2017/02/24

銀の匙Silver Spoon第2章(その3)

牧場の間を割って延びる長い長い直線の道路は中標津町の名物です。クルマのナビゲーションの画面を見ても、縦に1本、真っ直ぐな線が描かれるだけです。特に開陽台に向かう北19号ロードは沿道の牧歌的風景とともに、オートバイ(バイク)のライダー達にとって人気のスポットになっています。バイクライダー達の間では、いつの日からかこの道路のことを「ライダー達の聖地」とか「ミルクロード」と呼ぶようになっているのだそうです。

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ほぼ真っ平らな草原(今は雪で真っ白ですが…)の中を真っ直ぐに伸びる単調な道路の唯一のアクセントが防風林。時折、防風林の間を抜けていきます。

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防風林を形成している樹木はカラマツ(唐松)。樹高20〜40メートルになる落葉針葉樹で、日本の針葉樹の中で、カラマツはただ一つの落葉性の高木です。カラマツは、森林を造林する際に用いる樹木として重要な種であるとされていました。北海道では、明治30年代(1897年~)から大量に求められる薪炭用の需要に応えるため本格的なカラマツの造林が始まりました。折しも当時の北海道は、大規模な山火事が各所で頻発。明治39年(1906年)から大正4年(1915年)の10年間だけでも約48万haが焼失しており、育苗が簡単で成長が速いカラマツの特徴が認められ、被災跡地や無立木地に一斉に造林が行われました。大正12年(1923年)を例にとると、北海道全道で約1万haの植栽が行われたのですが、そのほとんどはカラマツであったという記録が残っているそうです。こうしたカラマツの造林は、第二次世界大戦後の中断を挟んで昭和30年代後半まで、年間2~4万haの規模で行われています。昭和30年代後半以降はエネルギー利用の変化から薪炭需要に陰りが見えると、雑木中心の薪炭林などをほとんど伐採して用材向けのカラマツへ樹種転換する拡大造林も行われました。ここ中標津周辺では防風林に使用されているのですね。樹高が20〜40メートルになる高木で、成長が速いというのは、防風林を形成するのにピッタリです。北海道といえばカラマツです。

近くで見ると、かなりの厚み、というか幅のある防風林です。カラマツは落葉針葉樹なので今はすっかり葉が落ちてしまっていますが、木々が鬱蒼と生えているので、林の向こうはまったく見えません。葉が繁る夏だとなおのことで、完全に風を遮ってしまうのでしょうね。

まったくの余談ですが、赤塚不二夫さんのギャグ漫画『おそ松くん』に登場する松野家の一卵性の六つ子のうち、次男の名前が「から松」でした。皆さんは『おそ松くん』の六つ子の名前を全て言えますか?長男が主人公の「おそ松」で、次男が「から松」、三男が「チョロ松」、四男が「一松」、五男が「十四松」、六男が「トド松」です。小学生だった頃、大好きで読んでいたので、今もしっかり覚えています。なので、カラマツと聞くと、どうしても六つ子の次男「から松」を連想してしまうんですよね。困ったことに…。

この赤塚不二夫さんが描いた『おそ松くん』はあの傑作『天才バカボン』以前に描いた作品で、赤塚不二夫さんがギャグ漫画家としての確固たる人気を確立した作品でした。松野家の六つ子に加えて、イヤミやチビ太、デカパン、ハタ坊、ダヨーンといった大変魅力のある個性的な脇役キャラも人気を博し、テレビアニメにもなりました。根強い人気を誇る漫画なので、2015年から2016年にかけてには、『おそ松さん』のタイトルで大人になった6つ子を描いたテレビアニメ第3作も放送されました。

ちなみに、これら魅力的な脇役キャラのキャラクターデザインは、当時赤塚不二夫さんのチーフアシスタントだった高井研一郎さんが手掛けていたとのことです。高井研一郎さんは『総務部総務課山口六平太』で知られた漫画家で、昨年(2016年)11月にお亡くなりになりました。

