ただ、この日の入場してきた際の石本康隆選手の目を見た時、私の心の中に一瞬不安な気持ちがよぎったのは正直なところです。これまでの試合の時と比べて、獣への変身度合いが今一つ少ないように感じ取れましたから。
石本選手がリングに上がったのを確認して、私達石本康隆応援団は幟を片付けるために撤収。リング上では試合前のセレモニーが行われています。
この試合を裁くレフェリーはタイトルマッチではお馴染みのビニー・マーチンさん。私はこの方のレフェリング、好きです(余談ですが、このビニー・マーチンさん、アフリカのガーナ出身の方ですが、元日本ジュニアミドル&ミドル級のチャンピョンなんですよね)。
両選手への声援が錯綜するザワザワという歓声の中、カァ~~ン!という乾いたゴングの音が場内に鳴り響いて試合が開始されました。
試合は開始のゴングが鳴ったと同時に飛び出した久我選手がいきなり右からのハードパンチを石本選手に浴びせます。翌日のスポーツ新聞を見ると、久我選手は「見ながら行こうかとも思っていたんですが、石本選手が構えてなかったので。前回、前半のチャンスに決めきれなかったので、早めに行けたらと思っていた」とコメントしていました。まさにその作戦が成功したようです。久我選手はゴングが鳴って僅か10秒ほどでペースを掴むと左ボディーを連打で打ち込み、さらにはガードの上からお構いなしに右パンチを打っていき…と、上下へ執拗な攻撃を繰り返します。そして1分過ぎ、久我選手が放った右フックが石本選手のテンプル(こめかみ)をかすめて、石本選手は膝をつきダウンを奪われてしまいました。一瞬スリップダウンかな…と私は思ったのですが、レフェリーは無情にもカウントを数えます。
ダウンは奪われたものの、ダメージはさほど大きくなかったようで、石本選手はすぐに立ち上がり、試合が続行されます。しかし、もうこの時点で試合は完全に久我選手に支配されてしまいました。これまで石本康隆選手の試合を観戦してきて、試合序盤の入り方が石本康隆選手の課題だと私はずっと思ってきました。この試合、そこのところの課題を久我選手に突かれた感じです。前回の敗戦から約1年2ヶ月。試合のパンフレットに載っていた「この1年、石本さんを倒すためにずっとやってきた」というコメントのとおり、久我選手は石本選手を倒すための研究を続けてきたのだと思います。
第2ラウンドに入り、石本康隆選手は反撃に出たのですが、久我選手はその反撃にもひるまず左ボディーを軸に上下に攻め続けます。石本選手は防戦一方となり、そして終了間際の2分49秒、石本選手サイドの赤コーナーのセコンドからタオルが投げ込まれ、試合終了となりました。オレンジ色をしたタオルがリング上にフワッと投げ込まれた時、私は一瞬なにが起きたのか分かりませんでした。一緒に観戦していた友人によると、第2ラウンドの途中で石本選手が防戦一方になった時点で、セコンドはタオルを手に、投げ込むタイミングを計っていたということでした。
まぁ~、それだけ一方的な試合でした。これ以上、私には書きようがありません。2ラウンド2分49秒、あっという間に終わっちゃった感じです。頑張った石本康隆選手には申し訳ないのですが、私達応援団もエンジンがフルスロットル状態になる前にあれれれれ…って感じで試合が終わっちゃったので、不完全燃焼という感覚がその後長く続いてしまいました。私もその感覚がなかなか抜けず、この観戦ブログの執筆にもなかなか手が付けられませんでした。
それでも翌日は声が嗄れていました。たった2ラウンドでしたが、絶叫に近い声援をリングに向けて送り続けていたようです。
翌日のスポーツ新聞によると、久我選手は試合後のリング上で石本選手から「おめでとう」と声を掛けられたのだそうです。「本当に爽やかに言ってくれました。僕も『石本さんのおかげで強くなれました』と言ったんです」と明かしたそうです。
メチャメチャ悔しいけど、この試合に関しては、すべてにおいて久我勇作選手が勝っていました。久我勇作選手はこれで17戦して14勝(10KO)2敗1分。14勝のうち10勝がKO勝ち。驚異のKO率です。また、現在26歳。この日本タイトル奪取をバネにして、近いうちに世界タイトルに挑戦していただきたいと強く願っています。石本康隆選手の代わりに!
帝拳ジムのサイトには、試合後、インタビューに応じた石本選手は「先手を取られたのはありましたね、でもそれも相手が全て上回っていたということです。(タオル投入について)特に効いたとは感じていないし、ボディーには良いのをもらったけど、いつも見てきた田中繊大トレーナーが判断したのだから、納得しています。練習してきたことを出す前に終わってしまいました。(相手が前に出てくるという)ああいう出方をしてくるとは思っていたけど、結果的に対応しきれなかった、相手が上回っていたということです。(積み重ねてきた練習の成果を)出し切れなかったことは悔いが残るし、セコンドやジムのバックアップに応えられなかったのが悔しいです…」と語ったという記事が載っていました。
試合後は水道橋駅近くの居酒屋で応援団の懇親会です。いつもは祝勝会となる応援団の懇親会も、この日は残念会になってしまいました。当初は21時半開始を予定していたのですが、石本康隆選手のタイトルマッチを含めてこの日組まれた6試合中5試合が早いラウンドでのTKOで決着がついたので、1時間早い20時半の開始です。残念会になってしまったのですが、それでもこの日の残念会に参加したのは50名強。これも石本康隆選手の人柄のなせる業でしょう。
タイトルを失った失意の中にもかかわらず、律儀な石本選手は残念会に顔を出してくれました。負けたと言っても受けたパンチはボディーが主体で、顔面にはさほどパンチを受けていなかったので、石本選手の顔はとても日本タイトルマッチを戦った直後の選手の顔とは思えません。爽やかな印象すら受けます。
石本選手は律儀にも各テーブルを1つ1つ回って、私達と言葉を交わしてくれました。彼が喋ったのは上記のインタビューに載っていたようなことです。「第2ラウンドでのタオル投入はあまりに早すぎるのではないか。もっとやれただろう。」…という応援団の無責任な質問にも、「自分が信頼しているセコンドが投げ込んだのだから、自分の中では納得して受け入れている。」という言葉が返ってきました。私は彼の言葉を聞くだけで、何も気の利いた言葉をかけられませんでした。
石本康隆選手は現在35歳。プロボクサーとしてはかなりのベテランです。今回の敗戦、そして王座陥落を受けて、彼が今後のことをどのように決断するかはわかりませんが、彼がどのような決断をしようとも、私は石本康隆選手をこれからも応援していきたいと思っています。
執筆者
株式会社ハレックス
前代表取締役社長
越智正昭
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