思いっきり脱線しちゃいました。

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開陽D.A.I TMRセンターのすぐ近くに地元の人が中標津唯一の観光地と呼ぶ「開陽台」があります。中標津中心街、中標津空港、どちらからでもクルマでおよそ15分の距離に位置する開陽台は、標高270メートルの台地です。周囲はほぼ真っ平らな平原だけに、この開陽台の展望台から周囲を見回すと、眼下の草原の地平線が文字どおり丸く見え、北海道にいることを実感できるのだそうです。

森林や緩やかに波打つ丘陵や牧草地などが330度のパノラマで広がり(北西方向に武佐岳をはじめとした1,000メートル級の山があるため、360度ではないのだそうです)、絶景なのだとか。この日は残念ながら展望台に続く遊歩道はすっかり雪で埋まってしまっていて展望台に近づくことができないため、展望台下の駐車場のところから眺めたのですが、それでもそのパノラマの雰囲気は分かります。住宅地から離れていて、周囲に余計な灯りがないため、夜は大粒の星が降り注ぎ、地球も銀河星の一員であることを感じとれる宇宙の大パノラマが広がるそうです。この開陽台からの満天の星空を観るためだけに、わざわざ東京から訪れる観光客もいるのだそうです。

開陽台からは見渡せる風景として特徴的なものは、なんと言っても北海道遺産にも指定されている「根釧台地の格子状防風林」です。冬の今の時期は白と黒とのモノクロームの風景ですが、これが夏になると、一面に広がる牧草地と格子状に伸びる防風林とで緑色の濃淡が描かれる景色が広がるので、さぞや感動的な景色になることは容易に想像できます。2000年、スペースシャトルエンデバーに搭乗した宇宙飛行士の毛利衛さんが宇宙から撮影したビデオには、この根釧台地に広がる格子状の防風林の姿がはっきりと映し出されていたのだそうです。これを期に北海道遺産に認定された格子状防風林は、幅180m、総延長648kmという地球規模の人工物であり、毛利衛さんは「宇宙から見える防風林は、世界中でこの根釧台地にしかない」とおっしゃったのだそうです。

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東の方角を見ると、狭い根室海峡を隔てたすぐ先に北方領土の国後(クナシリ)島の姿がハッキリ見えます。目と鼻の先…って感じです。根室海峡の幅は一番狭いところでは3kmもないほどなので、釣り船を出して魚釣りをしていて、うっかりすると船が潮で流されて、ロシアの領海に入り込みそうになることがあるのだそうです。そういう時はロシアの沿岸警備隊の船よりも早く日本の海上保安庁の巡視艇が猛烈なスピードで接近してきて、「領海侵犯になりますよ。引っ返しなさぁ〜い!」と警告を発してくれるのだそうです。海に国境線は引かれていませんからね。

次に訪れたのが中標津町武佐地区にある真野牧場さんです。真野牧場さんでは乳牛180頭(うち経産牛100頭)を飼育し、年間約1,000トンの牛乳を生産しています。武佐地区はもともとは馬鈴薯の生産農家が多い地域で、真野牧場も先代までは馬鈴薯と酪農の兼業農家でした。しかし、馬鈴薯デンプン粉の先行き不透明感から徐々に酪農主体に切り替え、今では酪農一本で経営を行なっています。

牛舎には乳が出る経産期にある約100頭の乳牛がズラァ〜と並んでいます。

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動物のうち牛や豚等の家畜・ニワトリやアヒル等の家禽を繁殖、飼育または肥育し、乳製品、肉、卵、皮革など畜産物を得て生活に役立てる産業のことを「畜産」と言います(飼育する動物が水棲生物である場合は養殖と呼ぶことが一般的です)。畜産のうち、特に牛や山羊などを飼育し、乳や乳製品を生産する畜産のことを「酪農」と言います。その歴史は古く、人類が狩猟生活から農耕生活に入ったのとほぼ同時期に、こうした酪農、畜産も始まったといわれています。(ちなみに、放牧により畜産をすることを牧畜と呼びます。)

畜産を営む農家のことを畜産農家、または畜産家と呼びます。畜産農家はさらに次のように大別されます。まず、母牛を飼育し、交配させて子牛を得てそれを販売する農家を繁殖農家と呼び、子牛を購入して飼養し主に肉牛として販売する農家は肥育農家と呼ばれます。また、乳牛を飼養し、乳を主に販売する農家は酪農家と呼ばれます。ちなみに、“酪”とは、古代メソポタミア語で濁り酒の意味ということらしいです。

乳を搾り取ることを目的として飼育される牛のことを乳牛と言います。乳量の多いホルスタイン種の乳牛が主流で、日本で飼育されている乳牛の98%は、飼料効率がよく、温厚な性質のホルスタイン種です。黒白または白黒斑が特徴のホルスタイン種の乳牛ですが、白地に黒斑があるように見えますが、実は逆で、黒色の地肌に、遺伝的に優性の白斑が加わったものなのだそうです。

このホルスタイン種の名前はドイツ北部にあるシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州にちなみます。もともとはライン川下流のデルタ地帯に産した在来種を起源として、ゲルマン民族の移動に伴われて西に進み、オランダに定着して乳用種として改良されたものなのだそうです。従って、起源はドイツではありますが、品種としての原産地という意味では、オランダのフリースラントが正しいとされています。ドイツのシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州はそのオランダのフリースラントと同じく北海の沿岸で隣接していて、この品種が牛の主流をなしています。その後、1800年代の初めにオランダからアメリカにもたらされ、さらにそのアメリカから明治18年(1885年)、日本にもたらされました。アメリカでホルスタインと呼ばれていたため、日本でもアメリカと同様にホルスタインと呼ばれていますが、欧州ではむしろオランダのフリースラントにちなんだフリーシアンの方が共通的な呼称となっているようです。

前述のようにドイツのシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州もオランダのフリースラントも北海に面した沿岸地方で、田園地帯はほぼ平らで山が全くないところです。北緯52度と日本列島よりも北に位置し、冷涼なところです。氷河期に氷床に覆われていた地域で、氷河が地表の土壌を侵食したため、土地が痩せていて穀物の栽培には適したところではありません。いっぽうで、牧草の栽培は可能であり、それが酪農が展開され発展した大きな理由になっています。北側が海に面していて、ほぼ平らな広大な田園地帯があって冷涼、これってこの北海道中標津町周辺と極めて似ていますよね(中標津の北緯は43度ですが、寒流である親潮の流れるオホーツク海があるため、ドイツのシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州と同じくらい冷涼です)。“適地適作”と言いますが、そもそも中標津周辺は乳牛(ホルスタイン種)の飼育に向いている“地形”と“気象”(自然環境)にあると言えます。それがこのあたりで酪農が盛んな理由の1つになっているのではないかと容易に想像がつきます。

酪農では1軒につき数頭から数百頭の乳牛を、牧場等で放牧したり畜舎で飼育したりしています。日本では放牧主体の酪農はほとんど行われておらず、約74%がスタンチョン(牛の首の部分を挟んで繋いでおく道具)やタイストール(牛をチェーンで繋ぐ方式)での繋ぎ飼いであり、残りの約25%は牛舎内での放し飼いです。一般にイメージするような自然放牧による酪農は酪農全体の2%にも満たないのが実際のところです。この日見学させていただいた真野牧場さんの畜舎は一般的なスタンチョンによる繋ぎ飼いです。

乳牛はいかに多く搾り取るかを最大の課題とされ、改良が進められた結果、現在では1日の泌乳量が1頭あたり約60kgにまで達しています。そのため1日でも乳牛を搾乳しないまま放置すると、乳房炎という病気になるため、きめの細かい管理が必要となります。一般的には等間隔で朝と夕の1日2回、搾乳を行います。これを年中無休でやらないといけません。牛に休日や祝日、正月やお盆といった概念はありませんから。

日本でも1960年代頃までは人の手で乳搾りを行い、搾った生乳をバケツに取り、さらに牛乳缶と呼ばれる20リットル程度の金属製容器に入れて貯蔵していたのですが、現代では工程のほとんどが機械化されています。 現在、日本では、畜舎内に走るパイプラインと牛の乳房をミルカーと呼ばれる搾乳機で接続して搾乳するパイプライン方式が普及していますが、規模拡大(メガファームの増加)傾向に伴い、牛を搾乳室に集約して効率的に搾乳するミルキングパーラー方式や、搾乳作業を自動化して省力化を図る搾乳ロボットの導入も増えてきています。

真野牧場さんが取り入れているのがミルキングパーラー方式のうちロータリーパーラーと呼ばれる設備です。牛舎でしっかり餌を食べ、睡眠をとった乳牛は時間が経つと乳房が張ってきて、我慢ができなくなると搾乳して欲しくて牛舎から搾乳室のほうに自分でやってきます。搾乳室には放射円(ロータリー)状に並んだパーラー(搾乳スペース)があり、ゆっくりと回っています。搾乳室にやって来た乳牛はそのパーラーにこれまた自分の意思で1頭ずつ上手に入っていきます。振り返ると搾乳を待つ乳牛の列ができています。

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まず最初に乳首の消毒と搾乳機の取り付けを行います。これは人間のスタッフが行いますが、人間が絡むのはここだけ。あとはロータリーがゆっくりと一周する間に自動的に搾乳が行われ、搾乳が終わると自動的に搾乳機が取り外されます。搾乳が終わった乳牛は、出口のところに来ると自分の意思で上手に出ていき、牛舎に帰っていきます。

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荒川弘さんが描く漫画『銀の匙 Silver Spoon』の中で、主人公・八軒勇吾のクラスメイトである稲田多摩子(通称:タマコ)の実家のギガファームがこのロータリーパーラーを導入していて、漫画で読んだので、大規模な農場ではこういう設備が導入されていて、搾乳工程のほとんどが自動化されているってことを知ってはいましたが、実際に見たのは初めてなので、もう感動です。

搾乳後の生乳はバルククーラー(生乳を冷やす冷蔵タンク)に送られ冷却・一時貯蔵。その後集乳車(タンクローリーの一種)により集荷され、牛乳工場へ運ばれます。

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ちなみに、乳牛は生後14~16ヶ月を経過すると、初めの人工授精が行われます。出産しなければ乳が出ないためですが、その後も経済効率を上げるために分娩の間隔をあけぬよう、定期的に人工授精と出産が行われます。その際、同じホルスタイン種だけでなく、食肉用の和牛を人工授精して出産させることも行なっています。そうして生まれた子牛は肥育農家に販売され、食肉用の肉牛として育てられます。

開陽D.A.I TMRセンターと真野牧場を実際に見学させていただいて、酪農という産業の実態が垣間見えた感じがしています。これまでも本の知識などで文字面としては理解しているつもりでしたが、実際に見ると、それがよりリアルにわかります。正直、私が想像していた以上でした。

酪農という産業は、牧草をはじめとした飼料を原材料にして、それを乳牛という“生きている機械”で加工し、生乳という製品を作り出す産業と言えます。その意味で農業と言ってもやっている内容や感覚は製造業に近く、大規模に行うためには効率化が鍵で、大掛かりな設備投資を必要とするなど近代化が一般の方々が想像する以上に進んでいる産業だということが、よくわかりました。大いに参考になりました。

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中標津ではトーヨーグランドホテルに2泊しました。このホテルには天然温泉があり、日帰り利用も可能なため、地元の方も大勢利用されています。温泉好きにとってはたまりません。チェックインして、一度、オーレンス総合経営の幹部の皆さんとの懇親会のため外に出たのですが、戻ってきてからこの天然温泉に浸かりました(滞在中、私は寝る前と早朝起きた直後の2回ずつの計4回、この天然温泉に浸かりました)。泉質はナトリウム塩化物泉)弱アルカリ性低張性高温泉)で、源泉の湯温は46℃もあり高めです。

現在ではあまり使われなくなったのですが、日本では過去に国内の火山を地理的な観点から7つの火山帯に区分していました(私は小学校時代に習いましたが…)。千島火山帯、那須火山帯、鳥海火山帯、富士火山帯(富士箱根火山帯、富士箱根伊豆火山帯)、乗鞍火山帯、白山火山帯(大山火山帯)、霧島火山帯の7つです。そのうちの一番北に位置する千島火山帯がこの中標津近郊を通っています。千島火山帯は、北海道の中央部から知床半島を通り、千島海溝と平行に千島列島へと延びる火山群のことです。主な火山は、十勝岳、大雪山、雄阿寒岳、雌阿寒岳、羅臼岳、爺爺岳などで、屈斜路湖、阿寒湖、摩周湖などはこの地域の火山活動によって形成されたカルデラ湖です。このため、この中標津近郊には天然温泉が幾つもあります。中標津町市街地からクルマで約30分のところには養老牛温泉があり、隣の別海町には尾岱沼(おだいとう)温泉、標津町には川北温泉があります。ちょっと足を伸ばした弟子屈町には川湯温泉があり、知床半島の羅臼町は相泊温泉、セセキ温泉、熊の湯など幾つもの温泉があります。中標津町の市街地からも温泉が湧き、たくさんの温泉施設があり、こうしたシティホテル、ビジネスホテル、旅館、民宿等でも気軽に温泉を楽しむことができます。これは嬉しい!

トーヨーグランドホテルの温泉はクセや刺激が少なく、なめらかな湯ざわりです。源泉の湯温が46℃と高いので、湯温はちょっと高めです。42℃ちょっとでしょうか。露天風呂もあり、ホテルの裏手を流れる標津川の清流と、武佐岳をはじめとした阿寒・摩周の山々を眺めながら、湯の香りに包まれた寛ぎのひとときを堪能することができます。とは言え、今は厳冬の2月。この日は暖かいとは言っても明け方の最低気温は氷点下10℃を下回りました。私が夜明けすぐの朝の6時に露天風呂に浸かった時も外気温は氷点下7〜8℃だったように感じます。裸だと凍えそうになるので、すぐに湯に浸かったのですが、湯の表面一面からはモウモウと湯煙が上がっていました。湯の温度が42℃ほどで、外気温が氷点下7〜8℃。湯と外気で50℃近い温度差があると、そりゃあ湯煙もモウモウと上がります。なので、周囲の景色は湯煙の間からほんのちょっとしか楽しめませんでしたが…。

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世界自然遺産・知床半島から続くこのあたりは、貴重な自然環境に恵まれたところです。大浴場を出たところにヒグマの剥製が飾られています。きっとこのあたりで捕獲されたものなのでしょう。大きさから言って、小熊かもしれません。こういうところに仕事の出張で来られるとは……、思ってもみませんでした。

ホテルのロビーにこんなポスターが貼られていました。「日本は小さい。北海道は広い。」なんと北海道の地図の中に15の府県の地図がジグソーパズルのように嵌め込まれています。凄い!他の都府県の人にとっては北海道が広いのは知っているが、どれほど広いのかちょっと掴みづらいところがありますが、この絵を見ると一目で分かりますね。

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北の大地「北海道」。日本で最大の面積を持つ都道府県です。北海道本島は面積77,984.15㎢、日本の島の中では本州に次ぐ第2位の面積で、これは九州と四国を合わせた面積55,050.77㎢を上回ります。島嶼部を合わせた北海道全道だと83,424.22㎢。これは九州の2倍の面積で、北海道だけで日本の面積約38万㎢の22%を占めます。また、中標津町の南隣にある別海町の総面積は約1,320㎢。1つの町だけで東京23区を合わせた面積(621㎢)の2倍以上あります。そもそものスケールが異なります。

あまりに広い「北海道」。他の都府県と同じような感覚で北海道のことを論じると、話が通じないようなところがあります。場合によっては大きな恥をかくこともあるかも…。気をつけないといけません。


……(その4)に続きます。

執筆者

株式会社ハレックス前代表取締役社長 越智正昭

株式会社ハレックス
前代表取締役社長

越智正昭

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